【2008年12月】

12月22日(月)  秀逸『野球ドキュメント』2篇に感動した  (^o^) まあまあ
 この週末はとても素晴らしいドキュメントを観せてもらった。
 どちらもこの不景気風なんか吹き飛ばしてしまえと、クヨクヨしている自分に悩む人ならばきっとカツを入れて貰えるよう送り手を考えてくれたような佳作だった。

 1本目土曜日のNHKアーカイブス『もう一度投げたい 津田恒美投手の復活』も素晴らしかった。たしか84年のOA作品のNHK特集のリバイバル放送、60分ものだった。

 あのバースや掛布岡田が並んだ無敵阪神の頃、中畑に原現役の頃、弱小広島にあって絶大な存在感を示した抑えのエース津田さんが、突然脳腫瘍に襲われ、復帰の夢を追いながら愛妻と闘う姿を2年がかりでNHK広島が追ったもの。
 どうしてもマウンドでの復活にこだわり、苦悩に悩む天才アスリート津田のもがきながらもひた向きな病床の姿。それもさることながら奥さまの真正面からこのとんでもない事態と向き合い、冷静に病魔を憎み180度反対の視線で穏やかに、倒れたエースをいつくしむ目がやさしく、泣けた。

 こちらのほうは今、NHKが見逃した番組やニュースなどを、PC上からすぐに登録者だけにダウンロードしてくれるサービスを始めたので、ご覧になりたい方は卓上の操作からでもすぐにできるので、多くは触れなくても良いだろう。クレジットカードで決済できるのもいい(あいにく「保存」は不可能で、「閲覧」だけである)。

 こんなに便利で有意義な、放送局にして欲しかったサービスを(よりにもよって)NHKが始めるなんてビックリした。著作権でがんじがらめ地獄だった昨今のマスコミ界にあって、それをぶち破る英断がNHKから始まるとは…。
 ちなみに他の有力キー局を検索してみたが、まだそうした体制整っているところはNHK以外、ゼロ。
 DVDを高い金出して買えってことか。視聴者サイドからは「一度流したもともとはタダだった」というコンテンツに、スポンサーに感謝はしていても、それと同じものを2000円だ3000円だという値付けを果たして今さら買うものかどうか(ボクは買っているけどね 笑)。

 驚くべきことに、スポンサーとはいえ「後日、『ウチがカネ出したあの番組の同録』テープをコピーしてくれない?」と局に申し出ても担当者は困ってしまう。
 チョサクケンテキにいかな「スポンサー」、「代理店様」にしろ、それはできない原則なのだ。こんな杓子定規というか、ゴリゴリぶりなんてまるでどこかの代理人のようである。

 それにしても、自分の出ている番組の再放送分にも出演料が(わずかなりとも)支払われるようだが、そんなのは請求したら嫌われるだけであるので(「役者や声優さんの組合員」以外めったに)請求はしない。

 それにしてもNHK映像資料の「白神山地」とか、世界遺産モノなど、映像技術と丹念に足を運び熱意こめた作品は世界的にも群を抜いた品質のものが少なくないので、できればこのダウンロード可能な特選モノだけでなく、昔のNHK特集やドキュメントまで可能な限り購入可能にしてもらいたい。

 そしてもう一本昨日の昼に再放送したCXのドキュメント《「負けんじゃねえ」・神田高校に起こった奇跡》は良かった。CX制作のザ・ドキュメントという番組ワクで今年の1月はじめに放映されると、若い世代を中心に大反響をよんでいた。そのうえ放送界現場人間にとっての”レコ大”ともいうべき【ギャラクシー奨励賞】を受賞してしまう。
 内容は神奈川県平塚市で「もっともアブない高校」と悪名を誇った、県立神田高校野球部の面々にフォーカスを当ててカメラが2年がかりで追っているうち、奇跡的な出来事が起き、空から天使の粉が降って来てこの学校の生徒らに影響を与えるまでをしっかりと丁寧に起承転結を追ったもの。

 生まれつき右手の手首がない左腕エースの田中君。
 「いつかピッチャーをやってみたい」というひとり息子の希望を聞き、貧しい中から『投手用グラブ』を買い与えてくれた父親がある日蒸発し、捨てられた格好ながらもいつか逢いたい希望を胸に抱きつつ、堂々とカメラに顔出ししながらも”外野手”で頑張ってきた丸山君などなど…。
 それぞれが、やりすぎとも思えるほどのキャラ散りばめた、まるで「野球劇画」はだしの実話の中にカメラは『タメ口』ききながら(笑)、ズンズンと彼らの中にわけ入ってゆくのがいい。

 高校もさることながら、その野球部もサイテーにはかわりなく(失礼!)、勝ち星を挙げたのはなんと10年も前のこと。それ以来「すべて黒星」なのである。

 このドキュメントのすごい事は、そうした高校生が、素顔をそして会話をカメラがしっかり撮っているにも関わらず、まったく意に介することなく、当然ながら「肖像権」だの「プライバシー」だの余計な事などヌカさないですべてを見せてくれることであった。
 「生徒」・「学校」そしてそれらを「取材する報道者」らの3者が信頼で結ばれ、画面に正対して主張し感情を真っ正直に語ってくれることが、このドラマチックな現実を新鮮に見せてくれたなによりの演出効果だった。

 こうして取材対象にとって、ここまで『空気のような』存在へと自己を昇華させ得たのは、取材する者の誠意が伝わったからだろう。まずはそこで「ギャラクシー賞モノ」といって良い。

 テープは校長先生が全校の3年生らを集め、語りかけるところから始まる。
 『お前たちが1年生で本校に入学してきた時は195名だった。それが今では80名もこの学校を去り115名にまでになってしまった…』最初から観る者の度肝は抜かれる。

 『何かこの学校に入ったことが、君らにとって「人生の汚点」とでも思っているのであったらそれはとんでもない間違いではないか?』と訓示を述べる校長もカメラから、また生徒らもカメラから一歩も引かず、顔を伏せたりそむけたりするする仕草さえない。
 この”訓示”だけで「神田高校野球部」というもののキャラづけはできてしまう。

 そして2006年7月夏の甲子園に向けた県予選1回戦。
 ここと闘う相手はすでに勝ったつもりでいる。

 監督はこの高校のOBで、その他でもない10年前に勝利を挙げた際の野球部員だった。
 直前にフガイのない負け方をした部員らを集め、じつは監督が翌年春にこの3年生部員らを送りながら自身も一緒にこの学校(と野球部)から去る事を告げていた。

 涙を噛みしめつつ、『お前らはこれでいいのか、このままで満足なのか「負けんじゃねぇ」』とうったえたのである。

 次の試合(公式戦)でいつになく、まなじりを決した様子のナインは食い下がるのである。
 10年間一度として勝てなかったチームが一瞬のリードまでして沸きかえるものの、そこはやはり実力の差。中盤以降は逆転を許し、すでに八回を終わり試合は5対3。

 相手エースの低めに決まる速球に、コーナーいっぱいを突くコントロールに、最終回九回の表も先頭打者見逃し三振、つづく神田の打者も見事な三振に斬って取られてついにツーアウト。

 そこへ、いつも試合というと「公式戦には出して貰えない」コーチャーボックス専門の声掛け係、3年生佐藤君が急きょベンチから呼ばれバッターボックスへ。
 彼もこの大会、いや部員としてはこの試合が最後、来春は卒業である。
 その最後の機会に臨んで監督は佐藤君にいわゆる、《お情けの思い出打席》をプレゼントしたというわけで、これが佐藤君にとって1年生から、いや中学時代の野球部通算としても【なんと初打席!】となる、温情のピンチヒッターというわけである。

 これが接戦だとしたら、とてもこんな起用は誰ひとり考えもしなかっただろう。佐藤君は一度としてバット振る機会さえ与えられず卒業していったことだろう。

 この代打劇で見逃せないのは、交代を告げられた本来の打順の選手の様子であって、彼が替えられた事にちっとも落胆したリアクションを示さなかったことだった。
 そればかりはこれだけの出来の相手エースの勢いから解放され、期せずして安堵しているかのようだった。

 たしかに丸メガネの佐藤君は見るからにひ弱、野球部でも最もチビちゃんであり、1年生の部員よりも細く小さい体格。むしろ中学生といった方がふさわしいほどだ。
 だが本人は明るく、それでも野球が好きと屈託なくやさしい笑顔をいつもたたえている少年だった。

 彼の私生活にもカメラはフォローを続けていた。
 入部以来、『いつか』を見つめていた佐藤君は毎晩欠かさず愛用の金属バットで素振りを深夜まで続ける習慣を休まなかった。

