【2009年7月】

7月30日(木)  ”あの日食”を隠したのはあなた  (^o^) まあまあ
 いまから1週間前になるのか、「22日水曜日」に皆既日食があった。

 心配していた事があったけれど、色々な意味で「ああ、やっぱり」とがっかりしながら、「それでよかったんだ」と半ば『ザマーミロ』みたいな感情も混じりつつ、この現代ニッポンにおける良識のあり方にはまたガッカリさせられた。

 あの悪石島である。
 あの島のすぐ先で起きた悲劇をなんにも考える声もなく、悪天候でヤレ「日食が見えた」とか「一瞬見えた」とか、たったそれだけのリアクションばかりが報じられた。
 それでよかったのだ…と、ボクは胸をなでおろしている。

 この日食が、7月22日の出来事なら、真の悲劇は一ヶ月後の8月22日、1944年に起きた。

 この島から『対馬丸』という、非武装の船が本土を目指して航行中のことだった。
 貨物船でしかない速力のこの船が、まさにここの島影から外側に出たとたん、わずかに船内から漏れていた灯かりを捕捉され、潜望鏡からこれに狙いをつけたアメリカ軍潜水艦ボウフィン号から一発必中の魚雷が発射された。

 潜水艦の宿命というものは、潜望鏡から艦船を捕捉したら、それが敵か味方か、発射スイッチに「指をかけながら」その判断をするのだという。
 相手側にこちらを捕捉されたらひとたまりもない。水中速力がきわめて遅い潜水艦など、反転されて爆雷などの攻撃を開始されたら、ひとたまりもなく、海底のモクズとなる宿命からだ。

 この『対馬丸』には、総員1788名が乗り込んでおり、そのほとんどが幼い小中学生、そして沖縄県の付き添い教師数名だったのである。
 潜望鏡をのぞいた結果、午後10時過ぎ運命の発射スイッチを押させたのは、ただ単純に『友軍の艦船ではないから』という判断だった。

 その結果無防備の輸送船はたった15分で海底に没し、その沈む勢いで発生した暗黒の渦巻きに子供たちは吸い込まれてゆく結果となった。
 他の僚船の3隻も、一部は軽い武装をしていながら突如襲った姿を見せぬ魚雷攻撃に逃げまどう方が先で、救助活動もままならず、電気を点ければ標的にされるだけ…と、じつに1418名もの命が一瞬にして、」まっ暗な海にのみ込まれていったのである。

 そのうち、児童だけで826名が遭難。なんと767名が水死(または不明)。わずかに59名が死を免れたのは奇跡というほかはない。

 ボクは繰り返して言うけれども、こうした日食活動を報じていながらちっとも『対馬丸』について触れないニッポンに対し、アメリカ軍はこの”蛮行”について、いつまでも戦史の中で”救助に当たるべきだった”と自己批判をまず前提にして、これを繰り返さないために…として、公開展示には金もヒトもかけている。

 この戦争という狂気がそうさせた『負の戦果』というものを、真珠湾の観光施設にはじまり、子供たちへの教育プログラムの中にもしっかりと『対馬丸の悲劇』について一歩も逃げることなく拭える事の出来ない宿命のように、後世へと語りかけることをやめようとしない。
 恨めばよいというものではない。それに対し当の日本人の側が、悪石島に大量に”耳目”がドヤドヤやって来ているというのに、なぜ振り返る事さえできないのか。
 アメリカ人と日本人、この体温の高低差がボクは悔しくてならないのである。

 亡くなられた767人の幼い子らをはじめ計1418名の霊が、ほんの北西10キロ先の海底71メートルに、今も引き揚げられることなく対馬丸の船体とともに眠っているのである。
 引き上げたくて仕方がないのjはボクも同じだけれども、「戦艦大和」のそれよりも、「対馬丸」の引き揚げをこそ最優先としてやるべきだと思うのはボクだけだろうか。

 それにしてもこれだけ多くの沖縄県の子女らが乗り込んでいたのも、また悲劇的な理由からだった。
 『沖縄のウチナンチューが差別されてきた歴史をここでぬぐい去る意味もあって、いままさにヤマトンチュー(日本人)と肩を並べられる未来のため、皇国への忠誠を尽くす意味でも「本土への米軍上陸」を避けるためにわが命をもって捨て石となる覚悟』で沖縄県知事以下の県民は意を決していた。

 先月の7月には強力な日本帝国海軍の要衝であったサイパン・テニアン島などが、陥落。庭の踏み石のように南方諸島の戦線が、米軍の反撃によって次々と陥落してきた。
 遠かった戦争が、いよいよ島づたいに、米軍本体が徐々に北上してくるという危険が身に迫っていた。

 そのため、いよいよ沖縄本島を『不沈艦』と化して本土上陸阻止への最後の防衛線とする決意のかたわら、その前に、「せめてこの子らの命だけでも…」と、本土へと疎開をさせわが子に”新生沖縄への夢”を託して『対馬丸』の那覇からの出港を父兄らは見送ったばかり、その直後の悲劇だったのである。

