【2009年11月】
11月28日(土) / あす【内藤VS;亀田興起】雌雄を決す
(^o^) まあまあ
あすの【内藤vs;亀田】のタイトルマッチについて、このところ勝敗を問われるので困ってしまう。
ある晩、深夜の焼肉屋で招かれて遅れて参加したボクに、一座のひとりが大声で尋ねた。
『ズバリ、内藤と亀田興起どちらが勝つと思いますか?』
ボクは答えた
『亀田でしょう。そして「判定」ではないですか』
TBSの、勝敗によって”モロに利害関係が発生する立場”の一座だけに彼らは喜んだ。
戦前の下馬評で、意外に伸びていない亀田への一票だったからだろう。
テレビ的な経済感覚で行くと、最悪のシナリオとは
@内藤がKOされ、興起が勝利することで、このあとリターンマッチがあっても視聴率は明日の試合を頂点に、下降線をたどることだろう。
A内藤が圧倒的に押して、興起にKO勝ち
やはり内藤にとっては興起以上のライバルは考えられない。「年齢の不利説」も出たりで、@と同じように「この次以降」ゴールデンタイムでのOAも難しかろう。
B内藤の判定勝ち
両雄再び対決…といったムードの演出が最も簡単で次回もソコソコ、このフォーマットで視聴率もイケるだろう。
C亀田の「判定勝ち」
できれば、亀田勝利の場合には『はっきりした勝ち方』でないと、また論議の的となる恐れがあるが、さすがにジャッジの揃えからや接待まで、「ワンセットby協栄ジム」といった”疑惑のデパート”の仕切りでないから、ああした騒動にまでは発展しないだろう。
さらに次回のリターンマッチの利権のほとんどは、宮田ジム側にあるため、その興行を自陣営への利益へと結び付けられるだけに『きわどく、内藤が負ける』ならば、話題性も十分で今回以上の盛り上がりが想定できるのはこのパターンCだけ。
ところで、ボクは亀田のオヤジさんが嫌いである。
ああした教育は間違っていると思うので、年齢をわきまえた「社会人の教育」をオヤジさんが先頭に立って学んで欲しい。
子供たちはともかく、いちばんそうした意味で人間的な欠陥があるのは史朗さんその人だと思う。
2年前の府中競馬場、ダービー出走馬馬主関係者への招待宴テーブル。
この一家のド隣に座ったこちとら某出走馬陣営、数時間一緒するうち、息子三人への評価はすっかり良くなったものの、この父親の大人げなさ、周囲への配慮のなさに辟易。それ以来、軽蔑している。
先日の大毅の試合でも、大毅の敗因は、稼いだ自軍ポイントの「贔屓引き倒し」をやらかしたおかげである。後半戦にさしかかり、イーヴンか負けている大毅というのに、いっこうに攻めてゆく姿勢を欠いていた。
何を指示されたのか根性が切れたのか、大毅はかつての「対内藤戦」の時のように、おでこを先に突き出し、顔ガードを固めてただ前進するのみ…。
こんな消極策によって、あたらポイントを一方的に与えてしまった。そして当然にも判定負け。
セコンドに立った興起やらジム陣営らが、ぼう然と意外そうに敗戦を告げられ揃って口を開けるサマは印象的だった。
そしてこれは、この人たち日本陣営を応援しているボクら観衆や、視聴者のほうをこそ唖然とさせる態度だった。
その時、例の八百長あっせん試合の処分により、不貞腐れて観客席にいた史朗が何度も立って抗議しようとするのを、幾人かが押さえていた。
あの晩、当然そうしたあの「大人コドモ」の”史朗的妄動”を予想して警戒していたのは、スポンサー筋のみならず、なんとコミッショナー筋までが『後でややこしくなるから、史朗が目立って抗議したりするのは絶対にやめさせろ』と密かに申し入れていたのである。
その「大毅敗戦」について、テメエの試合戦略の失敗をタナに上げ、『相手のダッキング、クリンチ、ホールディングで大毅は試合が不可能となった』、こうしたいい分で、亀田ジム代表(元TV番組製作会社社長)は上手に再戦まで認めさせてしまう剛腕ぶりを発揮するのである。
たしかに老獪なチャンピオンだったとはいえ、あの晩の試合を観たものならば全員が全員、ものすごい消化不良にイライラが募ったものである。(”老獪でない”チャンピオンなどはいない)
その原因といえば、フィニッシュに持ち込めず、チャンプの懐にまでパンチを遠くから当てるのみだった大毅。
その『間合いの足りなさ』と、あと一息追い込もうとできない『彼本来のツメの甘さ』に応援している者らはイライラさせられたのである。
亀田ジムの異議申し立てのように、それが、「チャンプのズルいガードによって妨害されて攻撃できなかった」のを観てイライラさせられた…のではけっしてない。
これを日本語では「本末転倒」という。
