【2010年2月】
2月19日(金) / 立松先生が、ボクを評すと…
(^o^) まあまあ
『「川崎ドリーム」はフィクション、ノンフィクションのどちらだとしても面白い。このように愛がある作品は貴重だ。ただ、ラストは余計な気がする。』
立松和平先生が亡くなってしまった。
多臓器不全?そんなの知らないよ。
旅発たれるのであれば、もっと時間が欲しかった。
ボクの初の長編に、審査員講評として報じられた立松先生のお言葉がこれだった。
20年も前に、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった週刊少年ジャンプが、創刊22周年を記念して「第1回小説ノンフィクション大賞」を募集。
どだい文学とは縁もなく興味もなかったボクだったが、「ノンフィクション」と同列に扱ってくれるこの新しい切り口には、かねてから抱えたままにしていたネタをぶつけることにした。
それまでいかに「高校生の頃から週刊誌の取材記者をやっていた」といっても、一本の記事の企画の中で役割といったら、インタヴューする相手のコメント全文の復元とか、背景/前後の様子など、取材してきた相手に関する報告書程度の原稿を「ペラ(200字詰め)」にまとめて提出。報酬は「ペラ1枚XXX」で頂戴する仕組み。
これ(ら)を題材にして、編集者との間で決めた結論に向けて読み物らしくまとめて一本のストーリー(やジャーナル)に書きまとめる役目が『アンカーマン』と呼ばれる編集部の外には出ず書くライターさん。
だから文章力は後者には問われるものの、前者にはめったに問われない。
だから、後者は幾度も読み返す習慣の中で生きているけれど、ボクは自分の書いたものなんても見返すのが大嫌いである。
ちょうど、表現した言葉というものは《唾液》みたいなもので、自分お口の中にあるうちは許せるのだけれども、一度でも吐き出してしまうととたんに嫌悪すべきものになってしまうのはどうしてだろう。
さすがにこの《気ムズカ日記》などは、毒者諸兄のため、読み返すようになって「まだ2年ほど前」だったかなー?というほど、失礼な書き手なのである、えっへん(笑)
だからボクの文章は読みにくいのである、簡単でしょう、お解りでしょうか。
そうした短い行数の書き飛ばし業をやっていたため、長編なんて書く機会などないとなかば諦めていたのだが、ジャンプで(ジャンプの読者だったら)出会ったロッテオリオンズの得難い人々(=選手)を描き広められるなら…と、いきなり原稿用紙を買い込んできた。
当時のモノクロ液晶式ワープロを質流れ品で買い込み、慣れないチョウヘンにチョウセンしてみたのである。
「戦前」からそれはクリアーだった。
ネタ(内容)には自信がある、これで負けるようならハッキリ、『構成力と筆力』の問題だけと、自分のケツにムチを打った。
審査員はジャンプ編集長の後藤さん。
立松先生/高橋三千綱先生/栗本薫先生と、相手に取って不足はないというか充分すぎた。
やばいのは栗本先生のような、ファンタジーノベル系人士には賛同は得られないだろうとハナから苦戦を予測していた…。
原稿用紙200枚以内が規定なので、これには困った。
もっともっと紙数が必要なのだ。
川崎にいた人々はとてもじゃないがこんな枚数で上澄みだけサラッと流せるほど、薄味の人種ではなかった。この範囲内では結局、新聞での人クロ(人物クローズアップ)みたいな手法でしか語ることはできない。
できないことはない…かも知れないが、ボクはもっと演歌的に人生を観ているため(?)、山や谷を描くならきちりとその高さや深さを、しっかりと頂点と最深部まで行ってそれを伝えた上で、人物を語りたい不器用さとワンセットなのだ。
それに小さな事件でもカッチリと「起承転結」をつけてサッパリしたいし…(笑)。
ともあれ、各所に不完全燃焼ぶすぶす部分を残しながら書き終えたら、どうしても真冬だったけどバイクで直接集英社に届けて完結しないと気が済まなかった。
これがなにか一生の記念となるような気がしていた。(自信とかではなく)
それの入った大判でズシリとした封筒を腹とジャンパーの間に入れて、着いた受付で警備員さんにホイと手渡すと、その封筒がボクの体温を蓄えてイヤに温かったあの温度を、今になってもはっきりと手が憶えてしまっている。
それから3ヶ月後、書店で『第1回週刊少年ジャンプ小説・ノンフィクション大賞結果発表』の文字を、目次の羅列に見出した時はドキドキした。
それにしたがい、そのページをパラリとめくったと同時に飛び込んできた《川崎ドリーム》の文字。
自分のペンネーム…。
口では「予定どおり」とはヌカしているが、本当に現実がこうして迎え入れてくれている事が信じられず、書店の店頭で立ち尽くしたまま、自分の内側が真っ白になっていたのを今も思い出す。
(*写真下:その待望の一席入選伝える告知。 おぉ〜懐かしき紙質の悪さでおなじみジャンプ 笑。そこで浮いた紙代をページ数増に充てていた。)
今になって思い出したが、途中で『最終選考の20作品の中に残っていますよ』と、編集者O氏が事前連絡をもたらしてくれたものの、まだどこか現実味がなくピンとは来ていなかったのはどうしてなんだろう。
活字にはそこの審査員で、ボクが最も理解して欲しいと願っていた立松先生の評が短く転載されていた。
それが冒頭のコメントなのである。
それに案の定、栗本先生がもういっぽうの作品の支持に回った。
後日談では『ジハード』派が栗本/高橋両先生
『川崎ドリーム』が立松/編集長と二つに割れたそうだった。
後日、この第一回の発表と作品を掲載した『ジャンプノベル 創刊号』が発行された。
そこには各作品の全文掲載に加えて、大沢在昌、山際淳司・ビートたけし・立松・栗本…といったかなり面白い顔ぶれが揃った異色の文学月刊誌の体裁を誇っている。
もちろん、受賞式典を終えた我々入選と佳作までの三受賞者(+定金さん、村山由佳女史)へのインタヴューと、立松先生との座談会が掲載されていたが、よく最後まで読んでいなかったため、先生が亡くなってからあらためて引っ張り出して先生のお言葉を目で追うとこれが実に示唆に富んでいるものだったのに驚く。
(引用文はすべて原文のママ)
立松
『はじめに前野さんの「川崎ドリーム』。栗本薫さんは、野球を知らないから全然分かんないっていうわけ。で、私は降りたと。(笑い)水上とか村田とか固有名詞に負ってるところが多いですから、その人物を知らなければ入って行けない。それがこの作品の弱さでもあるんですよ。ここに書いてあるのは実際に起こったことですか?』
前野
『会話は全部、そのままだと思ってもかまいません。ただ当事者が言った言葉だけでは通じないので、解説してくれる役で小松という架空の人物を起用したんです。』
(書くにあたって)
前野
『まず、読者はヴィジュアルに慣れている人が多いのでは、と思いました。そこで、自分の頭の中でシチュエーションの絵を作り、あとはそれをふくらませてもらい、という語り口を心がけました。次回の(この賞への)応募作では11歳、12歳の子ともたちのドキュメントを見てみたいですね。塾や学校での日記風のルポを、そんな作品が賞をとったら素晴らしいなと思いますね。』