 そのサイパンでの玉砕には軍人だけでなく、あの有名な民間人が崖から絶海に万歳を叫びながら身を投げて自殺し、米軍の捕虜とならなかった死にざまを、軍部や行政はこれを『彼らに学び、彼らに続け』とばかり、日本国民のあるべき美徳として大宣伝をしているまさにその最中の『死の疎開劇』だったわけで、こうした自殺を自己目的化したような情報操作がなかったら、この悲劇は避けられた可能性さえある。

 『自分は死んでも子供だけは…』
 それが戦争という狂気のため、こうして皮肉にも、この子らのほうがひと足先に「捨て石」になってしまったのだから、言葉を失う。

 この対馬丸の悲劇について、ボクはわが子や彼のクラスメイトらを引率してハワイに行った今3月に、当『・・・日記』でも触れたように、このボウフィン号の展示を目のあたりにして口をついて出たのがこの『悪石島』という島の名前だった。

 今年の初めから、繰り返しこの天体の大イベントについてたびたび報じられるたび、この『悪石島』の名が取り上げられてきたものの、一向に『対馬丸事件』についてまで触れておこうといった良心がどこにも見られない現実にがっかりしていた。
 どうしてこれを「好機」ととらえ、どうして『その悪石島といえば今から65年前に…』と始めて、平和への恒久的願いにまで持って行ったって誰も文句は言うまい。
 現代の今だってどっこい『戦争のネタ』はいくらでも転がっているではないか。
 何万遍、語ったところで腐ってしまう話ではないはずだ。

 そのため、その悔しさもあったのだろうか、ボクも3月にこの潜水艦の実物を前にしたら思わず胸が詰まって、息子らへの説明にも言いよどむ瞬間が出てしまったものだった。 

 ボクが内心で心配していたのは、この島に上陸する天体マニアがドッと押し寄せるだろう。
 そして「こうした過去」についてあらためて触れるような意見など彼らが語ったところで、取材側にしてみればどうせカットの対象となるだろう。

 また「日食が素晴らしかった」らそれはそれで、単に『悪石島=日食ワ〜イすごかった…』一色に染まるだけで、また「対馬丸」など話題のかけらにものぼらず、もしかすると永久に片付けられてしまうのでは…とも心配していた。

 鹿児島からわずか4・5日船で皆既日食を見物に行っただけで、35万も取られるなどという、まさに『金とおヒマがある』方々の道楽者が日本全国からここに集まった。
 いったい彼らに何が望めようか。

 漫画の「サザエさん」ではないが、この不景気日本にあって『よりぬきおバカさん』ばかり、よくぞ集まったものである。
 このところ、ボクなど酒をあおっては
 『もし当日雨だったりしたらどうすんだろ』と、こうした”自爆的なギャンブラー”たちの旅姿を前に、冷ややかに嗤うばかりだった。

 マスコミのカメラやマイクは徹底的に「日食のご感想」だけを拾いまくっては何日間もタレ流すにきまっている。『悪石島が晴れたら』こればっかりで、どうにもボクはたまらなくなるだろうと、了見が至極せまいボクは、むしろボク自身が心配だったのである。
 
 ボクはひそかに祈っていた。ヒト様の不幸など祈った事はないけれど
 『(どうか「日食サン」、悪石島だけは曇ってほしい)』…と(笑)。
 
 結果はご覧のとおりである。
 土砂降り天気の合い間に、島の空がちょっと暗くなっただけ…わ〜い(笑)
 
 晴れちゃって、こいつらが『悪石島サイコー!』なんて、バンザイ三唱でもされたりなんかしたら、ボクは立ち上がれなかったと思う。あ〜よかった。お酒がウマい。

 本来、悪石島には80人に満たない住人しかいない。
 そこへ400人弱が上陸したそうである。

 昭和19年8月『対馬丸撃沈』…の後に、海に没した子供らの亡き骸の引き揚げと流れ着いた遺体の収容に、島民は大わらわとなったのはいうまでもない。
 昼間だったら「すぐそこ…」に見える沿岸の先っぽで沈められたのだから。(しかしこの海域の海流は早く、しかも水深は深い。そのため多くは収容されぬまま海底に消えたのである)
 
 この子らが亡くなってからちょうど1年後のことだった。

 人口約55万人あった沖縄県は、30万人台にまで激減してしまった。
 計算は簡単だ。
 この子らの家族、なんと12万人の沖縄県民間人(県民軍人戦死者は含まない)が『本土防衛沖縄決戦』で命を落としたとされているからである。

 それまでウチナンチューが本土のために身を捨ててくれていながら、我々ヤマトンチューは、この哀しき沖縄の島自体だって、「”我が国として”奪い返す」のにじつに27年もかかってしまうなど、猛烈にボクは恥ずかしい事だと思っている。