老獪な防御テクニックによって妨害された…のが本当だとしたら、おそらく大毅の進む前に、チャンプが目に見えぬバリアでも張っていたのだろう(笑)。
数年前の当『・・・日記』に掲げた亀田一家御用達(笑)の大阪市西成区『区立天下茶屋中学校』において、『史朗以下みなさんは泣き虫のいじめられっ子だった』という、年間最優秀メールに例を引くまでもない。
亀田家がこうして、無事に兄弟3人ともボクシングの世界に入ってひきこもりになる事なく、元気でやっているだけでも幸せというものだ。
オヤジさんがピンポン玉投てきだの、グローブ付きのモリ突き攻撃だの、『コロコロコミックあたり』に出てきそうなファンタジックなトレーニング法によって、いじめられっ子だった3兄弟をスポーツの世界へと転身させた事は素晴らしい事だと思う。
だが、本来それだけで十分なのである。
ボクサーデヴューしたついでに、おまけに『世界チャンプにまでなっちゃった』でなくたって、別に良いのである。
ここで内藤さんに負けたところで、まだ若いのだし、そもそも相手をKOにまで追い込めない、『ツメの甘い亀田式の弊害、速いだけで重さがないパンチ』の克服をしなくては、息子たちは早晩いずれも短命内閣に終わってしまうだろう。
(ちょうど巨人軍のリリーバー、クルーンの投じる球が、速いけれどもミートされると一転、長打となるように、亀田家のパンチとは共通点が同じで、相手の身体とかバットを押しこむ重さが不足しているのである。その正反対の対極にはマダックス投手の球質がある。)
それだから、ボクはその焼肉屋会議で
『亀田が勝っても「判定で」』という越えがたい限界性を警告したのだ。
ともあれ、亀田には将来もある事だし、本当のところ、ネコ馬鹿の宮田ジム、内藤大輔を心情的には応援している。フツー『報道陣詰めかけた世界戦を前にした公開スパー』の同一リング上に猫がいて、チャンピオンがグラブで『ほれ、どきなよ(苦笑)』なんてやらないでしょ、好感持てるけど(笑)
あす、もしかして若い亀田のラッシュを浴びて、観ているだけでも気の毒になっちゃう内藤さんの顔がひしゃげてKO…、手を上げる亀田興起とその一家のガッツポーズ…。そんなのは格差社会を見直そうという空気に満ちてきた昨今、見たくない絵柄なのである(笑)。
昨晩は亀田家の内側を良く知る人物Aさんと、酒を酌み交わしてきた。
その場でいい話を聞かせてもらった。
亀田一家とAさんは、あの八百長まがいのランダエダ戦以降の国民的バッシングにより、一家の身柄の安全を勧進元だったTBSが、責任を持って保障しなければならない事態となった。
一家と、Aさんはじめ護衛役となったガードマンとの付き合いがここから始まった。
「24時間の体制」で、亀田家の周囲を身をもって守り抜くミッションはもう3年目になる。
寒い日にも立ち番で、氷風の中鼻水をすすりながら暗闇に立ち続ける人々を前に、
『同居性双生児』となった亀田一家が心を閉ざしたままだったものを、最初に融かしたのはジャーナリストでも後援会でもない、日々顔を合わせるAさんたちの裸の姿だった。
時には暴徒と化したアンチ亀田一家ファンと殴り合いになった後楽園ホール。
表向きこそ殴れないから、止めるフリをして見えないようにボディをぶち込んだ(というのはウソ)。
制止するフリをして、ファンのつかみかかる腕を、逆にネジりあげてキメたりした(というのもウソ)。
ともあれ、Aさんらの腕の中に守られて、この3年にわたり亀田一家4人があったといってもよい。
後援会からの貰い物が運び込まれると、明るい室内から史朗さんが表に出てきた。
『あんたらの分も鍋こさえたさかい、冷めんうちにはよ交替で喰ってや』
また別の晩のこと、外出から襟を立てて寒そうに大毅が帰ってきた。
『寒いな、ま・これでも喰ったってや』
シャグシャグビニパックに入っていたのは、亀田一家全員プラス当直ガードマンの人数分が入ったタコ焼きが重なっているものだった。
この11月2日のことだった、そのガードマンの班からAさんの部下がアパートの自室でひとり亡くなっていた。
彼らは中高年が主体という組織。
その彼は内臓を病んでいたようだった(が、未だに監察医務院からの結論が出ていない)。
ボクの近所、町屋斎場で少ない親族と、Aさんら同僚があつまって、故人を送ろうとひっそりと棺の周りで首をうなだれていた。
けして華やかとはいえない末期の別れの席…、身よりも少ない再就職組のガードマンの最期。
そこへ、黒服の一団が黒の車を連ねていきなり車を乗り付けた。