立松『ジャンプとしては、子供の作品も想定してたんですか?』
編集部司会
『(実際にはあったものの選には届かなかった。従来はマンガの応募で技術を要したが、今回は文字だけということで、低年齢の人でもわりと簡単に自分を表現できたということはあったと思います)』
立松
『文字っていうのは、そういう意味では元手はいらない、タダだしね。紙と鉛筆さえあれば思った時に書けるし、仕掛けもいらない。ただ誰にでもできるから、その中で生きて行くっていうのは非常に難しいんですよ。』
村山由佳
『立松先生が他の表現手段ではなく小説を書いてらっしゃる。そのエネルギーの源をお教えいただきたいんですが。』
立松
『ボクは文学という病気に感染してるんですよ。(意外な笑い)原稿用紙を国語辞典と万年筆だけ持って、暗い部屋に何ヵ月もこもっているのが好きなんですよ。だから、そういう状況がだんだんと奪われてきた。小説だけならよかったんだけどね。面白い話がいっぱい来てね。テレビに出たり、パリ−ダカに行ったり、ついふらふらとあっち行きこっち行きしてしまう。だけど、そういうことをやりながら自然と人生を楽しんでるってこともあるわけですよ。』
立松
『なんで書き続けられるかっていうと、書くことが好きだから。なんでコーヒーが好きなんだって言われて、理屈で答えられる人はいないと思う。だから困りますよね。生きて行く過程で、ぼくにとって文学が必要だったんです。ところで前野さんは、これからも活字の世界で生きていくつもりですか?』
前野
『はい、陽の当たっていない球団はいっぱいありますから。』
編集部司会
『書く対象に愛が感じられた。悲しい男たちの物語ですね。』
立松
『水上(善雄 前日ハム2軍監督)のエピソードっていうのはものすごく新鮮だけど、これはホントですか?』
前野
『その特殊なヘルメットを造ったのはぼくですし。』
立松
『じゃあそういう意味でいうと、この作品にはものすごい元手がかかってるんだ。人の元手が。』
前野
『ただ好きなんで。』
立松
『好きっていうことは一番大切なことかもしれないね。書く対象に愛が感じられたんで、読後感は非常に爽やかだった。(笑)一抹の悲しみも残るしね。悲しい男たちの物語ですね。』
編集部司会
『今回の受賞と今後の感想をひと言』
前野
『ジャンプの小説・ノンフィクション大賞の募集の言葉で、自由にやらせてくれるんだ、今まで文学を書いたり読んだりしたことがなくてもやらせてくれるんだなって思ったから(作品の執筆を *筆者)始めました。もし許していただけるんなら、もっとビックリさせるようなことをしたいと思います。頭の中で想像する以上に現実は面白いしびっくりするような人がいて、その人たちがぶつかるとまた小説では考えられないようなふくらみを持った奇々怪々な展開があったりする。あとは技術の方も勉強して身につけなければと思います。肩の荷は重いですが、頑張ってみたいと思います。』
これの対談を読み直す機会を見付けて下さった立松先生とは、その後直接お目にかかることはなく、残念なことに年賀状の交換だけにとどまってしまたのは、ひとえにこの《川崎ドリーム》の単行本を辞退していたためである。
ある程度、『受賞者への副賞』の意味合いもある、単行本に書き足す部分にとまどううち、担当編集者となったOさんが、なんとボクへの締め切りの連絡を忘れ、ボクが問い合わせた時には(彼も絶句していた 笑)すでに遅い。
O氏はどのようにこのポカを、社内的に処理したのかは知らないが、いずれにせよ、ボクも中途半端な枠の中で『実在の人生の数々』を無責任にサラッと書くわけにはいかないから、マいっか かな。
ボクもそのかん、《防弾チョッキ》の輸入が本格化し警視庁防弾装備の全面改良に先鞭をつけたり、とっくに始動していたメジャーリーグやらジョーダンなどの《スポーツプレミア品ブーム》がアメリカでも本格化してきて忙殺されていた。
そこへもってきてイチローがでてきて、自身の《開運なんでも鑑定団》でのデヴューといった活動にも時間を割かれることになってしまったため、ますます作品の校正やら増補から遠ざかってしまい、次回作などもお蔵入りを余儀なくされていった。
さらにダメを押したのがこの95年に野茂英雄がメジャーデビューを果たし、以来日本で、メジャー旋風が巻き起こったことだ。
結局、集英社のこの『第一回受賞作品群 出版』以来、それがなんど回を重ねても、『単行本になっていない』のはわずかにこの《川崎ドリーム》ただ一作という、まさに《ナニコレ珍百景》状態となってしまっているのである。
時は流れ、メディアの主流は今やインターネットが活字文化/紙文化を駆逐しつつある。
それに加え、《野球で本は売れなくなった》との新しい常識が出版界でのABCとなってしまった。
だから、現在もかろうじて少年漫画週刊誌各誌あるとはいえ、《野球》をテーマにしたものは『たったひとつ…』という野球離れが進んだ時代になってしまったのである。
先生がご指摘くださったような、
『ラストが余計だった』なんて、とっくに三百五十枚の分量が呑み込んでしまっているし、
せっせと『読み返して校正』していますので、お読みになりやすくなっているはず。
だというのに…あのころ、励まして下さった立松先生や、プロ球界の裏側を案内して下さった(登場人物の)高畠康真コーチに、いくら急いだところで、もうこの単行本をお届けしてお読み戴けないと思うと、前野重雄一生の不覚とただただ、頭をたれるばかりなのである。
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2月15日(月) / 急いで”潔白”を証明します。
(^o^) まあまあ
今売り号の週刊ポスト誌に出ているが、ボクがある場所で見てきた、また求めに応じて鑑せられてしまった品々について、後日騒動が巻き起こった。
ボクはただそこで観た事について否定はしないし、ないものをあるとは言わない。あったものはあったという他はない。簡単に証言をしているだけだ。
だけどそこはあくまでその持ち主(であり、クライアント氏)からの許可がなくては、報道機関とはいえ外部にいささかも洩らしてはならない。
それは鑑定人としての仁義だろう。またそれはボクの矜持でもある。
それについてはともかく、同誌記事をはじめ、その新聞広告や社内中吊りなどでも、アイキャッチの小見出しなどで、ボクについてこう書かれている。
『「なんでも鑑定団」に出演中』
いわく『(斯界の 筆者注)第一人者』と麗々しく書かれている。
これについて、あえてボクが云うことではないけれども、番組関係者、現鑑定士や関係諸氏に対し、まず先に深くお詫びを申し上げておきたい。
いうまでもなく、この番組には95年以来、足掛け10年ほどお世話になってきたけれども、とっくの昔に出演を辞退してきており、近年出演の事実はない。
またそれと引き換えにした利益誘導なども潔く無いから、やっていない。
もとより自分にとってのタブー事項だ。(「出演辞退」届けはすでに、TV東京菅谷元社長に提出してある。)
『前野を世話してやった』といわれれば、その通りですと素直に言うし、『あのおかげで』と恩人に手を合わせるようにしている番組である。