 どういうわけか、そうした沖縄の人々の死を捉えてクソのような馬鹿どもがいる。
 『自ら死への戦いに立った』として、”日本軍は彼らの死に責任はない”といった居直り方を、小林よしのりやら櫻井よしこ、タモガミ”裸の大将”あたりのお幸せな方々は、ニッポン政府の責任逃れを代弁してやまない。彼らに共通しているのは、いつの世でも変わらない「ヤマトンチューとしての『上から目線』」で語る立ち位置のカン違いである。

 『サイパン玉砕で、捕虜となるのを拒み、兵士とともに自決したのは、民間人にとってあるべき誇れる姿』との報道をお題目のようにすり込まれ、さらに沖縄周辺海域ぐるり何重にも封鎖された1945年8月。
 武器弾薬はおろか水・食料まで枯渇し兵糧攻め状態だというのに、どうして県民女子高校生のにわか看護婦までが手りゅう弾を胸に抱いて自決しているのだろうか。

 沖縄県の田や畑には「日本陸軍制式の手りゅう弾」が、そこらじゅうに生えていたとでも言うのか。
 それを上記のキチガイどもは、
 『自決に日本軍は関与していない』などと毎日たわ言を抜かすことを『ダシもの』にして、確実にご商売なさってらっしゃる。
 だったら、姫ゆり部隊の16・7歳の女子が日本兵を襲撃して手りゅう弾を奪って自決したとでも言いくるめるのか。
 それに、菓子の空き缶に火薬を詰めてそれを棒にくくりつけて米軍戦車のキャタピラを吹き飛ばし停止させるべく、我が身とともに飛び込んで、絶望的な突撃をした男子高校生らも日本陸軍兵士から、そうした虎の子の火薬を盗んで自決に使ったとでもいうのだろうか。

 いったいどんな口が云えるのか。また、何のために…。

 お天道様が悪石島での日食見物を実力阻止してくれたおかげ(笑)で、
 『せっかくここまでやってきたのに残念』などと、悪石島観光客からの泣きごとなど耳にすると
 『だれが来てくれって言ったんだよバ〜カ。バチがあたったんだザマぁ見やがれ』などと、ボクのテンションは上がり放題。
 『うれしいこと言ってくれんねぇー』などとかえってジ〜ンとしてきちゃうぜ(笑)、ついもう一杯。

 ここ悪石島の船着き場に上がると、対馬丸の「慰霊碑」が目に入る位置にあるそうだ。
 その石碑の周囲は、いつでもいつの間にか清掃が行き届いているのだという。

 この小さな島には全島あわせても10人しか小中学生がいない。
 その彼らが「その碑の清掃をつとめる係」というきまりを長年にわたって守り、1963年の建立以来、清掃を欠かさないできているからなのである。

 ここの「日食」にやってきたヤマトンチュー400名からたった一人でも、この碑に気付き、果たしてハマユウの一輪でもささげてくれていたとしたら、ボクは思いっきり感謝して感動までしたことだろう。
 悪石島という、その平和の聖地でのお愉しみを前にして、だれか一瞬でも両方の手を合わせてくれていたのだろうか。
 
 押しかけて尻馬に乗ったマスコミにも、せめてそうした心ある姿をひとりでも写して流そうという熱意はなかったのか。カメラを碑に向けそっと据えて、これこそ『定点観測』してくれても、バチは当たらなかっただろうと思う。そうした”雑感”的センスというものが映像・活字メディアには欠けていると思う。
 それだけでも一本のドキュメントものが完成するはずなのに。

 恥ずべきヤマトンチューの一人として、あらためてこの1418名の御霊に首を垂れるばかりである。

下写真:撃沈される前の「対馬丸」。
ご覧のとおり『丸腰』である。(米海軍資料より)

7月29日(水)  「観る者」のテイドを問われる番組  (^o^) まあまあ
 しかし、色々なネタを制作プロダクションを持ち込むものだなあと感心する。

 最近ボク自身はは飽きたのだけれど(失礼)、良いほうの例が日テレ『はじめてのお使い』だ。
 テスト的に率を観ながら始めたらしいのが、この火曜日夜CXの『お客様は王様かよっ!?』はおもしろかった。

 前者などは、こちらもハラハラしながら親のトンでもないお使いをこなす、いたいけな幼児に、毎回毎回もう涙涙である(だからツカれちゃったのである 笑)。
 自分がもし、この親たちという役回りになったとしたら、こんなのを「撮影だから…」と、局のスタッフらに進行を身を任せたら最後、もうドキドキハラハラのし通しだろうし、無事に子供らが戻ってきた時なんていったら抱きしめての号泣だろう(バカだからです 笑)。
 たしかにこのコンテンツなら、ゴールデン時間枠で行ける内容、それにいつまでもスポンサーは大歓迎で付いてくれるはずだし、事故でもないかぎり今後もドル箱企画であり続けるに違いない。

 後者なども『…お使い』同様、制作費はかからないし、スポンサーも付きやすい企画だろう。
 内容は、あちこちの『苦情処理係』から取材した実例を再現Vと、実際の企業では主に客から寄せられたクレームを実際にカメラを隠して現場に持ち込み、企業の側がそれをどうやって修正してゆくかというなかなか見ごたえがあるコンテンツだった。

