運道具メーカーの名匠にベンチ裏へ、
君への「
試合用仕立て♪グラブ」としてすでにならし済みの物を届けてもらう…
    
という、まさにプライスレスな夢。
それを軟式プレイヤーに実現する・・・・これが『軟式革命』
これでエラーするようならハッキリ言える、「君のミスだ・・・」と



そこまで言い切れるほどの『グラブ環境』が、有力プロ選手(=アドバイザリースタッフ)には保障されている。そう、『F1の世界』つまり名ドライバーとマクラーレンのようなピットのバックアップ体制がそこにある。

 ボクら”軟式野球人”には夢のまた夢だった
、ムリなの?だろうか。

ボク(前野)は仕事上、長年にわたりそうした『プロ to プロ』、超一級のプレイとそれを支えたピットワーク=「至高のグラブ職人の匠」のすぐ横で、雑誌記者として彼らの匠みと接してきたし、…そして「軟式野球人
(いや、草野球人)」として、いつも”夢”は見続けていた。
    う・うらやましすぎる・・・・(笑)

カーマニアだったら、「至高の夢」といったら、「F−1」という最先端のマシンに乗り、最高のメカニックたちのバックアップの下、思い切りアクセルを開け、ブレーキを踏んでみたい。

一度でいいから”至れり尽くせりのコンディション”で野球をしてみたい…。
少年の目に戻って・・・そう思ったのがボクの出発点だった。
     軟式革命

A'heads(アヘッズ)誕生!!
より確実で大胆なPlayのために…
「”未来”しか我々にはない」静かな船出です。


ボールのつかみごこちを誰よりも識る江頭の"HEAD"と、誰よりも天才の用具を"鑑続けた"前野のふたりが
今、なければならない《将来を見据えた品》=”AHEAD”を大胆に提案し合い、合体した二つの頭脳…それが【A'HEADS】


達人・江頭が軟式のキミに贈る!全く新しいキャッチ感

満を持して誕生、さらなる武装を完了新バージョン
プロの中のプロ、彼らにしかグラブを渡さなかった伝説の人、あの江頭氏が、僕ら【軟式】人のために”分解したうえ、手ならし”をほどこして送り出す。
それが
A’heads

久保田スラッガーの誇る匠の象徴、
江頭重利。
『エガシラさんが草野球のグラブ作らはるんですか!』
むしろベテランプロ野球選手らの側の驚愕する声のほうが、よほど早く、大きかった。

ファーストミットミット
『即投+深獲り』
”ツインポケット”
仕込み済
¥29000 左右とも

オールラウンド用
(「松井稼頭央型L7」
プラス長尺)
¥29000
(松井稼頭央L7改)
モデル5-6(=三+遊)¥29000
内野用
(最速投球動作)
追求ポケット
伝統の辻モデル
¥27000
表示は未だに(税別)です
***”欺瞞品にご注意”すべての【軟式革命】グラブに付けられた”Aheads”ラベルは、あの『江頭重利氏が軟式プレーヤーのために、ひとつひとつ別製の品に「分解しカタ付け」作業を完了した品』グラブである”証拠”です。

[”キミのグラブ”は果たしてBESTだったのだろうか?]

制作指揮:江頭 重利・・・・・葛v保田運動具店 福岡支店長
制作責任幹事:前野 重雄・・・・・(有)流体力学・旭堂代表 


江頭氏の名作、戦後のセ
カンド#1名手辻発彦用(
写真)。西武全盛期には右翼の平野も江頭製を愛用するなど、
『史上最強の右ライン』と
現場では今もうたわれている。
([前野重雄の球界逸品館]
集英社刊より)

あの”怪物”なども現在使用するグラブのヒントを与えていた。

【「昭和球界の名器」はこうして生まれた】

『ワタシは自分の作ったグラブで自分の名前を上げようとは思わない』
『それに誰の作った物であれ、同じ物をワタシは作りたくはないんです。タカチだけを真似するなんてね簡単だから。
【グラブのデザイン】なんて、いくら優れた物でも《一個をバラして同じものの型紙》を作り、皮をそのカタチに切って穴を開け、皮ヒモ通す……だけで済んでしまう性質のものだから、ニセ物は誰にでもどこのメーカーにも作れるわけです。
だからこの業界、”そっくりのもの”があちこちで横行しているんです(笑)。
識っている方は「どこが盗んだ」かはお見通しなんです。でもねぇ”最初のアイデア”が難しいんです。』