この『出演している』との記述は、明らかにライターさんの勘違いであって、そうでなかったら勇み足と云う程度のものだ。
「紹介する」とはなるべく端的に派手にいうものだからである。
しいて考えても、この『問題』の中心人物である蒐集家Y氏と、同番組との間で氏自身の出演をめぐり番組制作スタッフと、過去に綱引きがあった…とはご当人の口から耳にしたけれども、いずれもボクにとっては「出演辞退後」の出来事でしかない。
それに出演中の身であっても、ボクの立場からは口を出すべきスジ合いもなく、「へぇ〜そうですか〜」程度の対応しかしていないし、また興味もなかった。
番組を辞したボクのような者、それと現役制作スタッフが外部で接触をいかようにせよ持つ…というのは、とかく誤解や人的トラブルを生むのは百も承知。
したがって、ボクごときの者で要らぬ迷惑を掛けたくないから、「辞退後」に番組関係者と会ったのもじつはたったパーティで一度だけと、身辺はサッパリと整理してきているつもりだ。
この取材中も記者氏ら相手に、別にこれといって古巣に触れる必要もなく、淡々と質問に応えるのみであった。だから「出演中である」と虚勢(?)を張る必要もない2時間だった。
そこでしいて脱線した話題というならば、ボクが高校生の同ポスト誌創刊当時、編集部に出入りしていた70年代初頭当時の世相や、今やほぼ全員「退職or死亡」してしまった編集部内人士のおとぎ話に、現役諸氏が目を丸くするほどの隔世の感に、お互い笑い合っていたくらいのものである。
そこで呼びかけたい事がある。
仮にもしどなたか、『今も前野が出演している』という条件で、当方にこれから何らかの利益を恵んでくださろうとお考えだとしたら、今すぐにそれは誤解に基づくものなので考え直して戴きたい(笑)。
それからもう一つ。
『第一人者』といったお褒めの言葉をたまたま頂戴したけれども、それは直ちに返上すべきだろう。
それらしきものといったら、たまたまボクの周囲に素晴らしいお得意様が、『開運なんでも鑑定団』が番組開始する94年以前より取り巻き支えてくださっていた環境の賜物であって、ボクが偉いのではない。
そのおかげというのが、世界的にも珍しいとされる品々、それこそお宝というしかない逸品の数々を、当時はまだ心当たりを丹念に掘れば出土した幸せな時代だった。
そいつをボクが探し出してご提供してみせては喜んで所蔵して下さる…といった文化的に崇高な作業を、こうした趣味嗜好のジャンルが始まる前から、お得意様諸侯にやらせて戴いたおかげ、これに尽きるのである。
だから、「こうした物をなぜレア」と呼んで、これらを使いこなした人物がいかに逸材であったか…。
骨董商として、これらの品々がせっかく目の前を往来するのを惜しんで記録しておき、まとめてみたら単行本一冊になってしまったというのが、集英社版『球界遺産』だったというほどだ。
『開運なんでも…』でもそうだが、品物とその人物を語り切るにはあまりにテレビ番組では時間がなさすぎる。またこうした特殊事情には予備知識に乏しい作り手に流れを任せておくにはあまりに心もとない。
その結果、このスポーツ・エンターテインメント世界からの逸品を、アメリカ本国よりもいち早く紹介して、流行に先駆け日本の蒐集家にはトクをしてもらえる素地は作って差し上げた。
そんなせっかくの先見性だったのに、この『新参ジャンル』に日本は無頓着で、もっぱらエアジョーダンだのたまごッチだのバチ物に目をくらまされてばかり。
そのうち、かの地のほうで当然ながら情況は盛り上がって、一気呵成に呑み込んだ。
その結果、この元祖番組は国内的にもこのジャンルでは、未開の鎖国国家のままというのは残念無念だった。
ともあれ、現在ではボクの担当したジャンルには山本さんという方が守備位置に就いているのである。その人物を差し置いて、別の者が『第一人者』ではあってはならないはずだ。
『開運なんでも鑑定団』が選んだ者こそ「第一人者」たるべきなのである。
いくらゲストを前にして、それがいかなゲスト自身の品であっても、けしておもねり迎合したゴマスリ鑑定価格などゆめゆめ弾き出すべきではない。
ボクの場合、値段を弾き出す際に、『裁判でいう判例』のように、同じような品の取り引き例の近似値価格を、しばしば下敷きとして使う。
一番大事なことは、視聴者と云う人々は時たまこうした目で「鑑定額」をこう片付けるものと、覚えておく事である
『だったらテメエがその値段で買うのかよ』と…。
そういうものなのだろう。また、そこに落ちるものだ。
だが、言いっ放しにさせてはならない役目なのである。(「…そうさせがちな番組作り」にも大きな問題がある。)
ボクは心のなかで、鑑定品を前に『それがお好みの愛好者2名以上』のお得意様を思い浮かべることにしている。
じつをいうと、2名様以上というのは『オークションが成立する条件』なのだ。
その品の「鑑定価格」として、ジャ〜〜ンと提示した金額。
それを目の当たりにして、そのお得意様が
『よっしゃ、そのネダンなら買った』と挙手されるかどうか、それがボクの判断基準なのだ。
また、ひるがえって「買って下さる方々」の心理に成り代わって、お金を出す理由について、代理となって周囲に伝えてゆかなければならない役目、これが大事なのだ。
個人的な意地というものが常にある。
ボクは、どういった番組に出ていても必ず守らねばならないと心がけていること、それは
『さすがは「鑑定団」に出ていたヒトだなあ』と、スタジオ出演者はじめ、視聴者諸氏をして思わせなければならないと、忘れたことはない。
四本脚が生えていて、シッポもついている。
同じ馬に見えるのに、かたや4億5億。
なのに片や、買い手もつかずにセリの場にポイと牧場主から置き去りにされてしまうような、同じサラブレッドの仔馬が、毎年数頭(いや、数十頭?)、産地の日高周辺では遺失物として廃棄されているのである。
感傷はさておき、同じ馬だというのに『なぜこれが「4億もしなくてはならない」のか、』この理由を猛然と立証し、無知な非落札者らを目利きにまで”成長”させるため、努力してゆくのがボクらの仕事。
この際、周囲の門外漢をさえをも願わくば動かして、(この場合、馬の)良さを周知できたらホンモノで、彼らはこれをきっかけに、近い将来のお得意様へと転化させられるかもしれないのだ。
この作業とは、どこか弁護士の使命に似ている。
言葉を変えれば、美女を広く紹介するのに、いかにその美しさが非凡で得難いものなのか、それをもっとも正しく表現し尽くせた者が、最も崇高なパートナーとなり得る…ようなものだと考えている。
ともあれ、『開運なんでも鑑定団』の鑑定士は、どこまでいっても、斯界における『第一人者』でなくてはならないのだ。
だから、他の番組に顔を出していたって
『さすがはあの番組の出身だ』とスタッフや視聴者諸兄に言ってもらえるようでなかったらこちらの負けなのである。
また、それはボクのモットーでもあるのだが。
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2月12日(金) / 真央ちゃん、誰に盗撮されたって?
