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集英社刊”前野重雄の球界遺産”

【 西方見聞録 】

故飯田徳治氏宅から出たゴミを売りに来た男が居た…ので。
《球界遺産》未掲載作品

 飯田徳治という打者に興味があった。”元審判員の”千葉功さんを見習って、両リーグのレコードブックをある日眺めているとこの特異な才能の(?)人物とめぐり合ったのだ。

 今どき、草野球のボールプレイヤーでも「盗塁王」と「打点王」では選手の役割分担は違い、チーム内でもしっかり棲み分けているものではないか。
 漫画の原作だって、こんな「非現実的」な設定は今どき流行らない。
 この”徳さん”、パリーグで打点王のタイトル【南海51・52年】を獲りいわば「試合をキメる」キャラであった、なのにセリーグの国鉄に移籍した年にいきなり「盗塁王」を獲る…という離れワザで『ゲームを作る』役割へと変身するのである。

《初年度の盗塁王》というものは極めて困難だ。当時のけん制は今とは違いかなりのボーク気味でも成立しスタートが切りにくく、捕手も巨人藤尾、大洋土井などの強肩が相手…。

この飯田氏、敵のスキをつく「観察眼」が相当に尋常ではなかった…と、ボクは鑑た。 

初秋のある日、いわゆる”便利屋”さんから売り込みがあった。
「建てかえで不要になった古物の整理を頼まれた」というのだ。
 

Jロペスのミットは衝撃で中身が外へと飛び出していたこのメジャーの迫力に感動!

持ち込まれた段ボール一杯の古雑誌などの紙類、それが他ならぬ「飯田徳治氏の廃棄物」と判った時、ボクは一見広そうな地球も世間も、案外狭いらしいのを知った。
 懐かしい1970年当時の、なつかしい(鶴丸マーク当時の)JALの航空券、当時のメジャー各球団発行のメディアガイド等など…。
 それは野球に没頭していた「『野球少年』飯田」の関心事がみっしり詰まった
凝縮形だった。

 その当時、円とドルの関係がようやく自由な為替市場となり、[JALパック]などで
”ハワイ4泊6日でわずか138000円”と、いきなり戦後日本人が海外に外交官でなく
ても行けるのだ…という夢を抱かせた頃だった。


 いわゆる”ノーキョー”という輸出語によってアメリカ人たちに、”ある種の”戦後日本人像までが理解され(たくはないけど)始めた時代の幕開けだった。

 中でも氏が憧れていたらしいメジャーを見物に行った「アメリカ道中記」ともいうべき、万年筆手書きによる詳細きわまる日記ノートはそうした民間日本人の大多数の抱いた米国感一杯の、快活なる傑作旅行記だった。

 そしてさらにド軍元オーナー、オマリー親子はじめキャピー原田、アイク生原氏ら戦後の日本野球にメジャー文化を吹き込み、励まし続けてくれた”無償功労者”たちの名が次々登場しては、旅先の飯田氏の道案内つとめる様子や見聞録などが克明にメモされ、ボクは氏の人間臭の”濃度”にたまらなくなって惹き込まれてゆく。
 これが夢の島行き…とならずに済んで本当に良かったと胸をなでおろした次第。

(以下原文のママ)
『ハリウッド通りを歩いた、14:00分なのでビーフステーキを頼むと、スパゲテーが来る。まずくて食えたもんじゃない…チップを置かず出てくる。隣りのオバサンも置かずに出た』

『ディズニーランドに着く11:30分。横浜のドリームランドより内容の充実していると云うだけ大した驚きもない。ジャングルを通る舟、汽船、サブマリンに乗る 芝居がかっていて大して興味なかった。』

『サンタモニカ海岸まで行き太平洋を見る、大して面白くもない』

『(日本食堂で)天丼に味噌汁で量はあるが大したものではない、然も2.70jも取る。日本式にチップも置かずに出て来てやった。』『ホテルは今日も小便くさい女共で何だかザワザワしている。』