『今までその選手が使っていたウチのグラブを分解して、同じ物をこしらえてきて・・・・、イヤ、”ヒモを
通すだけ”で「自社製品」として《XXモデル》とか名付けて売っているご時世には常識を疑ってしまうよね』…
『選手も選手で「今はそれでいい」っておかしな常識のヒトが多いから、ホイホイ盗みに手を貸してね。ハハハッ』

江頭(敬称略)の話が面白く時間が尽きないため、
ある日”軟式グラブ”に絞って考え方を直接聞きたく、ボクと江頭は各々が、【東京と博多から新幹線に乗り】中間点にあたる新大阪駅のまで出てこないか?という話になり、恋人と逢うように駅の構内でまず落ち合おうということとなった。

会うなり、話に没頭した。
ボクらの周囲のテーブルがいったい何回転しただろうか、ビジネス客でごったがえす改札口脇のコーヒーショップで軽い朝食…から始まった二人の会話はいつの間にかパワーランチへ(!)と長引き、さらに時と場所を移してしまうほどであった。

 三時間余りの会話はその後、(平日の真っ昼間)藤井寺球場へ場所を替えるまでに発展した。
【藤井寺球場でのウェスタンリーグ「オリックス対近鉄」戦】平日の真っ昼間・・・
うららかな陽光の中、このボクら「野球狂」たちが夢中で話すにはもっともふさわしい「会議室」と思えたからだった。

そもそも「野球用具新商品の会議」がビジネスライクな、冷たくハイテク機器あふれるような会議室で行われ、最後は【電卓片手のプレゼン】で決まってはいけないものだ。
もっともそこにはいつだって、『他社製のグラブやバット』が分析され見本として並ぶことだろうけども(苦笑)

こんな会議室が『理想だ』、もしくは「淀川の河川敷」だって、「神宮軟式野球場」だって最高だ!それはボクも江頭も共通の感覚なのである。

たった観客50人ほどのウェスタンリーグの試合は始まっていた。乾いた、けれども小気味よい球音が古ぼけたスタンドにこだまする…。
それこそがボクらにとって、何よりのヒーリング音楽であり。気分をリフレッシュさせてくれるイオンなのである。

そもそも鑑定士前野の幼児体験は、東京下町の東京スタジアムでのイースタンリーグが出発点だった。そしてあの川崎球場…。
けして【満員の東京ドーム】が基準となったことはない。ここはなにもかもが”あの時代”とそっくりだった。
『職人が時代の最先端だった、あの頃』である。

江頭は終始優しいシワを目尻にたたえる人物であるが、ネット越しに両軍の若手選手らが【打球をとらえる瞬間のまなざし】となると、
”ギラリ”と音がするほどに、若く鋭いカドが立つ。
グラブとボールがクロスする瞬間・・・そこに生きてきた者の重き信念を見た。

セカンドの若い選手を指差していた。ボクには無難に二ゴロをさばいたようにしか見えなかった、なのに
『あれはもっと腰を落としてグラブ差し出さんといかんね。あの子のグラブはきっと《指先先端部分に横ジワ(折れグセ)》が寄っておるはずよ。
打球を待つ姿勢が”下からすくい上げる”のではなく、上から”グラブの先で地面突き刺すように”しとるね。
あれじゃあエラーも多いだろう。』

二塁への盗塁がひとつ決まった。ベンチからの歓声のほうがはるかにデカくスタンドにこだまする。

『あのキャッチャーは。もっと手のひら痛い思いせんといかんね。だからですね捕球の音が悪い、獲る場所がバラバラなんですよ。』
『また(走者が盗塁で)スタート切っておるのにアレは…、どうして【ミットの奥のポケット】で獲るのじゃろうか(写真下)。

近鉄捕手の捕った場所はここだった。
意外とコレは多い誤解ではないか。(写真のミットは無関係です)

そん時は(土手を指差し)ここでバウンドさせるようにして(ミットに入れず)ハネ返ってくる場所に右手を持ってくれば、ほらボールが右手ん中に自然と入っとりますでしょうが。
これなら盗塁刺しもウンと速くなるんですね。』
ここで”当て”バウンドさせ右手にトス…
そうしてミットワーク使い素早く、「盗塁刺殺」を狙うべき…という。
江頭の提唱する、『瞬即投球』の根幹を成す「グラブと送球する手との関係」
へのイメージショット(打球や送球はが黄色の軌道、白がバウンドトス軌道)