(^o^) まあまあ
先月末の、女子フィギュア四大陸大会での浅田真央には驚いた。
ジャンプの高さ、キレ共に、彼女はおととしくらいの好調期のレベルまで回復してしまった…というか、一転しての優勝だったからだった。
それまでの彼女というもの、前日27日のショートプログラムでは、ジャンプのきっかけだけ作ったものの飛ばなかったり、であ〜あ相変わらず…に終わり、ひょっとして『五輪失格?』が濃厚となって臨んだ29日フリーでの決勝となったらこれが大豹変。
いったいこの同じ少女の演技でも、「規定=SPとフリー」におけるこの雲泥の差はどうしたものか。
あれが『作戦』でなかったら、覚せい剤を射っていたとか別人すり替わったくらいしか考えられない。
昨年からの3回転半のジャンプの際に見せる腰砕けぶりに、ボクは彼女の右足首の故障を疑っていた。
着地の際の痛みのために、ついジャンプのきっかけも弱腰になったり。
ロクに回転できぬままにタイミングが早まって落下、その結果の尻もちとなったりと解釈していた。
それがこの決勝での素晴らしい変身ぶりには『今までは「死んだフリ作戦」だったのか!』とまで思ったほどのカンペキぶり。
それは、この会場にも来ていなかったというタチアナ・タラソワコーチという、歴代のゴールドメダリストを演出してきたキングメーカーならぬ『クイーンメーカー』のたくらんだ、ヴァンクーヴァー五輪に浅田のピークをもってきて、宿敵キムヨナを逆転する作戦といった、高度な権謀術数と邪推せずにはいられなかったからである。
しかもそれは「浅田ではかなわない」といわれるキムヨナへの痛烈な心理的揺さぶりにもつながる、思ってもみない角度からの『王手飛車取り』ではないかと思うのだ。
たしかにこの「王手」、キムには未だ逃げられる余地が残されているものだと思う。
彼女の昨年初めからの充実ぶりは素晴らしい。
速度にジャンプの高さ、回転の速さ、キレ共にすべて百点満点だと太鼓判を押せる。
かつてのカタリナ・ヴィット、彼女は不世出の優雅さだった。
対するキムのそれは若く鋭く、まるで武道の達人のような躍動美ではないか。そうした得難い二種類の美において、カタリナとキムの演技はまさに双璧。
『何十年に一度』という奇跡として二者は並び称されるべき質だろう。
ついでにいうと、それらに比べ荒川静香の場合はかなりレベルは低く、金メダルを獲得し、直後の引退はただ『勝ち逃げがうまかったなあ…』との印象しか残っていない。
ここで最後の手段なのか、『揺さぶりアッピール』を持ってしても、まともに金が滑ったら、未だ審査員の採点では創造性と切れ、スピードでキムに軍配が上がろう。
ただ彼女が五輪前にいかなる休養を取り、それがこうした揺さぶりにも耐えうる精神力をプラスさせているのかまたは奪っているのか。
競馬の馬にたとえては失礼だけれども、片や元気に勝ち上がって追い切りでもベストの状態に近くまで仕上げてきた上がり馬。
ゆったりと本番の一戦まで構えて、追い切り風景を未公開にしたまま、久々の本番に出てきたひとクラス上の馬。
休み明けの実力馬にはとかく、取りこぼしとか騎乗ミスが付きまとう。
それがなくては浅田の場合おそらく「銀」なのだろう。
滑走順が相当にこの心理戦を支配することになる。
こんなに面白い勝負はちょっとない。
彼女らの年齢からすれば、次の五輪にも名勝負が見込めるだけに興味は尽きない。
とはいえ、男子の高橋選手ではないが、フィギュアスケートは常に腱断裂などの致命的負傷と隣り合わせの競技である。どうか無事に今後も無事であってもらいたい。
浅田とキム、どちらが金と銀を獲ったとしても精一杯の拍手を送ってあげたいものだ。
日本だの韓国だのの違いなど、こんな少女の頑張りを相手に騒ぐなど、なんて矮小なことだろうか。
こんなレベルの高い闘いを見せてもらえるだけでボクらは幸せだったと、同時代なら喜び合いたい。
写真:浅田真央が韓国入りすると、『盗撮』され(たと、本人がそう訴えたのではない 笑)、YOUTUBEにアップされたのだという日刊スポーツ1/28付の煽情的報道。
一瞬、この一面の大きな滑走シーンがイコール「盗撮写真」か、そう思った毒者ばかりなのではないか。
内容的には、ホテルの団体がチェックインのようなことをする宴会場?で、多くが詰めかけているなか、当然ながら旅衣(?)を解かぬままの黒ハイネックセーター姿の浅田がカメラ側を振りかえっている(記事右下)…ただそれだけの『盗撮』モノ。
もしこれが盗撮と強弁したいのなら、その何倍ものスペースで堂々一面に、足おっぴろげて滑っている瞬間写真で浅田を掲載している御紙、それを盗撮ならぬ撮影した「本社写真部カメラマン氏」というお立場をどう我々毒者らは扱ったらよろしいのか(笑)
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2月6日(土) ダブル罪つくりだぜ『人身事故』
(^o^) まあまあ
2月に入り、このところの所用でつづけて二度、新宿駅から山手線で同じ23時頃の外回り線でスタートし西日暮里駅まで帰宅することがあった。
そのどちらとも、アナウンスや電光掲示板で例の《人身事故》を報せていた。
二度ともその山手線や、接続する区間で発生した自殺、飛び込み事故に関連して、遅延やダイヤの乱れを教えてくれるものだった。
最初のほうは、なんと『4箇所』、後のほうは一件だったが、乗っているその山手線の先の駅で起きた飛び込みだった。
それにしても『4箇所』というのは、今までの最高記録に近かったけれども、ある時などは「たった二件だった」がそれはひどいケースだった。
競馬場というものは、近隣住民への平穏対策最優先策が取られ、徹底的に公共交通機関利用で意思統一?されている。
だから、ダービー出走馬の馬主でさえ当日、自家用車で来場しても、その駐車場に招待枠さえ設けられていないといった、なんか『電車ご利用イスラム原理主義』みたいなJRAの度を越したバカっ正直(笑)には呆れてものも言えなかったものだ。
そうした東京は府中競馬場へ行ったある日の帰途、ここに乗り入れている二線のうち、京王線に乗ろうと人波に揺られて改札に向かうと、『先の駅で人身事故があり不通だ』というので、数千の人波はなんとそこからUターンさせられた。
チョイスもなく、もう一つの手段「JR武蔵野線」へと回れ右をさせられる大転回をさせられた…ら、また列車はやって来ない。
そのうちホーム上には、アタマに来ている人の波、また人波カズノコ粒の直立みたいにビッシリ。まるで『子持ちワカメ状態』のホームとなってしまった(笑)。
入場制限の末、そしてアナウンス
「え〜ただ今武蔵野線は、XX駅構内で発生した人身事故の影響で、運転を停止しており…」ときた。
あ〜あ、この状況の中1時間近くかかって、ようやく動き出した電車に、殺人的スシ詰め状態。
おいおい、『折詰内の握り寿司、みんな子持ちワカメ』かよ。てなもんである。