 ボクの目から見たら、誰か周囲にアドバイスしてやれよという、愚直であり、愚直でしかないスイングをただ数だけこなしているといった風景。バットも毎回毎回同じ高さ、しかも高めばかりのレベルで素振りを重ねているため、スイングが同じ高度に固化してしまっている。もったいないと思った。

 佐藤君の背番号がソワソワニコニコしながら打席に入る、この野球部でしかも背番号の数字が《13》ときたら、おのずと結果は見ずとも想像はつく。

 球審はじめ応援のスタンドというと、ひょっとしてという空気も前の打者の2アウト目ですっかり冷めまくり、『代打佐藤』コールに、もはやあきらめ感通り越し自虐ムードをこえて、なんとほほ笑ましささえ漂うムードとなっていた。
 ただひとりだけは違った。まばらな応援席で佐藤君の、体格の良いお母さんがスックと立ってメガホンで絶叫する。
 『がんばれ〜』

 初球を右脇にため、たっぷりの自信を伴って相手投手の身体が振りかぶる、
 ビシュッとばかり投じたボールは内角高めへ白い直線を曳く。

 キャッチャーのリードとは、おそらく初球には打者にとって「最も早くみえる内角高めへ速球」を通過させておいて、それからは低め…との真意だったのか。
 自信という重みを載せて、すっ飛んできたはずのボールの白い航跡が、鈍いシルバーのバットに行く先をレフト前へと無理やり変えられるシーンは衝撃的だった。

 左足を思い切り三塁側に開き、素振りできたえたスイング。
 あの「とても褒められたスイング」とはほど遠い、『開ききった佐藤君』のひと振り。
 そこしか打てないはずの「高め」に、まさしく席が指定されていたかのように、約束通りのボールはなんと本当にやって来たのである。

 ここで奇跡が起きた。
 相手投手にとってはある意味ウィニングショットと自覚していたボールで、しかも高さも最高級だったと思われる。それがあまりにも意外な結果に終わったことに動揺したのだろう、後続にフォアボールに内野安打を与えてしまう。
 2アウトというの佐藤君は労せずして3塁にまで達して、ついに二死満塁。

 続くバッターが思い切りよく振りぬき、白球が右中間を抜く3塁打で走者一掃。
 リードした九回裏をきっちり、アボットよろしく田中君が左腕一本で相手をねじ伏せ、神田高のナインにスタンド全体がともに感激の涙にむせんでしまう。

 10年前の一勝を挙げたOBらもスタンドで、この”快挙”にヤベェ〜、ヤバイッスと、カメラレンズに感激の涙を隠さない。
 彼らとて、その後の10年間待ち続けた神田高にとっての「二勝目」を見届けるために、ずっと足を運んできていた期待が報われた瞬間だったのである。

 文字通りの「腕一本」で、勝ち投手の権利をもぎ取った佐藤君は翌春に県内のガラス瓶製造会社へ就職。
 あの勝利を振り返り
「こんな障害を持った身でも、世話になった親や、まわりの人たちに野球がこれだけできるんだというところを見せて恩返しがしたかった」とトツトツと語る。

 その殊勲打の田中君も県内への就職組。自動車ヘッドライトの部品を製造する仕事に就いていた。
 ああして毎日欠かさず、素振りを続けてきたことが無駄には終わらなかったのがうれしいと、ニコニコ顔のメガネは変わらない。

 彼らの高校では「その一勝」が生徒たちの間で伝説にまでなった。
『野球なんて知らないけど、やっぱスッゴイ、カッコいいと思う』と、ヤマンバ半分程度化粧の女子生徒。
『なんだかんだ云ってもうれしいっすよね。あいつら頑張ったんだなって思いますよね』と金髪野郎(笑)。

 それがどう作用したのだろうか、入学志願者が急増し、1倍そこそこからなんと3、5倍にまでハネ上がるのである。

 まさに珠玉の作品、見逃したムキにはさっそく「YouTube」で画像が一部閲覧できるようです。
 これらをつなぎ合わせると、かなりオリジナルに近づけそう。

 http://jp.youtube.com/watch?v=Lh7G7HsA4Zc をはじめ「神田高校」や「負けんじゃねえ」で検索するとけっこう断片的に見付かります。

12月21日(日)  再放送一挙今週放映!「フルスイング」特別版  (^o^) まあまあ
 長い間、筆を折っていた。
 ま、それほどのペンではないのだけれど。

 ロッテオリオンズの男たちと、舞台となった川崎球場について、ボクの見てきた群像を忌憚なく書き綴った文章。
 このHPでも「完筆」とは称しているものの、どうしても満足しきれていない。
 もともと週刊少年ジャンプの「小説ノンフィクション大賞」に応募して、筆力でなくボクの接してきた人々のド迫力によって、それが評価されて第一席に入選するなどという大それた結果。
 その120枚という「応募規定に沿った枚数のTake1」では、受賞作品の単行本はまずご辞退した。
 まず自分が問題としたのは:
@筆力が未熟
@本編に紹介した方々のエピソードに、それぞれきちんと前後の事情や「起承転結」を書き増ししたい。

 そうして約10年が経過した。そして360枚と3倍の分量になった。単行本化など眼中になくなった。
 まだ問題があった。
@本編で各氏が刻んだ言動をそのまま公表してしまうと、現役・コーチ監督の職にある方々に迷惑が及ぶ。
@球界引退まで待たねば語れぬ事もある。

 完全に泥沼にはまり込んでしまったが、本来ドキュメントというものは取り上げる事象があれば、「取り上げられた跡」にぽっかりと穴があき、それが良い方に転ぶだけではないわけである。
 だからこうした者には必ず「落としどころ」というものがつきもので、それを妥協というのだろう。

 だが、そのまま書けるものでなければドキュメントではなく、まがいものにしかならない。

 幸いにしてこの川崎の物語は、ひと様を攻撃したり追及したりする告発モノではない。
 だが時間の経過というものは恐ろしいもので、あの【10・19川崎決戦】にしても結局は『近鉄礼賛』だけでしか世の中では語られていない。
 所詮は一面的な「3塁側だけ」の論理であって、球場全体とか川崎名物ラーメンの中華麺店はどうだったのかまでは網羅していないし、いずれにせよ「1塁側ベンチ」の全員は未だに完全黙秘で貫いている。

 その「決戦」には負けたわけでもないのに、まるで「敗者による負け惜しみになる」と受け止められるのがシャクでならないのか、口を閉ざしたままなのである。それにしてもこれだけの数の集団である、それでもその中から一滴も水が漏れ出していないというのは、たったそれだけでも驚くべき事実だ。

 この作品ではそうした男の中でも男らしい連中ばかりを取り上げている、それだけに、ボクが出版して突出すれば良い…などというレベルの問題ではない。

 そうこうするうち、ボクにとってこの川崎球場での主(ぬし)と呼ぶべき重さの高畠元コーチが、球界を転々としたのち、高校教師となる完成形の寸前で病魔に斃れ、突然亡くなったとの報に触れて身体全体が真っ白になった。

 そのうち、氏の生前のエピソードのほんの一部を描いたドラマができて、『俳優の誰をご主人の役にしたら良いだろうか』と未亡人に局がヒントを求めてきたときいた。
 夫人は『渡哲也さんかしら』と云ったらまるで相手にされなかったとも笑った。

 我が家でもあれこれ氏の風貌を思い浮かべながら頭を巡らすも、まったく思い浮かばないものだ。
 ドラマづくりのキャスティングというものがいかに難しいものかを思い知らされた。
 結局、『トリビア』などで知られる高橋克実さんがタカさんとなって、渡さんを推薦した夫人のご希望とのギャップに後日大笑いの語り草になったものだ。

 だいたい、こうして自分と近い立場の方がモデルになる…などという経験など誰にも滅多にないわけで、また、その『結末』まで判ってしまっているとあらためて哀しがまた湧いてくる。

 そしてその高橋さんの【フルスイング】が、NHKで放映されるとこれがまた大好演で、我が家でも生き写しの様にさえみえて、世間でも大好評を博すのである。

 この方についてはまさしくボクのこの本編で重要なキーマンのひとり。
 教師となるプロセスは、このドラマで十分に語られてきたが、野球人としてはまだまだ不十分だ。

 こうしたタカさん復権の流れに後れをとった無念をボクは悔みながらも、よくぞここまでタカさん(の霊)がこのドラマの制作者らをして、旧年来の知己の我々と同じような理解させ尽くしたものと感心しているし感謝してもしたりないほどだ。。
 なんと彼らは誰一人生前のタカさんには出会っていないだけに驚いたし、また氏の偉大さにあらためて舌を巻いたものだった。

