【2008年5月】

5月31日(土)  ああ雨の中、はるか川崎に思いをはせる  (^o^) まあまあ
 ホントに本を出すということは大変な事だ。

 特に7月に出す本は(予定ですが)実在の登場人物やら団体、組織の歩んできた事がらをドキュメントとしてもイケるよう綴っているため、何度書き直したり、訂正をした事か分からないほどだ。

 あまりに忙しいので、大好きな競馬もこのところすっかりご無沙汰で、先週の日曜も今日の土曜日の府中もやっていないくらいだ(笑)。

 明日のダービーは青葉賞の勝ち方から見て、川田騎手の乗る「アドマイヤコマンド」の1着固定でイケるだろう。それに大外枠の「クリスタルウィング」。
 この馬はその同じ前哨戦でアドマイヤの2着だったが、鞍上の(地方競馬出身)内田博がこうした悪い馬場は気にしない事はもとより、この馬は鞍の上を眺めて走る気性の馬と見た。
 つまり、この馬は「内田が乗れば強い」で、買えるという事。
 1・2着までは無理かもしれないが、相手がどうあれ、2・3着には食い込んでくるような根性が非常に勝った馬である。

 あ、そっかその青葉賞ではその1・2着を◎と△で押さえてあり、”代用品”だったけど三連単で616倍を取ったんだっけ。

 だけど、ホントは4着にまで突っ込んできた(16頭立ての16番人気!)ゴールデンハッチに敢然と「○」扱いにしていたのだった。

 それがほんのわずか、3着となっていたらなんとボクは今頃ベンツSLRを下駄がわりに履いていたのだった、どうやら予想配当の手取りを『2桁も!』控えめに見ていたらしい(オッズは未だに詳しく見ていないほど)。取れはしなかったものの、無欲の勝利というものは案外身近にあるものだ。

 だから、616倍の発表に
 『ちぇっ、今日はこれくらいにしといてやるか』とじつに生意気な言葉が口をついて出たほどだった。

 それから考えたら、たしかに本を出すなどじつにビンボーくさい営業行為ではある。
 予価が1800円だから印税は180円、7000部の予定だから…。

 ふ〜ん、作家たるものどデカいベストセラーを出さないとラクじゃないんだなあと痛感。
 「さっきの三連単2000円分じゃん」と思うのは性格破綻者。
 地道に執筆活動続けるのが文化人。

 ここら辺なんだなあ、前を見ちゃいかんぞ。
 大事なのは生きた足あとを残すことなんだと思う。

 今日もセパ交流戦で雨の中、マリーンズが各カード毎に一回開いてくれる『鑑定大会』も、昨朝から関東地方降りっぱなし、の中を幕張へ首都高/東関道乗り継ぎで出勤。
 それにしても、5リッターのアメ車(MUSTANG GT)に幅広のGoodYearEAGLEという組み合わせで雨の日なんて乗るもんじゃない。グリップがてんでしない、ケツ滑りすぎ。

 駆け込んだ会場もそぼ降る霧雨。コートをだらだらさせながら、気温4月上旬というあいにくの土曜日…という悪条件なのに、なんと約30名さんが行列して待ってくれていたのである、泣けてしまうぜ。
 だいたい、今日の午後に野球やるのかよ、そんな薄暗いほどのナマリ色の空。
 
 集まってくれた方々、そこから予選、7組選抜決勝のステージがあって、晴れのMVPに2組選ぶ。
 商品は「マリンスタジアムのVIPルームでお好きな方と1試合のみ観戦できる権利」。

 字面はナンか安っぽいが、とんでもない。
 年間のシーズン料金がなんと「750万円也」の貴賓席。

 やっぱりいい物が多いなあ。
 転売目的でヤフオクなどで買い、それを値踏みしろ(つまり、売れば差額がいくら稼げる?)だのいったきな臭い品が顔出しではやりにくいのか混じりにくい。

 気になったのは米最大の鑑定会社の扱った
 『ノーランライアン92季実使用レンジャースホーム用ユニフォーム』
 支給タグも「1992 34」とあり、おまけにテーラーメイドタグも「+4inch」といった具合のRussell社製。

 ”印刷された署名入り”(笑)の鑑定書など見る必要などあるものか。
 申し訳ないが、お金持ちそうな依頼人だったので予選を勝ち抜いてもらって、二度と引っかからぬように『石に』なってもらった、無論「他山の石」である。

@Ryanのサインは120%本物!100点満点の筆跡だ。
@当時の氏は、自分の実使用ユニフォームに、サインをわざわざするのを嫌がった。なのにどうしてこれに?
@「+4 inch」、指で測るまでもなく、タテに『ほぼ10センチ』長くさせたオーダー、とは思えない。
@氏の「実使用」つまり登板用にユニフォームに、当時『Russell製』はいただけない。

 だから、精巧に出来たプロカットとも一部が称する「オーセンティックユニフォームのサイン入り」。
 百歩譲っても…、いや譲るのはやめた。
 で、「20万」で勘弁してもらった。彼の努力賞である。
 原資が回収できたかどうか。
 額面どおりの本物だとしたら引退前年の逸品、120〜150万ってところか。 

 終わって各組の皆さんと握手すると、本当に冷え切っていた。ごめんなさい、スタンドの軒先だけで。

 冷えた身体にコレがよかった。
 川崎球場で思い出の深い『肉うどん』の作り手を、オリオンズOB会の横山さんの奔走で今日スタジアムに呼んできた復活うどん。
 食券売る売店の場所により、『内野うどん』とか『外野うどん』と印刷された切符を渡され、こちとら肉うどんって伝えたのに、どうしてこうした食券を出すのかワケ分からない川崎球場のナゾの一つだった。

 いや〜なつかしかった、ありゃ牛のスジ肉だろ、それを醤油で辛めに煮て、それを何の変哲もないウドンの上に載せただけだけれども美味いんだこれがコクがにじみ出てて。(辛さでいえば「吉野家」ではなく「松屋」に近い)

 交流戦の開催中は正面広場で開店するらしいので行く価値はあります。
 オヤジさんらの弁では、普段は「等々力スタジアム」で商売しているとのこと。

 で、また脱線したが集英社の編集長さんから
 「タイトルを決めておいて下さい」とこうしたイベント事かかえているだけに、ボクが否定したばっかりの「告知」のために、タイトルを決める作業が先週あった。

 かつて、弱小で隔週だった少年ジャンプで、常勝帝王少年マガジンを抜き去り、巨大な売れ部数を実現した伝説の編集長、西村繁雄さんがある日ボクに
『そもそもタイトルの下手なヤツは才能もパーなんだ』と、酔った勢いで抜かしやがった。

 だけど、ボクの今回のモトとなった作品【川崎ドリーム】なんて、実は西さんの一番弟子=次代編集長の後藤広喜さんに頼んで名づけの親になってもらったもの(笑)。
 じつは…なんて云い出せなくて黙って笑いをこらえていたけれど。
 余談だけど、社を辞めて西さん自身が書いた本のタイトルがフルってる
 【さらばわが青春の少年ジャンプ】なんだぜ、お立会い(笑)そのまんまやんけ〜。

 ともあれ、内容がちょっと昔の川崎球場とロッテオリオンズだけに、書店にポツンと並べていてどこまで通じるか、あれこれ考えたが、順序を追って並べてみると、ボクと云う人間はバカじゃないのかなと思えてくる。

 考えてみると小学校、いや幼稚園の頃から今までに教師から叱られてきた言葉のナンバーワンは
 「シゲオちゃんはホントに落ち着きがなくって、すぐに他のコトはじめ同じ事がつづけられない」

 という、恩師ら寄ってたかっての観察眼も、案外マトをはずしていない人物評だったことが分かる(笑)。

 自分でやったブレーンストーミング(?)のタイトル案用紙がコレだ。 

@川崎球場ここまでやるか  
@川崎球場だけど、なにか?
@川崎球場だけど気にしない?
@川崎球場でわるかったね
@朽ち果てぬ川崎球場
@川崎球場ものがたり
@閑古鳥にも五分の魂川崎球場
@川崎球場閑古鳥の目撃録
@球界遺産「川崎球場」目録
@いっぽん気川崎球場
@川崎球場ホールミタイト
@川崎球場ホーミタイト
@川崎球場ベンチ裏物語
@川崎球場ネヴァリターン
@川崎球場の積み残し
@川崎のリグレッツ
@川崎球場従軍戦記
@球場は川崎
@川崎球場はド演歌だった
@川崎球場人物列伝
@定本・川崎ロッテオリオンズ
@川崎球場情話
@川崎球場サルベージ
@涙の乾くまで川崎球場
@川崎球場再浮上
@川崎球場の真実
@川崎球場になぜこだわるか
@誰もこなかった川崎球場
@しげおの川崎球場
@誰も知らなかった川崎球場
@男たちの川崎球場
@泣いても笑っても川崎球場

 つづく(笑)