 協力した「某居酒屋」と「某ラーメン」のチェーン店は一度は素っ裸になって欠点さらしてしまうものの、それを企業ぐるみで取り組み克服してゆくプロセスを見せられるわけだから、取材させる側も大協力的にもなろう。多少は身内の『態度が悪い店員』も『誤った接客ぶり』を「目伏せナシの顔出し」で、全国区で一旦はさらし者になったって結果良ければみなオッケー。

 「客」としてのボクら視聴者にとっても非常に参考になった。

 それにしても不思議なのはTXである。
 @「愛の貧乏脱出大作戦」
 A「ご家庭の常識 お宅の常識ヘン それともフツー?」

 どうしてこの二つが打ち切りになったのはボクには理解できない。

 @のほうは、みのもんたさんがピンMCとして売り出し中の頃。
 とにかくだらしない接客業中心の依頼人(=経営者)の家族の間にまでカメラ持ち込み、そのダメさをまず露呈させるところから始まる。
 そこへ局のチカラで専門家や、成功繁盛店のカリスマ経営者に着手を要請し、みのさんと一緒に怒鳴りつけさせる。
 ここで我々視聴者各位も、まるで『犬屋のイヌ』同様に「そうだそうだ、こんなナマケ者もっと言ってやれ」と、付和雷同モードで吠えさせ噛みつかせるのである。

 そして、再出発の朝、ボクらも緊張の新装開店を迎え、果たせるかな夢にまで見た大繁盛に行列状態。閉店でレジを〆て、カリスマ氏も見守るなか売り上げ発表。

 感動する一家、そして駆けつけ(させ)たコワモテだったはずのカリスマ氏と涙で抱き合うと、ボクの一家もたまらず…オ〜イオイ。

 これが打ち切りになった際には、思わずTXのわが秘密工作員に文句を言った。
 すると、カレは
 『ああ見えて、最近ではシロウトが馴れられてきちゃったらしく、「顔出ししたくないけど、店を改造してくれるなら」とか、「倒産寸前で出たいのはヤマヤマなんだけど、女房が出るとキマリが悪いって出たがらないんで」とか色々と。ヘタすれば途中まで取材させて進行しているというのに、これ以上やったら訴える…なんてモードに転換しやむなく撤退したネタもあったとか。』
 『つまり「ビンボーぶり」をストレートに出しにくくなっちゃったんですよ。それと、スタジオでのみのさんの拘束時間が長いんで、また新規契約のギャラも負担になって来ちゃったっていうのがやむなく打ち切りの原因ですね。』だった。

 Aについては、各家庭にあるちょっとした”習慣”というか”家庭別風習”みたいなものを家の外に出してみたら、その長年の我が家のならわしが、意外と一般的にはヘン…だったりしているのに気付かないゲストタレント本人と、それを必死に「ヘンだ」と常識を振りかざすパネラー。『どうしてそれがヘンなのか』といって喰い下がる”素”になったゲストと、いい事づくめ。
 そして、その同じ風習をあなたの家庭ではしていますか?という同じ質問を、今度は全国の1000人にアンケートを出して尋ねてしまうという強力な決定打まで用意しているところが念が云っている番組だった。

 感心したのは、その面倒くさいデータ収集やらトータライズも、その道のネット業者を社名出しでタイアップとして(?)金もかからないはずだった。

 これなら回数重ねたって、絶好のネタがあちこち(の家庭)から実に簡単に集まりそうなものだと思う。
 おかしいのはふだんは取り澄ましたようなキャラのタレントさんも、生まれた時から迷いもなく生活を続けているに定着した生活パターンを、スタジオのゲスト諸氏が『ちょっとヘン』と決めつけると取り澄まし…が一転し、みた事もない様子で取り乱しての大反論繰り広げたり。

 作家の想定する程度での姑息な人工的構成や、台本さえもいらないほどの”素のやり取り”には腹を抱えて笑えたものだった。

 そういった、バラエティ番組としたらめったにない名切り口だと思うのに、あえなく(率も悪くなかった)打ち切りとなってしまっている。スポンサーが…というより広告代理店氏らの眼力が問われるところだと思う。

 で…冒頭に戻って、
『色々なネタを局に持ち込み者だと感心しながら』も、『よくぞこんなものを局は番組にしやがったものだ』という最近の例の最たるもの、それは『ザ・追跡』というシロモノである。

 ボクはこの番組を制作した外注さんや放映した局、さらにここに出ているタレント諸兄は忘れない。
 そして軽蔑し尽くす。そりゃああちらだって《鑑定パフォーマンス》など軽んじているかもしれないが、ボクは平気で視聴者を騙している企画といった点で、この輩一同を思いっきり軽蔑している。

 内容はご存じないかもしれないが、「東京お台場」やら「都内の盛り場」でタレントらを(早朝など人気のない時間帯に)集めておき、一斉に「大規模なかくれんぼ」をするもの。
 一定の時間逃げおおせれば大きな賞金獲得となる運びだ。