史朗氏を先頭に興起、大毅、和毅の4人、亀田ジムの面々、そして亀田プロの社長以下全員が、ここへ喪服をそろえて駆け付けてきたのである。
訊けばその日、大毅や和毅の支度を見た父は子らに
『そんなんじゃみっともない、これでちゃんとした喪服買うて来い』といって急ぎ調達してきたものに袖を通していた。
焼香、次々と立って代わるがわる線香をくゆらす間、驚いたことに興起だけはその最初から最後までのあいだ、立ったままでいる。
数珠の手をしっかりと合わせたまま一心に冥福を祈っていたのだそうだ。
同僚も、そして親族もすっかり感激していた。
最後のお別れという段。
参列者が棺の小窓から別れを順に告げてゆくうち、Aさんは興起がその窓から目をそらし列から離れるのを、『どうか最後に顔を見てやって下さい』と頭を下げると、興起はかぶりをふってこれを断った。
『あのな、このおっちゃんの顔はな、「365日いつも笑顔」これしか頭ン中にあらへんねや。そんな(棺の中の)顔は最後に見ておきたくはないんや。な、頼むワ』と、引き下がったのだという。
Aさんは酒場のカウンターで、眼鏡をはずしてはつぎつぎにあふれる涙を、手拭いで何度も拭いた。
『前野サンも泣いてくれますか。……私しゃあねえ、この年になってはじめてこの仕事をやってきてよかったと、つくづく感激させられましたよ』
『私たちのような立場のねぇ、者にもこうして一家で葬式に来てくれたなんて、ホントにうれしかったですねえ』
写真下:Aさんが亀田ファミリーから「家族のしるし」として贈られたシルバーのリング。
(立派な武器となる 笑)
この記事、無断転載、引用を禁ず
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11月11日(水) 盗まれた《知床旅情》
(^o^) まあまあ
ある日、ハリウッドに居た頃だけれどもスロージャズでのハーモニカプレイヤーの世界一、リー・オスカーとつァーに出た時のことだった。
TWAだったかのファーストクラスでボクが手製ドキュメントムーヴィー撮影の手を休めて、席に座れとリーが云ったのでカメラ(CP-16)を置いて『なんだい?』とくつろいだ。
ここのアッパークラスでは、ビッグなアーティストが自らDJとなって、曲作りに至ったイメージがこう浮かんだとか、きっかけがこんなものだったとかを独り語りで語りながら、曲をナヴィしてゆくという洒落たチャンネルがあって、このWARのみならずドゥーヴィーはじめ、タワーオブパワーだとかもこのエアラインに乗った際にはこのアーティストチャンネルにダイヤルを合わせて愉しんだものだった。
この時はダイアナ・ロスが担当しており、2ヶ月間だったか、コンサートツァーのアイテナリーをロードマネジャーから渡される度に、このTWA利用がないか探すのが楽しみだった。
リーさんは日本の童謡や民話に織り込まれているような曲が好きだった。
できれば気に行ったフレーズを、ソロで奏でたいというひらめきが来るとボクに良くこう訊ねてきたものだった。
『日本の曲でいいフレーズはないか?”盗みたい”んだけど(笑)』とフヘッヘッヘと笑った。
彼はこの頃《金襴どんすの〜帯締めながら〜》という、ボクも曲名を未だに知らないがあれが一番のお気に入りだった。
そうしたメローで、メロディアスどこか哀愁のある曲調のものを、リーのため、ボクも24時間頭の中をさぐり見付けだそうとしたものだった。
はっ!と脳にひらめいたのは、森繁のというより、加藤登紀子さんの調子での《知床旅情》で、これを口笛で吹いて披露したのだった。
するとやにわに彼は閉じていた目を開けて高らかに笑ってこういった。
『やめろよ、なんだいそりゃモーツァルトじゃないか。なに?オリジナルのつもり?(爆笑)』
盗作という彼の制止に、『(待てよ…、)あ・ホントだ』とボクにもそのメロディには身体の奥深くに沈んでいた幼い頃に聴いた曲が思い浮かんだ。
盗作は恥ずかしい文化である。
そんなものがゴロゴロしている国がアジアには数々あるけれど、そんな連中は恥じたいを知らない野蛮人なのである。
ボクは赤面した。
確かに後日調べてみたら、それは《早春賦》という曲に酷似しており、さらに調べてみたら大正時代に日本の作曲家がオリジナルだといって発表し、小・中学校などで子供たちに唄わせた唱歌としても取り上げられた。それほどの”ヒットナンバー”だった。
ところがもっと歴史を遡れば、モーツァルトが《五月の歌》として自国の詩人の書いた詞に曲を付けたものだったそうだ。
