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   《逢った人・乗り物・味・逸品》
                                      
Part3「メジャー報道はどこまでが本当か」                   
  2001年2月〜4月

 ボクは結果論だけのスポーツマスコミとは一線を画している。それは勝負に身体を張っている勝負師らを取材したり評論するのに自分らだけ保身に走るがため、相変わらず《番記者ダンゴ状態》の中から出ようとしない・・・余計な予測や突っ込んだ分析という読者にとってもスリリングであるための”従軍記者”的レポートは、ますます我々から遠ざかる一方のようなのだ。
 
 もっと身を乗り出してくれよ。もっと突っ込んで”色”を出せないか?
 昔は社に戻ればデスクがそうガナりたてたものだった。

 『よそと同じネタ書いていて恥ずかしくないのか?』これはジャーナリズムの基本だろう。
 だからON時代とは違い、スター選手らは彼らとは一線を画しているのである。
 
 TVの解説にしろ大選手だったOBらも、どうしてああも目がフシ穴になってしまうのか解らない。

 おそらくプレーが終わった後の「xxはこうでしたね」「これじゃダメなんです」などと、マスコミ用語の”後追いコメント”ばかりでヨシとされるのが日常化してしまい、彼らの感性がすっかりフツーのヒトと同じになってしまったからなのだろう。
 
 それは競馬番組での元騎手などでも同様だ。

 逆に戦闘モードを未だに体内に残し『自分だったらこう攻める』『こう投手に攻めてこられたらキツい』といった視点から予測・分析できるのが掛布・加藤博一・落合・達川氏らであって、他のOB評論家の”自己保身第一”などは聴くには値しない。

 牛島さんは素晴らしい分析眼で読んでいながら、”振られないとコメントしない”控え目なのが真に勿体ない。(それにしても、UHF千葉TVのナイター解説者元ロッテ投手倉持氏は抜群である。すばらしい)
 せいぜいが花束に添える「カスミ草」程度の飾り物へと牛島さんは遠慮してしまっている。もっと聴きたいぜ!

 2001年はフジTVはじめ多くのメジャー局でギャラ関係経費の大幅なリストラ要求が現場に突き付けられ、一斉に彼らOB評論家らを大ナタ振るい、バッサバッサと斬っているのだそうだ。

 画面を見れば確かにスカスカ、局の男性アナの超過勤務ぶりばかりが目立っているのにお気付きか。
 局アナには気の毒だがボクは”(無能不勉強のコメンテイターらの)粛清は当然”と賛成する一人。とはいえ、それにしてもあまり上手なリストラには見えない。

 CX系も三宅さんが孤軍奮闘、TBSも『ボクの親戚!!』小倉アナに頼り切り・・・なのに気付かないか。
 TX系は予算もないのにもかかわらず、かなり硬派で古典的作りはポイントは高いと思う。
 蓑田さんのコメントには硬軟愛情も感じられ好感が持てる。

構成作家に難クセ書かせ後輩選手ダシで荒稼ぎOBも

しかし『日テレ』はひどい(笑)。まるでかなりの地方ケーブル局?を思わせる”絵ヅラ”だ。
 カメラはまるで寒風が吹き抜けているスタジオを中継しているようだ。

 目つきが下から冷たく見上げるような女子アナ2名(1名アイメイクごってり・1名オタク文化部女子大生ふう)に華などはなし、安心感や懸命さ、また頑張り感からくる連帯感がなくなった。

 ただただ、進行を早め掛布さんらとの丁々発止がスムースならいい・・・といわんばかりの事務的進行に掛布氏や(もはやそれのみがウリとなった)中畑氏の明るさやほのぼのさ・・・が失われて久しい。
 
 この局は「巨人戦中継の視聴率」を声高にさけぶ・・・にもかかわらず、例えば23時帯の『今日の出来事』ニュース後のスポーツ枠であるのに、巨人勝ちゲーム以外は「1試合あたり約10秒」という短いシャクでVTRで触れ、一言触れるのみ・・・でシメてしまう構成には驚くしかない。

 これではオーナーや社長らの『日本プロ野球危機論』に対し、ナントカしろ・・・といった姿勢などご本人のおヒザ元でありながらミジンも感じられないのである。
 こでじゃまるで『野球チームとは関係ないTV局』の手法=「野球結果だって報道しましたよ・・・」っていうアリバイ工作と変わるものはない。ちがうかな?