 画面を眺めているかぎりでは、タレントが知恵を絞りあちこち趣向を凝らした場所に隠れて追っ手(=オニ)らの様子を飛び出す機会をうかがう様子がいかにもスリリングだといわせたいらしい。
 オニ役は映画『マトリックス』のネオを思わせる黒スーツの黒メガネの無名タレント集団。無表情だが追いかける足だけは早い「追っ手軍団」の不気味なキョロキョロぶり。絵ヅラだけ観れば思わず画面に寄ってしまう迫力感がある。

 だが待てよ。ここで視聴者諸兄には「我にかえって」欲しいのである。

 この画面は間違いなくカメラで撮っているわけである。
 これを撮る役のカメラマンは、かつては肩に担ぐイケガミ製の(800万もする)カメラを担いで、逃げるタレントや追っ手を映像におさえていたのが、最近ともなるとデジタル映像でも片手に収まってしまうほどのコンパクトなカメラを、各放送局は駆使するようになった。
 だから機動力は雲泥の差である。

 イケガミでは無理だった全力疾走での併走シーンも、時にはタレントを追い越してしまうほどだ(笑)。
 だが、絶対におかしい、ヘンだ。ボクらはダマされている…と思って欲しい。

 我々が子供の頃にかくれんぼをしている連中に、嫌がらせをした事はないだろうか(笑)。
 つまり、『隠れている奴に、「XXちゃん、何してるの?」とか、鬼に見えてしまうのに、隠れている場所近辺をウロウロして、そーゆー事をわざわざ言う嫌われ者』のごとく、妨害したりされたりしたことはないだろうか(笑)。つまりアレである。
 カメラマンは逃げる者(姿を隠している者)からすればソレなのである(笑)。

 『ザ・追跡』という番組のウソのキモはここにある。
 いくらカメラが機動力を増したといっても、カメラは据え置きではない。

 それを片手にして、時には物陰に身を隠してあたりをうかがう様子の、タレント氏のいかにもコワそうにしている表情を、しっかりレンズは”正面から”(笑)それをおさえている…のである。

 つまり要は、カメラの大小ではなく、それを『撮っている人間』が『ひとり確実に』くっ付いている…という『撮影風景』を、視聴者諸兄はすっかり欠落させて、オニに発見されまいかとハラハラしているのである。

 スイマセ〜ン、いっくら隠れたつもりでも、カメラさんにそんなことされちゃったら、人っ子ひとりいない都会の街では、丸っきりバレバレではないの?(笑)
 ボクだけでなくマジに逃げ隠れする者ならば、カメラマンにこう叫ぶことだろう。
 『テメ、お前がそこにいたらよ〜、オニにめっかっちゃうだろ!どっか行けってば』って。

 どうしてこうした30年以上も昔の『川口浩 決死の探検隊』みたいな、ちょっと考えればキチガイにもバレちゃうようなウソを、サモサモもらしく厚化粧をしつらえてゴールデン枠を使って視聴者に提供できるのだろう。

 制作側だけでなく、出演のタレント側にしたって、そうした「カメラに向かって作る表情」なんて、視聴者を馬鹿にしたベースを下地にしたもの…でなくてはできないはずだ。

 そこにあるのは『テレビ見てる奴らなんかにワカるもんか…』そうした蔑視しかない。それだからこそできる、もっともらしいイカニモ演技ではないか。
 名前こそ出さないものの、出ている者のどいつもこいつも、なるほどたしか出演機会欲しさの瀬戸際タレントばっかりだ。
 よく見て憶えておこう、これぞひたすら憐れというほかはないテアイなのである。

 他にもタレントさんの、収録日に合わせたスケジュール抑えるのでも手こずるほどの売れっ子さん(だというのに)を、『XXが1週間無人島で獲った獲物しか食べられない指令に挑戦』などとといったトンデモ企画を平然と実現できる(笑)、テレ朝の『黄金伝説』。

 こちとら地デジなどというシロモノを、無理やりでっち上げなくても結構だと思っている。
 それよりもまず先に、こんな”原始人ダマシ”のような番組企画を白眼視できる審美眼を持ち、はっきりと選別してゆくことのほうが、よほどテレビ文化への貢献になるような気がするのだが。

7月23日(木) / 悪いやつらがウジャウジャ  (^o^) まあまあ
 昨日、じつはあまりにあっさりと公判が終了したので、他の公判廷を覗いてみた。

 もと貴ノ花と花田景子さんが原告の裁判は、ものすごく速く終わったようなので、どうやら出廷なしの書面交換だけで終わったのか。

 そのうち触れるけど、惜しかったのがこの法廷、仕事サボッても見物したかったなあ。
 この下写真の『13時開廷』のやつ、いったいどんな極悪人なんだろう。

 この起訴されたズラリを眺めて「解読」想像してみるに、きっとこいつは

『ある日、一発シャブキメたらやたらと元気がみなぎってきちゃって、金貸したまま頬っカムリしている奴んちへよ〜、包丁持って押し掛けて行ったら抵抗しやがるんだよ。
 それでテメぶっ殺すぞって、そいつんちのドアぶっ壊して入り込み部屋メチャクチャにしてやったんだよ。
で、そのヤローの頭切りつけて、カネ取り返してきたら、マッポのやつらが騒ぎやがって、オレもうアッタマ来ちゃってよー。大暴れってなもんよへへっ』といった犯行だったと思料させる(笑)。