 氏は愛用(上写真)の「曲がらない板状」のミットを左手に、今も現役プロ選手らと素早い実戦的キャッチボールをして見せて、デモンストレーションにつとめる
野手は捕手以上に、【併殺を狙う時】などは「上」のような【ボールとのインパクト】をイメージすべきだと氏。
そして、左右の手のひらを有効に使い「トス&グラブ(投げるためにつかむ)」を確実なものに

「こう獲るべきで、グラブの中で寝かしとるヒマなどないはずなんですよ」、と江頭は熱っぽく説く

気が付けば、グラウンド内やベンチ内の選手達が試合中にもかかわらず、こちらの我ら二人を指差しながらヒソヒソ話しを始めている。
通常は江頭のほうが球場やグラウンドに足を運ぶことなどまずないらしい。

「あの江頭がやって来た・・・」伝説のグラブ作家が姿を現したことに両軍ベンチはザワついていたのである。

このウェスタンや、イースタンリーグといった『閑古鳥だけのスタンド』、往々にして選手らが逆に観客席のまばらな客のほうを見上げ、話題にする事のほうが多い(だからヤジは選手らの声のほうがはるかに響くものだ)。

「何しに来はったんですか?」
試合が終了したとたん、ネット越しに真っ黒な顔をした男から声がかけられた。
接尾語に”こんな所まで”という、出かかった(?)言葉を呑み込んで、それはまるで自分の親でもに言うような、気安く明るい声のかけ方だった…


 声の主は、喜色満面に親しみをたたえたオリックスの「福良淳一」コーチが金網ごしに立っていた。
 現役時代は「二塁手として836回」もの”守備機会”連続無失策記録を持つ男でもある。

 彼や同僚の遊撃手小川(元BW)という《江頭のグラブ愛用コンビ》をターゲットに、自社グラブの宣伝選手へと抱え込もうと、画策したメーカーがあった。
つまり(持参金付きのグラブを提示したけれど、)『この二人だけは何度口説いても”落とせなかった”』
…酒席で、ボクにそう嘆いた某メーカーの営業担当者じしんのボヤきを耳にして衝撃を受けた。

 それ以来この二名の守備力のほどを見直すようになった選手でもあったし、そうした気骨を持って生きている彼らをいっぺんで好きになってしまった選手だった(小川を移籍させておきながら結局使う機会をろくに与えられないまま引退……させてしまった横浜BS当時首脳陣らの飼い殺し行為にはほとほと失望させられた)。

逆に言えば『それほどまでに名手が惚れ込させるグラブを作った』職人・江頭という人物の腕をも再認識したキッカケでもあった。

『このオヤジさんから「ボールの捕り方」を教わったんですよ』福良や小川そして辻らは、
マスコミから『(名手として)守備について』のインタヴューに対し、面目も何も捨て(驚いたことに同じ言葉で、)きまってそう答えているのは有名な話だ。
 失礼ながら、久保田スラッガーという”大企業ではない規模の会社”が使えるような広告費では『とても有名選手など雇えない』。
 そんな江頭らの”身の上”を知っての男気が、彼らをしてそう云わせているのである。

 最近のオールスターゲームなど、とくに「パリーグの内野陣」ともなると、ことごとく江頭の作品を手にした選手で占められる…現メジャーの松井稼頭央(ゴールデングラブ賞常連)や中村紀洋(3年連続授賞)もうそうだったが、ライオンズ中島そして鳥越。
 川崎、井口らへのものなど、まるで「辻モデル・松井モデル」をバラして皮ひもを通し直しただけの某他社製というほど。

 特にダイエーホークスともなると、内外野投手陣と、そのことごとくが江頭ブランドで独占される。

 2003の日本シリーズのベストプレー賞はじめ、最近の阪神では際立ったダイビングキャッチで魅せる、(鑑定団アシスタント嬢が新婦)新婚の藤本など、江頭製を使いながら、他メーカーからのオファー待ち…の合図…Sluggerのラベルをはがして愛用しながら『他社からのオファー待ち』をしていた時期もあった。
 だが、最近では落ち着きが出た(笑)のか、左右へのダイビングキャッチでのファインプレーがファンからもてはやされ、ついに正式に江頭に制作を依頼し、今後の浮気を放棄したばかりか、ダイビング特化用としてウェブでの「深いキャッチ対応アレンジ」をリクエストするに至った。
結果、二塁手ながら小社の『5−6タイプ』とほぼ同じスペックのものを黒く染めさせ、公的に「久保田愛用者」をカミングアウト。
今では遊撃手、鳥谷ともども(アマ時代から)江頭製の『L-7』アレンジタイプの熱心な信者となっている。