それに揺られて30分もすると、車内は次第に減って行く客と客の間にゆとりを持ててきたためか、バカにニコニコした顔を取り戻すのだ。
それほど車内の全員みんな苦しかったんだなあ〜と、諸君らと妙な連帯感さえ感じたほどだった。
やれやれ、と膨大な大回りの迂回余儀なくされ乗り換えた駅で、別のホームに行くとまた、
「え〜ミナミ浦和駅で発生した人身事故により、ただ今京浜東北の上下線とも運休して事故処理…ウンヌン」
「人身事故の八方ふさがり」
さすがにボクもこれには階段でズッコケた。
ともあれ、他の地域の毒者諸兄はいかがだろうか、東京の日常はこんな深刻なヒドい事態になっているわけで、地方にお住まいの方はくれぐれも、夢にも『東京サ出て行って、ヒト旗あげて…』などといった、進歩やヒネリのない企画などなされませぬように。
ともあれ、『「反民主党」を公然と掲げた』産経新聞の記事によれば:
…線路への飛び込み自殺で平成20年度に30分以上遅れたり運休した列車は全国で 3万5300本と、詳細なデータのある14年度以降で最悪だったことが1月24日、国土交通省の調査で分かった。
4年連続の増加で、国交省は自殺による運行障害を減らすため、自殺防止効果があるとされる青色照明やホーム柵の設置などを鉄道各社に呼び掛けている。
全国の鉄道197社を対象に集計した。20年度の鉄道自殺は647件で、遅れや運休が出た列車は3万5300本と16年度の1万9700本から1・8倍に増加。このうち首都圏(東京、埼玉、千葉、神奈川)が2万1100本と、全体の6割を占めた。
運行障害の原因別では、自然災害による遅れや運休が4万8600本で最も多く、自殺は2位だった。…
*+*+ 産経ニュース 2010/01/24[16:33:33] +*+*
しかし、どうして国交省なるこの税金ドロボーどもは、国民が日常死に赴いている深刻な問題というのに、よくみれば「2年前のデータ」などを、今どきサモサモらしく掲げてみせるのだろう。
こんな自殺事故のデータなどは、とっくの昔に国交省などには報告もされ数字的データだったらもっともっと早く公表できるではないか。
こうしたテーマだからこそ、もっとリアルタイムに実情を報告させて集約し、深刻だというならば、さっさとボクら国民に突き付けて、危機意識あおるくらいの政治感覚があってもバチは当たらない。
そもそも鉄道各社はおかしい。
なぜ、こうした電車への飛び込み事故について『人身事故』と言いくるめてしまうのだろう。
これはおかしいと思う。
まるで何事もなかったかのように、言葉による姑息な処理加工をかぶせることで、多くの利用客の利益に結びつくことなのだろうか、それは判らない。
だが、ボクとしてはこんな真相隠しのようなベールにかぶせず、いっそハッキリと『飛び込み』であるとして欲しい。
自殺を考える側の方々にせよ、「自殺の手段」にこうした公共の生活基盤を維持するための交通機関などをわざわざ求めないで欲しい。
当然そこには正しい精神状態などないのかもしれない。
だが、同じ死ぬのでも死に方というものはないのか、無理とは知りながらそう恨みたい声なき声はいくらでもあろう。
なぜ彼らは死ぬ時まで、縁もない者の力もない仲間の犠牲まで、日ごろ痛めつけられている同じ仲間ではないか。どうしてそこまで庶民どうし追い詰めあわねばならぬのか口惜しくて仕方がない。
列車に突っ込まれるとどうなるか、スタンダードなマニュアルが鉄道側にはあって、救急車と『消防車』がまずやって来る。そして警察だ。
警察はともかく、救急車は生死を確認して、死んでいたら撤収だ。
彼らにはいくらでもバカバカしいほどの「自称・要救助要請」が目白押し。
死んだ者を収容する事に緊急性はない。
で…消防車はどうなるのか、警察による検死、自殺か事故かなどの現場の検分が終わったら、今度は消防の出番なのである。
つまり、高圧のポンプで「遺体の部分品」や「血」を洗い流すのである。
”本体”は警察側が収容していってくれる。
それ以外の細かくなった皮膚や肉はどうなるか、思ったよりも黄色い色をしたカケラを、鉄道の職員らがもっぱらそれを『箸で』拾い集めてくれるのである。
こうした現実が、手前勝手な自殺行為には付きまとうのだという事をもっと多くの人々が知るべきなのである。本当に迷惑なのである。
同情は身内の問題であって、少しは物言いにも遠慮したいが、こうした貧乏くじ専門の公的任務に置かれたままの人々にはあまりに世間は無頓着に過ぎる。
だから、こうした身勝手きわまる鉄道自殺を『人身事故』などといった、責任のバックパスみたいなボカし方で後景化してしまうのは百害あって一利もない。と申し上げたいのだ。
こうした手前勝手な飛び込みなどにより、3万5000本。
それが《運休》したというのは、遅延などではなく、完全にダイヤから外れて停まり、「動かなくなった列車」という事なのだから、これは噛みしめてみれば恐ろしくなるほどの膨大な利用客が背後に控えている…ことになる。
こうして暴力的に遅らされた”人工的事故”によって、乗り合わせた不幸な乗客は、それぞれの人生において、致命的なハンデやら、埋めようのないものを大なり小なり背負わされるのである、その潜在的な数は莫大でろう。
これは自殺者らからの『世間への最後の報復だった』とでも解釈して許すべきなのか。
死んだ者へ「気の毒に…」と、強制的に停まった電車の中で、空しく頼った吊革の先に死者への同情を馳せないわけではない。そいつは誰も同じだ。
だが『こうして自分が死ぬそれだけのために、なにも無関係のオレたちまで巻き込まなくなって…』と、多くの反感を買うような、死に方を選んだ自殺者を明らかに恨めしく思うのも当然だ。
かつてわが隣の駅構内で、我が身を捨ててホーム下の者を救い、韓国で英雄となった朝鮮青年がいた。また踏み切りから飛び込んだ者を助けるのと引き換えに、殉職してしまった駅前派出所の「ハコ長」もいた。
両者に救われた果報者がその後、欠かさず冥福を祈っているなどの後日談はトンと聞かない。
後者の中年女性など、自殺願望の絶えないのを警察が逆に保護監視しているときいたが、今はどうなったか。
隅田川のある橋のたもとでボート屋を営む主人の壁は、警視庁からの感謝状で埋め尽くされている。
それは橋から飛び込む自殺志願者らを見付けては毎回水に飛び込み、「未遂者」へとアップグレード(笑)してやった功績へのものなのだ。
しかし、その命を拾ったそれだけの者の、タダの一人さえ、この命の恩人に礼を言いに戻って来たことはない…という。
ビックリしたものだ。
さぞかしこのオジサンには『おかげで今はこうして子供まで授かりました』とか、『おかげで年末ジャンボまで当たっちゃいました』などと、生かされている幸福を、ヴァラエティ豊かに”その後の人生”の報告にやって来る人たちであふれていると、ボクは当然想像していたからだった。
『ゼロ?』うっそだろう。
もしこれが毒者だったら、そうはなさらないか?