下写真 7月22日東京地裁の人間ドラマ

しっかしひでえのがいっぱいいるもんだなあ、ここって
たしかにこんなラインアップに『冤罪』の人がまじったりすれば、そりゃあ色眼鏡で見ちゃうよなあ。

7月22日(水) / ダマされてんじゃねえよ検事サン  (^o^) まあまあ
 あの天下の卑怯者野郎、女しか相手にできない常習結婚詐欺野郎の前科4犯秋本久雄を被告に、第三回公判が午前東京地裁で開かれた。

 きょうもまた、検察官の一人舞台。
 第一回の、起訴状朗読から始まってのべ2時間半。延々と追起訴で野郎の手練手管ぶりが披露され続けているというわけだ。

 本日の被害女性は銀行員だった「D」さん。
 いきなり、検察の公訴事実朗読は渋谷の外車中古センターでの犯行の模様からはじまった。

 イタリーの名車マセラッティ、900万円ナリを前にして、秋本はDさんにこういう。
『どうせ(結婚するのだから)二人で一緒に使う車』という設定で持ちかけのだ。

 『600万くらいの車にしようと思っていたのが、このマセラッティ「900万」にはちょっと足りない。その足りない分、300万を君も負担しないか』というのである。
 超一流ホテルの設計などの仕事をしている(笑)カレの乗る車なら仕方ない…か。

 こうした「共犯意識」ではないが、一部負担をこいつは被害者に意図的にさせてしまっておくところが、このクソ野郎特有の巧妙な心理操作術だ。
 彼女はそのカレのステイタスに見合った車の購入にと、秋本の口座、ではなく、この場合ディーラーの銀行口座にあえて振り込ませて信用させるのである。(ちなみに体躯は140キロ前後の野郎なのだが)

 ディーラーの営業マンは検事にこう証言している。
『秋本から、「Dからの振り込みがあったら、振り込まれた」旨、確認の電話連絡を本人にしておくよう』指示をされており、この第三者である営業マンの口から、D嬢にいかにもマセラッティの取引が滞りなく終了している印象を持たせるのである。

 検事は付け加えなかったものの、秋本はこの営業マンを取り込むためにこれくらいの慰撫工作はしたものと思われる。
『マセラッティもいいが、お宅ではもっと高いけどいい車を買いたくなったから、いったんマセラッティをキャンセルしてくれないか。だから(D嬢からの)300万はこちらの方に戻しておいてくれ』と、頼めば簡単だ。それくらいの工作などお茶の子さいさいで協力してくれるはずだ。

 犯行時はリーマンショックが始まったばかりの08年9月頃の犯行だ。
 折りも折だけに、高級中古外車ディーラーは苦境に立たされている時期。
 まともな営業マンであるならば、日本全国のどこの業者とて、この《口車》もちかけられたら、こんなキワどいスレスレ工作への協力に何の躊躇があろうか、まさに「口車」に乗ったわけである(うまい!ザブトン)。

 しかしこいつは本当に悪い。底なし沼のように人を騙すという事に100%純化してしまえるのだ。

 この「追起訴」を聴いていて、
 『鹿島建設から受け取った約束手形が落ちるまでにまだ日があるので、事業で必要な当座の工作資金が足りない。』という、いかにも外注の建築関係者らしいニーズをDさんに”共有”させるところから、先の”共犯意識”というか、『どうせこのヒトの妻になるのだから…』といったある種の「投資感覚」を刺激するところから詐欺全体のシナリオをスタートさせてゆく。

 こいつは金を無心する際に、300万欲しかったら「300万出して」と頼むような愚は犯さない。
 300万引っ張るのであればこういう
 『500万足りないが、貸してもらえれば300万でどうにか間に合わせるから』というふうに、かならず「全額でないよう」に要求して真実味を持たせるのである。

 そして憎らしいのは、その片方でしっかり目は見開いており、常に相手の所持する貯金の残高に、なぜかしっかりその観察眼をリンクさせながら、出費額を次第に落としつつ、結局はすっからかんになるまで、ジワジワと搾り取ってしまうテクニックは吸血ヒルのように、犯情が冷酷なのである。

 だが秋本に比べれば、ヒルの方がまだ”心は優しい”ともいえよう。ヒルは自分の身体がキャパシティいっぱいに血を吸えれば、自分から宿主から離れて落ちてゆくものだ。
 それに対し秋本は、相手の体内に蓄積した体液が無くなるまでそれを離さず、抱え込んで最後の一滴まで吸い尽くすのであるから。