 そして先週、編集長にこの案をプリントして神保町へ持参した。
 「腰巻(本に巻いてある帯)」にどんな方がこの内容を好意的に理解してくれて、その方の書評なら、「そんならオレも買おう」と、決起してくれそうか考えて提案してくれ、と質問メールが来たので熟考の結果、

 『京唄子師匠』

 あの人ならこうした人情でオイオイ泣いてくれるだろうから、そう書いて送っておいた、それへの意見も今日話してくれるだろう。

 さて、唄子はんはどう捉えられたんだろ。
 編集長は
 『またゆっくり、腰巻のほうは検討しておいて下さい』
 そっそれだけかよ…。

 で、ドキドキの「タイトル」である。

 編集長は
 【川崎ボールパーク オリオンズを愛した男たち】と、A4用紙に鉛筆でサラサラと書いてボクに寄越した。

 『コレでいこうと前から考えていたんです』
 そっ、それだけかよ…。

 編集長はどうやらワガママで自分勝手な性格のようだった。
 シゲオは逆らうのをもうやめたという。

5月29日(木)  たまには手放しでホメてみたい  (^o^) まあまあ
 『探偵ナイトスクープ』は虫瞰図の面白さである。

 とにかくここに送られてくるハガキ=探偵への捜査依頼がセコいのがいい。
 そんなのわざわざマスコミに送ってくるかあ〜という依頼ばかりで、それをわざわざ『ゴールデン枠のテレビ番組』でやるかア〜?というものばかりである。

 ちっともグローバルだったり、アカデミックでないところが素晴らしい。
 だからヤラセやら人工的に盛り上げる必要も薄れてしまうのである。

 例を挙げよう
@ウチの子供たち(6・5・3歳)の兄妹たちはゾンビ好きで(笑)、いつかゾンビが我が家でやって来る日のために、罠をあれこれ考えたり、格闘になった時のために身体を鍛えているのですが、ゾンビさんにおいで戴けないでしょうか(主婦より)

 それを受けて、レポーターが現地へ赴く(笑)。
 やる気満々の子供たちが『来るべき?Xデー』を前にした意気込みをリポーターに語り、トラップを仕掛け、仕組みを解説している。

 そのそばから、そっとスタッフらがご近所を回り『「ゾンビが来た〜」と、あわてて走り回ったり叫んだりして下さい』と説得して回る(ここら辺が偉い)。

 子供たちがテレビカメラの前ですっかり得意になっていると、ドアをいきなり開けて息せき切る隣りのおばちゃんが
『たいへんだ、ゾンビがやって来た、早う逃げっ』と行って走り去る。

 窓からのぞくと近所の人びと、ご丁寧にも20人ほどが(笑)ドッと逃げ惑っている(転んだりしている熱演者もいるほど)ではないか。その向こうの横丁からひとりの(役者扮する)ゾンビ男が片足引きずりながらやって来る(爆笑)。
 ここまでやるから面白いのである、この大マジメなふざけ方が在京キー局には解らないのだろう。

 やがてドアを開けて入ってきたゾンビに幼い長男が半泣きながら、なんと挑みかかってゆく。
 そしてご丁寧にも、子供らが仕掛けたすべての罠のタグイに、このゾンビはわざわざ引っかかり付き合ってやる(笑)。

 最後は泣きながら格闘戦になって、ゾンビを単身追い出す6歳児(他の妹や弟はとっくに逃げていない)。
『よう一人で頑張ったな、』とリポーターがほめる。

 するとそれを合図とせき切ったようにしゃくり上げた兄は、
『いや、オレだけちゃう。みんながようやってくれたからや。』この言葉を、何度訊き返しても6歳は泣きながら繰り返すのである。

 ホンマええやっちゃ。スタジオの板についた西田敏行さん以下も涙モンなのである。

 同じような?依頼で、
@うちの子ら3人は『早よ寝んと、XX様が来るよ』と驚かすのですが、そのうち『そんなんおらんからコワいことない』と、ちっとも効き目がありません。どうしたら良いのでしょうか?

 室内にリポーターを招き入れてカメラも待機する中、ホントに特殊メーク施した、相当に恐ろしいXX様なる者がマンションのその一室にのっしのっしとやって来るのである。
 あの時の子供らの顔といったらなかった(爆笑)

@いつもあのOOの道路を歩いていると、白と黒のヤギを軽トラの荷台に載せてXX方向に行くおじさんっていったい誰なんでしょう。

@仙台市にあるA専門学院3階の便所は誰もいないのに「屁」の音がしますので調べに来てください。

@うちの小学5年の息子は映画を観たのがきっかけで昭和レトロブームにはまってしまいました。そして夢は一度銭湯の番台に座ることだといいます。どうか中学受験の前に子のこの夢をかなえてやってください。

@近鉄線八尾駅先の踏み切りの警報音の最後の音が音階外れていると思えて仕方がないのですが…(キダタロー氏を連れて行き、机を置いて音階の審査員をさせた)

@体育館の天井にある照明に、子供時代に雑巾を投げてそれが乗ったままなので、どうか取り除いてくれないか。
@ウチの女房は、「和歌山市内から外に出たのは一度だけ」でその時大阪にコンサートを聞きに20年前連れて行ってやったきりなので、どうかもう一度同じ場所に連れて行って女房孝行してやりたいのだが…(悪いけど、片道で1050円だぜ 笑 そんなのテメエでやってやれよ もらい泣きしたけど…)

 黙って読んでいりゃあいい気になりやがって…と突っ込みたい方も多かろう。
 だが、これが面白いんだね、大マジメにこうした身の回りの些細なというか、実につまらん程度の疑問や依頼を、芸能人リポーターがカメラ機材(2台)と出かけて行って撮っていると、次々と演繹法なのよね人間社会って。「ごく当たり前だ」と思っていた想定の中に意外性がそこらじゅうに落っこっているもので、どんどんレポーターというプロが、素人や意外な展開に呑まれ(喰われ)てフツーの人へと変わって行くのである。

 たしかに在京キー局でこの企画をしようとしても、現在では絶対にNGだろう。

 いちいち詰まらない文句が出るだろうし、出るものは初めから逃げておくというスタンスで制作現場(や編成)は統一されているのである。
 それ自体が『文句をいうための文句』でしかなくても、クレーマー視聴者があまりにも『正論』をタテになさるので手も足も出せないといった事なかれ主義になっているのを放送人の誰もが否定するまい。

 さて、ボクは昔カメラマンをやっていたのでいつでもレンズを覗く側から画面を見ている。

 先ほど(昨日か)の東京テレ朝はダメでも、朝日放送土曜日朝の神田正輝さん司会の『旅サラダ』という番組を眺めるのが楽しみだ。
 一度書きたいと思っていたのに、今まで書けないでいた。

 毎週の土曜朝、チックショーと内心思う。この番組内では毎回の枠の中で、海外1本国内1本とタレントに旅をさせてロケしたフテイジを見せてくれるのだが、これを観ていてボクはとてもくやしいのである。

 というのも、どうした指揮系統なのだろうか?海外&国内双方でカメラの構図を決めるのを指示する者が二篇では違うだろうに、どちらの方にも共通しているのは、素晴らしくカメラマンが《脚を使っている》ことである。
 とにかく一生懸命撮っているのである。それに気付かされ、彼らの撮る(見えない?)努力には毎回目を見張り、感動させられてしまっているからだ。

 極端な例えだが、タレント「Aが東京タワーに登ってリポートする」としよう。

 そうすると、たいがいのカメラマンはエレベーターに一緒に乗り込んで、Aの叫ぶ「うわ〜高いなあ」とか言わせた絵を押さえ、高い空からの風景を鳥瞰で映像おさえ、Aが「東京って広いんですね」とかのキメ文句で、降りてきて、地上で見上げさせ「こうしてみると高いんだなあ」と、レンズも一緒にパンアップして「A入れ込み」プラス東京タワーのあおり全景で終わる。

 これでちっとも違和感ないでしょう?みなさん。
 みんなこの程度の撮り方でOK合格なのである、先述のごとく、時間と脚を使わなくなっている今だから余計にそんなものである。これがもっとも安易で時間もかからない手法だろう。

 ボクならそうしたカメラマンなど雇いたくない。
 制作費で苦労しているのは同じである。でもいいものを撮ろうと走ったり汗をかくのに「制作費」はかからないはずなのだ。上記のような作品で終わっているようなカメラマンはそんなモンである。

 だが、我が『旅サラダ』のカメラとなると、まずは上記のようにAに寄り添って、「近い絵」は同行しながら最低限必要な絵だけは押さえてくれるだろう。これならバカでも撮れるからだ。

 ところがここからが違う。
 とにかくカメラアングルを精力的に変える。また考える。
 高さを表現するのに、ここのカメラマンなら地上に三脚を据えて、「展望台から手を振るA」の豆粒みたいな姿を捉えたり、外部からも撮れる階段を使わせてそれをヒイヒイ登るAを押さえることだろう。