 各試合10秒ワクで、セ・パのフルカード12戦見せたって、”評論つき”でも正味3分そこそこで終われるのだから、それこそ『8時6分前』『9時6分前』のミニニュース枠だって押し込められるというアクロバチック編成はどうしたことだろうか。
 
 これは「報道」ではなく、単なる「処理」と呼ばなくてはならない。
 みずから「野球にニュースヴァリューなし」を無言で毎日訴えているようなものだ。
 こんなんで”衰退”の原因をファンのせい、メジャーのせいにするなどカタハラ痛いのである。

 そんな各社とも、共通しているのは”社外”の評論家に依存するぶん、男女社員アナらに従来にも増してスター性をもたせ、経費削減に成功しているのは偶然なのか、計算された錬金術なのか。
 出演社外スタッフへの依存度を減らす分、局アナへの負担比重は増え、番組全体のまとめ方にまで、依存する度合いが高くなる構図である。

 だから、昨今の野球中継は(特に巨人戦の日テレなどでは)アナウンサーがマクラを振って、中身を喋りデータを補充して、その上で「XXさんそうですよね」と、(巨人OB)解説者に同意を求めて花を持たせてやり、ワンセンテンスを完結させる…といった”役回り”が目立っているのに気付かないだろうか?

 この苦労を知ってか知らずか、(掛布さん除く)”ノー天気ども”は「ええ、そうですよね」「まったくその通りですっ!」なんてオウムさんのような、解説者ならぬ怪説者らのブル下がり現象は見るに堪えない。

 大きな球団ともなると当面は”現場”では不要だが将来、政権にあわせ、コーチ・監督でユニフォームを着せる予定のエリート(?)を、ああして”プロモーションの先取り”を金を払ってさせてやりながら”飼って”いる…という独特の構造を”誇って”いるのである。

 これって知ってましたか?だから一定程度、ピントがズレていてもまた解説者として低レベルでも彼らはハナからエアポケットに囲われている人々…。ああして顔を売ってもらいながら講演料などの”バイトは別”の副収入となるのだから、まったくうらやましいご身分なのである。

 彼らをスポーツ界の”キャリア組”と呼んだのは尊敬なのか、カゲ口なのか(笑)。
 いいや、ボクは『あんなのブロイラーだろ』と東京ドームの関係者食堂で他球団OB氏に話すフリして声を大きくして云ってやった。
 
 ある御仁はドームに行き、解説者役で座る日もグラウンドに降りて行かない、いや”行けない”。
『面白おかしく後輩の現役ナインを茶化す突っ込み』がウけ、今や年末特番まで任されるわソレモンの講演依頼は入るワ、でまさに後輩をエサにして食っているため大ヒンシュク買い、ダグアウトに出入りできない状態。これは異常である。

 それも、怒れる主力選手の言によれば「アレは番組の構成作家が書いている」とのこと。
 なんだそりゃ!?