 Dさんは『私は高校卒業後就職した、XX銀行ではたらき続け、そう無駄遣いはしなかったものですから、ある時に通帳を眺めた時にはビックリしたほど残高があったのです。でも今は秋本にすっかり騙されたその挙げ句、通帳をみたらすっかりなくなっておりました』
 検事の言葉では「残高」はわずかに『5755円だった』と読み上げる。

 100万単位での用立てが終わると今度はこうだ。
『(出身高校の後輩にあたる)朝蒼龍のスケジュールが急に空いたというので、食事に行かなければならなくなった。考えてみればここは食事をご馳走するだけでなく、やはり祝儀に50万は包まなくちゃならないだろう。』と、相手を急かして振り込みをさせる。

 こんなやりとりでは携帯やメールがフルに活用される。
 
 秋本は『もはや大きな金は引っ張れない』とDさんのフトコロを見極めると、さらにスケールをダウンさせて細かくカネを引っ張り始める。
(実はさんざ迷惑をかけた)『明徳義塾高校の相撲部部長XXさんが心不全で亡くなったので、急いで高知に飛ばなければならない。往復の飛行機代で10万、香典でせめて20万は包まないと』と30万。

 挙げ句の果てには『その奥さんが脳いっ血で急死したので…』と、同じように計20万。
 ここでも、香典を「10万減らす」ところがこいつの騙しの細かい技なのである。
 
 ここまでくると、さすがに不審に思ったのだろう、ボクの秋本ウォッチングデータからすれば、先のようなやせ我慢型のせびり方は姿を消し、すべてが「満額要求」の寸借詐欺型となり、また検事の読む起訴状でのディテールが急に具体性を増してくる。

 たとえば、先の『部長先生死去』の場合などは『O時O分羽田発日本航空XXX便、…帰りは高知発全日空XX便O時O分発で…』などといった調子で、まるでどこかの新聞記者の取材メモを思わせるほど。

 これはおそらくDさんもさすがに怪しみはじめ、これらのやりとりを何かのためにと、メール文面を消去せずに残していたという配慮によるものなのだろう。

 今回大事なことが法廷で明らかにされた。
 それは検察官への【検面調書】において、秋本は検事の『どうして一級建築士になりすまそうと思ったのか?』との質問に対しこう答えている。

『無職となった際に、テレビの(耐震偽装問題の)姉歯事件を眺めていてヒントを得た。これで高級マンションを借りてセレブを気取って(詐欺をして 註 前野)大きな金を得ようと思いつきました。一級建築士というモノはどのようなものかインターネットなどで学びました。』と、あくまで動機は”たまたま”であったかのような供述を残している。だがこれこそがウソの始まりなのである。

 いわないこっちゃない、先月当『・・・日記』第二回公判の傍聴記で書いたように、それは検事さん大間違いなんだよ。
 こいつは、前回の逮捕要件でのメインとなった被害者、北海道在住の女性一級建築士に対する犯行によって、充分すぎるほど『一級建築士の実際問題』については我々よりもはるかに身近にいて学習し、熟知していると考えるべきで、ここでははからずもこの検事サン、若さをモロ露呈している。

 また、犯罪も「温故知新」ではないが、常習者というものはある意味『類似したパターン』で犯行を繰り返す。だからベテラン盗犯の刑事などは、侵入方法と使った道具だけで『あいつはもうム所を出てきていたのか』と目星を付けるくらいである。

 この検事サンも被害者の仇を取るつもりが待ち主にあるのなら、前回秋本逮捕時の犯行態様や手口くらいは復習すべきではないか。
 いみじくも当『・・・日記』で書いていたように、
『詐欺師は逮捕されたら新たなターゲットは、警察と検察官…を騙すところから始めるもの』という予言を毒者諸兄思い出してほしい。見事なまでにズバリ当たっているではないか。

 この秋本は、公判開始以来きょうの3回まで、『目を開けている時間』は、総合計しても「わずか5分にも満たない」。
 なんと、それ以外の99,999%の間、この公判廷内では『目を閉じたまま…』といったら聞こえはいいが、つまり『目を開けられない』ままだ。

 というのも毎回ボクは傍聴席の最前列に陣取っている。
 目を開いたら最後、わずか80センチの仕切りを境にして、ここに前回の被害者諸兄の怨念を代表した、ボウズにヒゲのこのボクが、穴が空くほどに睨みつけているのである。

 驚いた事にヤツはというと、つねに両手は硬く握りしめたまま、小刻みに震えて、ヒタイには玉の汗が並ぶ。
 必ず持参しているハンカチ(恥ずかしいが前野はこの点負けた 笑)は、大きな手のひらの中で握りつぶされてガチガチに丸まったまま。
 こんなグリズリーよりも大きな大きな図体しているくせに、このクソは捕まったら最後、こうして気の弱さをモロ満開にして、ブルブル震えるしか対応できないのである。

 とにかく、圧倒的にウソだらけ、完膚なきまでウソで塗り固められているから、それがパクられて白日のモノとなると、さすがにそうした”虚構の一級建築士”としての本人ともなると、コッ恥ずかしくて目も開けていられないという心理なのだろう。
 