 気付いてみたら、出版界も未曾有(みぞう)の冬の時代である。
 大手出版社の中でもめずらしく黒字計上だった(この作品の出版予定の)社もご多分にもれず、先の決算でついに「赤字」となって社内は大騒ぎになった。
 どこの出版社でもそうらしいが、ここも重役陣が引責退陣し、新しい経営陣によって大号令がかけられた。

 活字出版物よりもマンガを優先させる。版権ビジネスさらなる利益追求。
 とくに、活字出版物において『野球もの』については全面見直し、基本的に出版中止。

 イクスキューズに聞こえるだろうが、【ルーキーズ】などのテレビドラマ化したものだって、あれだけTBSが大宣伝をかけたってコミックスのほうは増刷せず静観し、その反響を見守(ってから増刷す)るという慎重にも慎重を期していたのである。
 そうした消極的な営業姿勢にはそのドラマのキャストが、『F1層などの若い女性』ばかりにターゲット絞ったキャスティングだったため、原作コミックスにまでは手を伸ばさないだろう…との深謀遠慮からだった。
(結局ドラマは大ヒットとなり、そうした少女らが少年向けの野球漫画を買うという前代未聞の現象に出版社も救われた。)

 そうした粛清ムードに対し、ボクの担当編集者は
 「これは絶対面白い。ウチの社から出ている男性用媒体のスポーツものを20年以上担当してきたが、そんな私でも、この作品には初耳で驚かされる事実ばかりで読みごたえがあります。発売してすぐに売れる本ではないでしょうが、出版さえすれば必ず長いスパンで読み続けてもらえる本です」と云い切った。

 この「作品予定案」を手にしてヤリ玉に取り上げようとした上層部にも、氏は割って入り、このように主張してくれたおかげで『特例』となり、はじかれずに済んだ。

 だがこの秋以降、さらに出版界事情は悪化し、ボクは正直云って、これ以上担当編集者に迷惑をかけたくはなかった。
 世にはwebやら、CD化頒布とか、紙媒体に頼らずとも色々と手は残されている。
 そこへゼンマイを巻き戻せばいいだけだ。

 また身の回りの忙しさにかまけて、全体の校正を編集氏に指示されていたものの、そうした遠慮がキーを叩かせなかった。

 すると電話がかかって来た。
『なにやってるんですか、プロ野球開幕前の3月末に出すんですよ。これは私が決定したんです。「出す」といったら出すんですから』

 そうこうしているうちに、この年末年始には500枚を総点検し終えて、晴れてファイナルTake版を手渡すことになる。大丈夫かなあ〜

 ところで、前記ドラマ「フルスイング」に、このたび《放送文化基金賞》を受賞しました。えらいっ!
 これを記念してなのでしょう、素晴らしい枠組みの中で今週中に再放送があります。

  お待たせいたしました。2008年12月23日(火)から25日(木)の3日間にわたってドラマアンコールと題して、土曜ドラマ「フルスイング」を再放送いたします。

 23日(火)19時30分〜 第1回
 23日(火)22時〜 第2回

 24日(水)19時30分〜  第3回
 24日(水)22時〜 第4回

 25日(木)19時30分〜  第5回
 25日(木)22時〜 最終回
*なお、毎回の「19:30分放映直後」に毎回、高畠さんの素顔を扱った毎回13分程度のシャクのミニドキュメントを添えてくれるそうです。

 また、このドラマを製作したNHKの局P氏が綴ったロケでのレポートが面白くって、以下URLに紹介しておきます。 
 http://www.nhk.or.jp/dodra/fullswing/html_ful_sp.html

12月17日(水) / あすの《うたばん》秘話  (^o^) まあまあ
 先週の木曜《うたばん》で、ボクが水谷豊さんの古いブロマイドを評価した際の価格「300円」。
 この数字を見た際のリアクションが視聴者の皆さんには面白かったらしく、『分別視聴率』の折れ線グラフがビクンと上昇し、出先で出会ったおばあさんから『あれはおかしかったんで笑っちゃったわよ〜』といわれ思い出し笑いまでされてしまった。
 ありがたいことである。

 こんなお年寄りまでがこの番組をごらんなのかと今さらながらビックリ。
 『300円』という安値はネタのように思われがちだけど、ちがう。
 
 ブロマイドという造語(印画紙=プロマイドからの派生語)で親しまれる本家、浅草はマルベル堂のブロマイド1枚の価格は長らく315円(税込)。
 である以上、仮にもしこの放送上などでボクのようなものが、これにプラスした金額でも申し上げれば、その途端にマルベルさんはその古いネガをストックから取り出しプリントして増刷するだろう。

 老舗だけにそんなセコい商売など当然しないはずだ。
 だけど、こうした写真複製モノを「サインなし」でプレミア価格など付けてはならない。

 昨日はその年末特番の《とくばん》収録で、またも赤坂はTBS《うたばん》スタジオセットで収録。

 近藤真彦さんがゲスト。
 彼とこうした番組でお目にかかるのをじつは楽しみにしていた。

 ジャニーズ事務所の「たのきんトリオ」として賞を総なめ、22歳の時に念願の「日本レコード大賞」を獲得。
 それ以降、84年からレース活動に進出。

 当時、タレントがお遊び気分でレース場に入ってきやがってと、土方や荒くれ者たちの集団のようなレーシングドライバーらは、この若者とはそのことごとくが席を同じうすることさえ拒否してきた。
 たしかに、一歩ハンドリングでも間違えられ、コーナリング中に接触されたら一巻の終わり、命がいくつあっても足りない。

 マッチはマッチで、所属事務所からクビ同然で反対され、一切の支援も断られてここに単身飛び込んできた。当時は「奇行」とさえののしられたほどである。

 また、当然ながら彼の周囲には常に芸能グラフ用の取材陣がダンゴ状態となり、好奇のレンズを向ける。
 どうにかして「一般からのレース界への関心」を呼び込みたいと、日常からもがき苦しんでいるレース界の先輩たちの目には、そうした新参者など「単に邪魔」としか映らなかったのである。

 だからある日、マッチは報道陣にたまりかねて
 『この場では俺を「マッチ」と呼ばないでくれ』と怒鳴ったことさえあった。

 ボクはこの当時、ある超有名人の義弟がエントリー目指す、「F−2レース」への協賛企業集めに手を貸していたため、この頃の現場の空気について実際に肌で知っている。

 そうした中、孤立無援だった彼を積極的に迎え入れたのが、なんとボス格の星野義一だった。
 この頼れる防波堤を得て、マッチならぬ近藤さんは次第にレース仲間へと身を沈めることに成功し、フォーミュラ、ルマン24時間などへも広く挑戦し打ち込んできた23年間だった。

 今度はステアリングを置き、人気のスーパーGTシリーズへ『Team Kondo』を設立、監督&経営者としてレースでも指揮官の近藤さんは通信用ヘッドセットで作戦を送る側になった。

 先述のボクの経験からみても、近藤さんにとってはエラく辛い体験だっただろう。
 チームを走らせる…ということはとてつもない費用がかかり、それへの協賛金を企業を回わり「何億という現金」を集める事がいかに過酷なのか、ボクは近藤さんという「芸能界上がり」にレーサーはできても、監督だけはつとまらないだろうと同情しつつもタカをくくっていた。

 そしてウッドワンという建て売り住宅販売会社や、クラリオン、(BS圧倒的有利という状況下での)ヨコハマタイヤなどからのスポンサー料を得て2007シリーズでこのチームは激戦に参加してゆく。
 このスーパーGTというシリーズ戦は今の日本で、最も集客力のあるモータースポーツ。
 外見的には市街地を走る市販車ボディを使用するため、観客には直観的にも親しまれやすく、自車の販売にモロに直結しうるため、ホンダ・トヨタ・ニッサン・スバルなどがセールスも兼ねて参戦している。

 したがってそれらワークスチームが、資金的体勢的にも圧倒的な物量作戦で臨むため、全シリーズ戦ほとんどの優勝を、その内輪だけで分け合っているのが現状だ。

 その中で、近藤さんのチームは1年オチのワークスフェアレディZ(エンジンもシャーシも06年版)。
 あれだけのスターが頭を下げまくることをおぼえ、足を引きずりながら企業の門を叩きまくった結果のブルーシグナルであった。

 開幕戦で一斉にスタートした軍団に混じり、ワークス軍団に混じった自陣営の車を見ただけでも、さぞかしオーナーとして感無量だっただろう。
 かつて、彼はどうしても手が届かなかった日本レコード大賞の大賞を「愚か者」というカヴァー曲でレコ大を射止めた瞬間、ステージ上で感涙にふるえついには号泣した。