 話を藤井寺に戻す。
『ちょっとな、今度”軟式のグラブ”作ろうと思っとるんやけどな…』
江頭がちょっとテレたように云うと、
『え、ナンシキ?』福良は空気だけ吸ったように意外そうな顔をした。

 それにしても素人たちが想像もつかないほど、この世界には模倣が日常化しているものだ。

 いずれにせよ、各社グラブの品質の優劣をボク(前野)は直接云わない。
 時には”好み”が製品の優劣を超えて、ブランド力という魔力といった、(あの選手が使っている)こうしたプラシーボ効果(?)に助けられる事もままあることだ。
 それによる精神的な励みが、好プレーをしばしば「愛するグラブ(やバット)」によってもたらされるのは、ゴルフ界はじめ野球では起こりうる現象も否定しない。
《(OOのグラブを使っているから僕はエラーなんかしないんだ)》……実際にそれだけでベターなプレーが生まれる事も多い。

 ビックリするのはプロ野球の選手なのに、『タイガーウッズ』のように飛ばせるかもしれない……との、イカルス伝説もアッとさせるような夢(笑)にあこがれるのか、【「同じマーク」付きのバット】に取り替える者が案外少なくないことである。
 思うにそうした不確定要素がこの世界にあってもよい事だとは思う、かえって人間味もあって良いと思う。
 大事なのはそうした”思い込み”が永遠に続けばの話だ(笑)。

 今だからいうけれども、巨人に移籍後、不振に陥っていた清原に、それまで使用していたバットを分析し広い目で道具のクォリティまで検討し、ルイビル(グリフィー用)で二軍生活とスランプを脱し、現在のミズノ製に乗り換えるよう結論を共に出したのはこのボクである。

 ともあれ、歴然としているのは「ファーム選手(特に関東以外本拠地球団)の間では」、
 この【(宣伝費もロクにかけられない)スラッガー】というブランドが、「圧倒的な占有率を誇っている」もう一つの現実だ。

 言いにくいことを言えば、若い人間相手ならもっと”ハバのきく”有名ブランドだって幾つもあるだろう。
 だが、ここでの比較は【賢い消費者】としてキーポイントだ。

 この藤井寺にいるような「ファーム級の選手」でもスラッガーを手にしている選手ばかりなのに驚く。
 彼らのような『ファーム』……といったステイタスに対し、久保田S社でも、これといって、ひとつも【特別扱い】などはしておらず「アマに等しい選択基準」と考えて良い。
 また、同社が特別に安売りをしているわけでもない、したがってハッキリしているのは【若いプロ選手らは品質本位でスラッガーを選んだ】という事の結果だろう。

これは「ボクら外部の者」としたら尊重してよい、まさしくプロの審査をくぐり抜けた”おいしい判断材料”を示してくれている…のではないか?

 念のため、彼らに対し江頭ら同社の原則は、とりわけ特別な割引きを行うでもなく
 ズバリ【プロ選手への売価は「小売店への卸し価格」と同様】なのである。
 若い選手らは自弁でそれらを買っているわけだ。
 
だが、「めでたく一軍に昇格すると多くは他社製の使用を始める…」「その理由?」はどこにあるのだろう。

 『営業力』など、”義理”くらいしか与えられない《愚直な久保田スラッガー》としてみたら、
 彼らに対し”VIPへの利益供与”として最大のもの…それは「江頭じきじきに”ならし”を入れてもらうこと」にほかならない。

名手に一歩も譲らぬグラブへの執着

西武ライオンズ草創期の名二塁手山崎裕之は悩んでいた。
上尾高校出身で、わが近所東京スタジアムが本拠地の東京オリオンズヘ鳴り物入りで入った『長島二世』と騒がれた大型新人だった。
その新人に球界でも一家言ある事で知られ、殿堂級名内野手としての大先輩、また球界でも「一家言ある」ことでも人語に落ちぬ、
往年の”名手H氏”に目を着けられ、山崎の捕球法へのイチャモンをさすがに放って置くこともできないからだった。