 前回などは、一部上場企業あの”マルちゃん”の東洋水産兜寰ミ長をカタッた犯行だったのだから、ウソがバレたらそりゃ恥ずかしいなんてものじゃないだろう。

 よくある例だが、我々の日常会話でも
 「相手との沈黙がコワいあまり、場つなぎで出る話題がウソ臭い…」というご仁をしばしば見かけるけれども、あの極地みたいな心理がこうさせているようで、案外こいつの原点なのかもしれない。

 惜しむらくは前回の裁判にボクや被害者諸嬢諸兄が一回も出かけずにムザムザ判決・収監させてしまったことである。
 詐欺事件なんて法廷に足を運び、こうしてウソをついてバレるという末路がどれほどに恥ずかしい思いをするのか、負の代償をひとつも与えなかったというのは被害者(=実質的な方々)のためだけでなく、今後の犯罪予防のためにもならなかったと後悔している。

 冒頭陳述というか、長く続いた検察側の並べる秋本の行状はいったんこれで終了、被害者はA・B・C・Dさんへの詐欺罪4件で今回の起訴は終わった。
 これへの異議について裁判長から訊かれた弁護士は『すべて、異議はなく検察のいい分通り』。
 次回より、弁護士から被告人への質問、それから『秋本側の情状証人』が登場となるらしい。

 だから、弁護士も(国選なのだろうけど、)さすがに秋本犯行の一部始終を反対岸から、とうとうと並べられると目を伏せたままで「異議」もヘッタくれもない(笑)。
 ただただご説ごもっとも、どうかこんな野郎の弁護人なんて貧乏クジひいた者の立場、どうぞお汲み取り戴きたくソーロー…なんて、毎回風が吹き終わるのを待つだけ、丸っきりやる事がないのである(笑)。

 今後はこれによる情状酌量というものを勝ち取り、なんとか減刑を目指そうというのだろうが、いったいどんなバカがこんなクソに同情して、一肌を脱ごうというのだろう。見ものである。
 いじれにせよ、どうせそいつも騙されているなんてオチなのだろうが、それを見物するだけでも価値があるというものだ。

 そんな証人と閉廷後のエレベータで乗り合わせたらボクはたまらず、血が騒ぐかもしれない。
 しっかし国選弁護人というのも、刑事事件を担当してこうして一回の公判あたりに税金から(定かではないが)約6万円の身入りとなるらしいが、国選は弁護士会内部での順番で、着手事件などは選べない輪番制だけれども、この裁判のように『3ヵ月に2回のペース』となると家計もラクではなかろう。

 でき得れば「引き延ばし戦術」だとか、やって公判数増やしたいところだろうが、これだけはっきりと黒白がしてしまうと、こうして『いちいち然るべき…』と白旗掲げっぱなしで最短距離行くしかない。

 まぁこのヒトなど気が弱そうだし、左手薬指の結婚指輪に目をやるたびに、ボクなどは『(このヒトは味噌汁すすりながら、奥さんなんかに、「トンでもないサギ野郎の弁護になっちゃってさあ」なんて、そこは正直に愚痴ってるんだろうなあ)』なんて想像しちゃうのである(笑)。
 
 それにしても、公判後に地裁地下の食堂へ寄ったが、このでの『本日の定食 エスニック ガパオライス 670円ナリ』は満足度が高かった。

 通常ボクはあまりこうした後進国系冒険的食事(笑)を好まないのだけれど、思い切って喰ってみたらこれがおいしい。
 それに安い。メインとなっている「ガパオ」なる”肉野菜炒めタイ流”の肉こそ牛肉であるものの、かじってみるとこれが『牛スジ肉』。
 この安物の「肉」(ではなく、税法上これは内臓肉のジャンル)じつはボクの好物。
(私見であるが、「A−5霜降りビーフ」よりも好きかも知れない)

 カジカジと歯の間には詰まるけれど、野菜とのマッチングに大満足。
 おお〜、生意気に「赤ピーマン」まで入れてあるではないか。豪勢だなあ670円(笑)。

 写真のように、7品くらいある小鉢類のヴァリエイションから二品フリーで選べられ、あまけに「マンゴープリンの粉砕型」まで付属(笑)してこの値段じゃあ申しわけない。
 それにうれしいのは、警視庁の食堂も何もここら辺の官公庁の食堂は、ここと同じように会計から配膳のおばちゃんらまでみんなカンジいいのである(東京地裁=#1)。

 ”昔(7〜80年代)のここ”とは大違いなのにはビックリした。すっげ〜印象良くなった。
 民主党政権になって霞が関での無駄遣いを洗い直す段になっても、ここだけはめっちゃ弁護したい。

 頑張れ、ガパオ(笑)!

 いままでは、この公判の度にお向かいの警視庁で「特殊犯」の皆さんお呼びして、中で食べさせてもらったり外でご馳走になったりしていたが、どうしてどうして地裁も捨てたもんじゃない。