 スーパーGTシリーズ戦、その連戦の中でも「特に過酷」といわれる第4戦が、マレーシアのセパンサーキットで開催された。
 レースが始まってみると、あまりの暑さ(赤道直下の6月末!)で路面は70度。タイヤは焼け、レーサーはエンジンルームからの高熱と灼熱の太陽のもと、狭いコクピット内で次第に夢遊病者のような意識もうろう状態となり、コースアウト車続出という事態にまでなった。

 なにしろ頼みの外気も「200キロもすっ飛ばして」いりゃ涼しいだろう、すっかりどのチームも思っていたらこれが勘違いの始まり。
 小学校の理科でも習ったが、「体温より高い外気温」となればそれは逆の効果となる地獄絵図。

 次々と脱落してゆくなか、近藤さんの身体は震えてきた。
 あの自分の走らせている「ウッドワン・クラリオン・アドバン」がトップに立ったのである。

 そして最終コーナーまで、そこには現実感などなかった。
 信じられない光景。
 チェッカーフラッグが、その愛車のゴールに振り下ろされたのである。

 近藤さんは爆発した、そして男泣きに泣いた。
 あちこちのライバルチームや、レース挑戦当初に敬遠していたあの顔もすべてが寄って来て、手を差し伸べ、そして近藤さんを抱いた。
 
 同シリーズを専門に報じるTXのテレビ放映でも、それは『2007年名場面』として筆頭格に挙げられたほどだった。

 その時に着用していたグレーの、監督用チームシャツが昨晩のスタジオに出てきた。
 これを2年間近藤さんは、資金不足のため安っぽいシャツなのに2シーズンも使い回していたのである。
 通常なら、他チームは1年で廃棄だろう。いや、1年に何枚も支給されるチームもめずらしくない。
 それにしても安い仕立てのシャツだった。

 しかし赤坂のスタジオで、ボクは近藤さんとこのシャツと感動の対面をしてきてしまった。

 放映はなんと明日の晩、2時間枠の「とくばん」バージョンなので、18:55分からの開始である。
 ご高覧あれ。

12月16日(火)  ニホンノカガミ  (^o^) まあまあ
 ウチからタクシーワンメーターの距離でやっている、浅草のお酉さまは今年三の酉までやっていた。

 そこではクソ詰まりもしないモノだが、ド派手な熊手をぼったくり価格で売っている。
 ボクの野球仲間もその業者の一人。
 彼らは専門のサプライヤー(笑)から、そこにくっ付けるパーツをカタログで選び、それぞれ取り寄せる。

 つまり、アレは出来合いの市販パーツをアソートし、ただくっ付けて「あの日に売る」だけでどっさり利益を生む非常にオイシイものなのだ。

 その専門家用のパーツでも、貼り子の鯛とか、粘土を固めたエビやらホテイさまとか水引きの様なものまで、めっちゃくちゃ種類やサイズがズラリ。
 そいつは一年中、全国のこうした「熊手業者」のもとへ配達されている。
 宅配便で届いたそれを、棟梁やらおかみさんやらが、内職のように竹でできた熊手に針金やボンドで接着しまくり、ああしたド派手なものに仕立て上げられ、次々と彼らの土間や倉庫は積み上げられ完成形の熊手で、10月も過ぎた頃には身動きもできなくなる。(ただ「酉の市」はなにも浅草だけでなく全国各地で大小の市が立ち、それらで売買されているが、やはり規模が11月の浅草のものは何倍もちがう。)

 したがって原価なんてタダみたいなものであって、熊手業者で倒産した者などは聞いた事がない。
 (つぶれたとしたら100%別の破たん原因で、バクチとか異性問題である。)

 これがいざ酉の市となると価格は大化けしてしまうのである。
 『片桐はいりの顔』クラスで1万円くらい(笑)、そこからはじまって新聞見開きクラスで20〜30万円。
 畳1枚クラスともなったら100万円也。

 これがだいたい、「3割引きくらい」までは簡単に負けてくれるもので、
 『あたんなさい』とドラム缶半分に割った即席炭火ストーブでケツなどを温めながら、そこまで業者に妥協させる会話ややりとりが温かく、また愉しい。

 ここで肝心なのは、その「負けさせた3割」をフトコロに戻すのではなく、彼ら業者に「ご祝儀」として置いてくるのが当たり前で、昔からの習わし(美風?)だった。
 ところが、そいつをここしばらくは「置いていかない者がほとんど」で、大半は『儲かった儲かった、来年は縁起がいいぞ』などと完全にカン違いするムキばかりなのだそうだ。

 だから、たまにそうして昔ながらを大切にする客について、また今年も買いに来てくれるのかと、1年ぶりのめぐり逢いを、何よりの楽しみにしているほどさ…と仲間はさみしく笑う。

 そうした日のニュース、TBS朝の「朝ズバッ」は、みのさんの時間で、在日歴30年だかのミラーさんの話が紹介されていた。とても質のいいニュースリポートをみのさんが読み上げていた。

 アメリカ人の彼女は、毎年この市で、決まった棟梁から自宅用の熊手を持って帰るのが毎年末のならわしなのだという。
 その棟梁曰く、彼女はまた今年も負けさせ、そして正しくもその「差額分」を祝儀として置いていったのだそうだ。
 そして彼女はこう云い残した。

 『世の中の景気がここまで冷え込んでいるならば、せめてこうしてお金を回せる者がまわさなければね』と笑ったのだそうである。
 それに棟梁は、日本人に欠けているこうした気風の良さを賞賛し、こうキメたそうである。
 『あんたは日本人のミラー(かがみ=鑑)だ』と。

 いい話だった。

 ところで、毎年のプロ野球キャンプでは初日、地元所轄署からマル暴担当がやって来て、選手らにその地域での暴力団らについてレクチャーをするものだ。
 その筆頭が、
 『いわれなき、金品を受け取らないこと』なのである。

 「いいからとっておけ」「持ってても邪魔にならんだろう」と、ヤクザらはそうして無理やり金品を気前よくねじ込み『恩を売り』、ころ合いを見計らって後日、その”回収”へと豹変する…。

 どこかで聞いた話ではないか。
 どこかの”苦労知らずの顔ひん曲り”らが、『12000円を無理やりひとのポケットにねじ込んで』、そのうえで、いわれなき恩を1億3千万人の国民に着せようとしているのはなんだろう。

 彼らの政策アドバイザーとは、そこらのチンピラでもつとまるということか。

 国民の大半(70%以上)が反対している…とツッコまれると、『イヤなら手続きを踏んで、あらためてそれを返却すれば良いだけの話じゃないか』と、『カネをいざ渡されると断る人などいないでしょう』と、口を思い切り曲げて大げさに首かしげてみせる”国語的落伍者”。

 どうやら学習院大学では小学校卒業程度の漢字書き取りができれば、国語が合格点らしい。

 そもそもその『目白の恥』が抜擢し連れてきた秘書官氏は、「総務省出向」いうことで、どうも秘書官としての慣習をそこでも壊し潜り込んだとあって増長したのだろう。
 こいつがまた得意になって閣僚に対してもデカい態度を取ったため、大臣から怒鳴りつけられる騒動まで内部的に起こしているらしい。
 ある日大出世の彼に
 「総理の読む原稿にルビを入れてはどうか」と、たまりかねて進言した閣僚がついに出たという。

 ボクはお笑いのネタに、『今晩は』を『イマバンは』と口ばしってしまうギャグを思いついたのだけれども、まさかあの首相官邸の中でここまでオモシロイ会話がマジでなされているなんて、マァさすがのボクも想像外だった。

 しかし、この国の為政者どもは、どこまで常識のレベルを崩せば気が済むのだろうか。

 よくしたり顔の評論家どもが『この国の政治家は無能でも、官僚は世界的に優秀だ』とのたまっている。
 だがボクはそんな事ツユほども思ったことはない。

 そのいい例が外務の官僚で、過去にボクが海外で出逢った我が国の代弁者らで、まともな社交ならぬ外交ができている人物など見た事がない。
 そのまず第一に、まともな英会話力もおぼつかない程度なのである。
 それはなにもTOEICなどでの高得点者でなければならぬなどと、ハードル高く申し上げているのではない。

 彼らのほとんどは海外に赴任したらかの地に渡ると、地元の政界人はもとより、財界人や商工人らとは本当に儀礼的な浅いパーティでの社交どまりで終わるものだ。

 まずどいつもこいつも、そこからプライベートな時間まで共にする…などという、フレンドリィな交際の深度まで分け入っていこうとしている者がどれだけいただろうか。
 連中の毎日とは、地元に進出した日本企業の赴任者や日本企業現地法人のトップなどとの付き合いゴルフにカラオケ、麻雀に任期いっぱいの2年間というもの明け暮れる。