先輩は「グラブの奥でしっかり球を掴んで殺し、」そこから送球動作すべき…という。

それに対し山崎は、昔ならともかく、《脚の速いランナーが台頭する現代のプロ野球》ともなると、《ボールをグラブの奥でしっかり掴んで》いたら、ダブルプレーはおろか一塁でのアウトもままならない。
「手のひらで獲らないと刺せない」のではないか……と腹の中に、煮え切らぬイチモツを長い間、抱いたままだった。

そこで「江頭グラブ」の評判を耳にした山崎は福岡へ空路単身向かう。
「カネはやらん。それに、作って欲しいなら福岡まで来い…」と、
パリーグの大ルーキー『長嶋二世』とまで謳われたスター選手に、一介の職人がつきつけた高飛車な”アドバイザリースタッフへの条件”に若い山崎は苦笑した。

「江頭さん、あなたの要求をのむ前に一つ確認したいが、あなたならこのボール、どうつかむんです?」
机の上に一個、コンと置いたのである。山崎は心の中に秘めた「ひとつの回答」だけを期待していた。

江頭はその白い球を指を伸ばし、無造作にヒョイと手のひらの真ん中で包むようにワシ掴んだ(写真下左)。

写真は【「ガラステーブルの下」から見上げたアングル】
江頭・山崎両氏(=軟式革命)のキャッチ中心イメージ。”誤差”が仮に出ても
捕球可能範囲が広い

こちらも【「ガラステーブルの下」から見上げたアングル】=ウェブへの依存率が高い
山崎を叱っていた《大物
名手》の教えるイメージ。
さて、あなたはどうしてました?

これがワタシの作るグラブで、こうした獲り方が基本です

5つの指先で獲っとったらランナーは刺せんでしょうよ》バカにしたような口ぶりで九州弁は都会者に吐き棄てた。

山崎は安堵の白い歯を見せた。「そうでしょう。僕もそうなんです」
江頭は頬をゆるませ若者を見上げたのである。

我が意を得た山崎は、
従来「ポケット」と呼ぶ「親指と人差し指の間」のスペース(容器?)に、ボールを”(写真上右のように)収納するグラブ”なら拒否するつもりだった…と息を弾ませて云った。
思わぬ”同志”との出会いに、山崎の特徴ある男らしい鼻腔はさらに大きく呼吸をはらんだ。

手のひらにぶつけ、投球側の手に”パスして時間を短縮させたかった”と山崎は高校・プロと、長くから培ってきた、名セカンドならではの理論と理想を自分なりに組み立ててきた。

それが、巨人軍の千葉茂氏そして千葉氏から指導を受けたH氏と、「『打者らの足が遅くても許された頃』の名内野手」による定説が不可侵地帯のごとく固定化されたまま、いわば『ベルリンの壁』のように球界では長年憲法化されてきた。
 それがなまじ『内野手の権威ら』が作っただけに盲目的に尊重され、合理性だの道理だのと、当たり前の論議が巻き起こらない素地があったのだ。

 山崎は、この江頭という同志と出会うまで、ここまで時間がかかるとは考えてもみなかったのである。
 だが、反面では実際にこうした同志と出逢えるとも思っていなかったのであった。


”浅くは手のひらにはずませ、深くはウェブで確保できる…”
そうした「二面性を備えたグラブ」が中央に出ていった。

『辻モデル』の原型の出発点はこの若きインテリジェンスあふれる内野手がF1のように突っ走り、その疾走をニコニコしながら支えきった江頭という、名コンストラクターとの出逢いそして共同作業があってこそ高められ、日本の球史に明記を残してゆく事になるのである。

そしてそれは同時に頑固な佐賀県人、江頭がグラブ作家として「最高の理解者と絶対の自信」を得た瞬間でもあった。

こうして制作され、湯で揉み、全身の力をこめた《手でならし》、出来上がったのが現在の下にある《辻モデルの原型》なのである。

伝統の山崎−辻モデル。二塁手には絶対の存在感だ

現在メジャー選手会長Tバナザードの愛用グラブ。彼も”業界人”の噂を聞き江頭を九州まで訪ねてきた男。現在も家族で慕ってくる。

大メーカーの品物はもっとウェブ近辺で捕る設計だが…

まるでプラスティック製カップのごとく固まったポケット近辺。まさに「江頭理論」を忠実に実行していた痕跡だ。(3枚ともトニー・バナザード南海時実使用)