 それで視聴者は東京タワーの高さや大きさを、ヴィジュアル的にナルホドへぇ〜っと認識できるのである(だが、そうしても気付く者も少ないが)。

 だから、女優のBさんなどを南国のビーチに置いてロケするならば、
 カメラを濡らさないように海につかり、『南海の小島に打ち寄せる波の向こう側からのアングルでB』を押さえたり、峠道の急峻な道をBが登っているとなれば、その急な登山道を先回りして登っておいて、頭上から下界を「息も喘ぐB」入れ込みで山道の急峻ぶりを表現するはずである。

 誰もいない田舎道をBが往く…となったら、ここのカメラマンは遠くの丘に登り、ハイビジョン画面の隅にBの歩く姿を配置、田舎道を孤独に歩む情景を演出し、画面片側へと歩き去るという静かな映像表現を押さえる。

 惜しみなく表現する…とはよく言うが、こうした名もない、あげつらっても貰えないというのに、こうした『表現し切るために「惜しみなく」努力する』カメラマンがいるという事はことのほか嬉しい。

 だから気のせいか、野心のある女優さんらはこうした「発情した感性」に触れてノるのだろう、アングルなども以心伝心、判ったように動き自分中の「見せたい自分」をさらけ出してしまう。

 だから先日などの海外ロケゲストの織作峰子という、お嬢さん芸の「自称写真家兼元モデル」が撮られる側にまわり、タヒチだったかを旅したものを拝見。
 彼女もご自身がパチリとやったものなども披露して見せたものの安易で陳腐きわまりないシロモノ。
 ここのカメラマンの押さえたアングルの洒脱さに終始対比させられては、すっかり『プロ?』の差が歴然。

 間違ってもカノ女、こうした企画のブッキングは今回かぎりにした方がよろしかろう。

 この春に局Pも変わったようなエンドロールだけれども、こうした耽美的なコーナー造りの美風は今も受け継がれている。
 現場の雰囲気はきっと和気あいあいなのだろう、雰囲気のプロデュースこそが指揮者にとってもっとも大切なのだろうなと考えさせられる番組だ。

 ハイビジョンを無理して買った貧乏人を嬉しがらせてくれる努力に拍手を惜しまない。
 ただし、年齢を気にする女優さんなどは起用しない方がいいかも。
 何しろハイビジョンで顔のアップなどをしたらシワはバッチリ克明無比!

 「欠点を隠した私たちの細工までしっかり映り込んでしまう(某ベテランのメイクさん談)」のがハイビジョンのはらむ残酷物語。

 それだけに、ここのカメラマン諸氏の手にかかったら余計にエラいことになるからご用心!
 いや、シワを年輪と言わしめるほどに『美しく年は重ねたいもの』(故東山千栄子 言)だ。

追伸:金曜夜に大阪ウェスティンに翌朝の仕事のために投宿、ナイトキャップを単身愉しんでいたところ、ちょうどこの番組のPらしき人物と神田さんに1Fのバーでバッタリ。
 幾度かご一緒したが『旅サラダを家族で毎週観てますよ』と申し上げたが、考えてみればその程度はすべてのお調子者どもが口走る程度。残念だったなあ。禿げましたかったのに(笑)

 写真はそのバーに秘蔵されている『葉巻用ストックケース』素晴らしい作りと仕上げである。おそらくピアノ職人の仕上げではないか。

 下写真2枚はそのバーのお宝

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5月28日(水)  長嶋一茂を支持する! ホントかよ〜  (^o^) まあまあ
 たまには褒めっぱなしで終わる当日記もあったって面白いかな、そう思う。

 留守にして外泊などして気付くのだけれども、自分が見逃した(録画しそこねた)番組をしまったと思う瞬間に、いつの間にか惚れていた自分を知る。

 最近、いい番組が多くなった。
 各局のコレ!といった番組のエンドロールを注意ぶかく眺めると、構成作家やらDに新しい血が参入してきたのが目立つようになった。
 どこも予算を切り詰めろとのトップダウン指令の嵐となっている現状、特に元請けの社員様を除き、実質的『制作現場の人員の90%以上』を占める下請けの制作会社諸兄には、さらに頭が下がる。

 どれほど気の毒かという例を挙げると、あの関西テレビ制作でワナにはまったかのように打ち切りへの道に墜ちていった『あるある大辞典』。

 あれなどは、花王さんが総額でいくら出しているかは別として、制作現場には一本あたり「1800万円内外」で下りてきていたものが、好評のうちに10年も経つと、あの終了間際にはいつの間にかなんと『1本600万円』にまで緊縮を強いられてしまったという事だった。

 驚いたものである。
 その差額1200万円はどこへ行ったのかという論議は立場上ボクも口を濁すけど(笑)、

 バッサリ削っておきながら、同じものを『3分の1』で、同じ味で、同じテンションで創れと局は平然と命令するわけだし、出来ないといえば『あっそう、だったら他の制作会社に』とフラれてしまうの宿命なのである。

 原価が三分の1で同じ味に…だなんてそんなもの、船場の吉兆を名乗る店でもないかぎり無理な相談だ。

 ともあれ、『3分の1』を強いられた下請けさんは、いきおい、「どうなるか予想もつかない」といったドキドキハラハラについて、作り方でいう『帰納法』という抜いたサヤに刀を納めるといった形式を多用する。

 それはテーマを追っていて、『さあ、どうなってしまうのかぁ〜ッ』と煽る、そして煽って、オチはあらかじめ『こう結論付けてくださいね』と、用意したサヤ以外には還ってきた刀を受け容れないように設定がハナから決まっている。そうしたサーキットを一周してくるスタイルやるより他はない。

 だから、余計な回り道もせず、『では別の説を採る先生に聞きに行きましょう』なんて大切なはずの(ホントは面白い!)裏トリをするといったジャーナリスティックな手法が近年テレビから姿を消しているのである。

 当然だ。そうした『この先どうなるか判らない』と、自然界の自由の風に任せて『そうかこうした方向もあったって事かフフ』みたいな、刀がサヤに還るとは限らない世間の面白さにゆだねてしまっていたら、とても60分のワク内に収まるかどうか判らないばかりか、そもそも取材にかかる日数も費用も段違いに違う。

 欧米の局などは、そうした風任せの『演繹法(えんえきほう)』がほとんどであって、日本のようなこうした人工的に誘導尋問ばっかしみたいな手法ではうるさい視聴者からすぐに総スカンを喰ってしまう。

 ともあれ、最近一番好きなのはTXの月曜夜9時からの『お茶の間の真実 もしかして私だけ?!』という番組は掛け値なしに面白い。
 TX系列が全国でもわずかしか視聴されていないので、まことに気の毒なコンテンツだと思う。

 ご覧になっていない毒者諸兄に大筋を説明すれば、司会の石原良純/長嶋一茂(&大橋アナ)のコンビは本当にラクだろう。
  TX局HPより…番組内容
 長嶋一茂、石原良純という異色の司会者が「自分だけの常識」「我が家だけの常識」を持ったゲストと共に「世間の常識」を探っていく徹底調査マーケティング・バラエティ。
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 「マーケティング」とはいうものの、お金の事は一度も出てきていない、参考までに。 

 スタジオには毎回7〜8人のゲストを招き、関根勤/土田晃之あたりが準レギュラーで、ゲスト側から番組を回すよう配置された力関係のバランスも良い。

 人間誰しも他の者に比べ、「どこかちょっとヘン」な性癖や当たり前にして気付かない家風があるものだ。
 でなかったら、『ウチの方が正しくて、そもそも世間の方がおかしい』と頑固にスジを通している。

 番組はそれらを役者を使い再現ガイドVやら、時には実写を含めてヴィジュアルで見せ、ナレーションもいい(K1ナレーターNo1氏だ)。その上でその者にスポットを当てて『正論?を主張してもらおう』というものだ。

 いったいこの企画は誰が持ち込んだのだろうか?『鑑定団』もあんなに企画が光っているものも珍しい。
 大したものだと企画に驚いていると、案外外国の番組のパクリだったりするが、鑑定団もイギリスに類似番組はあってもコンセプトはまったく違う。
 アレを受け継いで、TXに持ち込んだ紳助さんと上岡竜太郎氏の眼力はさすがである。

 『お茶の間の真実』はそうした意味でもまったくの処女雪の向こうからやって来た発想だ。
 ボクらが意地悪く眺めていても、この番組にあるのはすべて善意ばかりで、作為やら不自然なあおりやら故意のトボケなどが全くない、だいいち制作側がそんな恣意的で臨む必要などムダだからだ。

 『鑑定団』がゲスト依頼人の持つ物欲をいじる面白さに対して、『お茶の間…』の方は道徳観というか、社会への対応性みたいなものを問う面白さといえる。

 ゲストの有名人が『これだけは間違っていない』と長年信じて生きてきた常識を、この日公然と諮られ、いじり倒す。
 驚いたことに、名前は失念したけれどどれもすべて有名な芸能人諸氏が、頭をかきながら
A)家族旅行へ出かける日の朝食は全員素っ裸で食卓につく。
B)私はパンツ(海水パンツ!)を洗濯せずに日常穿いている。
C)アイスクリームは溶けてから食する。
D)私は絆創膏をはがした時にだけ出る臭いがたまらなく好きだ。

などなど、それぞれ理由というか信念があって(笑)

a)出発までに家中の汚れ物をすべて洗濯してしまい、帰宅後に汚してきたものを洗えるため、不潔なものを家に残さないから
b)汚れてもそのまま、風呂に入って洗えるから便利だし水着だと外泊して乾燥させても渇きが速い
c)だってその方がうまいでしょ〜
d)誰だってそう思いません?!