そいつを大正デモクラシーの当時に、中田なんとかという作曲家が作詞もその早春の頃の自然がどうの…というフレーズまでをパクリまくって盗んだのが《早春賦》というシロモノだったと判明したのである。
そいつを森繁久弥ドノが、たしか昭和30年代に発表された東宝作品《地の果てに生きるもの》という邦画に主演した際に、当時はまだチベットだった北海道の知床や羅臼にロケをしている。
この際に、ここの自然にインスパイアされてこしらえたのが『森繁久弥作詞作曲の』《知床旅情》とされている。
この「パクリの3つながり」を天国から見下ろしてみるとこうなる。
モーツァルトの《五月の歌》という(マイナーな)名曲を、日本人なんてまだ知らないだろうと思った中田章が大正時代にパクって《早春賦》としてカッぱらう(笑)。
それでよせばいいものを森繁が(昔の文部省唱歌なのに)、戦争でみんな忘れちまっているだろうとナメてかかって(?)そいつを詞も曲も丸ごと無断で戴いちゃったという構造…なのか。
最近では加藤登紀子さんの歌う《知床旅情》も、「作詞・作曲=森繁久弥」と刻まれているけれど、ありゃりゃ…とボクは首をかしげてしまう。
そのリーさんへの”事件”当時が70年代。そこからしばらくの間、加藤さんバージョンでは《作曲:作者不詳》と少なくともなっていたはずなのである。
たしかについ最近に至るまで、スナックなどのカラオケで他人がこの曲を歌う際に、ボクは何度となくこの《作者不詳》というスーパー文字を画面上に眺めてきたし、すっかりそのつもりでいた。
そりゃあそうだろう、もし毒者諸兄が音符を描けるならば、この3曲は横一線で(笑)ある。
仮にも『偶然似てしまった』なんて言おうものなら、エンマさまが舌を根こそぎひっこ抜いて、タン塩にして食べてしまうほどだろう。(タレにもよるが)
これほどソックリなパクリ論争など文字通り、ちょっと耳にしたことがない。
おまけに詞だってドロボウが云い過ぎならば、少なくとも万引きだろうか(笑)。
「モーツァルト版」を源流にして、中田、森繁と、歌詞には共通する背景や季節的風景に天候までが、まるで長い絵巻物の始まりからゆっくりヒモ解いてゆくがごとく、順々に早い春を謳い、芽吹く自然に感謝してウキウキと淡い緑が躍動を開始する…希望あふるる様子が語られ、それがひとつの流れのように矛盾なくつながっているのだから、こちとら恥ずかしくて見ていられない。
加藤登紀子さんだってそりゃ良心的な人で知られているから、ある時期『作者不詳』としていたのは、大先輩森繁とはいえ、唄っていたってどこか釈然としないからだったのではなかろうか。
おまけに、パクっていながら原作権者を名乗る森繁久弥ドノ本人に、彼女が唄うたび、またレコードが売れるたびに版権料を支払っていかなきゃならないのだからシャクでたまらないだろう。
なのに、こうした文化の詐取は粛々と水面下だけに限定され、大衆の耳に問われることもなくズルい者だけが利益をすくい獲るのみ。
事ほど左様に、この話はおかしいアングルをはらんでいる。
なのに、今はどこを探しても《知床旅情》は、イコール「森繁のオリジナル曲」と刻まれ既成事実化してしまっているのだから、ボクはどう考えたってヘンだと思う。
鬼籍に入られたけれども、彼を《名優》と呼ぶのは何が根拠なのか、見出しを取り付けて送り出すマスコミのデスク諸氏らにあえて訊いてみたいのだ。
少なくともこの《知床旅情》の原作権者を僭称する権利を得たのであれば、そこからの版権料くらいは、せめて自ら主宰したとされる【歩みの箱】基金のほうへ向けられてナンボではないか。
喜劇王、故伴淳三郎さんが低福祉時代のニッポンで始められたこの財団を、”単なる会長職”に留まらず本当に『力を入れて』下さるおつもりならば、そのパクリ曲からの”不浄ばカネ”を、せめて全額寄付に回すなどの工夫をしてこそ、氏の晩節は美しく彩られたと思うと残念だ。
ともあれ、ベルトコンベアよろしく安易に故人を美化するばかりしか知らぬ、「おべんちゃら言論機関」などはいかがなものか(円楽さんは別である)。
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11月5日(木) / 市橋がこんな風に逃げていたら…
(^o^) まあまあ
それにしても、逃走している市橋容疑者の整形費用(を含めた資金を)って誰が払っているんだろうか。
ヘタに振込みなんてできないし、おそらく親族がどこかで接触して渡していると考えるのが最も合理的だ。
ここでも、野郎のヤサに捜索に出向きながら、ムザムザ逃走を許してしまった千葉県警が、「家族」という最重要監視対象に幾度となくスキを突かれてしまった重なる失策を想像させる。