『(ホテル廊下で)何だか知らんが小娘がキャキャうるさい。通る時 百姓うるせ〜といってやる。百姓といっても判らない。今度はカントリーガールと云ってやる。』

 6月26日ワシントン球場入口で
『ピータオマリーからの手紙を出して指さして25・26日ユーノーと云ったら 本当だ本当だと云った感じで こちらへどおぞと態度が変わりやがる』

ヤンキース球場で
”日本のルーゲーリッグ=飯田氏”と電光掲示板で紹介されると…
『”外国人こんな形では出されない”と中年のオヤヂは俺と観戦しているのを(まるで)誉れのようなゼスチャーである。ベーブルース夫人のサインボールやら頂く。
57299人の公式な観衆の中で光栄なり。野球ミョウリ』

 この故”ゲーリッグ”に我々日本人ファンは氏の人生に対し、等価な”冥利”を呈して送ってたのであろうか?
 2000年を前にして、横浜各所にコーヒーの名店を遺し天国へと旅立っていった。合掌


*この文脈の流れでありながら、週刊「ベースボール」では”百姓”は全面カットされ掲載された。ヘンなの〜
60年半ばから70年初頭まで、じつはこの”百姓”は流行語であった。用法は昨今の「ダサい」に近く、その場の流れとか最新事情に無頓着で”外している”行為や人間を、指して明るくお互いがそう云って笑い合ったものだった。したがって、農民や地方出身者を指して差別する意味では毛頭なかったのである。

おあいにくさま。なお、この頃に『カッペ』という同義語も生まている。(笑)

なお、蛇足だけど、チップについて


"Billy"85x90
Robert Simon HandPainted
非業の最期を遂げる直前に描かれた作品だが、まるで運命を予見したかのような、えもいわれぬ表情に心奪われるまさしくボクの宝物だ。







 ボクは日本で、ちょっと高めの食い物屋とか旅館などでお勘定の際に出される【サービス税10%(+そこへさらに消費税5%だ!)】なるものが許せない。そりゃ誰もが許せないだろうが、アメリカ人なら絶対に通さなかった法律だ。
 あのチップの国に?と不思議に思われるムキがあろう。
 
 ボクもかの地でバイトを始めるまでは知らなかったのだが、あのチップ、コーヒーショップなどではウェイトレスばかりがエプロンのポッケにガシャガシャ仕舞いこんでいるのを見かけた事も多かろう。
 じゃあ、マネジャー始めシェフや片付け人ジャニターらの身入りはゼロなのか…?

 イヤ違うのである。だいたい食い物商売の場合、あの担当ウェイトレスらは”代表して集金”しているだけでなのだ。
 そして、ボクのバイト先では皆が見える場所に大きな「マイタイ用」グラスが置いてあり、そこに客が帰ってチップを回収してくるとエプロンを探り、ジャラジャラっとドル札コイン類をブチ込む。

 他のウェイトレスが戻ってくると同じようにガチョガチョッっと同じグラスに流し込む。
 そう、つまりそうやって”プール”しておくのだ。それを早番の帰り、遅番の帰り、厨房や”外”のアテンダントらが”身分の上下”に関係無く、同じ時間帯に働いた者全員で「均等に分配する」のである。

 一流のシェフでならす…といった店でさえ、客が置いていったチップはアジア人の皿洗いまで公平に同額を分けるのである。
 そう、徹底したチームプレイによって”客は満足させてやったのだから”当然のことなのだ。

 いくら美味いディッシュを堪能させることができても、ナチスのようなウェイトレスだのくっさ〜いトイレでは幻滅、客足も遠のき、当然チップ収入からも遠ざかる。

彼らの給料じたい”チップ収入”があってこそ…の金額、なのだ

 アメリカ人って賢いなあ〜と思うのは、そうした”チップを置いてくるような”商売では通常、チップという副収入が最初から計算され、給与額はハナっからへこませてあるのである。つまり「まともな応対・まともな味」を提供していて初めて、まともな収入となるよう計算されているのである。