 こんな「局地的常識」が毎回7つくらい飛び出し、該当者も最初こそ照れているが、それを爆笑されたりいじられているうちに、必死に防戦へと回ったりするのである。
 その挙句、スタジオの人数だけでは満足できないと、この番組スタッフの偉いのは、さらに「その常識」についてなんと1万人にアンケートまでとって「その是非につき」追い討ちをかける冷酷ぶりがまたいいのである(笑)。

 ボクは当初この二段構えのこの二段目=一万人へのインタヴュー(アンケート)集約にはエラく金がかかるだろうと、TXらしからぬ大盤振る舞いに驚いたし、「どうせ、1万人はフカしだろう」とも疑っていた。

 それを下請けプロにやらせるのも人件費やら通信費でバカにならないはずではないか。
 それを冷静に眺めるうち、ひょっとして…とヒザを叩いたことがある。

 つまり、インターネットでアンケート会員をどこかの会社が1万人を束ねているのだろう。
 この会社はその都度、クライアントから受けた「尋ねたい質問」などをメールで一斉同報をかけて答えを募るのであろう。

 そして返って来たアンサー(と理由)をスタジオに掲示して、この圧倒的な『1万人もの声』という絶大な説得力を披露できる仕組みなのだろう。

 大事なのは、初めにその「1万人」の協力者(というかモニター)を組織する事で、一度束ねられたらあとは一斉同報一発で、一瞬のうちに質問をダイレクトにぶつけられ、しかも通信費はほとんどタダ…というネットの利用法は素晴らしい(そのノウハウを操る集団名がクレジットされるので要チェック)。

 そして石原/長嶋両氏から、それぞれ結論として
 『フツー』もしくは『ヘン』と、どちらかの意見までかぶせられ、他のゲストのケースへと移ってゆくのだ。

 誰が段取りを設定したわけでなく、スタジオ全体がタバになって自分自身を指弾してくる。
 自分にも当然信念がある、その真剣な丁々発止に他人のヤラセなど全くの不要。

 ボクはこんなにゲストが腹の底から楽しみながら、おかしいだのヘンだの言い合っているような姿など見た事はない。

 トーク番組や人間クローズアップみたいなものでも「ゲストの人間性」は浮かび上がる。

 だけどそこにはどこか演出されたり、誰かの引いたレールの上にしたがいながら、高度も盛り上がったり沈めたり…みたいな裏方の作為のほうばかり、いつの間にか気がかりで観てしまう。

 それに最近シラケるのは『ギャラはなくたって良いから、「告知」をさせて』と、バーターで出演を申し出るムキばかりのキャスティング目立ち、だいたいこんな番組が面白いはずがない。
 これも冒頭のような経費削減策が招く弊害のひとつであろう。

 長嶋さんというと『ヘンな人の代表』だと自分は考えてきたし、とりあえず利口な人物ではない方の部類に入れてきたが(笑)、すっかり見直した。この番組での彼は水を得た魚のように変身するのだ。

 毒者もここでのカズシゲを観たとたんに印象を替えることだろう。

 とにかく活き活きとして、目が輝いているカズシゲをはじめてここで観た。
 そして自分なりの主張を臆せずしまくる、でもどこか変なあの主張っぷりは変わらない。

 これも『フツーにしか見えなかったゲスト』諸氏が、じつは『カズシゲ的な側面』も隠し持っていたため、ここで本性さらけ出し思わず遠吠えが口突いて出てしまうのだろう。

 そうすると、いっつもカズシゲやってるご本人も当然共鳴してしまい(笑)、遠吠えを始めてしまうという、よく消防車などがサイレンの音蹴立てて走ってくると、ご近所の番犬はじめ意外な愛玩専門犬までが共に遠吠えシュプレヒコールをやっちゃうアレに似ている(笑)。

 ともあれ、カズシゲを見直した。だけどこうした番組企画など他にそうそうはない。

 心配なのはただ一つ、聞くところによれば他の大キー局でも、「この番組のパクリ版」を、パクリとなるべく呼ばれないようなヒネリを入れて新番組送り出す動きがあるという。

 貧乏(だった)当初の『鑑定団』を、各局が巨大予算かけてひねり潰そうとしても、結局超えられず、後発パクリ番組がいくつも消えて行ったように、光ったコンテンツを最初に突出させた番組は長持ちするようだ。

 『お茶の間の真実』存亡のキーといえば唯一、おかしな性癖を持った芸能人がタネ切れにならぬよう、せいぜいこの(低予算で済みそうな)番組のDやPは、彼らと夜遊びしつつ情報収集して貰いたいものだ。

 それから関西地区で毎回17%もの視聴率を稼ぐものの、東京では系列局のテレ朝がいつまでもママ子扱いで深夜ワクに押しやって、挙句の果ては他局=『都立MXテレビ』の金曜夜に売り飛ばしてしまった
 『探偵ナイトスクープ』(大阪朝日放送制作)は勿体なさすぎる。

 いつまでも懲りない、持ち上げも持ち上げてもポシャては最終回…を繰り返すテレ朝のドラマ、なぜああしてスクラップ&ビルドをはてしなく続けなきゃならないんだろう。(いっけねえ、「悪口モード」が始まっちゃった)

 「東京テレビ朝日」制作のシロモノを、「あんなの不要」とか無駄遣いとかの雑音を、すべて耳の外側で断って、作る同局社員たちの生活基盤維持をまず優先的に考えた、ちょうど自民党の道路行政とかハコモノ行政にウリふたつ。ここの社員という方々は独特の貴族意識を周囲に匂わせている(とボクは思う)。

 それに理解が出来ないのは同局のバラエティ『黄金伝説』というシロモノ。

 あれを冷静に観て、『よゐこ』だかなんだか(をはじめ芸人ら)がロケで何日も『自分で漁をした獲物以外は食べてはならない』みたいなルールに(画面上は一応)従って、わざわざ飢えたり砂浜のガラス部屋での灼熱地獄にさらされたりしながら、かかった経費やらの節約度を競ったりカンドーさせたりするというきわめて安易なコンセプト。

 考えてもみればいい。一応彼らもCX『めちゃいけ』あたりでも(なぜか)レギュラーだし、地方局の仕事もある。
 なのに『無人島一週間カンヅメ生活』、『マンション一週間ケチケチ生活』(バカだといいながらしっかり観てる自分が悲しい)とはカタハラ痛い。

 ギャラは「7日間ぶっ通し拘束」なのか松竹芸能サン?
 それに最近は、濱口よりもっと詰まらない方の有野(知ってる自分がカナしい)も少しは出してもらっているが、濱口だけこうしてシバりで、身体を空けていなければならない(ためコンビ営業が成立しないの)だから、その相方への補償はどれくらいのパーセンテイジなのだろうか。

 だいたい、こんなに面白くない「関西人」というのもめずらしい。
 これら二人には関西人特有のサービス精神というものがみられない。
 だから「芸人」を自称している以上、ボクはストレートに軽蔑してやまない(笑)。

 別に漫才の勉強しているとも思えない、向上した片鱗を見せてくれるわけでもない。
 ただ漫然と『カメラ前に立っている中の彼ら』に効能はとどまり、どこかで聞いた「関西ではやっていけへんから東京の芸人に混じってやってるだけ…』という批評にも素直に首肯できる。

 ともあれ、同局にとっては虎の子の高視聴率コンテンツバラエティ。
 どんな方がご高覧なのだろうイマドキ…

 そうした”プロ?”たちへの時間的縛りが可能だと思っている人。
 局も企画も違う仕事を抱えながら「黄金…」からのルールを背負ったまま、それを全うできると考える人。 本当に危険な目に遭って喰うものも喰っていないんだと理解してやれる人…

 そのように、現在の世の中では貴重となった猜疑心を持たぬ人を養成する好企画なのだろう。
 というよりも、ひょっとして「たかが子供番組」にボクは目くじらを立てていたのかもしれない。
 しまった「白痴番組」だとばかりすっかり思っていた(笑)。

 あしたに続く あしたからは褒めっぱなしだ

5月21日(水)  水面下での水かきをご報告  (^o^) まあまあ
 『川崎ボールパーク物語  オリオンズを愛した男たち』…
 こうしたタイトルで刊行が決まりました。

