【2008年2月】

2月27日(水)  皆さんありがとうございました。  (^o^) まあまあ
 こうして『ドラマ開始』のメルマガ通知、お伝えしておいて本当に良かった…、わざわざご高覧下さった多くの皆様から新たな感動をこのかん頂戴することとなりました。
あらためましてここに御礼申し上げます。

タカさんはグラウンドで、息子のような年齢の選手らの相談を受ける際に、けして高ぶらず、向こうが動いたらそのぶん余計に増幅して手取り足取りしてみせるそうしたオヤジでした。

最終回でしたか、冒頭でロッテのサブローが目を真っ赤にして
『タカさんはオヤジでした』とだけ、短く言葉を終わらせたとたん、ボクも思わず嗚咽の声を洩らしてしまいました。

毎回冒頭のインタヴューに応えてくれたプロ球界皆さんの、真っ正直なタカさんへの回顧の態度からも、このドラマが正しく氏の生き様をきちんと伝えていた事を裏付けてくれました。
『日テレの番宣』に代表されるように、テレビ各局から流される情報というものが、いかに現実ばなれしても刺激第一、感動を伝える実体とは無縁に加工され、演出されているうちに、それがいつの間に腐ってしまった言葉を毎日毎日投げかけているか、この点も「鮮明に判らせてくれる副作用」をも視聴者にもたらしたドラマだったと思います。

最終回、最後のシーンで繰り返し高橋さんが卒業生たちにフルスイングを見せていましたが、じつは克己さんは野球音痴。
その野球指導にあたった武藤一邦という法政大での男が招かれタイトルバックにその名が掲示されていました。

彼はドラフト一位で、川崎当時のロッテに獲得され将来のスラッガー、『長嶋二世』と嘱望されたものの、プロの球にはついてゆけずに現役を断念した一人です。
もし巨人あたりにでも入っていたらさらに、『六大学のスターから自由契約…』といったとてつもない落差に立ち上がれなかったことでしょう。

彼自身もタカさんから繰り返し、あの手この手によって指導を受けてレギュラーを目指していた生徒の一人。

じつは高校卒業時にも、武藤は早くも南海から「ドラ1位の指名」を受け(=蹴って)法政進学、これもじつは野村・タカさんらのラブコール。それが80年まで続いていたわけで、それほどまでに(卓越したバットスピードという)将来性に期待しての指名だったのです。
ただ大学スラッガーの頃から、人一倍プライドの高かった彼は、いざフタを開けてみると目の前の現実に手も足も出ませんでした。
『2軍相手では無敵、だが一軍の雰囲気に入ると打てない…』といった、ルーキー特有の『精神的カベ』を超えられぬまま後年、球団からクビを宣告されたのですが、その逆風の中じつは球団の方針にカゲで逆らったのもタカさん。

「内容は良くなっているんです、必ずあいつはやれます。頼んます、もう一年」、願いはかなえてくれませんでした。
ところが、じつは前年の編成部は武藤をとっくに見限っており、それをタカさんがその時も押し返し、「もう一年様子を見よう…」と猶予期間をすでに与え、それが終わっていたものをまた延長を…と、頭をより低く下げて抵抗していたというイキサツがありました。

武藤にしてみたら、そんな編成内部の事情などまで知らないかもしれませんが、
「そうした恩師タカさんのドラマ」とあって、この最終回ラストシーンでの素振り指導には格別の想いが込められていたわけです。
一回、一回、ブオッ、ブオッっと、いい軌道でいい音がスゥイングごとに奏でるのに注目なさっていた視聴者も多かったと思います。
ボクはかつての”やんちゃ武藤”と”熱血教師”との事情を符合させながら、克己さんの迫力ある素振りに目を見張っていたものです。

あれもまた、天国のタカさんに向けて、果たせなかった氏への恩に捧げる武藤からのメッセージそのものだったと思います。
それだからこそ、野球ドシロウトをしてあれだけの鬼気身にせまる様な完璧ともいえるバットスイングをさせた…、そうボクの目には映ったワケです。