 ああそうそう、忙しい時といったら日本から国会議員がハクをつけるためにかの地の閣僚と並列写真を撮ったり、ツアーの添乗員よろしくガイドにつとめ、「夜のアナ場」まで世話まで書記官クラスは忙しいのである(あの外務省の不良役人=佐藤優…自らがモスクワで在任中に安倍一族のご案内をした…と、週刊誌で告白していたが、この真意はこうして一部をバラし何がしかのユスリをしていたという、体の良い手記なのだろう)。

 こんなのポン引きとなんら変わらない「キンム」、いや『ガイコー(外人交際?)』ではないか(嘲笑)。
 そして辞令の下りた次の赴任地へと出向いて行くだけの国際貢献(笑)なのである。

 頭に来るのは、こんな者の外地と日本省庁への往復にも、「最低限ビジネスクラス」。通常はファーストクラスのチケット(しかも定価=フルフェア!)を税金から支払っている。
 (したがって、フルフェアのビジネスCとなれば、エアラインは外務官僚に対しては自動的に「ファーストへ」とアップグレードをして差し上げるものである)

 またわが外交において、「最大の武器」と「基本戦略」というものをお教えしておこう。
 武器は『カネ』と、戦略は『もってけドロボウ主義』(笑)。

 連中は『友好』というと、いちいち現地にカネをばらまくだけ…の白痴的社交術しか、歴史的に我が国は外地でやったことがない。でなけりゃ戦前の「侵略と略奪」である。

 野茂をたとえて、ボクは日米外交史に残した彼の足跡は『外務省のやった100年』よりも、アメリカ人の心にしみ込ませた偉業と、評価してはばからない。
 あれで多くのアメリカ人が
 『日本人も結構やるじゃん』と驚いたのである。
 そしてイチローで
 『日本人も結構野球できるじゃん』と、日本人の若者の運動能力について再認識したのである。

 考えてもみて欲しい、あれだけ気が利かない野茂である(笑)。
 あれだけ無愛想な野茂である(笑)。

 おそらく田口や長谷川あたりが野茂クラスの投手力であったなら、「即座にアメリカ大使にした方が良い」とボクは云い出したことだろう。
 あれだけ社会人として通用しにくい人物だって、外務省よりはマシなのである。

 野茂のおかげで判りやすくなったのは、外務官僚という連中なんてのは、ただ単にアメリカに用意されている椅子に2年間、腰をかけにやってくるだけなのである。けして外交をしに来るわけでも何でもない。
 あとはゴルフにカラオケにマージャンとポン引きなのであろう(笑)。

 したがって、ボクは『官僚が世界的に優秀』などと云う言葉はそれだけ世間知らずなバカだと思っている。
 
 仮に「優秀」だったとしたならば、日米関係なんてとっくにより密接な関係になっているだろうし、もっと『恩を着せて』威張って良い国になっているはずだ。
 戦後60年あまり、『不沈空母』として実質的に国土を捧げ尽くし、たとえば我が国の空だって8割以上の空域は米軍優先。
 未だ民間機は20%程度の空しか自由には飛べない…そんな領空権しか敗戦後は日本国民に返還されていない現実(羽田や成田の空域が大混雑しているというが、離着陸に許されている空域など滑走路から空路まで、「見えないパイプ数本」の内側を、ひしめき合いながら飛ばされている理由!からではないか)。

 こんなトンでもない現実と引き換えにして、「アメリカによるアジア支配」を日本は積極的に支え、彼らの権益を守って来たのだから、外交上言いたい事を主張してきたならば、こうした日本人の功績はもっともっと評価されていなければマジャクに合わない。
 
 こんな現実に目をつぶり、手も着けようとしない官僚などをそれでも優秀というのなら、では何が拙劣なのだろうと、逆にツッコんでみたい。
 『外務』たったひとつ取り上げてみたところでこんなもの。
 それぞれ他の省庁の官僚にしてもどこがどれだけ違うのか。

 経済の方は今日、東証ダウは8600円。対米1ドルは89円。
 アメリカがいわゆる「ゼロ金利」発表だというのに、89円へと円高に…。
 なのに株価はというならば上げ始めている。
 ならばここらあたりが「株価の底値」なのだろうとボクは観ている。

 従来ならば、ここで円安の方向になって良いはずなのに、逆に通貨が上げているのはそれだけ日本の底力が対外的に評価されている証しとみるのが健康的ではないか。

 『ちがう』という意見もあっていい。
 だけど、現在の欧米では通貨までがバカ安レベルに墜ちているのである。
 彼らは我々とちがい、
 『安いといって、海外の品を買うこともできない(外貨の)立場』なのである。

 どちらが優位か、力関係で考えたって良いではないか。

 冒頭のミラーさんではないが、「売れない」「買ってくれないだろう」だから「クビにする」。
 毎日の報道こんなのたくさんだ。

 『320人の内定取り消し者が出た』。

 彼らには可哀相だが、『全国で…』という付帯条件が見落とされていないか。
 その全国、50都道府県でいったら各地方自治体で6人あまり。
 こんなトリックまがいのあおり報道について、どうして見抜いて冷静になれぬのか、どこか誰かの脳みそが欠けているとしか思えない。

 ボクが同情するのはむしろ彼らの内定を取り消して袋叩きに遭っている企業のほうである。

 「君らを雇い入れても、今後は業績が悪化してゆくだろうから、先で迷惑をかけるよりも他にチョイスする猶予があるうちに内定を取り消したい。」
 こうした先の見通しを公開できるマンション販売会社などの勇気のほうは、なぜ称賛されないのだろうか。

 申し訳ないけれども、「内定」はあくまで内定であって『決定』ではない。
 ボクの息子らにもそう云った。

 派遣労働者に、そうした辛口の意見申し上げるのは、更に風当たりが悪くなろう。
 ボクも長らくフリー記者を長らくやっていて、出入りしていた出版社正社員への待遇と自分を比べ、嘆くようなマネはしなかった。

 ボーナス時期の格差などひどかった。
 あちらは「3ケタ回答獲得!!!」などと沸く中を、ボクらフリーには「ワシントン靴店金券1万円分」だけである。
 だが、ボクらには自由があった。
 何より仕事にはフレキシビリティがあるわけで、他媒体とのかけもちも許されているから、時おり正社員よりも、「稼げていいなあ」とうらやまれる先輩らもいた。

 生殺与奪…それはフリーの宿命である。悲しくも、また楽しくもある。

 同じくアウトソーシングの会社に身をあずけ、派遣の申し込みがあった会社へ出向したならば、そのフリーハンドは派遣先の手にある。そうした契約なのではなかったか。

 契約は契約なのである。だが、契約に違反して制限条項を超えたり、約束不履行などでのクビ切りとなればそれは法律違反のリストラである。しかるべき機関や法廷へと訴えるべき問題である。

 泣かねばならないのは「そうした弱い契約」を呑まなければならなかった身の上にこそ涙すべきなのであって、契約期間の終了を通告され、『それはおかしい』とスジの違う道理を展開するのはどうだろう。
 『それはおかしい』ばかり、いや異論は許されない状況はおかしい。
 雇用契約という「民事中の民事」であるのに、”『それはおかしい』という主張だけが100%”を占める、お涙ちょうだい的論調が馬鹿げているし小児病的ではないかとボクは指摘したいのである。

 それは悲劇のヒーローのような被写体をアップにして、正義感ヅラどもがレンズを向けマイクで声を拾い、それをしたり顔で全国に流す。
 そうした彼らの師走を「気の毒に…」と思わぬ者など(ボクも含め)誰かいるだろうか。

 ボクが「もっと気の毒だ」と同情しているのは、そうした「契約再延長せず」を抗議する労働者らの申し入れに対し、門前に立って追い返す役目をさせられている…かつての同僚職員である。
 会社のイヌとなって顔をさらし、そのままオネアされている彼らこそ憐れ。それ以外のなにものでもない。

 こうした”片方だけに過保護な報道”など、どれほど罪つくりなのかわからない。
 本質を突くわけでもない、現象面だけをエモーショナルに振り回したような姿勢では、本当に護らなければならない権利をゴッチャにする効果しか考えられない。
 ニュースを毎日観る側の判断力をマヒさせて、詰まるところ今後追及すべき問題が露呈した際には見落としてしまう作用しか生まないだろう。

 冒頭のような「ミラーさん」のような日本人が、雄々しくあちこちで火の手を上げなければ、この国の白痴政治ではとうてい守りきれないのかも知れない。

12月15日(月)  おかげさまで  (^^)v 最高
 先月17日付、当『・・・日記』でお願いした「気の毒な猫」の里親募集で新展開とご報告です。

 以下、依頼者のボランティア女史Aさんからの報告です。

 おかげさまでめでたく、(雌猫は成城の可哀相な猫ちゃん、どんな子でもいいとの依頼)
先週成城の若夫婦にもらわれました。
 同居の年取った老猫とも仲良く遊んでいるとの事。