 「愛した」よりも自分としては『殉じた』としてはいかがかと、提案しましたが担当の編集長Nさんは
『いや、これでいいんです』と作者の当方を振り向きもせずに決めてくれました。

 ベテランの氏は大沢在昌さんの担当編集者として、業界で名の通った人物。
 それだけにボクあたりが四の五の申し上げても、それだけ部数が減るにちがいなく、おまけに氏は原版から、テイク2・3に至るもすべて一気に読んでくださっており、その上での思い入れにも頭が下がるばかりなのだ。

 書き直しこそしないものの、川崎球場から幕張までの道のり。
 シーズン毎に顔ぶれが入れ替わるし、人物往来がご存知のように激しい世界、回想したりまた現在に戻ってきたり。そこからまた川崎のベンチ裏にワープしてみたり。

 云ってみれば、ボクの長年の取材録に息をひそめたままの「外に出していない」実話ばかり…というパーツの集合体。

 出す以上は、書かれていなかったパリーグの全体像まで、読者がすぐにでも球団職員へと転進させられるくらいの日常を表現しきってみたいと思った。

 Nさんはジャンプ、週刊&月刊プレイボーイ、JBooksを経てきた編集者。
 氏によれば、かなり変わった視点からの「毛色の変わったドキュメント」を前に
 『今出版しても理解してもらえるだろうか…と、いったんはお断りしたけれど、やっぱり、「自分のまったく知らなかったエピソード」ばかりなんで、どうしても出さないと気が済まなくなった』と、刊行に取り組んでくれている。

 校正家にも特別な配慮をしてくれている。
 二人、野球を「知っている人と知らない女性に」原稿をチェックして貰った。

 『面白い。作者特有の表現法に慣れたらストーリーがビンビン入ってきた』

 『最初ころの導入部分のもたつきで、違和感があってなかなか前に進まなかったが、途中から面白く一気に読んでしまった。500枚もあったとは驚いた』

 校正で集英社へ行くたび、そうしたプロたちならではの指摘と、”鳥瞰図的”な視点の位置の高さに新鮮に刺激されて帰ってくる。

 ボクはそもそも「小説」など大嫌いで、中学生の記者時代から(ヘンなの 笑)ヴォルテージの高い人びとと一緒に仕事をし、仕事で逢ってきたせいか、『事実とは小説より奇なり』を地で行く人生を歩んできた。

  それは日本でもアメリカでも同じで、事実という物は果てしなく大きく偉大だったし、面白かった。
 『小説ほど意外性のないものはない』…逆にそうした反語を唱えたいくらいだ。

 ところが、この一作のように多くの人びとの「人生そのもの」に触れてゆくとなると、どうしても手前勝手な解釈をして断じて先へ進めなくてはならない事もある。
 たとえば『〜〜ではないか』といった当人たちが全面自供していないけど(状況証拠たっぷりの)事柄などは、第三者を創作して、そいつに『〜〜にきまってる』と決め付けさせなくては歴史などまとまらないのである。

 その小さなウソ(?)が、どうにもボクは悔しく内心許せないため、苦しんだ。
 ともあれ、この『…日記』の毒者ならウンザリしているようなボク特有の語りまわしなども、この際アドバイスに従い軌道修正して、少しは読みやすさを第一に考えてネコをかぶるような文章へと部分的手直しに追われている(くっそ〜)。

 それが他でもない息子までが
 『お父さんの文章の「カッコ使い」は多すぎて読みにくい』とまでコキおろされ、軽蔑されていると尿房から聞かされるにいたり、近所のマンションから飛び降りようと思った。
 でも飛び降りは迷惑だろうからやめる。今にみてろな。

 ともあれ、このところはすっかり真人間になったらしく、γGTPまで下がって123(許容範囲 0-79)しかないので不安で夜も眠れないだろうから、酒をイヤでも呑まなければなるまい。

 ボクの呑み仲間などは『ゆっくりウチで呑んでいらっしゃい』と、このガンマGTPを常時1000突破するものだから、なんとかという、病院みたいなところから誘われ引く手あまたになっているほどなんだから。

 あ〜あ、中性脂肪も110(同 50-149)かよ〜。これじゃあ『10の室伏広治』まではムリだろうが、イチローまでならあとひと息といったところだ。ああ、太りたいなあ、腹をポッコリなんてカワイイオヤジになりたいなあ。呑みに云った深夜の帰りねらって餃子にビールの大盛りラーメンでも喰わなければなるまい。

 おまけに悪玉コレステロールなんて86(同70-139)で、尿房の尻たたいて、肉などもアブラ身主体で暴飲暴食をして気を遣わねばならないから先行き不安なくらいだ。

 笑ったのがアドレナリンで、なんと0,02(同0.00-0.10)!『この値とは、骨折しても痛みを感じていないくらい(博士号もちの上田医師 言)』の、云うならば『よっしゃよっしゃ皆のもの、よきにはからえ、笑えよ状態』の超落ち着き気分なのだ。
 それにしても、これだけのご時勢。自民・公明・独立行政法人らのやりたい放題にくわえ、ミャンマー軍事政権への怒りなども、どうやらボクと云う聖人とは、口では怒っていても心の奥底では罪を許して彼らのために祈ってやっているようなのだ。自分でも驚くフトコロの奥行きである。

 たいしたものである。胡主席になんて『パンダをありがとう』なんてホンネを言い出しそうな自分がコワい。

 取りあえず、明日からこの欄のタイトルも『気ムズカ日記』から、『何ごともミホトケ日記』とまで変える必要がありそうだ。今後は前野上人と改名しましょうか。
 ああ、油断していると『尊敬する人は?』と問われたら即座に『渡辺恒雄さんに森義朗』とか正直に答えそうでこわい(笑)。

 ともあれ、我がプロフェッショナル編集集団は手が付けられない。
 「せっかくの作品なんだから、買ってくれた人が楽しんで一気に読んでほしいから…」と、時系列の入れ替えとか、「このエピソードはこちらの方に挿入してスポットが当たったような効果を狙おう」とか、こんな編集は寡聞にして聞いたことがなかった。

 ありがたくってこちらはもう「はいっ、ハイッありがとうございます。すいません」こんな言葉ばかりを集英社の会議室で吐くばかりなのである。

 こんな校正をされるのは異例といえば異例である。
 でも考えようによっては
 『面白いことは面白いが、文章としてはそれだけ壊滅的にメチャクチャだった』とも考えられ、そこら辺疑ってかかったら紙一重なので、こちらの方の側面もコワい。 

5月19日(月)  アブラムシが嫌いな人への福音  (^o^) まあまあ
 最近のお手紙冒頭時候の挨拶でこう書いた。

 『東京も今日あたりすっかり初夏の要項、自転車で走っているとアブラムシの親が、草木の若芽を求め空気中を飛び交っており、そいつが幾つも口の中に飛び込んでくるまことにのどかな陽気となっています。』

 家庭菜園を営んでおられる方、バラを栽培なさっている方に朗報をプレゼント。
 アブラムシ系の、葉から樹液を吸収してはびこるタイプの害虫を寄せ付けない方法を伝授しよう。

 今のうちに退治しなくちゃならないのは、アブラムシ(のお母さん)がこうして無作為に空中に舞い、若くて柔らかい草木の苗が葉を拡げ始めたため、連中も今が勝負どきなのだ。

 テキトーに行き着いた場所をウロウロと徘徊し、キュウリやらトマトとかバラなどを選んではそこに好んで留まり産卵、気が付けばビッシリと緑やら黒ゴマのチビちゃんたちの大集合体と化す。

 それらを「いい加減にしとけよ」程度に植物には『消極的武器』が原始から備わっている。

 それが目に見えない程度の細かいトゲ・体毛(と呼ぶのかなあ)のタグイで、キュウリの葉、ナスの茎などを触るとザラッとする手触りのものである。

 アレが百姓、それも農薬で駆除しない有機栽培の農家の苗に限ってその「ザラつき」が硬く元気があるのでボクは不思議に思った。
 そしてそれらには一様に(つきもののはずだった)アブラムシが皆無なのである。

 そのナゾを教えて貰って納得した。
 彼らの栽培法とは、植物が本来備えている上記のような防衛機能などを人間が助長してやるのだそうだ。

 そうして勧められたのが『堆肥(たいひ)』であった。
 これの最も素晴らしいメリットは、化学肥料に比べて植物を痛めないことである。

 鉢植えやプランター栽培家にとって一番の敵は彼ら自身である。
 意外かもしれないが、過保護な彼らである。
 なんと、虚弱体質にしたり枯らしてしまう最も大きな原因は『肥料のやり過ぎ』だ。
 
 やり過ぎるくらいなら、やらな過ぎの方がはるかに植物にとっては健康的なのだ。
 オーキッドのシンビジウムなどはそうした人間をあざ笑う最大の皮肉屋である。

 あの花などは、『いかに放っておくか』と斯界で有名な栽培家が語ってくれた金言だった。
 水ものどが渇き切るかどうか、肥料も腹が減って餓死寸前のようなタイミングでやる(それはそれでコツが必要だが)。その程度でいいのである。