NHKもあれだけの視聴率を前にして当然「再放送」が既定の事実となっているはずです。
これだけ良質なコンテンツで万人受けするものといったら、ちょっとありません。

あとはOA時期の問題だけで、おそらくプロ野球のシーズン開幕前後に合わせてくる、放送界のマーケティングを考えてもそうしてくると思います。
それでまた泣くのかもしれません。
いや、かならず泣くでしょう。

ありがとうございました。
 前野 重雄 拝

写真下:05年日本シリーズの際にロッテ側ベンチのコーチ、ナインが第一戦からユニフォームのポケットにそっと忍ばせていた『故高畠打撃コーチ』ご逝去直前の写真入りキーホルダー

2月18日(月)  それは違うよ『甲子園への遺言』広告部  (^o^) まあまあ
 おととい土曜日、NHK21時からの「フルスイング」エンドロールを眺めつつ、第五回が終わったんだ…と認識しつつ、脱力感が全身を襲った。

 あと一週間、「来週土曜日」の最終回で、「タカさんともう二度と逢えなくなるのか…」と、寂寥たる想いになった。
 それだけ、高橋克己さんが生き写しのようにボクらの前で、生前のタカさんそのものとなって(演じてくれて)いるのを、我々生前の氏を知る者たちは、まさに目の前の奇跡をこの眼で見ているかのようなのだ。

 何か思い付いたらたまらず、ウチの開店前からシャッターの前でウキウキしつつ、開店を待っていてくれたタカさん。
 『おとうさん、高畠さんがもう見えているんですけど』
 女房がたまたまゴミを棄てに行って跳び上がり、受話器をとったボクもまた跳びあがる。

 野球の品々がゴロゴロ詰め込まれている中、目をギョロギョロさせて嬉しそうに、氏はいつも空の向こうを見据えて「アレがこうならないか」「コレはああなっていいはずだ」と夢をめぐらせていたものだ。

 氏のアイディアときたらまるで中学生のようで、柔らかくふくらみがあり、そして恥ずかしがらない、そんな先輩だった。

 氏の理想とするプロ野球とは
 『両軍の監督コーチらが、ネット裏の観客席でお客さんと一緒に座り指揮をとるのが一番』といっていた。

 『特技:速読術』

 パッと敵チームの守備陣系を観察し、「誰がどう動いたからどうしたら良い。」を瞬時に判断するためだ。
 「この方向にバントを転がしたら、コレとコレがこう動くからプラスだマイナスだ。」

 「おっと、レフトがこちらに寄って守っている時は、先方の投手はスライダーが勝負ダマだ…。」

 南海で、ロッテで、タカさんからこうしたタグイの
 『え〜どこに根拠があるのかよ』といったアドバイスを受け、???のまま打席に入りゲームをしてきた選手は数知れない。
 またさらに
 『ホントに勝負どころでのスライダー』が現実となって舌を巻いただけでベンチに戻った選手も数知れない。

 もう一つの特技、それは「催眠術」(笑)だった。
 野球に勝つため、この一点のため氏はありとあらゆる知恵を総動員してきた。

 おそらく、『念願のメジャー的野球ができる…はずだった』バレンタインさんからのラブコールは、『筑紫台高校への赴任』がなかったら実現していたはずであって(ほぼ同時に寄せられた長島さんからのラブコールと、相次いでいた)、となれば氏は初めて『戦力の整った軍団』の参謀となって才能をフルに発揮することが出来たのだと思う。(そう思うとボクは悔しくてならない)

 ただ、『そこまで他人に甘えちゃいけないんだ』といつだって弱小軍団の中で、格闘した経験がクセになっていたのかもしれない、そんな氏はあの短い間だけ居合わせた福岡の小さな高校全校生徒の将来像に、とてつもない影響を与え、還らぬ人となった。