ボクはこの話を聞いた時、ハタと納得するものがあった。
自殺をするヒトていうのは、『ケッキョク、そういった人物』なのではないか。
重ねていうが自殺なんて企図するなど、はじめっから狂気の沙汰なのは判ってはいるけれど、こうした「鉄道」みたいなものを、『”私用”してはばからない』なんていう感覚は、もとよりこいつが自分勝手だから選んだ…のではないだろうか。
無謀な山行での遭難やら、踏切に突っ込んで電車など停めたりすれば、その後の費用(捜索費・公共機関ヘリ燃料費・現場清掃費・運賃払い戻し・代替輸送支払い・修理復旧経費などなど)は、その都度計算して後日、遺族にツケを回しているときく。
ところが寡聞にして、ボクはそうした支払いが全うされたという話を聞かないのだ。
遺族をそれ以上苦しめまい…といった、スポイルされた?「日本的ケジメの付け方」を官公庁や各企業が励行しているおかげなのかと思う。(反対など誰もできないし、担当者もどれほどだろう)
こうした『後始末について』の報道や実情の告知は、あってしかるべきではないのか。
取りあえず人身事故などという、お為ごかし的言い替えは何の改善にも結び付かない。むしろ「逃げ」なのであって、即刻やめて戴きたい。
こんなことを書き始めたのも、最近JRのホーム端まで行ってみるとなぜか《青色発光ダイオード》がタバになってホームの内側を照らしているので、
『(列車への信号用じゃないんか)』と不思議に思っていたら、これはなんと『自殺を思い止まらせる効果』がある「ライティング的説得工作」(笑)なのだという。
犯罪も自殺も、青い光を見ているうちに心が落ち着く効果がある…という能書きから、山手線全駅を手始めに、今後も自殺の多い駅に、順次JRは配備してゆくのだそうだ。
へぇ〜、そうかねえ。
あまりのセンの細さに、今にもなくなりそうな企画だなあ。
20年も前に、「別件で発禁みたいに廃刊」となった月刊誌で『ウィークエンドスーパー』というハチャメチャ雑誌があった。
その中で『飛び込み自殺に選ばれやすい電車ランキング』という特集があって、当時の彼らの調べたところによれば
『山手線よりも”京浜東北線が人気”なのはなぜ?』など《#1あつかい》されていたほど、事故発生率は京浜東北のほうが高かったらしい。
都内のかなりの区間、同じホームを並行して走っていながら、
同誌は『それは列車のカラーがいけないんじゃないか』と無責任な説を立てていたが、アレレ、京浜東北線はブルーだし、「LEDもブルー」なのって矛盾してない?
そいつを思い出し、かえってこの照明って自殺を呼び込んでいないのか、ボクはかえって心配になった。(なんだか切なくなってきて、とても「ビールで乾杯」って気にはならなかった 笑)
たしかその中で、電動式のバリア金属壁などで『新幹線が飛び込みに嫌われているのは、速い物に身を投げ出すのが恐いためではないか…』と、全国の快速や特急電車への事故率が少ない現象を、そんな安直で無責任な結論付けていたが、まぁ今考えてもバカな本である。惜しい編集センスである。
でも、今回の『青色LED設置』にしたって、安直さでは似たりよったりのカンは否めないけれど。
電車の運転士というものは、運転する飛び込まれる際、たいがい自殺者と一瞬目が合(ってしま)うそうだ。
そして次に来る「ガツン」といった鈍い衝撃。
初めてその話を聞いた時にボクは鳥肌が立った。
「電車の運転士」という職業は、わが幼い頃からの憧れだったのだが、その瞬間自分にはムリだと判った。
小社のお得意様の中に、次期《スカイライナー》新型車両の試運転をすでに始めている方がおられる。
だが鈍行を運転している頃から、
『運転士を続けていて、いつ”その瞬間”が来るか、ハラハラしてるんですよ』とその方も云った。
ボクは
『(デザインが)速そうだから、先方だっておっかなくて飛び込まれませんよ』
そう根拠のない元気づけを差し上げた。
そうこうこれを書いているうちに、世の中の何もかもが面倒くさくなってきた。
こうなったらいっそ…
青色LEDでも見にゆくか(笑)
写真下:西日暮里駅ホーム端の設置された青色LED。
いかにも心がない照明っぷり(笑)。もっと美しく楽しくきらびやかに見せる…といった『逆は真』ではないのかなあ。
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2月1日(月) / あなどれぬ茂木的処理”脳力”
(^o^) まあまあ
ゆうべ、フジテレビ制作の『エチカの鏡』という番組を観ていた。
おそらくはこのエチカなる意味は「エチケット」の語源なのだろうが(知らないけど)、それにしても損をしているネーミングである。どうにかならなかったのかこのタイトル。
かつては《花王名人劇場》以来、花王が今どき珍しい「一社提供」として日曜21時からの枠を、関西テレビに全権委任されてスポンサー料を支払ってきたワク。
関西の芸人を育て、『裸の大将』で芦屋雁之助さんにカムバックの機会を与えたり、制作Pの澤田隆治さん肝いりのそれはそれは価値ある時間枠とボクは位置付けてきた。
時が変わり《あるある大辞典》となっても花王のこの「大名的提供」によって、ある意味ゆったりした面白さが楽しめる時間帯としてボクらも安心して観ていられる時間枠となっていた。
それを視聴者に媚びるうち、ダイエットに関するネタを悪乗り気味になりヤラセまでがエスカレートして、海外の博士までワナにかけるようになったのが大団円。
その下請けプロダクションがスポンサー受けを狙い、『こうすると必ず痩せる』という食物摂取で健康被害(みたいな程度)を出してしまい、関西テレビはお白州に引き出され、獄門打ち首となった。
今考えると大旦那=花王は、当時、エコナやヘルシアなどのダイエット用経口食品類を発売間もない頃。社運かけていたスポンサーの手前、作り手側がこうして迎合せざるを得ない哀しいサガについて、ボクは関西テレビ、いや、その下請けの製作プロダクションのほうを同情したものだった。
それをどういうわけか、関西テレビからこのオイシイ60分枠、しかも一社提供文句は言わん的スポンサー付き…この超好条件を、なんと関西テレの親会社(?)FNNの座長=フジテレビときたら、すべてそっくり禅譲して貰っちゃって、現在に至るのである。
この図式ってヘンですよね。
ともあれ、関西テレビとはいちいち「一服しましょか」「お疲れ様、来週やけどね…」「おう久しぶり、まあまあ…」という言葉の合間合間に、その都度2Fの喫茶室からお茶をウェイトレスに運ばせてインターミッションとなるきまり(?)。
こうしたのんびりおっとりムードの社風は、関東のキー局にはない。こんな同局のいかにも関西のエエとこの家にやって来たな〜みたいな雰囲気が、ボクは大好きだった。
聞けばここと、東京の総大将、CXとは系列にもかかわらず、かねてから仲が良くないそうだ。