 シンビジウムの鉢のもらい物をさんざっぱら可愛がったものの、葉っぱばかりでちっとも花が咲かず、ベランダの隅でドライフラワーになっていたものが雨に濡れ始めたと思っていたら素晴らしい花が咲いた…みたいなほどのひねくれ者だ。

 堆肥に蘭はさすがに不適だが、これを施肥するなら一年を通じて今が一番効果があると思う。
 作物らが一変する、葉や茎の手触りが硬くザラついてきたらこっちのものだ。

 地中の根張りも良くバリバリ新しい根が活力いっぱいに張るのである。
 これは、「上に大きく伸びる長期計画を植物もする」ためなのだろう、上に伸びる前にまず足許を固めるという理屈で、根がしっかりしている植物は必ず実りも素晴らしくなる。

 いま、そのザラつきがなぜいいかと云うと
 『葉(や茎)の上から、樹液を吸おうと口を伸ばすアブラムシを押し上げてしまう』そのため、彼らの口から伸びたストローのような『口吻』が葉に届かず刺さるに至らない原理なのである。

 実にたのもしい。
 樹液を吸われないし、根張りを促すほどの肥えた土が根の吸い上げを誘い、茎や葉が育ち、光合成が活発となりメッチャメチャ、ポジティヴなスパイラルを描いて作物の生涯が充実してゆくのである。

 ポピュラーな液肥、ハイポネックスなんて、信じられないくらいに薄く希釈した方が花や作物にはいい。
 それに大して効かないからアリバイ程度に期待するにとどめた方が無難だ(笑)。

 ともあれ、困った時の堆肥。
 僅かでいい、(根元へというよりも)張り出した葉っぱの真下あたりの土に「スジ状」にまく程度で十分だ。
 
 作物を観察したり撫でてやったりする”対話”をしてやると、『腹が減ってきた様子』が判るようになるから、そう感じたらまた堆肥をやると、速効性を感ずるだろう。

 そう、非常にそうした点で堆肥とは園芸家としてはまさに『張り合いのある』肥料であって、ボクにとってもはやそれは『対比のしようがないほど』なのである。

 ただし、過保護にはしない程度に施肥してあげて欲しい。 

5月14日(水) / 小さな命の終わり  (;_;) 最悪
 出張などであちこちの街を歩いたあと、ボクの仕事場がある駅前の横丁に帰ってくる。
 幅がたった5メートルの下町商店街。
 ここの入り口に立って思わずホッとする…と、次の瞬間たいがいずっこける。

 切り口となった通りには、まばらな通行人、その足もとの間を一・二匹のネコが当たり前に悠然と歩いているからだ。
 なんとものんびりした風景に思わず旅の緊張も、そして頬もゆるむ。

 おかしな交通規制のおかげで、ボクの店が面しているこの狭い道をクルマがこの入り口から進入してきても、その入り口から横にわずか数メートル駅前のビル一個分を迂回するだけ…に終わる、徒労なだけみたいな道だから、駅からの乗降客を狙ったタクシーを除いては往来しなくなった。

 そのおかげで、こうして動物たちがのんびりと歩けるような道路となったようだ。

 彼らは賢い。この40メートルほどの長さの商店街にはざっと10匹近くの野良ネコが、軒先に盛られた「お情け」をアテに生活を営んでいる。
『ここにエサを置かないで下さい』というテイストの家は、そう書いた一片の張り紙だけで済んでいるし、また、済ましてくれている。

 その中にアヤメちゃんという牝猫がいる。雑種の茶三毛で12・3歳だろう。
 彼女は酒屋だったSさんの看板娘だった。
 それがある日ホームレス化してしまう。

 Sさん一家の娘さんが結婚し、そこに初孫が生まれたのがアヤメにとっての運命の分かれ道となった。

 バカな産婦人科医が伝統的に垂れ流す、例の『犬猫鳥は妊婦には危険』という根拠の希薄な(というか、無い)脅迫に揺さぶられ、生まれてくる孫可愛いやで、この子に何かあっては…と、折からの酒屋不況で家業を廃業するついでに、店先で飼っていたアヤメちゃんや鳥類までをもこのS家は放遂してしまったのだ。

 何につけても高血圧的な(笑)性格のSさん(女将)。
 ある日など、飼っていたネコがいなくなった…と、真夏のシンとした横丁を大声でその子の名前を連呼しながら日がな歩き回っていた。

 『キンタ〜っ』『きんたあっ』
 我が家も彼女の地声の大きさと、”単語のひびき”に(笑)真意を疑いながら、腹を抱え笑い転げていたものだった。
 いくら金色の雄ネコだからといって『金太』という名前を安易に付けるのも考えものだ。

 命名する場合笑えるような名をつけるのは勝手だが、
 『家出などされて捜索する場合』を想定上で、ペットの名前は付けなければこの『きんた〜』の二の舞である。
 この場合、デブのオバさんだからまだいいが、もしこれが妙齢の独身女性の飼っているペットだったらエラい事だったと思う。
 住民の半数は彼女を《色Oちがい》だと思うだろう。

 若い女でなければいいのかというと、そうでもない。
 一部上場会社重役の恰幅の良さそうな紳士とかニキビ面の高校生の場合なら問題なかったのかというと、やっぱりそんな事はなく(笑)、そんなのがウチと隣りの建物の間で叫んでいたりしたらもっとアヤしすぎるのである(笑)。

 まじめな顔をして叫ばれてもヤバいし、ニヤニヤしながらだと通報されるかもしれない。
 ともあれ(笑)、アヤメは生来の人嫌いも手伝って、その家のドアの外、軒先でボロにくるまって雨風をかろうじてしのぐ生活が始まった。

 ボクも酔った帰り、真冬の深夜、思いあまってS宅のインターホンを押し、『もしもし、あたしアヤメですけど寒いんで入れて下さい』と久々の「ピンポンダッシュ」をして、わが家人から軽蔑された事もある。

 それまでSさんは、頼まれもしないのにあちこちで泣く、捨て犬だの捨て猫だのの面倒見の良さではご近所ウチでもナンバーワンクラスだっただけに、この豹変ぶりに尊敬までしていたボクは正直アタマに来ていたのである。
 (『ふんっ「キンタ〜」のクセに』)

 そんなアヤメを近所の者が見かねて、エサをやり暖かい場所を提供して世話を焼き始める。
 このへんがいかにもわが下町…といった光景だろう。

 以来、アヤメはそれまでの「お高いお嬢さん」といったキャラから、己が身を預けて抱かされる…までではないものの、名を呼んだ者に目を細めて脚にスリスリするくらいの儀礼をする性格へと変身していった。

 Sさん宅の斜め前の不動産屋Oさん夫妻が救いだった。
 エサを欠かさず、空調の効いた室内へいつも招き入れてくれるOさんに心を許すここ1・2年だった。

 なにしろここにボクが仕事の話に行った際など、ボクの座った椅子がどうやらアヤメの指定席だったらしく、わが足下に脚揃えたまま動かず、一心にボクの表情を見上げ『そこをどいてよ』と、目でうったえている。

 空いている隣りのイスでは気に入らないらしい。
 (コノヤロー、さ〜すが『三越の特別会員のSさんトコ』の元ネコらしい気位だなあ。)
 だからなのだろう。そこらの『最初から野良組』のネコどもとは、人間の目を通してもアヤメは最後まで心底からお互いが交じり合う事はないようだった。

 お子さんのいないOさん夫婦はそうしたアテにしてくる連中を前に、無差別に目を細めるものだから、店内にはアヤメともう一匹、計二匹の「VIP組」がおり、「店外組」が4・5匹がOさんの善意に生命を委ねて生きている。
 それが最近、アヤメのヤツはウチの店にも通行人のフリして(笑)自動ドアを開け、我々との距離を近づけるような変化を見せてきた。
 といっても彼女は用心深く、内部の様子をうかがって、立ち去るような程度なのだが、じつは尿房とボクの側の心理が読まれていたのかと驚いたのだ。

 ビル暮らしに相応しく、ウチの上階にある自宅限定の老猫はすでにいる。
 それを、もう一匹『店でよかったら、面倒を見てやろうか』と、『店限定型の「パートさん猫」』に関心を抱きはじめていた矢先だったので、そうした心の揺らぎをネコたちって読み取れるものなのかとギクリとさせられたものである。
 アヤメはボクらの『ネコの手が借りたい』気持ちを読んでいたようなのだった。

 ともあれ、自宅からここの事務所まで通ってくるOさん夫妻と、朝の通い勤務であるアヤメちゃんの縁は宵の口まで、つまり『ナインtoシックス』のOL勤務みたいな毎日がしばし続いた。