かつての70年代、刑事警察ではなく「公安警察」といったちょっと一般では死ぬまでお目にかからない様なエリート人種による警察機構が裏でひんぱんに動いた時代。
なにしろ、ボクのような少年ジャーナリストでさえ、『某雑誌の過激派スクープを咥(くわ)えてきたガキ』とマークをされ内偵をしてくるほどに頭の先から爪の先まで、「国家に歯向かう者は容赦しない」というほど今の民主警察とはかけ離れた国士ばかりでズラリ構成された警察官らによって、いわゆる『70年代の嵐』を鎮圧してみせたのである。
それにしてもそうして《全身警察官》といったタイプの警官は消え、犯罪者たちは人権のカベに沿って、ひたすら逃げおおせているようにみえる。
あのデブ女結婚詐欺師に殺されたある被害者などは、殺人事件前に弁護士を通じて、カスめ獲られた7400万円を取り返そうとしている打合せのさなか殺されてしまっているなんて、さぞかし無念だろう。
ここでも《民事不介入》をタテに、『詐欺師の営業行為』には手を出したがらない捜査側の”人権意識”が悪い方に働いた典型的なケースである。
被疑者市橋の凶刃に倒れたイギリス人、リンジィ・アンホ―カーさんの両親はイギリスから市橋の親に宛てて、逃走をやめ素直に出頭するよう説得する手紙を送ったものの、それをあろうことかバカ親たちは「受け取り拒否」で送り返してきたと報じられている。
それでいて、陰で息子の逃走が今も続いているのは明確に「逃走ほう助」を覚悟の所業という確信犯なのか。
いずれにせよ市橋のほうも、もう美容整形外科での変装をトライするのも危険すぎて今後は諦めることだろう。
(抜歯のための予約をキャンセルしてくるなんて…、あの糸をプツンと切ってピンセットで糸を抜くんだぜ〜)
カネとのドッキングも難しくなってきたとしたら、残る変装術といったらただひとつ。かの水道橋博士が運転免許の書き換えで「お笑い免許証」を作るため(?)にやったという、
『眉毛をすっかり剃り、髪の毛の生え際を後頭部のほうまで剃りあげて、毛髪を眉毛の代わりにちょっと残しておく』という伝説の変装(笑)しか残されていないと思う。
たとえばこんな風に…
写真下:
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11月2日(月) / 見下げ果てた「美談の亭主」
(^o^) まあまあ
自分はかなり質の低い人間だと自認してきたが、世の中にはもっともっと程度の低い人間がいるものだ。
長門裕之というジイさんである。
ご存知のように、南田洋子さんという元女優さんを伴侶とし、先週ボケた彼女を亡くしたばかりのご仁である。
色々とヒトにはそれぞれの考えがある。
だけど、ボクにはこの男のしている事はとても理解できない。
長門という人は往年の名監督の御曹司である。
弟はあの津川雅彦という人物だ。
弟さんには弟さんで、かつて北海道の寒町をだました過去がある。
ロクに予算もなく夕張よりも先に破たんしているような町に、この有名人は『北欧の古い城を購入し解体、この地に移築してサンタクロースの城を作ろう』と提唱する。
兄弟そろって、コレといった代表作のないこの俳優は朝丘雪路さんと結婚して話題をまいたけれども、サイドビジネスで始めた玩具チェーンへのリンクを視野に入れて、この気の毒な町とのコラボを策したのは誰の目にも明らかだった。
旗振り役というか、プロデューサー(?)となって先頭に立ったため、町は本気になってなけなしの予算をここに投じたものの、何年経っても城の土台どころかいつの間にか立ち消えとなってしまう。
アテにしていた自治体や住民は「資金のショート」という事態を前に、ただ幻となっただけの予定地を前にぼう然とするだけだったと当時の週刊誌にも彼の不誠実は書き立てられている。
さらに今回は事業の失敗から借財をつくり、朝丘さんと住んできた家を手放すという騒動に見舞われたものの、そのさ中に彼は若い女性とのデート現場を撮られ、言い訳のしようのない体たらくを演じている。
ちなみに朝丘さんという人とボクは二度、過去に番組でご一緒しているが、なにしろ『駅で切符というものを買った事がない』『ラーメン屋さんに一人で入った事がない』というほどの、夢見る夢子さん。
こうしたスキャンダル報道のダブルプレーがあり、さらに親しんだ家を売却させられたうえマスコミへの対応も彼女一人…という姿を見て、ボクはああした人物がなんと気の毒なとハラハラしながら観ていたものだった。