 また、客の場合はどうだろう。
『払わぬ権利』も『多く置いて行く自由』もある…当たり前だけど。

 上記の大プレイヤー、飯田徳治さん(南海から国鉄)のように『オーダーを間違えた』『味がお粗末』『カンジが悪い』等の理由があれば自由に減額、またはゼロでもいっこうに構わない。

 氏はご存じなかったようで、こんなにバンカラでも「チップを置いてこない」事にの罪悪感を感じているらしいのだが、こんな気遣いは全く不要である。

 ハリウッドで”ステーキを頼んだらスパゲティが出てきた”ように、また隣の婦人もそうしたようにチップを置かずに出てきて当然の接客なのだろう。これで当然、正しいのである。

 「チップはいくら置いてきたらいいでしょう?」
 よく日本からのお客さんに訪ねられたものだが、食い物屋の経営者の方は最初から[朝食・ランチ=10%]で[ディナーなら15%] という数字を目安に給与体系をセットアップしているものだ。
 これだけ出していれば、”お宅はマアマア”といった表現をしてきたのだと心得ておこう。

 クレジットカードや、ホテル内レストランではその数字にあたる「add $XX for Tip」と全体の金額の下にでも書き添えておけばスマートで、カードにそのままチャージされるから便利だ。

 すでにご案内の方はすいませんね。ボクは日本人があちらで困っている姿を見ていられずついつい出しゃばってしまうのでウルサイかも知れないが、勘弁してください。

 ただし、外地でも日本人ズレしているハワイなどの観光地は要注意。
 ”日本人”とみるとチップを貰いっぱぐれを防ぐ意味で、最初から勘定書きに「Tip 20%」などと図々しく書いてくる者も少なくない。

 特に日本料理屋…はそうした指導をしている店も少なくない。笑っている御仁も知らずにチャージされている…のは仕方ないとして、下手すりゃ「チップの2倍づけ」してしまうケースも多いから心しておいて。

LAにも居た寿司屋のカッペ

 かくいうボクも勘定書きを見直すのはあまり良い絵ではないので、気付かずにいたが、こうした悪習がかなり一般化していたようで、考えてみるとどうやら長いことその”2倍づけ”を続けていたようだ。

 つい最近ではLAのウェスティンボナヴェンチュアHOTEL内のテナント寿司屋で、そうチャージしてきやがった、すべて英語だけ…のこうした店でも、であるこのヒャクショーめ。(笑)

 アジア系キャシャー預かるホステスの伝票入れ覗いたら半分くらいの束が[Tip+15%]なんてあらかじめ、それだけ先に書いてありやがんの。指差して笑ってやったよご一同様と…(笑)。
 いわば「取らずにバイバイするよりも、とにかく取ってニコニコ現金払い」精神なのだろうね。
 
 チップを置く側にも問題はある。
 ただ、いけないのはまるでポケット内の”売り尽くしセール”のように1セント5セント玉ばかり、ゴッソリと処分してくることで、「同じカネだ、貰うのだからいいじゃないか…」というのは日本人の特殊な考え方。
 これは国際的に恥ずかしい。
 感謝のシルシを渡すのであるから、カタチにもこだわってやって欲しい。

 その代わり、商店などでの支払いはどうあろうと別に問題ない、アレは商取引、”対価への支払い”だからだ。
 『払わない自由』を行使されたら彼らも死活問題だ。だから接客にいい意味での緊張感が生まれるし、プロ意識を前面に押し出してくることになる。

 とっくに日本人は知っているだろうと思ったけどご存知ないらしいのでここで確認しておくけど、あのメジャーリーグやらNBAでもロッカールーム要員へチップを渡している。

 ある時は選手会が現金を「一人$10」とか等分にして回収して歩き、ロッカーの用具マネジャーなどに渡すのである。
 それはあくまでも各個人のポケットから出すもので、領収書などをヨコせというバカもいない。”気持ち”だからだ。
 最近ではスター選手が個人的な頼みモノをした際に、サインボールや時にはユニフォームなど、いわば「あ・うん」の呼吸でそれらを進呈するケースもある。つまりこれを”換金したら?”という現物支給というワケだ。
 これらが連中から「ハイこれがお心づけ」などとチップの請求書が来たらどうしよう。
 