 それがこの日曜日の事だった。
 定休という事もあって、午後の3時にOさんは早く店を閉めて昼寝中の「店内組」を追い出した。

 たった5メートルの幅を横切れば、Sさん宅の軒先だ。
 そこに、客待ちの場所で「先陣切りたい…」と欲に駆られたタクシーが突っ込んだ。
 こんな狭い道で、ネコさえも間に合わないスピードで。
 あり得ない事故だった。即死した血まみれのアヤメちゃんを警官が両手に捧げて片付けていったそうだ。

 アヤメの無残な亡骸を、警官は「交通違反の処理」などではなく、いわば『道路上のゴミ』として、通報受けた以上、警察は粛々と死体を処理した何とも気の毒な役目をまっとうしたにすぎなかった。

 その一時間後、何も知らずにちょうどそこを通りかかったボクは不思議な光景を目撃する事となったのである。
 1・2匹の顔見知りのネコが道路に鼻先をくっ付けて、一心に匂いを嗅いでいるのである。
 その路面は、多少赤い色が混じっているものの、全体が黒くシミとなって、道路に一体何がこぼれたのか?ネコたちの奇行にボクは首かしげながら通り過ぎた。

 翌日、ボクはようやくその事故を知った。Oさんは超然としていた
 外に追い出した直後だったらしい。
 『もっと居てやりゃよかった』ガックリと肩を落とした。

 現場の黒いシミにしゃがみ、ボクは手を合わせた。
 その誰かが洗っても消えない黒いシミは、まぎれもなくアヤメの体内や血液にあった脂肪分だったのだ。

 ザラザラしたアスファルトの表面に、アヤメちゃんの薄茶色の細い毛が何本か立って、折りからの風にそよいでいたのにはビックリした。

 その遺体の横たわっていた跡が、路傍の建物に接するような4・50センチと、異常な至近距離だった事に驚かされた。
 通常、ここの横丁を通る車が、ここまで、出入り口すれすれに走るなんてあり得ない。客が店から出てきたらいきなり一巻の終わり、まさに殺人行為のような走行である。

「跳ねられ、身体がここに飛ばされた」のなら話は別。
 だが、『路面の体毛』はこの場でのタイヤとアヤメの肉体、そして路面と、3者のコンタクトを証言している。
 はねられ飛ばされた「衝突死」ではなく、明らかに轢死だった。

 運転者はこの狭い道で、道路横切るアヤメを視界に入れながら、速度を上げ?わざわざ逃げる方向にハンドルを切り、轢殺したような状況に見えてならない。
 タクシーが、この子の小さな身体をどれほどの強く思い勢いで地面に押し付けたのか、それらの”道路に植毛”されていた体毛がその威力と態様を物語っていた。

 あの子の”自宅(軒下)”までもう少しだったというのに…。

 アヤメちゃんはテメエ勝手な人間に振りまわされた挙句、やはりその最期でも非人間的な野郎の手によって息の根をとめられた。
 こんな小さな身体が受けて止めてきた、人間サマの度重なる酷い仕打ちに、何も云えない抵抗もできない身の上が憐れでならない。

 そして人間どもは何事もなかったように、平然としていられるのである。
 自分自身も含めて、そんな人間社会の一員であることに、ボクもまた「一員でしかない」宿命が今は恥ずかしい。
 事故直後、現場の匂いをくんくんと嗅いでいた子たちは、仲間の死をかわる代わる惜しんでいたにちがいないのである。

5月7日(水)  ある「見破り劇」を解析しよう。  (^o^) まあまあ
 すこし間をあけたから、もういいだろう。
 今日は鑑定士の内側での葛藤というか、数々のこれだけの事情と引き換え、取り替えて番組を完成させてゆくお手伝いをしている…という「アヒルさんの水中で動かしている脚」についてお教えしておく。

 鑑定番組というものをやらせて頂くと目に見えないモノが通りすぎて行くものだ。
 過日、ある収録で高名な役者さんが出てくださった。
 恋多い事でも知れ渡っている方で、主役というよりバイプレヤーとしてヘタでバカが多い主役らの脇をもっぱら堅めて、ドラマ自体をアップグレードして見せてくれる重要な役目をいつも任されている方だ。

 そのAさんが、スタジオに持って来たのは古びた2点。
 @革のジャケット
 A皮製ウェスタンブーツ である。

 Aさんの番組冒頭での説明によれば、役者の大先輩として知られる「ジェリー伊藤さんに頂戴したもの」…だそうだ。
 @はジェームス・ディーンが実際に着て愛用していたもの。
 Aはポール・ニューマンの愛用していたブーツ。

 スタジオはみな『ほおおぉ〜』とあらためてその威容をのぞき込むのである。

 ボクがお尋ねをはじめると(ここで驚いてはいけない)、どちらも、1950年代にアメリカはあのエリア・カザン主宰の役者塾、ハリウッドに設立された名門「アクターズスタジオ」で、同窓だった(?)ジェリーさんが彼らに頼み込んで貰って来た物だと言う。

 内心は…さて困った。@AともホンモノならばこれだけでNYサザビィズでオークションが開催できるほどのエンターテインメントものの巨大なタマである。
 @などは、言葉を替えれば『大衆芸術』戦後版での世界的大発見である。

 「ジェリーさんがこれらを”着るために頂いてきた”わけですね」断定調にボクは訊く。
 『ええそうだと聞いてます』とAさん。

 「ということはAさんはジェリーさんから『直接戴いたものじゃない』と」 『ええ、彼の親しい友人Tさんから頂戴したものなんです』…ふむふむ。

 ボクはさり気なく、でも実は重大な肝心なポイントから諄々(じゅんじゅん)と訊いていった。

 というのは、ボクの『隠しダマ』、それはまずジェリーさんの体格である。

 氏は東宝映画が社長シリーズや無責任シリーズなどから、怪獣ものの黎明期から全盛期の50年代後半から70年代初めまで、『どこか訳アリの外人』役を演じてきた。
 後年は男性ファッション雑誌のモデルとして、今で云う『チョイ悪オヤジ』の草分けとして、ボクの口で云えば『VANやJUNよりもEdwards』を着こなしてグラビアを飾っていた方である。

 『鑑定士の目線』に戻ればこの3人の体格=ジェリーさん、ジェームスにポール。
 これら3人さんには微妙な個体差がある。

 2点の依頼品に目を落とせばジャケットのサイズはおそらく「USサイズ40」と断じた。
 例えれば、たぶん「真鍋かをり」あたりが着ても、おかしく見えないほどのサイズである(ビミョーですか?笑)。つまり男にしては痩せ型で小さいというサイズ…だった。

 そしてAのサイズは『表記』こそ靴底の経年のスレで消えて見えないが、日本のサイズ換算で26,5といったところ。身長ならおそらく170cmから170後半といったプロファイリングが相当だろう。

 そして『当時の日本が物資不足だった折り「自分用に着るため」に貰ってきた』ジェリーさん。
 どうして勝手に「着るため?」と断じたかというナゾを解いておくと、
@その頃はジェームスもポールも無名の塾生だったにすぎない…からで、「有名だから記念に」といった今風のgetの仕方をしたなどと考えるのはむしろ不自然な時間的背景だからである。

 当然、『ジェリーさんの体格は?』というと、お見かけの割には小柄なお方で、日比谷あたりでボクが中学生くらいの頃にお見かけしたら、意外にもボクより背が低く、なんと氏が”親しみやすい”ご体格だったのを憶えている。
 あの『ゴジラが日本にやって来る行きがけの駄賃で、アメリカ空軍のジェット機を殴り付け次々に撃墜、編隊を殲滅されて悔しがる米軍高官=ジェリーさん』とは思えなかったのである(笑)。

 社長もので、共演していた当時の役者さんなら『三木のり平』さんサイズである。
 ジェリーさんは森繁社長の率いる「東和物産」とかの浮沈がかかった業務提携を仲介する外人ブローカー役だったりするのである。

 ともあれ、”その上での@”なら得心が行くのである。

 仮に詐欺のサイトだったら『サイズがL』の革ジャンを持ち出してこれが「ジェームス・ディーンのもの」と口上を述べるならそちらの方が一般にはウケがいいだろう。
 反対にこの目の前の『(日本サイズの)S相当』を前にして、ディーンのだと強弁しても、そうはなかなか一座には信じてくれないだろう。
 ところが、ジェームス。実際には170センチに届かない『のり平』さんサイズだったのである(笑)。

 おまけに痩せ型。あれだけリーゼントにジッポー革ジャンにハーレー…といったイメージは勝手に作られた…というよりも彼の存在感と、それを支えた周囲のプロデュース感覚なのだ。

 だから彼の「永遠の恋人」を自称して世間からの微笑を一身に浴びていた、映画評論家・故小森のおばちゃまと腕でも組もうものなら、”身長的には”とても素敵なバランスだったという肉体的事実がある。

 彼もウェスタンブーツのファンだったと伝えられ未だに信者は絶えないけれど、確かに当時のUSA代表的メーカーFLYE社の品なら『確実にあなたも身長が6センチアップ』するようなカカト(笑)がごくスタンダードだった。