 ほんとだったら死ぬはずだったのにと、運命はほんとに判らないものですね。

 雄猫はふわふわオチャメで愛嬌たっぷり、こちらもほしいと言ってくれる別の方もいたのですが
 たばこモクモクお断りしてきました。

 ブログに乗せていただいてありがとうございました(「ブログ」じゃねえし 笑 前野)。
 寒くなりました、みなさまお体お大事に

 追伸
 署名ありがとうございました
 餌やり罰則化条例荒川区議会で可決しましたが、『地域猫へは例外』請願活動は可哀相なねこをつくらないよう、区と協力して行くつもりです


前野から

引き続き「オスの方」もよろしくどなたかお願いします

12月2日(火) / どこかネジれた「参議員宿舎」強行建設問題  (^o^) まあまあ
 「私たち参院議員は、政治活動に専念するため、樹齢100年を超える木を何本も切って作った議員宿舎に住んでいます。」
 このように我が国の国会議員は、国際会議の際に出会う世界の政治家に対してこう話したら、どのような軽蔑を受けるかといった地球的感覚がまったくのゼロであるようだ。

 きのう、千代田区の上智大やホテルニューオータニ至近の、紀尾井町は清水谷にある風致地区をつぶし、参議院議員宿舎を新築しようとの計画が座礁しているのを打開しようと、類人猿の西岡武夫参議院議運委員長が都知事を訪ねた。

 地域住民を先頭に都民全体の反対意見を受け、都知事や副知事も一体となり、こうした都心にまだ残っているのオアシスの自然破壊と引き換えに、参院議員宿舎建設には反対で一致している。

 かつて、国を憂える若い学生や労働者らがここに集まり、国の不正や「芸者外交」を怒り、大声で怒鳴り合い隊列を作り2キロ先の国会を目指しデモを出発させた名物スポットでもある。
(そしてここを出て100メートルもしない赤坂の東急ホテル前で私服刑事らによって、その指揮者らがサッと拉致されるようにパクられてゆくといった儀式が行われる。デモをジグザグさせたというカドの「東京都公安条例違反」で彼らには3泊4日の宿泊が義務付けられた。報道のカメラを持ったボクらにとってここはそうした意味でもシャッターチャンスを必ず提供してくれた場所だった。どうでもいいっか)

 この清水谷公園を中心に、かつての大名屋敷=江戸城に近いため中でも大物藩主らの屋敷が多く点在し、それ以来立っている名木がこれら世情の移り変わりを見下ろしながら、何百年も凛とそそり立つ、都内とは思えない静ひつさも緑の木々によって吸収され守られてきたからである。
 江戸幕府により参勤交代が義務付けられてから屋敷を作った大名らにとっても、それ以来となったら、庭のチマい苗木にしたって樹齢200年ものキャリアを誇る計算となるのである。

 これを土地ごと掘り下げぶっ壊し、議員様サマが仮のお住まいをお造りになろうとなさっているのである。
 戦前のファシズムの世の中にではない。2008年の現在で…である。
 だがいくら都側が反対しても、国側がごり押しをした場合は、もうダメらしい。
 そこんとこ、あまり士農工商の時代と変わりはない。

 云っておくが西岡武夫という、チンパンジーが背広を着たみたいな者は、長崎の二世議員で、元は自民党だったが今では民主党党籍だが、もともと新自由クラブだのあっちへ行ったり復党したり繰り返す、腰がフラフラの九州男児(笑)。

 こうした局面でボクには良く理解できないでいる。
 どうして民主党はこうしたテーマを前に、ここで兵を引き、「議員特権の放棄」に向けて努力しないのだろうか。
 あの赤坂溜池の超豪華衆議員議員宿舎問題にしろ、いつの間にか民主党などはまっ先に野党としてのアイデンティティを放棄し、「税金の無駄遣い」「歳出の削減」に向け骨を折ってみせるパフォーマンスさえせずに引っ越ししかしなかった。

 この問題につき国民に向け「点数」を稼いでいるのは”あんな石原あたり”である。
 こいつまでが(どのツラ下げてか)
『無駄遣いはさせない』とおっしゃって下さっているのである(笑)ありがとう。
 建設費一兆円もかけたあの都庁の中で「無駄遣い」というのだよ。
 週二日勤務の登庁でがっぽり都知事給料ボーナスほしいままにしているあの男にだよ(笑)、もっと働いてからモノを言え。

 また、元信州大全共闘(当時は無抵抗主義全共闘と、勇名を馳せていた 笑)だったという猪瀬副都知事も『絶対阻止する』という構えで自然を守ろうとしているのみが頼のツナサンド。
 それにしても、西岡という者を民主党サイドが抑えて廃案へ骨を折ってみせる…といった選挙民へのサービスくらい、ここであってもバチは当たらない。

 「無駄遣いする政権与党、それをさせまいとする野党」
 そうした単純な図式でボクら選挙民は納得してきている。
 だのに、この西岡率いる参院議運の執拗なゴリ押しぶりは、そのポジティヴイメージを「180度くつがえす」ものとしてしか映らない。

 言行一致が求められているのは政権与党だけとは限らない、野党のリーダーを気取るなら、ここで一番指導力を発揮して、「自然と守るため住民の意見を汲んで宿舎建設断念」と、超党派だってこの際拍手を多くが送るだろう。

 外国の議員らを前にして、やたらニヤニヤするだけの国際感覚しかないわが国の議員さん(にお役人)。
 彼らを前にして「完成した宿舎」と「建設前の予定地」の二枚の写真を見せる勇気があるだろうか。

 おそらくあの無政府状態のソマリアの議員にしたって
「木を伐り、議員宿舎を作るような感覚」の者など、もはやこの地球の人間である資格を問うことだろう。

 ワカった!それだから、この問題の交渉役に西岡武夫という人間ばなれを持ってきたというのも座興なのか(笑)。こいつの中学同級生が美輪明宏というのも可笑しい。
 長崎市立ゲテモノ中学…【長ゲ中】とか【ゲテ中】とか親しまれているフシもある(いや、ないだろう 笑)

 そんなに必要な宿舎なのだとしたら、いっそ『国会議事堂』のメチャクチャ前庭が広大なコンクリートの前庭に建設すればよろしいではないか。
 建設費も惜しみ、テント村にしてまで…というのなら、国民は消費税アップにでもシッポを振って国家の危機を認識して協力しようというものだ。

 それくらいの気概を、ボクら国民は今こそ求めているのである。

 でもこうした「宿舎問題」などでのアヤフヤさが、案外、民主党の限界性なのかもしれない。
 アンケートなどで、あれだけ政権与党が「敵失」を毎日のようにやらかしているというのに、『民主党に政権を担当させたい』にYES票を投じない大規模な人数がいるというのも、どうやらここら辺の「結局は自民との連合ねらっているだけ?」との不信感が横たわったまま(手を付けようとしない)、抜きがたく存在するからなのではないか。

 どうしてこうした点について、どなたか指摘してくれないのか、不思議でならないこの問題なのだ。

 写真下:《2・12生まれ》と、このボクに誕生日が1日足りなかったため、人間になれなかったオリバー・西岡君(72歳)

12月1日(月)  今こそ叩くべきは森喜朗  (^o^) まあまあ
 立花隆さんのお書きになるものから、常にボクは影響を受けてきた。
 それはその都度、ボクの肋骨を観音びらきのように切り開き、凝り固まった硬直したものを取り出すようなものだった。

 この悪評ばかり一人前に高い麻生首相が、「総裁」に名乗りをあげていた際の事、立花さんはこの9月初旬のタイミングで週刊文春(9・25号「私の読書日記」)にこう書いてバッサリ斬って捨てていた。

『福田首相の突然の辞任で、政界はテンヤワンヤ。たちまち五人の政治家が立候補して自民党総裁選がはじまった。
しかしどの候補をとっても「あなたマジで総理大臣になる能力があると持っているの?」と茶々を入れたくなるような、B級C級の人物ばかり(含む麻生太郎候補)。
少なくとも福田総理だけは、「自分を客観視できる」能力があったので、自分の無能にいち早く気付いて辞任したわけだが、候補の五人には、その能力がそもそも欠けているらしい。』

 その立花氏が、【田中角栄研究】を月刊文春に発表した際、多くのマスコミはしたり顔をして口をそろえた
『そんなにのは昔から云われてきたことだ』と記事にもしなかった。「新味がない」と。
 彼らは自民党の旧来の金権体質に慣れまくって「番記者」だの「記者クラブ」制度の枠から外へ出ることもなくなっており、日本の全ジャーナリズムは嗤うだけで、この特集記事を黙殺した。