 ヤキモチ焼く気などさらさらない。ああした甘チャンの不勉強がいきなりナインの上に立つ(ことになる?)ものだから、いつまでたっても人的ホコロビが修繕されるどころか、年々、団結力は薄れ、ギャップは広がるばかりなのである。
 この点、今日的”霞ヶ関”事情とよく似ている。

リポーター」って誰にだってできる…んですよね。

 昨今のスポーツニュースウォッチャーにとって、登場するリポーターに、”華などなくていい”、彼女らの見識を求めたい…と願う視聴者は少なくなかろう。

 特にスポーツ現場を引退した女性リポーターたちの質の低さ、アレは何だろう。
 同じリポーターでもワイドショーの方が(伝えんとする内容は別だが)質はずっと上である。

 『アタシが現役で頑張っている時はどうだったか・・・』せめてその位、目の高さを普通人並みに落として、そこから選手ら大きさと比較としてもらおうという、マラソンの増田明美女史のような素晴らしいお手本がありながら見習おうとしない。少々暗くたって(笑)いいではないか。ああしたマジメでアスリートってる者の身に成り代わって我々に伝えてくれる伝道・・・ならぬ”伝導”が欲しいのである。

 無理やり不思議の原因に頭をひねってしまうが、もしかすると
「起用する現場の長」の側に何か金銭的特典でもあるのだろうか(笑)。ボクにはそれほど消化するのが難しい起用が多すぎるのである。

 毎回選挙が近くなると特定の局に現れ、出馬への色気だけを感じさせる元女子テニスプロなどは、ギャラを包み返してくれるのではないか?
 あ・これってワイドショーだけど、広げていったらキリがないかも(笑)。スポーツだけに限らないものなあニュース現場だって相当にヘンなのが跳梁跋扈してるんだよ〜。

 フィリッピン革命でマルコスが倒れた時に英語力買われ、現場から話した…だけなのにいきなりステイタスがドカ〜ンと上がったのに味をしめた者がいる。
 この御仁、災害だの大惨事だのというと、”夢よもう一度”とばかり現場で「マイク持ち」をやりたがる女史だ、内容…?そういえばどこにあったかなあ…(笑)。

 社外極秘エピソードだけど、あの阪神大震災の時だった。
 地元地方局が前線本部を設営して、陸の孤島と化した神戸のガレキの中で”中央キー局”から続々やって来る取材部隊の手足となってローカル局側がコキ使われていた時のこと、他局の宮崎緑サンが毛皮のコートに香水姿でリポートをやり、ヒンシュク買ったのは有名になったけれど、この女史の場合、”大災害”と聞いて真っ先にすっ飛んできた(笑)。

 大事件…ともなるとXXが必ずやって来る…誰も頼んじゃいないのに。どうしてもそうした色付けを自分に施したい彼女の性癖…それを全放送界で知らぬ者はいないだろう。

 彼女との初対面を想い出す、非常に姿勢の悪い人間だった。
 ボクの前で酒に軽く酔い、彼女はインタヴューしたばかりだという、当時の自民党幹事長梶山清六に”軽くあしらわれた”…ことを、男性プロデューサーのあぐらの中心部に上体を預けたまま、繰り返し何度も悔しそうに、こうつぶやいていた。

『あの梶山のヤツ〜』『ああ、あのヤロー』『顔つぶしやがって〜』

 自民党が悪く言われるのはボクとしてはオモシロイことには違いないが、”フィリピン”後大出世直後だったせいか、『自称・国際ジャーナリストしかも女性』(笑)が日本国内程度の政治家にしてやられたのがよほど口惜してならなかったらしい。

 故梶山氏(をエライとは思わぬ)が、まるで対等か目下の者への態度としか思えない傲岸不遜な態度は正視しにくく、また初対面の者への態度としてボクならいかなる者に対しこうもダラけた態度はとるまい。 とりわけ我が近所の呑み屋夫婦にとってブラウン管内の”才女”としての彼女の印象がサイテーの女…に変わったことは言うまでもない。

 数十分でボクはその場を辞した。あまりに油断をしている者をいつまでも眺めるのはアンフェアである。 また、彼女を真横から見るとまるでチンパンジーのように流線型をしており、絵的に美をまったく感じさせない風貌だった。これでは同席した出版プロデューサーやカレシらしきPなど、”遊んでいない”男程度が網にかかる”魔力”に違いない。