関西地区で高視聴率を上げている番組でも、ではCXは全国ネットで流してくれているか…というと、さにあらず、現地で金曜ゴールデン枠の『さんまのまんま』だってその代表格で、東京だけは深夜番組に追いやられている。
つまり、ゴールデンのスポンサーに対し、東京支店たる立場のCXは、どうも高く売ってやる気がないようなのだ。
これに相応のスポンサー料が入れば、関西テレビの収入増となるわけだ。
では、その曜日の同じ時間枠でCXは関西テレビから『まんま』を買わずに、何を流しているのかというと、長年、関東ローカルだけの苦戦番組を繰り返し流し続け。もがいているにとどまっている。
まぁ他局の幹部に言わせると、『他局よりも系列局いじめのほうが、手っ取り早く放送料を稼げるんでしょ』という安易な論理もあるという。可哀想なのは視聴者ばかりなり。
同じようなケースの代表的なものでは、『探偵ナイトスクープ』という番組だ。
これはテレ朝と”製造元”の大阪朝日放送の看板番組、で関西を中心に西日本では『ABC系列でも週末を代表するコンテンツ』とまで賞賛される長寿番組。
視聴者層もきわめて幅広く、常に近畿地区では視聴率ベスト5に入るお化け番組。
これの東京進出をめぐり、東西で綱引きを繰り広げたものの、なんとテレ朝は深夜というより明け方のような時間帯にまで島流ししたうえ、
「関東ではこのコンテンツだと率が取れないから」といって、結局は(現在は)MXTVにドル箱を投げ出してしまうという、「猫に小判」をやっている。
ところが、東京のレンタルビデオ店ではこれのDVDが良く出るときては、どうにも説明に困る。
毒者諸兄も次回のレンタル店へお越しの節はご高覧をしてみては。
これで放送界は冬の時代と、吹雪が吹きまくっていると氷点下の景気に泣いているのはどこかおかしい。
キー局へ今行ってみたら、とっても面白い。壁だのエレベーターに
『(番組)企画、面白いの待ってます!』『新しいクイズ番組の企画ちょうだい!』…などなど、低視聴率脱却めざす局編成部からの募集チラシが、局内出入りの者に向け、助けを求めて悲鳴を上げているのだからワカらない。
テレ朝などは「ひょうたんから駒」、深夜枠からひねり出した『アメトーク』や、『お試しか!』などの番組そのままのコンテンツをDVD化して発売してみたものが絶好調の売れ行き。
一度番組を制作し、OAにこぎつければ「制作費」はあくまでもそこまで…の商売。
だから、こうした二次生産物が売れてしまったら、局としては笑いが止まらない。
( 近年ではCXの《松本仁志のすべらない話》に日テレ《ガキの使い年末SPL》の爆発的セールスにならってぞくぞくとこうした「番組こぼれモノ」が利益を稼ぐ時代になっている。)
しかもテレ朝のモノといったらかかった制作経費にしたって、これらは”しょせん深夜枠”、制作費もかなり割安。吉本にしても、ガッツリギャラを請求しようにも控えめな時間帯。
(おそらくDVDであり余った利益から、芸人さんへ印税が分配されている仕組みだ)
特に『アメ…』DVDの場合、《弱電ウンチク芸人》のブームによって、DVDが思わぬ《新製品紹介テキスト》となって、飛ぶように売れているなんて、この世の誰もが予想だにしなかった現象だと思う。
こちとら、《ジャパネット 高田》の説明コメントだけでもすっかり”洗脳”されてきたというのに、今回のモノとなると「劇団ひとり」や、「品川」という(あまり面白くないけど)芸人までが登場しては、自腹で買った電化製品、CMでしか知らなかった”あ〜アレね新発売の品”に備わっているハイテク機能を、自己の苦労話などまじえて、熱意と共に面白おかしく喋るものだから、つい身を乗り出してしまう。
電気製品の修理などはボクもこなすけれど、くやしいけれど今の機器は単純にオペレイトするだけでもムズい(ホントにこんな機器をじいさんばあさんまで動かせるのか 笑)。
さて、この機器を買って来たはいいが、どう指示して、どう動かし、どう暮らしを助けてくれるのか、潜在能力はきっとある(笑)のだろうけれど、分厚き「取り説」など開く気にならない。
だったら…と、彼らが口角泡飛ばし説明してくれる”これら本来の実力”のほどを、寝転がってDVD観るだけでなんとなく、取り扱えるようになればいいなぁ…そのあたりのカナしい動機で売れているのだろう。
だから今、盛り場の量販店へ行ってみるといい。
弱電やビデオカメラ売り場などのPOPに、
『アメトークの細川さん絶賛』とか、『品川さんご愛用』とまで書かれており、完全な著作権でいう『プロモーション権の違反』行為が氾濫している(笑)ほどだ。
今後、おそらくは自腹で購入してきた出演各芸人さんに対し、弱電・エアコン・携帯電話の各メーカーからの”密使”が接触攻勢が開始され…、いやすでに水面下では必死の抱き込み活動など展開しているにちがいないのである。
こんなに即、売り上げに結び付く「電動師」…、ならぬ伝道師を放っておくわけがない。
新しい機能でも開発したとたん、これからは広告代理店よりも先に、芸能プロダクションのほうへ駆け付けるのではないか。
ひるがえってこの先、ボクらが目を光らせなければならないのは、(所属事務所ぐるみで)実際は気に入ってもいない物を、心にもなく絶賛を繰り広げ、結果、羊頭ならぬ狗肉を掴まされないよう警戒する目で眺めることだと思う。
秋葉原ではPCしか売れぬ時代が長く続いた、そこへの不況。
ところがこの”神風”はそれらを押し返して余りあって、そのAV機器を先頭に盛り返している風景だそうだ。
反対に、それまでの売れ筋が、これら番組内で他社製品のほうを取り上げられてしまい、そのため主役を奪われすっかり端役へと没落してしまう、同様機種の「政権交代劇」まで出ている。
たしかにメーカーにしたら、これほどの『生きた宣伝媒体』のブームを見逃すはずはない。
「試供品として自社製品を与えておいて誉めてもらう」…なんて、そんな牧歌的な抱き込み工作(笑)などは過去の話。
つまらんタレントを高い金払ってCF起用するイメージ戦略よりも、はるかに即効性ある経済効果が見込める。
ともあれメーカー各社の彼らには原罪があると思っている。
『便利なんだよ、これを使いこなしたいなら、この「説明書」をしっかり読めば動かせるんだから…』
ハイテク(やデジタル化)時代に入り、彼らメーカー(とか、携帯電話屋)がやってきた商法といったら、やたらハードのほうばかり高機能化しておいて、売り方はこうして電話帳のような説明書とセットの、ポイ投げ式な、「販売におけるソフトウェア」を著しく欠いた不親切な販売術ではなかったのか。
ユーザー一般からすれば、「劇団ひとり」氏のように
『ボクは危機に手を触れる前にいかに分厚くても説明書を読破してからオペレイトする』という奇特なな賢人などツメの垢ほどに少ない。
その大多数が求めているのは、それこそ馬鹿でも簡単に使いこなせるような、「思いやりあふれる簡単便利なシステム」である。
こうしたアングルについて、我々と目線を平行には並べられない旧理系人間(?)らの、無理解世間知らずぶりがもたらした、当然の結果が第一に『分厚い説明書』の横行。