長門サンというこの兄貴ドノは、かつて夫婦二人でCXの看板バラエティだった「ミュージックフェア」が、ようやく彼にとっての出世作(?)となり、これを固定視聴者が支えたため16年間もの「大作」となった。
これに気を良くして、「ナントカが『木に上って』しまった」長門サンがしでかしたのは、自称800人斬りとまで大きく出た、『洋子へ』という題の自伝の発売だった。
この内容は、デヴュー以来遊びまくった女優・女性タレントなどを実名で一方的にバラした『喰いまくり暴露本』で、これをあろうことか(たしか)銀婚式かなんかのアニバーサリィに出版(笑)。
ボクも当時、買ってしまったが、本人はどうやら『色々とこんなに遊んだ俺だが、やっぱり洋子が一番だ』という論旨だったらしい(笑)。
これに洋子さんは激怒。
それまで売ってきた「芸能界を代表するおしどり夫婦」という金看板が使えなくなったどころか、洋子さんが独り会見で、悔し涙を目に浮かべ、それでも気丈に亭主によってピロートークまで一方的にバラされた女優や歌手らへと平身低頭で誤りまくる姿は悲愴だった。
以後約二十年経った最近のアルツハイマー介護(?)劇が始まるまで、その「…のおしどり夫婦」というキャッチフレーズは使われてこなかったのである。
冒頭のボクはどうしても許せないのは、どうしてそうした症状の愛妻を表に出してさらし者にするのか。
マスコミの情報戦略を分析する目で冷たく観察してみる。
テレ朝のこの春の改編に当たり、午後7時台にはじまった『報道発ドキュメンタリ宣言』で、南田洋子さんという病人を軸にして、そこに絡まって涙を誘う役柄として長門裕之がこれを演ずる。
これに歩調を合わせて主婦と生活社から《待ってくれ洋子》という単行本が出版され、全国紙や週刊誌各氏への広告出稿で、「テレ朝のゴールデン枠」の大反響、そしてベストセラー化、女性週刊誌は美談としてこれを報じ、テレ朝のワイドショウを筆頭に、昼&夕方とニュース的切り口でもこの二人の姿を、『永遠の夫婦愛が心揺さぶる』(実際の単行本広告コピーから)と思いっ切り売りまくったのである。
これを指してボクは《まれにみる冷酷なメディアミックス》と呼びたい。
万が一このブームが偶然だとしても、氏には「なぜああした姿をカメラに撮らせるのか」と怒鳴りつけたい。
さらに洋子さんが亡くなるまでの間を利用して、今度はその看病記をTBSにも撮らせて、ゴールデン枠での《南田洋子さらし者ドキュメント》をまたぞろ作らせるのである。
そして死、さらに通夜・葬儀での愛に生きた長門裕之を強調して大団円を迎えるのである。
カメラの前でポーズを付けたり、おかしな言葉を云い始めたりする瞬間を、局のスタッフや時には自分で据えたのだろう三脚からのフィックスで二人の愛の交歓(?)を記録し、レンズに見詰めさせるのである。
「撮る側」「撮られる側」、この二者の関係が少しでも思いやれるものならシロウトでも、この病人と介護者の映像には演出やらセッティングがある不自然さを見破ることだろう。
告別式で長門サンは、多くを泣かせてみせる。
だけどボクの目には、『(セリフは「自家製」かい?それとも作家製?、リハーサルやったんだろうなあ)』としか映らない。
そしてやっぱり…、今日はテレ朝で『ドキュメント宣言』での「完結編」を放映し、4年間の介護(?)の仕上げとして締めくるるのである。
それも数日前から各番組内で予告編を流しまくったうえでのフィニッシュであった。
こうした男と沿うことになった女性は不幸である、ボクの道徳観ではそう思う。
この死去で洋子さんは解放されたのだと思いボクはある意味ほっとした。
カメラに撮らせることで、認知症が快復するという治療法でもあるのなら話は別だ。
こうした云いがかりに気付いて腹を立てる事もできよう。
だが、”ボクが洋子さんの親族”であったなら、長門サンのアゴを即座に割ってやりたいところである。
聞くところによれば、どうやら彼の事業が失敗して以降、あまりラクな暮らし向きではないらしい。
だけれども、こうした『アルツハイマー効果』で得た収入につき、
「その全額を認知症患者をかかえる」高齢生活保護家庭への寄付に…とでも申し出ないかぎり、世間の透明な目をした人々からは、死ぬまでこの濁った老人は蔑まれて、生涯を終えるのだろう。
アルツハイマーとはいえ、生前の洋子さんは他のお手伝いさんや撮影スタッフにはにこやかに振舞うものの、カメラの回っている前で、この亭主だけはがチラリとレンズを横眼で確認しつつ、洋子さんの頬に無理やりキスをして『幸福そうな2ショット』を収めさせようとする…。
すると洋子さんの表情は、鬼のような形相に一変。