 話を戻す、テント内で現地局スタッフが背中にかつぎ、長い距離を運んできたシャケ弁当を差し出されたこのアマ曰く、
「もっと他のオベントないの?」とイヤそうにつき返したのだそうである。
 ローカル局職員たちは目を丸くした。そして目を三角に吊り上げた。

 外側は未だ紅蓮の炎に包まれ、周囲の地域と結ぶ道路という道路は信じられぬほどの大渋滞で寸断され、歴史的な交通マヒ…そうした中でのまさに血の出るようなシャケ弁だったのである。

 「暴走族」さえ、物資運搬にボランティアを買って出て、家をつぶされた子供らにも、救援の配給食が未だ配られていない時点での”トウの立ったお嬢様のお言葉”である。
 それまで『常に中央部隊優先に徹してきた』同局報道局長がついにブチ切れた。

「あんた、この弁当ウチのもんがどんな思いして運んできたと思うてんねや!ワシらは食いとうても今日も一日食わんとガマンして、あんたらにこうして渡してんのやそれを何やその態度は。さっさとこっから出て行け」とブッつぶしたのだそうである。いいなあ、痛快だなあ…。
 局長さんエライッ!

ただしこの有名なエピソード、どうやら『東京本家』には持ち帰っていないよう…なのである。

ヘンだな?と不思議がったが、さすがにこの話はひどいや。ここまで下劣だとさすがに”武士の情け”モメントが働いて、自然と自分の口を汚す気にさえなれないのだろう。

 トクしたと喜ぶべきか?それとも「時限地雷」なのか、大きな弱みを握られてしまったようだ。
 少なくない数が目撃しているだけに”強制終了”はムリだろうなあ。(笑)

 話をまたまた戻して、バドミントンにしろバレーボールやスケーターにしろ、女性選手だけではなく相撲取りしかり、(彼や)彼女らの仕事から『彼女ならでは』という独特のアングルがどうして披露できないのか、不思議でならないのである。

 青春を犠牲にまでして道を極めた(はずな)のではなかったのか?
 そうした者のみが伝えられる言葉が口をついて出ないなんて、自分で口惜しいと歯ぎしりをしておかしくないはずである。

 ”閑話休題”(へんなの)
『ムッチャくやしいですゥ…』あの太った女も、ドあつかましい。
 こいつはリポーターではなく、バラエティでもなく、”女優”なのだそうである(笑)。
 そもそも、口惜しがること自体がボクは許せない。

 あの『銀に泣いた』レースを良く見たらいい。差は広がるばかりの2位ではないか。
 仮にあのまま二人が地球を何周したところで田島はトップの差を縮めるどころか、引き離されるばかりであったろう。

 幼少から研ぎ澄まされた競技者の中でレースを経験してきたあの女にとって、あれだけの着差が解らなかったとは云わせない、チャンチャラおかしい。

 いや、むしろあと4年たっても逆転不能…と誰よりも感じ取ったがゆえに、育ててくれた恩人のコーチにさえ”一方的な通告だけ”で引退…という”逃げ道”を選んだのであろう。

 賢くて強い競走馬はゴール板の位置を知っている。また負けたのを知り涙を流す馬さえいる。
 それは間違いない。ボクの親が所有していた連戦連勝の馬、コウライ号がはじめて2着に落ちたとき、馬房に帰って、このオス馬はアズキ大の黄色い涙をこぼしていた…あの厩舎光景は強烈な幼児体験として忘れることができないでいる。

 あの五輪でゴール後のこいつの言葉にボクは冷笑するしかなかった。
 『こいつの頭はウマ以下だ』ボクは口もきけずにグッとこらえているかのようなコウライの表情を想い出していた。

 『負けっぷり』の悪い人種というものが一定程度この世には棲息している。
 麻雀荘で、競馬場で野球場で、また職場でこうした他人を尊敬する回路を持たず、自分を不幸にも”不当”な条件があったからこそ他が勝ったのだ…と自分をただ高め、相手をただ下げる方式で合理化する卑怯者がいる。

 それだからあの女が許せない。何のためにスポーツをやってきたのか。
 逆の立場で彼女が1着で、「2着の女がそのように負け惜しみを云っていた…」としたら彼女はなんと思うだろうか?
 競技が終われば、お互いの努力の成果をたたえ、能力を尊重しあってこそのスポーツではないのか!