 ところが、これをアメリカの通信社が「日本の首相のスキャンダルが有名誌に名指しで告発された」と、この若手ジャーナリストの「新鮮なアレルギー感覚」がこの重大性に目をとめた。
 ”日本で誰もが相手にもしなくなっていた政界の黒い常識”をまとめた立花氏の記事を、まともに真正面から問題視。外電として本国や世界各国に送ったのがきっかけだった。

 そうしたらそれを受け取った各国の新聞や放送のデスクが「これは一大事じゃないか」と、自分らのメディアでこの記事をまず紹する。
 そのうえで、こうした腐敗を「当たり前の事」として長年見逃してきた日本のジャーナリズムや国民の『正義感の慣れ』にガイジンさんは驚いて見せた。

 それで初めて日本のマスコミは『世界が騒いでいるから』と、まるでお墨付きを頂戴してきたように、かかる自民党や政府、そして政商と呼ばれた黒幕どもに対して取材を始め(ることができ)たのである。
 そう、社会史に残るあの《田中金権問題》。じつは「立花氏発の『逆輸入正義感』からはじめて追及が始まったのである。

 ハナっから日本の国には権力者らや政治腐敗に対して、いかに自浄能力というものがなかった…という事なのだ。
 これが正しい昭和史認識というものだ。

…『そちらに小佐野賢治が所有するホテルがあるが、それと田中首相との結び付きをうかがわせるような事象があればどんな細かいことでもいいから取材して送ってくれ』と、当時の週刊ポスト誌トピック班関根デスクから、ハワイのボクの狭い部屋に深夜(=日本の夕刻)電話があった。

 翌朝、駐在歴ではボクの後輩格、年齢大先輩の共同通信ホノルル駐在員からも
『なにか噂を耳にしていないか、あったら何でも教えてくれ』との電話で叩き起こされた。
 田中首相めぐり、何か一大事が日本で起こっているんだなと、彼らの『飢え求めっぷり』でそう直感した。

 たしか日米首脳「田中・ニクソン」会談でこの新首相がやってくる前年、小佐野社主が経営する国際興業なる日本の法人が、ワイキキの一等地にある豪華ホテルばかりを軒並み買い取って大騒ぎになった。

 それはたわむれに計算してみたところ、オアフを含む全ハワイ諸島にあるホテルの『客室のなんと42%』をこの甲府出身のオヤジ一人が手にしている計算となった。

『(あ、あの部屋の人だ)』
 思い出したのは、小佐野さんの今回手に入れたホテルのペントハウスが、ボクの住むアパートから直近で、どうやらそこはホテルの客室ではなく、長年『小佐野さん専用の最上階』として見上げられてきた”部屋”だった。
 ゴルゴ13ならば、ボクを留守にさせたうえ忍び込み、ウチから狙撃しただろう位置関係だった(ワカりやすいなあ 笑)。

 そして年が明け自民党佐藤内閣退陣のあと、大勢は佐藤栄作が支持する福田赳夫と読んでいた潮目を押し返し、田中角栄首相誕生。
 この時、政治資金という武器さえあれば支持基盤だのなんだの関係なく、首相にはカネでなれるものだという悪しき実例が誕生し、それ以降も続いて(?)いる。

 その裏の立役者『小佐野さんのハワイ』において、彼のカネで首相の座に就いた田中氏が、アメリカのニクソン親分への就任挨拶行脚として、ロクでもない会談を開くためこのハワイを選んだのであった。
(本当の小佐野氏の狙いとは、間違いなく「ハワイの賭博合法化、そしてラスヴェガス化」にあった。田中首相はその夢への布石、またはツールにすぎなかった。だが、ハワイ州議会が絶対反対の姿勢を崩さなかった。当時これが実現していたらどれほどの富を氏は得たことだろう。)

 考えてみたらこの当時の2500億円という買収額。
 戦後一貫して日本政府が「一般人には1000ドル」までしか海外に持ち出せないよう制限し、必死に通貨を国内に貯め込んで『国としての体力』を付けてきたせっかくのものを、この政商はやすやすと国庫からこれだけのアマウントの米ドルを、自社の為に持ち出せたのか不思議である。

 おそらくカネを前にしては外務省も大蔵省など、法も正義もヘッタくれもなく、田中や小佐野氏相手ではヒザを屈した結果なのだろう。ここには元大蔵相田中角栄の直接・間接の不正があったのは間違いない。

 そしてこの首脳会議では、日本の首相一行から外務省の随行団、番記者らが大挙して押し寄せて、彼らはワイキキのこの小佐野氏のホテルに投宿、田中はここでもプロモーションに花を持たせたのである。

 そしてボクはこの際、彼ら番記者らに「土産代」(?)として『各自500ドル』から『1000ドル』のカネが、首相サイドから贈られた…。というより、握らされた事実をつかんでそれを送った。
 それはどうやら、配った際の人脈からいっても官僚ではなく、小佐野さんの関係のフトコロから発せられていたものだった。
 思えばボクが19歳の時のスクープだった。

 それをいったい何人のジャーナリストがこの「土産代」の受け取りを断ったのかは耳にしていなかった。
 渡す方も渡す方で、そうした「つまらない正義感」など起こさぬための配慮か、持参した者を「田中側近とは思わせぬよう」握らせたり、「自分が返したらXXの顔をつぶす」という日本人特有の意識を狡猾に利用したような、黒い配慮が行き届いたものだった。

 また突っ返さなかった記者らを、誰も当時は責めなかっただろう。
 日本全体が「今太閤」の出現、この苦労人の頂点への出世を「ジャパニーズドリーム」として拍手を送っていた空気がそうさせようもなかったのである。

 どうしてそこに気付かなかったのか…と、今になって地団駄を踏んだけれども、その最上階の小佐野邸では会期中、連日夜遅くまで火がともり、来客が訪ねていることを夜景に示していたのである。
 後年になった明らかになったのは、小佐野氏よりも「格下」の隣にあるホテルから、毎晩田中首相が通って来ては連夜呑みすぎるくらい呑んでいたいたそうである。

 その灯りをボクは、「随行の側近」や「国際興業関係者ら」の慰労などと勝手な解釈をしていたと見逃していたわけだった。
 今であったら望遠レンズでそうした無警戒な姿をとらえていただろうに。

 でもまさか、一国の宰相ともあろう者が、いかに金脈のタニマチナンバーワンとはいえ、わざわざそうした場所に足をみずからが運ぶなど、そこまでプライドなどかなぐり捨てるものとは想像だにしなかった。

 それから一年だったか、この立花さんが冒頭の【田中角栄研究】をものしたのは。
 そして新聞や放送界もようやく、立花隆という雑誌ライターを、「ジャーナリスト」としての市民権を与え現在のステータスにまで追認させたのである。
 雑誌の世界からいったらそれはまさしく快挙だった。

 以来ボクもこの立花氏に関心を持ち、80年代の初めヨーロッパへ旅行する際に羽田空港の書店で氏の単行本を発見し買い込んだ。
 まぁ、地味なタイトルの本『思考の技術』だこと。
 ところがこれを読みはじめてみたら、今でこそ幼稚園の子供まで口にする、なんと!『エコロジー』なる新知識について論理的に説かれたものだった。

 当時わずかな数の欧米の学者らの学説を、立花氏はやわらかく煮詰めて、消化をやさしくした上で我々社会に、そうした方向への思考を呼びかけた良心的な労作だった。
 
 到着後にしげしげと奥付の発行日を見てビックリ!
 なんとその時点での10年前=1971年の作品だったのである。

 そこにはクジラと沖アミの食物連鎖、地球温暖化と氷河の関係まで、いま我々が40年近く経っているというのに何にも用意ができていない我々の無力さを思い知らされる一冊だ。

 ちょうど「合成洗剤を拒否し、もっぱらお湯で食器を洗う」のが主流だったヨーロッパをこの目で見ながらの行程、スイスの水の美しさのかげにある保全ぶりの厳格さ…etc;。
 この本を羽田に着陸するまでの間に、大事に読了してしまったそうした印象深い本となった。(正直、カナリの高尚ぶりで、ボクの知的レベルの限界だった。)

 ともあれ立花さん同様、この慧眼(けいがん)をお持ちの得難いジャーナリストのおひとり、筑紫哲也という人物を、ボクらは最近むざむざと死なせてしまっている。
 世の中から筑紫さんという、一つの大きな見識が消灯してしまったとショックだった。
 この方を「核」に、もっと何かができなかったのだろうか。