『キスをするな、大嫌いなのっ!』と抵抗する姿が幾度となく残されそれがOAされている。
それを指して番組の流れは
『ここまで洋子さんの病状は悪化している』と説明する。
だが、ボクにはどうしてもこの洋子さん、この時ばかりだけは見事にヒトの真心が判断できている様に思えてならないのである。
なにはともあれ、今は名女優、そして長門家のボケた両親を二人とも看護してし抜いたという、「最高の嫁」としての南田洋子さんの、冥土における新たで安らかな至福があらんことをお祈りするばかりである。
この人には「ご冥福を祈る」なんていう当たり前の社交辞令だけは気の毒のように思えてならない。
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11月1日(日) 捜索する者される者
(^o^) まあまあ
関口宏さん司会(というより、同氏経営のプロダクション=「三桂」)のTBSサンデーモーニングを毎週観ないとなにか気が済まない。
スポーツの張本さんに大沢親分、例の「あっぱれ」と「喝!」のキレ。
それに大好きな寺島実郎さんはじめ、涌井さんや政治・経済問題のパネラー諸氏にくわえて、各ジャンルの女性キャスター諸嬢。
彼ら彼女らはいずれもその関口さんの事務所で、公園や出演のブッキング提携や、専属のナレーター。
(スポーツのお二人や寺島さんは別か)
そうした”一家意識”もあってか、とてもバランスの良いスムースな流れがまとまり良く、日曜の朝という特殊な時間に向いているため、TBS全番組でも最近はトップ3に入る視聴率で看板番組となっている。
例外的に、同じ慶応大学経済学部という畑での近親憎悪なのか、金子勝教授の反竹中平蔵元教授への情緒的な最初に批判ありき…といった、お約束となった構造改革批判からもう脱却して欲しい。
経済学であれだけの大学を担うのであれば、現在までのような『結果論』ばかりでなく、『具体的な方向性』をこの方から啓示を授かってみたいという視聴者はボクだけではなかろう。
もう民主党の時代なのだから…。
そういえば、鳩山政権誕生の陰で、上記寺島さんの民間人入閣も候補に上ったそうだが、こうした是々非々の人材は内閣にガタが出てきた場合、内閣続投のためかならずテコ入れに必要となるだろうから、今のうちに、将来の《寺島経企庁長官》あたりを予想しておこうか。
それにしてもきょうの放映では江川紹子さんの言葉に感動した。もしかして彼女では初めてかもしれない(笑)。
いわく、八丈島沖まで金目ダイを取りにわざわざ九州からやって来て大波で転覆、3名が行方不明一名死亡となったものの、4日後も経ってから奇跡的に船体内から救助された3人の家族との対面。そして救助に当たった海保の特救隊レスキュー6名による面々の記者会見を受けてのコメントだった。
『救助に当たった若い隊員たちの、ごく自然な身を挺して助けてやらなければと爽やかに淡々とした調子で語った様子に私は涙が出ました。』
『いまどきの日本にだってこうした若い人たちがいるんだという事に私は拍手を贈りたい。』
『最近、遭難だ事故だというといちいちこうした人たちが命を引き換えにして救助に当たってくれているという事に私たちはもっと感謝しなければいけないんです。』
ボクが警視庁のSITの面々と酒を呑むと、かならず(独りだけだが)国民の側から、命を張って他人のために名も知らせず黙々と犠牲的精神を以って出動してくれる彼らの役目には、どうしても黙って呑み続けられない。
ボクだけでなく、こうした人々への感謝の言葉をもっと国民から聞きたい…と、申し上げるうち10回に9回はウルウルきてしまう(のが情けないなあ)。
だから、こうした漁船事故はともかく、最近ブームとなっている中高年齢者による山での遭難事故を聞くと腹が立ってたまらないのである。
大学付属中学の時分から、山岳部にボクは入り、OB大学生から容赦のないしごき(=死語)を受けてきた。そんな暗い趣味に走ったのも、勧誘ハイキングというものについ参加してしまい、そこでソフトで親切な先輩諸氏がこしらえてくれたカレーライスの味が、谷川の水で作ったコーヒーが死ぬほど美味く、同級生らと誘い合わせて入部した。
多くは語らないが、入部してボクらが『「大学山岳部ピラミッド構造」の最底辺』となった途端に、かの紳士たちとしか思えなかった高校、大学の先輩全員の目尻はそれ以降、ただの一度もやわらかく下がった事はなかった(トホホ)。鋼鉄のような登山靴で背中を蹴られ、ピッケルのシャフトが硬いのもボクの神経が憶えさせられてきた。