 ああ、そうそう、彼女の風貌にはピッタリのはまり役がある。
 世間のプロデューサー諸兄、彼女に是非ともブッキングしてやって欲しい…『女ボクサー「負け試合」の翌日』という役の女優サンだ。これなら、こいつはアップの絵までたえられるに違いない。
 ボクはこいつのコーチとして生まれなかった生い立ちに、本当に感謝している。 

「スポーツレポーター」のデッチ上げ方

しかし某局のディレクターがグチをこぼしていたが、時期を見て彼が連中にこう提案してみるそうだ

『もういい加減、長い間の経験で慣れただろうから、試しに自分の思うように企画立てて進行してみたら?』
 こう云うが、彼女らのコメントやレポートやらは結局のところ
『アルコール抜きでの合コン』を昼間からやっている(笑)ような”独占インタヴュー”であり、『キャピキャピ同窓会』をギャラ貰いつつやっている…のにすぎないのだそうだ(笑)。
 
 そもそも彼女らのカオでスター選手とのインタビューOKが取れるメリットあるわけでなく、現場の番記者などがアポを取り、質問事項を書いてやり、それへのリアクションもレクチュアし、すべて”2人羽織”状態で創られる(笑)のが常識で、こうして作り出されるのが
『XXが行く』とか『XXのキャンプ情報』だったりするのである。

 これっていったい誰のためにやっているの?現場スタッフも首をかしげるが、 ボクらも彼女らをもっと尊敬したい!彼女らだけの言葉を耳にできないかと欲しているのである!

 それができない”持ち味”が出ない…のなら即刻クビにすべきで次を探さなくては職務怠慢だ。

 玉石混交、質の高い苦言、また質など低くとも情に訴える角度だっていい。
 ボクが70年代ハリウッドでユナイテッドアーティストにMovieカメラマンとして(今のVideoクリップのヒナ型を製作していた)スカウトされていた頃だった。

 常日頃から、プロデューサー側から徹底して問われていたのがひと言。
「シゲじゃなくてはできないかどうか」または「期待したシゲとしての独自性がある、とかない…」という、
 言わば”抜きがたい自分”を出せ!ばかりを問われてきた。

 こうしたモノが常に問われて毎日が明けてそして暮れていったものである。

 ちょっと赤面しているが、今だって、自分でしか出来ない仕事しかしないように心がけている。
 だからボクはいつまで経ってもガキのように怒っているし、大笑いしているのだと思う。バカにされたって尊敬されなくたってそれは構わない。

 自分でなくても出来る…そうした仕事は原則的にご辞退して(ウチで遊んで)いるし、そうするべきである。
 そんなんでお金を戴くなどは済まない事なのだ…という矜持が無い者は、実際の年齢とは別に、それは”老害”であり有毒物質を垂れ流しているに等しいと呼ぶ。

 今晩も『元女子・・・』がコメンテイターにもかかわらず、局アナから突っ込まれ、
 『ふ〜ん、そんなもんなんですかァ〜』と感心しながらの”締め”(?)で、その子はアッケラカン、スタジオのスタッフの失笑混じりのドッと笑い声…、これでコーナーが無事終わる。

 これでいい…らしい。こんなんばかりで良いのだろうか?