 そこで正反対の野郎を引っ張り出したい。
 このところ、政界が荒れ始めるとこの野郎がチラチラと奥の院から顔を出す、森喜朗である。
 立花さんには一度こいつを『研究』してもらって、トコトンこんなサイテー野郎の野郎の存在意義を問い直してもらいたいと願っているのだ。

 忘れもしないこの男が首相時代、ハワイ沖で宇和島水産高校の漁業実習船「えひめ丸」が米軍原潜が浮上する際にハネ上げられ、卒業を前にした高校生9人の命が失われた際のことである。

 この森首相は、たしか新潟だったかで「ゴルフの真っ最中」であった。
 そこへ側近が駆けつけ、「米海軍艦船との事故」の一大事を首相に伝えた。

 それを森は、プレーの続行を選んだのである。
 この時点では『教員や生徒、36名が海に投げ出されている』という内容だった。
 それにもかかわらず…「ナイスショット」…である。

 ハワイの日系社会は涙にくれた。
 そもそも、アメリカの沿岸漁業はハワイの漁師から学び、進化を遂げた。
 それは他でもない明治時代以降、ハワイに渡った漁業移民の愛媛や和歌山をはじめとする日本漁師がこの地で技術やノウハウを伝授し、アメリカ最高レベルの沿岸漁業を伝えていった苦闘の歴史がある。

 わざわざ、『ニッポンからハイスクールボーイらがやってきて、こんな事になって』と、自ら詫びるように花を添え、悲嘆にくれた。
 若手ミュージッシャンのジェイク島袋は、「えひめ丸」の亡き生徒らのためにウクレレによるレクイエム曲を捧げ、今もコンサートの際には必ずこの曲を披露し、オーディエンスともども黙とうをささげる儀式を忘れない。

 全国民は生涯にわたり、この国の首相ともあろう者がこの日冒した罪を忘れるべきではない、とボクはいつまでも粘着したい。

 結局はだれが首相になって掛け声をかけようとも、わが政府や役人にとって国民の生命など『しょせん、こんなもん』なのである。
 そう考えると、現在の社会問題など多くは
「ああ、やっぱりそうだったのか」と片付いてしまう。
 ドライも何もない、冷たいのである。人間の品質がそもそも悪質なのである。

「格差社会」だのが積極推進される「それ以前」の問題(事件)だったのである。

 首相は、ハーフラウンド=9ホールを終え、ようやくこの問題へと腰を上げシブシブ、官邸への帰途へと就いたのである。
 大げさかもしれないが、この事故などは政治的な背景次第では戦争の危機さえ考えられる事態でもあったのではないか。
 相手は米海軍、最精鋭の原潜、そして相手はわが国の民間・非武装、しかも被害者は高校生らなのである。

「よっしゃよっしゃ」とでも無理やり日本側が云わないかぎり、よほどの国際問題にまで発展するのが本当である。
 少なくとも日米安保での重大な譲歩まで勝ち取ったっておかしくない事象である。

 逆説を採ると、この問題ではこの上記「よっしゃよっしゃ」を、森は裏でよっぽどやってその挙句、アレモンで政治決着をしているのである。
 もしかすると、『思いやり予算』で遺族への補償は米海軍の肩代わりをしているのかもしれない。それくらいの政治不信を招いていたって、ちっともおかしくない。

 かつて福田赳夫総理は(そんないエラかないけど)、人質事件での超法規的措置にあたって、
『人の命は地球よりも重い』と苦渋の選択をとったことがある。

 それが森の場合などは、36人が危機にさらされても平気の平左で”ナイスタッチ”。
 これで誰も攻撃さえしないほどの『保守何でもあり』の世情が営々とつづき、日本全土に渦巻いている今の狂的現状について、こいつらが先頭に立って眉をしかめ『それは戦後教育のせい』と責任転嫁しすまされている。
 
 こいつにとって白いディンプルのボールが、ヒト36人の命のほうが重かった。
 この『ハーフまでやり続けた』姿勢にこそ、国民の前に彼らの正体を高らかに示してくれたわけである。

 ボクはこの森が、”ゴルフのクラブをそれ以来折った”との、せめてもの呵責にかられている様子など耳にしていない。

 そんな最低限のフォローについて聞くどころか、この夏も相変わらずキナ臭い派閥の連中と、ニヤニヤしながらゴルフに興じる姿を、テレビの画面で眺めるにつけ、はらわたが煮えくりかえる。

 このような姿をいったい、「えひめ丸」の遺族の方々や彼らの友人らが見たらどんな気持ちになるのか、ボクには言葉も見当たらない。

 この「えひめ丸遭難事件」は、首脳にとって究極の「危機管理センス」の試験であったはずだ。
 さらに、政権党にとって、「政治とヒューマニズムとの位置づけ」についての試験紙でもあったわけだ。

 そして末路は『支持率 7パーセント』。
 世の中捨てたもんじゃないというか、大笑いの大爆笑ではないか。
 
 ところが、こんなボロボロにKOされ再起不能とされた者を拾い、道義を問うわけでもなくそれを再度たてまつった奇特なバカどもが、元福田派である「清和会」という連中である。
 こんな森が後ろ盾として登場するのもよっぽどの人材不足なのだろうが、さすがにヒトを選ぶセンスも卓越しており、この後の首相、小泉、安倍に福田、そして「顔ひしゃげ野郎」と4代にわたり森がゴッドファーザーとして機能してきたのは周知のこと。

 だが冷静に顔ぶれを観察すると、この猟奇的人選はエスカレートするいっぽうのようだ。
 そしてすべて四人に恩を売り、この【7パーセントバカ】は奥の院として後ろ盾を自任し、『天の声』を発してはキングメーカーとしてその都度、総裁選当選者の決定権を欲しいままにしてきた。

 これは天下に見せて、外国人に通訳してもこれほど恥ずかしい事実はない。
 早い話、森喜朗こそ現在の日本で
『日本一の権力者』であると申し上げてよろしい、異議のある方は申し出てください。

 したがって、人権意識も弱者保護も福祉も経済も、選民意識もすべて、このおやっさんの域=7パーセントの福音(笑)を、衆参両院与党議員の誰も、一歩たりとて踏み出ようとしていないではないか。

 たかが[7%]のクセして(立派なバカである)一人前にこうした人間が「君が代」「日の丸」を語り、世を「美しくない」と憂い、時には「こんな自分を責めるような戦後教育」こそが諸悪の根源と自己合理化し、はては演歌を気取り人情のはかなさまで説いては嘆いてみせる。

 究極は福田のように、「オレを批判するようなお前なんて、自分を客観視できないだろ。」といきなり発狂して周囲を驚かせるほどに、それこそ客観的に物事が正視できない段階にまで、ヒトの道という線路を外れてもまだ走り続けようとしている宰相まで発狂退陣するありさまだ。(あの時、福田にツッコまれた記者氏はよっぽどの自分勝手なのだろうか)

 そしてかならずこうしたテアイの習性として、周囲から批判され始まると、人一倍「教育」を語ろうとするのがかかるケダモノらの習性である。
 どういうわけか、森がOBである「早稲田の雄弁会」なるクラブ活動のボンボンからは、およそロクな野郎が育ってこなかった。

 彼らOBに共通していることといったら、結局は小ズルく、謝るべき時に「いかに逃げおおせるか」という、早大生らしくない、むしろ女々しいテクニックだけを語り合うような点である。(「松下政経塾」もそうした特徴では同類項である)

 こうした「7%ドン」を政治の頂点に、致命的な非人間的体質をいつまでたっても無批判のまま、日本の社会は水平に進行したままでよいのか。
 いいかげん、こんな者に政権がお伺いを立てる悪習は叩きつぶさねばならない。

 『森嘉朗研究』by立花 隆。
 ちょっと売れるタイトルとは思えぬところだが、そうしたアンブッシュした形態を「隠然とした権力」と呼び、最も恐れるべき支配のカタチと認識した方が良い。

 国民の多くが『単なるバカ』と片付け、油断しているようだ。
 だがそれや野郎の狡猾なテなのである。
 町村に清和会という58人もの党内最大派閥をゆずり、前面から下がったとはいえ、そんなものはより降格になっただけの事で最高権力者あることには変わりはない。

 いつまでもこんな者に”隠然と”いつまでもキャスティングボートを、むざむざと握らせているなんて、ボクが与党の議員なら恥ずかしくって穴があったら入りたいところなのだが、どうやらそうした声は国民にはちっとも聞こえてこない。

 それに【松井秀喜後援会長】でもあるしのがハタの者としても、とってもはずかしい(笑)。

 テメエが7パーセントだったっていうのをタナに上げ、「国民が」とか「議会制民主主義とは」などとヌカされるたびに、ボクはいたくて痛みにたえられないのである。
 「片方の腹」が…(笑)。