 ドラマ内で描かれている(仮名)『桜台高校』教室の子供ら、野球部の子供たち、教師たち、ほぼ全員に実在するモデルがあって、プライバシー保護の観点から守るべき節度を守りつつ、実際のエピソードをアレンジしながら、「タカさん先生」を視聴者に「実像」を結ばせようと努力してくれた。

 この素晴らしいドラマを、ボクは(最低の電気屋=)東芝のDVD−HDを年末に買ったばかりの者として、世の果てまで恨まなければならない(笑)のだが、やはりブルーレイ方式よりどうしても『画質に勝る』(そう自分の目で比較し判断した)この終末方式機械であっても(トホホ)、せめてこれの1話から5話(全6話)を録画できた事にはただただ感謝している。

 それよりも、原作となった『甲子園への遺言』をものした筆者の門田隆将さんには「感謝」、その二文字の言葉だけでは言い表せない。

 タカさんがああして「アマ規定の壁を乗り越えて、高校生を指導する」というフツーでない夢を、実行に移さなければ門田さんのこの本は書かれなかっただろう。
 ましてや、残念ながら『パリーグの一コーチの話』というだけでは現在の出版界にあっては100パーセント世には出なかったネタである。

 門田さんは『高校へ行ってからのタカさん』を取材して書いているうち、その主人公の臨終にも立ち会うことになってしまったので、野球界での話を事後まとめたきらいからだろう、当然にも伝聞となり、どうにも教え子たちとの交流が大半を占める。
 
 だから『最近のプロ関係者らが語るタカさん像』という思い出話コメント集であって、タカさんが語るプロ野球…とはなり得ないのが残念だ。

 あのタカさんが仰木監督ブルーウェーブに引っ張られた…と聞き、ボク自身の94年から続くイチローとの交流から、
 『それならイチローとの合体で…』とてつもない可能性、まさしくケミストリカルリレイションシップみたいなものというか、性質の違った薬品どうしが混合した途端に、(「1+1=2」を超えた)とてつもない物質に変化するのではないかと、この天才肌二人が作る『化学反応』に心が躍ったものである。

 ところが…だった。

 二人は、お互いをほぼ何も語らなかったのである!
 何か判るような気がした。

 『イチロー?彼はすっごいですよ〜、ボクなんか見てるだけですよ。あれを天才というんでしょうな』
 タカさんらしくない反応だった。
 この程度のコメントなら長島さんにだって言えるだろう。

 タカさんはきっとやんちゃ坊主が遊び場でたった一人の時にいう
 『ちぇっ、つまんねぇ〜の〜』といった心境だったとボクは内心で笑った。

 氏は、遊びについて同じようにテーマをあれこれ考えながらいじくって悩んだり、解決するのが大好きなヒトで、野球も同じテーブルのネタにすぎなかったのである。

 落合博満の場合は、タカさんの目によってロッテの二軍の中から見出して貰い、眠れる才能への刺激と触発を受けながら結局は
 『自分専用のmy計算尺』を作り上げる事に成功し、タカさんとの縁が薄れていった。

 イチローは最初から、
 『ヘッドアップディスプレイ(*)を創ろうと、チチローと努力してきた』事にかたくなだった。

 今さらそこへ別のソフトウェアを入れるためのスロットなど最初から用意していないため、『タカさんはイチローと遊んで貰えなかったのだ…』というと、判って戴きやすい。
 (註* NATO陣営のパイロットが使用する小型コンピュータ内臓のゴーグルで、敵の姿を目で捉え分析を瞬時に終え、発射ボタンを押すだけでターゲットへ照準がアジャストされ武器発射がONになるハイテク装置)

 イチローは当時、「最も打ち崩したい頭脳派投手として小宮山」
そして「力でねじ伏せたい象徴としての伊良部」ロッテの二人をいい意味での楽しいライバルと位置付けていた。

 ボクが『小宮山のフォームは、ボールの握りがバッターから一瞬見せませんか?』と、神戸で訊いたその時、イチローはギラッとボクの目の奥を覗き込んだ事がある。
 
 こうしたトップシークレットに関わる怪情報のタグイは、球界では珍しくなく、敵味方謀略まがいに「クセ」や「得意のパターン」について恣意的にも流されるため、賢い選手は相手の背後関係(笑)などに、こうして関心を寄せてみせるのだろう。