 ボクが担当デスクなら彼女へのギャラの伝票を切るたびに抵抗があるだろう。
 ”貰う側”には当然抵抗などゼロなのだろうから別として・・・、全体的にはこれはキャラとしての
 『バカ役』をカネでブッキングした・・・という形に相違ない(笑)ではないか。

 『安かったなあ』ボクは常にクライアント側にそう思わせなければ、タレントは負けであると思う。
 ボクは商人のサイフ感覚で常に損得勘定を考えるから、クライアント側にはこうした気持ちで伝票を切ってもらわなくては負けだと思ってしまう。

 柳沢Sさんは小田原市の八百屋の息子だけにサービス精神が豊かなのだろう。
 一度彼の事務所に電話をかけ、仕事(営業)をお願いしたら婦人マネジャーらしき人間が冷たい声で
『ヤナギサワはそうしたお笑いのお仕事はお断りしています。ドラマのようなお仕事を中心に頂戴しておりますので・・・』と事務的に言い放たれたのである(そのヒトが”言い、ハナたれた”のではないぞ)。

 このサイトへお越しの皆さん・・・、柳沢さんってそうなのかなあ・・・?(爆笑) そう思うかい?
 イヤならいいんだけどね、ゼイタクだねえ、ここの事務所って。

 最後にあの『週刊ポスト』を後発ながら100万部に押し上げ、トップに君臨させていった(ボクの大上司)元編集長、関根進さんがその『最強の編集者塾』で繰り返し書かれていたのが”有力なコンテンツの構成法”だった。
 題して『へぇ〜・ふむふむ・ほぉ〜・なるほど』。この4語を一本の記事中で読者に言わせろ・・・という。

 「へぇ〜」と足を停めさせて
 「ふむふむ…」と視聴者を吸い付ける前置きや視点の独自性。
 「ほぉ〜」と言わせる説得力と熱意
 「なるほど」と言わせる見識と取材(予習・復習)から弾き出す結論。
 
 他を斬ってまで「彼女らを残した」現場の長が腰を上げるまでもなく、自らを『スポーツコメンテイター』だの『スポーツジャーナリスト』と修飾する皆さんが、現在のような『雇われバカ役』返上に向け頑張って下さるよう望むばかりである。

今、放送各局で飛びかう”で、ご相談なんですが” 

TV各局がどこも今、頭抱えている最大の元凶、それは「BS放送」である。
 「不景気で広告が入らなくって…」と説明する現場放送マンと、同じ局でも広告については背広組とは大分認識に差がある。
 「キー局各社は史上最高の黒字」を挙げていながら、(ジャニーズ事務所とユースケなんとかマリアは別だが)ちっともそれが関係者に流れることなく、BS部門へと注ぎ込まれてしまっている。

 もっとも各局とも”将来必要だけど今はまだ必要ないじゃん…”=「BS部門」を、推進役の郵政事業省の手前、カオはつぶせない。無理やり不採算覚悟で開局せねばならず、制作予算をそちらに割き、番組をアリバイ的であれ”充実させ”ていかねばならない。
 それが前章で述べた『どうしちゃったの?』というビンボー臭い絵面の元凶といってよい。

 じゃあそのBS番組の制作は?というと、面白い事に各局とも同じ言葉を並べ製作にあたっている。

 『ご相談なんですが』である。赤坂・台場・麹町・六本木・そして神谷町・・・のミヤコで近頃流行るもの、である。

 『そこでご相談なんですが(これって新流行語?)、なにぶんにもBSの方はまだまだ視聴率が取れず、スポンサー料もタダ同然であるため、”予算がないもんですから今度、穴埋めしますから”っていうことで、今回はこれくらいのギャラ(or制作費)でお願いできませんか?』

 正社員・制作会社社員問わず、いや代理店氏も毎日こればっかりだ。

 つまりは”逆”出世払い・・・(笑)したいと、クラシックともいえる値切り方が流行しているのである。
 こんな調子で『ご相談なんですが』という接頭語を置いて、ヒソヒソ出演交渉等があちこちで制作側が背を丸め行われている風景は尋常な事ではない。