そして第二が、当然の販売不振なのではなかったか。
こんな自分らしでかしていた気付かぬ失策の数々を、起死回生、こうしてナイスカバーしてくれる追い風を放っておくテはないのである。
こうした『弱電芸人』の出す来年春の年間所得が、今から楽しみでならない。
『秘密工作員への報酬』となると、安くはないだろう。
「年間契約」にすべきか、スポット契約で終わらせておくかなど、
『じつは「ヒモ付き芸人」でござい』とはバレたくないだろうから、けっこう悩むだろう。
(品川氏などは、「SONY党」を公然とカミングアウトしてきたため、かえって彼あたりを籠絡し他社製品を一転べた褒めなどさせたら、彼は褒め方が巧みなため、ズシリと重いインパクトが見込めるはずだ 笑)
いくら卓効性があるといっても、さすがに「TV1台当たりOパーセント」なんてマージンを要求したりしないだろうなあ連中…、さすがにメジャー選手じゃあるまいしねえ。
でも、ワッカらないぞう〜。
それより手っ取り早いのは、
《ビッグカメラ》だとか《コジマ》だとかである。
代理店から少々フッかけられてもいいから、あの《アメトーク》にスポンサー料払って、合い間合間で、『あ、その商品を売ってる』って視聴者にアッピールしたらソク売れまっせ、ほんま。
じつは、冒頭の《エチカの鏡》に話を戻せば昨日、茂木健一郎が出ていた(笑)。
そこでは鹿児島のヨコミネ幼稚園の児童がステキな教育法を受けていて
『ひとりはみんなのため、みんなはひとりのため』という、園児の吐いたここのモットーである言葉を受けて、スタジオに戻った際
『それは本当に素晴らしい教育をしていると思います。』と、この「自称《脳科学者》」こと、そのじつ《ソニーの社員》氏は園児の言葉を復唱したうえ自身のコメントを肯定的にかぶせてみせた。
我が家一家にとっては、このカレ氏がヌカしたそのとたんに、この番組の説得力がゼロに近くなった瞬間だった。
せっかくいたいけな4・5歳の児童がこうした社会的規範意識に目覚めているというのに、この3年間にあった自身の所得3億円以上を、一銭たりとて申告さえしていなかった茂木健一郎という者がその口でこの子を褒めてみせるのである。
だったらボクも、この《脳の事だけは詳しいだけの物書き氏》に申し上げたい。
『ひとりの納税はみんなのため。みんなの税収はひとりひとりのため』
@税務署から過去すでに、『茂木さん、税理士などを雇いなさい』との警告を貰っていながら、それを忘れたと受け流す脳内処理機能。
(それでも同じことを繰り返す者について、警察官は「常習者」、とか「累犯」と呼び、医師は「慢性」と呼ぶが、彼に頼る放送の製作者らは彼を善人として、また識見がある者として、こうした現実の視線からはかい離している。)
@そもそも、番組の段取りやらスタジオ入りスケジュール、楽屋の部屋番号などなど…細かい項目だけは記憶できる機能は卓越
@『すべてノーギャラのボランティア活動』でもあるまいし、振り込まれてくるギャラや印税を横目にしながら、『それを所得として認識できない識別機能』の致命的消滅(笑)。
@それからすっかり欠落しているのは
『「忘れていた」と言えばすべてチャラ…と許されるものと納得できる、罪悪感や清潔感』
ここら辺を明日からでもいいから、ケンイチローちゃん、鹿児島に行ってヨコミネ先生に教えてもらいなさいね。
まったくこんな者にマイク向け、番組の最後に、「公序良俗」の代表としてもっともらしい締めのコメントを求める作り手も、求められるほうはよっぽどのバカだ。
意地悪に『それを観ているバカ』の仲間に入りたくないから当方は他のチャンネルに逃げるしかないわけだ。
これだけの社会的大罪を負っていながらNHKさえも不問、一片の謝罪文を番組HPに貼り付けただけでチャラ。そりゃあないだろ。
いくらもっともらしいことヌカしても、いきなり番組全体が『説得力ゼロ』へと墜としてしまう、この”オニの背負い投げドボン”的出演者茂木のコメント力はスゴい。
おかげでこうした道徳観の欠けた者のコメントする番組はすべて観なくなったため、我が家のプログラムは大改編となった。やっぱし悪人の脳にはなりたくないからである。
『「忘れた」で済んだら税務署は要らない』
これからの納税期、バンバン脱税をして、申告もせず…とやらかしてひたすら逃げのびるのがこの人の奨めるトレンドなのか、いずれにせよこの責任意識ゼロの事後となると、これが”茂木的”には脳科学的に正しい税制への処世術ということなのだろう。
こうした世間の空気にわが放送マンらはどうして気付こうとしないのか。
氏が取得した博士号とはあくまで「理学博士」であって、しかも研究は「筋肉の収縮…」などの分野であり、つまりは畑違いなわけでしょ。
整理しておけば、あの人は「医学者でも医者でもない」。ただの「脳につて研究してみた結果SONYに働いているサラリーマン」(実質上… はね、)ってことでしょ。
すでにこの御仁には、あちこちの「専門医」「臨床医」など、本当に脳についての現実と向き合っている医師や医学界から数々のクレームとか、公開討論に質問状まで幾つも持ち込まれて公然化しているというのに、こうしてさも都合の悪そうな連絡となると一切気付かない。
だけど反対に実入りの良い仕事となると忙しくて仕方がないほどまで、受け付けてしまう耳は逆にダンボの大きさにまで変身するご都合主義。
なんと便利な情報処理能力が備わっているのだろう。
斯界からこの茂木サンが、どのような評価を受けているのか放送界活字界のシンパ氏一同に、耳を傾けて検証してみる責任はないのだろうか。
あのNHKの番組制作者などは代表的だ。
あのヒト見たくて、またあのヒトが優れた人物をあちこちから集めてきた番組でもなく、制作者らが足と情報網を使ってスポットを当てるべき人物を紹介する番組だから視聴者は火曜日の22時からチャンネルをNHK総合に合わせるのである。
それを3月いっぱいで茂木サンを含めて『プロフェッナル』は終了してしまうという。
そんな『死なばもろとも』攻撃など誰も求めていない。
少なくともああした犯罪を犯したあんな者の不始末を引き金に、すべてを終わらせてしまうなんて処理の仕方など、到底納得できない。
そこまで彼の買いかぶりをしているのが局Pというのであれば、間違いなくその人物とはヒトを診る目において『プロファッショナルではない』という証拠だと、ユビ指されているいるだろう現実の声を知った方がいい。
それにしても『3年間で1億円ずつで計3億以上』?嗤っちゃうね。
(ちなみにジンバブエドルではない)
ちなみに、こうしたことについて不潔だとか、道義的に美的水準に適わない…という判断は、すべてボクの脳内にある、こんな部分がつかさどっているのはいうまでもない。
すなわち『前頭前野』、それなのである(笑)
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