 ニヤッと、白い歯並びの一部を三角形に見せつつイチローは云った
 『見えますね、たしかに。』

 同じようなことを、タカさんも同じようにイチローに後年このコンビになって伝えたことだろう。
 この”見抜く速読術”その才能こそ、タカさんが打撃部門『30個のタイトル』を教え子ら自軍選手に今まで与えてきた真骨頂であるからだ。(イチローは除く)

 だがボクに、イチローはこう言い返してきた
 『その手には乗んないんですよ。小宮山さんもワザと握りをチラッと見せてべつの球種投げてきますからね。』
 『〜ンだから、そんなの全然信じないんです。相手の投球フォームがどうあっても「自分の目の前に来たタマがすべて」ですから。来たタマをどれだけ引き付けて、見極めてたって「ドン詰まりにさせられずに、打ち返せるか…」。そのために練習してるんですから』

 この後ついに実現した二人の邂逅。
 「物別れ」に終わった?

 これはイチローの上記の言葉はホンネであって、それがその時のまま後年も貫かれたことを意味していないだろうか。
 いずれにせよ、タカさんはイチローを良く把握されたな…と思ったのは、『イチローについての話』をボクが上記で紹介したようには
 『伝聞で語ろうとしない』ことだった。

 彼イチローは、本人不在での場で
 『自分につき良かれ悪しかれ語られるのを極端に嫌う』からだ。

 だから、彼は『電波媒体担当の窓口』(元テレ朝)義田貴士、『活字媒体担当』の(元NHK)石田雄太両氏といった(他称)「公認広報官」を通してでないとまともに自分を出さないルールと、ボクはそう観察している。

 したがって、こうした情報処理システムを一貫して通して語られるイチロー像は、いつだって『大本営発表』なのであって、『フィルター濾過を終えた』情報でしかないといえる。
 いつか彼はこの「純粋培養農法」によって作られてきた『自らの味』に飽き足らず、殻を自ら破る日がやってくる。
 それからがボクの本当に楽しみにしているイチローとなる日々だ。
 でなければイチローはいつまで経っても
 『ジョーダンを超える日は来ない』と断言する。

 数字で超えても取り巻くのは『お疲れさま』というねぎらいだけ…、これを解る日がいつ来るのか。

 ともあれ、今日書き始めた理由に還ろう。

 ボクはこの出版社ではダメだと痛切に思った。
 それはドラマ『フルスイング』開始4日前、野球関係の単行本が都内で最も揃う『5本の指に入る』神保町書泉グランデの売り場に行って見たら、なんと講談社は何のPOPも紙ステッカーも貼らず、その原作『甲子園への遺言』は平積み展示どころか、わずかに『高校野球コーナーの棚』に1冊あるだけ…のキャンペーン(?)しか行っていなかったのである。

 あきれたものである。いくら「活字冬の時代」とはいえ、「野球モノは売れない」とはいえ、痩せても枯れてもNHKの6回連続ドラマの原作というのに、OAと平行してこの店にセールスかけていないようでは講談社広告部ドノ諸氏は、給料泥棒と云われても仕方なかろう。

 それがこの高視聴率を叩き出すに至り、今になってスポーツ新聞などに「増刷出来」「『フルスイング』の原作」などと、高畠さんの紹介などを混ぜつつ、遅ればせながら広告を出稿しているのである。

 それは良しとしよう。

 だが、その本の(小見出し的)コピーにはこうある。

 「落合、イチロー、小久保を育てた…名コーチ」とあるのだが、これはいけない。無神経にもほどがある。
 雑誌社なら出稿の前に校正をして、取材をしてこいといいたい。

 ひどい、イチローに気の毒だ、むしろ事実無根に等しい。

 氏はけして他人の努力を盗む人ではなかった、「流用さえ潔しとしなかった人物」として、生前の氏を知る人はその名を尊重するだろう。

 ところがこれにはない。
 講談社は今すぐにでも「イチロー、」の部分を二人の名誉のためにも、いや、作者の門田さんの矜持のためにも即刻抹消してもらいたいと思う。

 イチローに関しては、日本国内のメディアや論評などなどにつき、徹底してパトロールがなされているはずである(だからネット上でも氏の画像などがゼロである理屈だ)。
 だから当然この由々しきコピーは目に留まっていることだろう。