 それをブラウン管や液晶板から視聴者が見抜けてしまうようになっちゃあ、テレビはおしまいだ。
 『経常最高』という会社が徹底的に経費の無駄をなくせ・・・危機感を持てと同じ口がそうハッパをかけるこのパラドックスは他の業界にはないし、他の国にはさらにない。

 日本の言論や文化の広範な担い手がこうしたカルト宗教的規範に陥っていながら、誰も表立って異議を唱えない。怖いことである。
 
 こうした経費節減の被害者として、ある局に出入りの弁当屋さんがまたつぶれた。

「経費の無駄・・・追放」という掛け声に、各局とも知恵絞り、深夜に及びそうな収録を前倒しならぬ”朝倒し”にしたおかげで、『夜食の弁当代』の出費や、『深夜帰宅送りのタクシー代』を節減することができた効果、この下敷きとなってつぶれたわけである。

 新しく、ビルの谷間に新しく『おにぎり屋』の看板が立ち、中年の夫婦者が入居した。
 家賃はバカ高い。近所のコンビニ、安売りハンバーガーの研ぎ澄ましたキバの鋭さに、まだその脱サラらしい二人は気付いていないようだった

そろそろ『イチローの秘密』を書いてもいい"時効"かな?

 イチローは97年以降、「日米野球」というとその都度参加し、大活躍を見せてきた。
 打ち、守り、そして盗んだ。

 2軍とを行き来している頃、打撃では話題になっていたが、パリーグの選手の間では
『あいつ、足が速いくせに盗塁ができねえんだぜ』との定評だった。

 スタートするためのきっかけと、”根拠”をイチローは探していたのである。
 それがないと、彼は自分で”キュー”を出せないからなのである。
 その頃から何年経っただろうか、

 番記者諸兄は『イチローは足が速い』と今では誉めるのみだ。
『メジャー捕手の肩でも刺せない』と、現役時代[背番号24]氏は明るく驚いてみせた。

 違う、ちがうよ、”肩”じゃないんだ”ツボはケン制”なんだ。

 イチローがメジャーから盗塁を奪うのに際し、”甘い”と学習したのは、捕手の肩ではない。
 彼の目が捕捉したのは、メジャーの投手らのケン制が一様にヘタだ…という現象であった。
 96年の対メジャー選抜軍戦は彼にとって衝撃的だった。

 もしかしてメジャーって盗塁がラクかも・・・
 イチローは一戦ごと、刷り込むように好スタートを切ってみせた。彼らのケン制がハンデとなって、いかな強肩をもってしても盗塁阻止は困難…という結論。
 それが確信となったのは99年日米シリーズだった。

 彼のような慎重居士がシアトルにわたる際、打撃は具体的な数字を出せなくとも、確実に計算できたのは盗塁だったはずである。

 知っておいて欲しいのは、その「盗塁」の評価には日米で大きな温度差が横たわり、勝ち試合への”手段”としての必要性程度しか認められていない。それがアメリカの球界である。

 その象徴的な例がイチローのメジャー開幕直前のオープン戦で、盗塁をキメるイチローへのヨイショとしてSスポーツ紙の某特派員女史はこう書く。
 (日本よりも)『メジャーでは盗塁能力は高く評価され(ている)』と、イチローへの誉め言葉を掲げていたが、いくら枕詞(まくら言葉)としてもこれは失格。

 現地記者に英訳はしない方が良いだろう。
『Well so so Right・・・(う〜ん、マァそうだろうけどね)』言葉で否定はしない代わりに、眉毛は『八』の字にして”肯定”するはずだ。

 言っちゃ悪いが通算盗塁数世界一記録「約1400個」を積み上げ、歴代2位の福本氏の通算数に(約30%近い莫大な)差を広げ続けているリッキー・ヘンダーソンという選手が”君臨”している・・・けれど彼の「今日的ステイタス」を指してそこに”盗塁”への敬意やキングへの高い評価が国民的に寄せられているのか?・・・というと断じてNoである。