”チップやらぬ”道理もある

 言いたい事がお判りか?そう、日本の客商売でどのツラ下げてサービス料別どりする資格があるのか…。
 ボクはあまりにひどいサービスに対し、本当にそう言い放ち、料金からそれら消費税付き上乗せ分支払いを(結局は払ったが)拒んだ事がある。”サービス料天引き”など百害あって一利もない制度である。

”約10%+消費税”などどいうギャラを貰うほどの役割分担を、そもそも彼ら日本の客商売の”プロ”は果たしているのだろうか?
 哀しいかな、相当数がバツではないか。

 鑑定価格(笑)なら大半がひとケタ%しか出せないだろうなあ〜。
 これは日本のそうした経営者(それに経済財務省)がその10%あまりを従業員らの副収入とせず、自分の取り分としてしまう勘違いから生まれている、ここにも”国際規模的大間違い”から弊害が生じている。
 そもそもがヒトの心にも税金をかける国の根性も間違っているし、そもそも野暮ではないか。

 彼らはアメリカのようにチップが”変動相場制”となったらガ然、張り切ることだろう。
 不景気の時こそ、こうした下からの活性化が必要だ。暗い気分の時に上手に温かくもてなされ上手に金を使わせやれば、好景気の時のチップよりもボクらはむしろ金額をはずむものではなかろうか?

 持ち合わせが足りないから次回に上乗せするよ…などと心の交流も生まれるし、刺激にもなるではないか。
 厨房などの料理人が顔さえ出して場つなぎもすることだろう。

 庶民が銀行に預けたままのおカネが動かないと政府は知恵を絞っても一向にかなわないけれど、サービス業の第3次産業こそ国民大多数が日常最も接する”表面積が広い”基幹産業だ。
 ここが活性化すればカネは回転を始める…しかもニコニコ顔が伴うのならこんなに良いことはない。

飛行機の乗員にチップを渡していった者たち


 ボクがハワイに住んでいた頃、今は亡きPANAM機が米軍にチャーターされ、当時南ベトナムのサイゴンからホノルルまで連日、兵士を満席にして運んできた。いわゆるベトナム帰還兵である。
 その頃は米軍も敗走過程。米帝国主義の最期の砦=サイゴン市内もあちこちゲリラに蹂躙され始めた頃だった。
 命からがら…といった若い兵士たちをマニラや東京、またはグアムを経由してパンナムやユナイテッド、NWAの747はホノルルまで遠路はるばる彼らを”生還”させるピストン輸送のフライトにあたっていた。

 あるPAAの便で長旅の間、機長のねぎらいのアナウンスはじめ、乗務員たちの心からの接客に感激した”アメリカ一薄給”の=米軍兵士は、誰が言い出すでもなくポケットからお金を取り出し帽子に入れ、回し始める。
 ”ズシン・ミシミシ”搭乗機の脚がホノルルの空港の地に着いた瞬間、機体は大きくきしんだ。

 この大地に着陸した瞬間、機内は胴体がはち切れんばかりの大歓声に包まれた。
 そのきしみこそ、彼らの”無事生還”を実感させる生のうめきを呼んだ。

 機のドアがおもむろに開くと、彼らを代表して数人の兵士から、一ドル札をあふれさせたまさに”血の出るような”米軍キャップがいくつも、目を丸くするアテンダントらに手渡されていった。
 ”Tip”とは、本来”チリ”とかカケラていどの小さなものを表す単語である。
 以来、ボクにとってそのチップは、その単語のイメージをひっくり返した”究極のチップ”であった。

( 追伸: そのチップ全額は全クルーの賛成により、肢体不自由児へのチャリティに充てられた。)

前野 重雄

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