 それにしても目の前にあるこの会社の(写真参照)A2変形ジャケットはいい。
 原型となったA2という空軍用のフライトジャケットはもともと防寒着ではない。主要コンセプトは『すきま風対策』として制作されたものだ。
 つまり狭いコクピットという絶対条件=戦闘機の操縦性を損なわないよう、内側に薄手のフライトスーツを着て、これを羽織る。
 牛革に比べて、表面シェルが風が滑りやすくさせ、よって「冷却されにくい」表皮の馬革製A2こそ本格的…と、専門業者はもっと声を大にして誇って欲しい。

 ついでに云うと、これを日本人は試着の際にトレーナーやらセーターでサイズを合わせやがる。
 設計したラインを活かすためにも、内側はTシャツとかタンクトップにして戴きたい。あくまでも防寒着ではないのだからね。

 同じフライトジャケットでも、防寒優先なら、キャノピーを開けて機銃ぶっ放すクルーのため…のG1を選んだ方が理に適っていよう。

 脱線復帰。
 はい、@については情況証拠がかなり揃った。そこでテンポラリィな鑑定価格をドカンと『3000万円』と発表、あ〜気持ちいい。スタジオ騒然というよりも唖然。そこで水をブッかけ始める。

 Aさんを指して『その代わり「証拠を揃えなくっちゃね」』と但し書きをしっかり後付け。
 『どうしたらいいんですか』と、大きな目をより見開いて訊いてきた。
 ここからがボクの真骨頂だろうと思う。ボクはここがナンカ得意なのである。
 やっぱ、刑事…じゃなかった『記者』時代の経験が生きるのだろうと思う。

 人間の海というものは意外に思われるだろうが、泳いでいるとワラとか、救難船とか、必ず何かしらの手がかりに行き当たるものだ。そう思ってきた。

 ボクならその《アクターズ…》の生き残りや、ハリウッドの街ならゴロゴロ居た野心に満ちたステージカメラマンらを今のうちに急いで探し、当時のあらゆるスナップ写真や記念写真を探す。

 やはり(当時)これだけの革ジャン。プライベート着用とはいえ、オーディションから休憩中、レッスン中だのリハーサル風景と、ハリウッド人ならば『物的証拠』はあるはずだ(ボクもここを拠点に70年代初頭、16ミリカメラでドキュメントを撮ってました)。

 『Aさん、そうした旅に出てみたらいいんです。ジェームス・ディーンやらアクターズスタジオの意外な面を知る事ができたり、何よりおまけに”ジャケットの証明”ができたなら、これほどいい事はないじゃないですか』とコメント追加。
 …で大喜びもつかの間、Aさん再度キッと向き直り

 Aの『ブーツの方のお値段は?』ときた。
 ボクはそんなのあるかどうか知らないが『靴のプロファイリング』にかけては警視庁鑑識課の係官といい勝負できるだろうと思ってきた。

 まず、このブーツ。
 『ウェスタンブーツ+ポール・ニューマン』というお約束のような並列に反して、このブーツはあいにく『馬に乗った事』がない、『バイクにもまたがった事がない』ようで、それらにまつわる「特有の疵」がどこにもない。

 そして特徴的なのは、ハバが(親指付け根関節と、小指を真横に結んだ線)グイッと横に張り出している。 その横に張り出した足型こそ、このブーツの主(ぬし)の足の外観を象徴しているわけだ。

 靴という世界にはサイズが二種類あると思って良い。
 つまり、通常一般的な「前・後」の部屋の【長さ】。
 それに加え「左右(と甲の高さ)」という、部屋の幅(と天井高)の【広さ】という基準である。

 「足に適ったクツ」というものは、前後よりもむしろ、後者のフィッティングのいかんによって履きやすさを左右するものと考えた方が、今後あなたの一生を左右することになる。

 このブーツに目を落とすと、同じデザインのブーツを「前後」サイズだけでなく、アメリカの大抵の靴店は、【足幅のバリエイション】までストックをしており、またそうしたメーカーの品というのに、こんなに左右幅が出っ張らすまでの足幅の広い者(ポールニューマン!)が、わざわざこの『新品当時はより幅が狭い』この個体を選ぶようなマネをするだろうか。

 この個体の新調時、これを仮に客が選ぼうものなら、どこのバカな店員でも待ったをかけたに違いない。
 裏のストック棚から「もうひとつ幅の広い規格」のものを引っ張り出せば、それだけで済むのだから。

 それからAにはもうひとつ見逃せない疑念が残った。
 これだけアメリカ製の「靴用足型基準」を伸ばしてしまうほどに『足の幅が広い…』ということは、『日本人が履いたのではないか』という疑問だ。

 日本人(やドイツ系+フランス人)に比べ、アメリカやイタリー(や韓国)系人種は足幅が狭い。
 こうした『my基準』をボクは持っている(笑)。
(だから今後、毒者諸兄が「いかにもアメリカ製」といったウェスタンブーツを履いた日本人が歩いてきたら笑いをこらえなさい。彼らは購入時「前後のサイズ」に固執するがあまり、いきおい横幅が日本人的骨格としては当然『きつい』ため、十人中十人が『横が小錦の腹のように』ソールからせり出し変形したものに足を入れているはずだから。)

 あの名だたるウェスタンマニアの「NぎらK壱」さんなど(笑)、アメリカ人でもビックリするほど凝りコリの西部劇ブーツ(笑)を履いているから、いきおい横はボッコボコなのである。

 それから「H原Nがれ(ヘンなの)」さんもネコ好きだが、本格的な店で買ったせい(?)か、横幅までは相談に乗ってくれなかったようだ。

 彼らは長時間歩いたら、ヒザ下のツボ『足三里』に疲れが集中しここを押したら飛びあがるかもしれない。 これは『坐骨神経痛』招きかねない間違いだらけのブーツ選びなので毒者諸兄は気を付けるように(笑)。

 『Aさん、ポール・ニューマンを仮に認めるにしても、さらにコレをどなたか「日本人が履いて」ませんでしたか?』と、ボクは最後にグサリと刺すためのトドメをここで持ち出した。

 するとAさんはバツが悪そうに、しかし確信犯らしくニヤリとした
 「おそれ入りました。実はボクに下さったTさんがそれをさんざん履いていたんです」

 スタジオは爆笑のうちにエンディング。

 ボクも苦笑い浮かべながら、実は大きく安堵していた…というより一人、『男のバカし合い』という私闘に勝利した満足感にひたっていた。
 こうした事は実は一度や二度ではなかった。

 有名タレントとはいえ人の子。色々な種類のカネが目の前を動くのだろう。『〜〜サンが持っていたから…』と、筋も通らぬ見切り発車のシロウト鑑定は少なくないだろう。

 それを当て込んで?もしくは「鑑定士以上(笑)」に詳しい著名人らは、手にした品を知らぬ顔をしてスタジオに持ち込み、こうして真剣(?)勝負を挑んで来るムキも実際にはある。
 彼らにすれば『テレビのOOという番組で専門の鑑定のセンセイがXXX万円と言ったアレがコレだよ』と語る事になる。

 この場面でのAさんは、「ギャラを稼ぐ」とか何かの「営業的告知」をしにきたわけでもなかった。

 彼はこの番組で『ホンモノです』との言質を取るために出演して来たのであろう、さらにいえば彼(だけでなく)らは『XXX万円です』との重たいお土産をアテにして、番組出演を目指す方々はいるものだ…と、ボクの場合は常識としている。同時に警戒している。

 その場で納まるならばそれはそれで良い(事はないが)としても、問題は番組が取引材料となって、プライベートな場にその鑑定価値が元となり、それらの品が勝手に脚を持ち、歩き回り、鑑定価格イコール取り引きの基準価格として、流用されてしまう事だ。

 実際に『番組での公然化された評価額から』取り引きが始まった例は少なくない。
 『あの値段でさばかれた』と耳にしたこともある。

 番組でも『いかにもヤフオクあたりで転売しそう』な鑑定依頼など、真っ先にNG採用にしてしまうという局側の防衛策は至極当然の事だろう。

 ボクも電波の上でそれでも、彼らには公然たる恥だけはかかせないよう、見破ってはいてもなんとかはぐらかし、こうして「行く先々で」どうヒネられたところで誤解を生まないよう、コメントにははっきりと『限界性』を持たせ、動かぬアンカーを打っておくようにするのがボクのコツでもある。

 テレビという公器のおかげで、そうした不正(?)をベースに取引した場合、必ず誰かが
 『あれぇ、あのテレビじゃそう(鑑定士)は云ってなかったよ』と、インチキはいずれはバレるため公正さは保たれるものなのだ。

 Aさんではないが、こうした御仁とスタジオを離れる際、交わす別れのあいさつにふと混じるお互いの笑み…これは一種独特な香りがする。

 敗け…は未だないが、この安堵感、そして格別な爽快感。そして何よりこのあとの酒がこの上なくうまい。