 メジャー情報といってマス目が埋まればいいってモンじゃない。

 『勝敗が決したような得点差の時に盗塁など敢行したらビーンボールを喰う』
 こんな言葉もしたり顔連中は好んで吐くだろう。

 この理由とはそもそも”盗塁”じたいが「卑怯」な戦法である…という認識が歴史的にある。
「卑怯」でなければ『アンフェア』とか『正々堂々としていない…』が近いか。

 それだから相手バッテリーは『いつまでキタネエことやってんだ』と怒りも倍加し、ぶつけたくなる気持ちなら理解できるだろう。
 
 我々日本人は、かように《メジャー新入生》にすぎないのである。

 評論家もスポーツマスコミもタカが知れている。おまけに先述のようなスポーツ報道の現状と、せっかくの《メジャー元年》が超手薄ときているのだから困った事だ。

 これではせいぜいが赤塚不二夫さんの描く「イヤミさん」の『おフランスではこうザマス…』と大差はない。知ったかぶりの情報にはくれぐれもご注意…だ。

 イチさんも盗塁をできないのではなく、今はまだ”できるだけしない”…のである。
 いや「しない…で済ましたい」というのが正解だろう。
 局面が「(盗塁を)求めている時」にはじっさい、キッチリとキメている。
 これが彼の実力なのである。

 こんなことがあった。シーズン開始間もない頃、一塁走者をベンチからのサインで「イチローが送りバント」を指示され、結果失敗し、走者は二塁で封殺され、自らは一塁に生きた。
 その時ボクは「必ずイチローは走る」と確信した…。

 と同時に次打者の初球からスタート、まんまと二塁を落とし入れた。
 これでイチローは『バントを命じたベンチの当初の作戦』を簡単に取り返し、監督らの顔をつぶさず逆により足の早いランナーを得点圏に配置できたのである。
 同じアウトカウントで違うのは1球余計に相手投手が放っただけのことであった。
 これを名選手というのである。

 はっきり言ってイチローの実力と潜在的な才能をアリゾナキャンプの時点で、首脳のピネラ監督はもとより、打撃コーチさえも全く理解していなかったのである。
 あの二人が今後、イチローの成功を育てた…と自称する日が来たら、ボクはそれを今度は《経歴詐称》と呼ぶことだろう。

 彼らは少なくとも2・3月のアリゾナでのスプリングキャンプではイチローを全く理解していなかった。
 イチローが投手寄りにバットを先行させ、まるでゴルフスイングのようにしゃくり上げる・・・。

 彼のメジャーバットには日本時代にはない”ハゲ”がバット先端にあった。
                               
 
これには彼の立ててきた《イチロー流メジャー攻略法》があった・・・。
 ここから先はボクの独壇場である。
 めったなリポーターには絶対に立ち入らせない。

 開幕当初、ボクらが見たあの広いメジャー球場でのフェンスに達する2・3塁打は『親指の幅』で捉えたもの。
 『グッバイ・ボール』とアナウンサーが叫んだメジャー一本目のホームランは間違い無く『小指の幅』で捉えたものである。

 イチローは2000年の秋以降、着々と、今日の成功のため、才能だけでなくいかに理詰めの努力と想像力を動員して、この高みに至ったのかをもう”時効”だろう。

 彼が正しい評価を受けるため、そして次の世代に最高のお手本としてもらいたく、知っている限りの証拠を動員して彼のメジャーにおける打撃を解析してお見せしよう。

 次回以降、メジャー対応するためにできた、そのバット先端のハゲについて述べる。
 誰がハゲだって?

(Part3了)


つづきへ


「イチローメジャー入り初日実使用バット」アリゾナキャンプ初日"01,2,20"を終えて、あえて彼に譲渡を申し入れた。