そんな動機はともかく、先輩たちがそこまで厳格だったのはひとえに
『山は恐ろしい』という絶対的な教訓を我々にも共有化させようと、遠回りせずに教え込んだからなのだろう(笑)。
その頃、夏山合宿で北アルプス西穂高の尾根を縦走する際に、夏休み中とあって尾根を歩むパーティの行列となった際。
青空が一転、厚く低い雲が下界から立ち上ってきた。
先輩が『金属製の物をすべて身から離して、岩陰に伏せていろッ』と怒鳴り、尾根から我々のパーティは登山道を外れて、大きな岩の陰に寝転んでどれくらいの時が流れたか、ワケのわからない指示に首をかしげているボクの耳にガリガリガリッドッカーァンっと、文字では表現できないほどの大爆音が尾根の上の方で爆発した。
落雷だった、カミナリが尾根に沿って低い方から高い方へと舐める様に這い上がったのである。
”青天の霹靂”と表現される現象だったが、言語の無力さをつくづく感じる破壊力であった。
尾根の稜線(「馬の背中状」になっている部分)上で伏せている先行パーティで悲劇は起こった。
なんと11名が一瞬で雷に直撃されて亡くなったのである。
先の「下から這い上がってきた濃い灰色の雲」こそ、局地的に発生した雷雲だったのである。
これがなんと、11名全員が我々と年齢の変わらぬ松本深志高校山岳部の高校生部員たちであった。
我々よりもずっと頂上に近い地点での現場だったため、直近の山岳会や社会人ら複数のパーティが救助作業にあたって、我々高校生(+大学生と中学三年生数人、)は手伝うといっても、人数よりも現場の問題は「足場の悪さ」だった。
全体で生存している計30名ほどが背負われたりしながら下山してゆく姿を、できる事があればすぐにやるという距離感で、我々は彼らをサポートしながら、消防団や警察の救助隊と入れ替わるようにベースキャンプへの退避を急いだ。
その日は眠りに就くまで、部員全員がなにかアゴがガクガクしてロクに話をする事も出来ず、目覚めるとラジオからの情報で『高校生11名が死んだ』との話を耳にして涙が止まらなかったのを思い出す。
雷撃で、着ている服(帽子さえ)は破れ、デカい「キスリング(大型のリュック)」もバッサリ切り裂いて電流はアースへの直進を求めたのである。その11名はほぼ即死状態だった。
感電は内蔵を電流が通過するだけだが、同じ感電でも雷撃となると、内臓を引き裂き破裂させてゆくのである。
先輩の話では、リーダーのピッケルからわずかに《ジリジリ・・・》と、金属部分から(雷雲から放たれる電流で)帯電の兆候があったため、稜線からただちに退避すべきとのまさに英断に助けられた。
ともあれ、ボクらは登山を計画したら、まず天候そして万が一に備えた装備に食糧である。
NHK第二ラジオの「気象情報」を聴きながら、丹念に天気図を作ったし、またテレビや新聞の天気図を見て簡単な天気予報は全員ができたし、またできない様な者は山を目指してはならない。
そうした者が安易に山を目指すから遭難を招くのである。
真夏の山だって、雨に濡れたら山では死ぬのである。
立派な《凍死》のいっちょ上がり、ここは高地であって平地ではないのである。
助かっても、手や足の指が壊死する事があるため切断しなくてはならないという現実をしらなすぎる。
「どうせ助けがくる」
「どうせケータイで助け求めりゃヘリでやって来るはず」
こんな気持ちでいるから、上記のような山の恐ろしさを知らないまま、バカは山を目指し、救助に向かった若者たちに生死の選択強いているテメエらの自分勝手に気付かないのである。
これからは、予報とは裏腹に山では突然雪が降るものだ。
どうか、それでも山に入るなら《捜索不要》と一筆遺書を残しておいてくれ。
そんなわがままで将来ある、家族もある救助のプロたちを無駄に散らすような事を慎んでほしい。
冬山遭難のニュース映像などで、雪が降りゆく夜空をついて救助隊が山に捜索に入る姿を見るたび、ボクは毎回思う。それが酸いも甘いも十分知っているはずの中高年となると腹が立ってたまらない。
『世の中に大事なのはこうして捜しに行くほうの人材であって、「捜して貰うほうの生命」じゃあないのにな』と、冷ややかな受け止め方をしている。
かかる人々よ、せめて山に行くときはこうして書き残しておいて欲しい
『遭難しても、来春雪解けの後でいいですから』
これこそが「道徳」だと思うのだが。
江川さんありがとう。さすがは唯一《オウム裁判》を毎回欠席せず、傍聴に通い続けるジャーナリストだけのことはある。
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