 本人に報告していなければ良いのだが、イチローがタカさんを誤解しかねない。

 タカさんが亡くなられた方だから…と、イチローが気を遣って手加減してくれているならば、その気持ちには深く感謝したいが、イチローにとって、タカさんにとって、「お互いは同志」であって、そこに「上下関係」などは存在しないはずなのだ。

 イチローも『触発されたものがゼロだった…』とまでは云えないだろうが、まかり間違っても、タカさん入団時には押しも押されもせぬ完成形だったのであって、間違っても「タカさんに教えて貰わないとならない」立場ではなかったはずである。

 イチロー、タカさん、門田さん、三人すべてがこのままでは恥をかく。
 少なくとも門田さんがそのコピーを停めないのでは、そうした彼我関係に無知であるか、または「本を売るための無恥」…とのそしりを受けたところで、けして反論などしてはならない。

 最終回が終わったあと、今後もタカさんについて知りたい方々は尾を引くことであろう。
 だが、そんなカタりなどもっとも故人らしくない。

 周囲の識者による「当然あるべき処置」を望む。

写真は:後楽園ビジターとして現役時代の有藤氏のパートナーつとめる在りしのタカさん(前野写)

2月1日(金)  12,8%の福音「フルスイング」  (^o^) まあまあ
 NHK総合テレビ21時台のドラマでは異例の反響、なんと第一回の視聴率で
 「12,8%を獲った」と聞いた。

 眺め始めたら最後、
 「これがほぼすべて実話…」
 「ホントにこうして生きることが出来たのか」

 半信半疑の方々ばかりなのではないか。

 そしてわが一家にとっては、開店する前から目をギョロギョロさせた高畠さんが店の前で待っている。
 まだ寝巻きで駆け付けた家人に

 『すいませ〜ん。こんな早くに来ちゃって』何か、野球についてひらめいた事があったのだろう。
 そうなったら最後、居ても立ってもいられない、子供のように邪気のない50台のオヤジがそこにいた。

 ボクはこの方に
 『昨今の若い親(は自身が遊びになれていない彼らの為)に向けた、「プロにさせたい子供とどうして遊んで伸ばすか」といったビデオ』を作りたいと声をかけていたのだった。

 タカさん(たかばたけ)さんは、
 『私の息子を「プロ野球選手にしたい」と考えて、遊んでやるとしたらボクシング遊びですね』と目を輝かせていた。

 長年そうしてやったら、かならず打席で役に立つであろう…と頭をめぐらせた上での提案だった。
 理由は想像するに、おそらくは
 @「与えられた条件(コース、緩急)」への動物的な対応力。
 @次の瞬間にどのような攻め方をしてくるだろうかといった「洞察力」、
 @一瞬の時を瞬発力で超える。
 @また、想像もしていなかった逆の攻め方をされた場合の「フレキシビリティ」
 などなど

 これらは、幼児の時から『脳を使わずに、身体全体』に教え込むということで、もっともボクシングが良いのでは?という氏の理論であった。
 ボールに素直に反応が可能な人体を構成してゆくのに、タカさんは「耳を通じて教えるのではなく、”運動は肉体の反応”や”直感”」が一番なんだという氏のたどり着いた根源だったのではないかと思う。

 あのタカさんは、決して教え子(のプロ野球選手)を批判しなかった。
 NHKのドラマでも描かれているそのままである。
 怒るくらいなら、その瞬間にその解決に向けタカさんは動く方が先…だった。

 特に「立場の弱い者」たちに対し、氏は間違っても怒るような事がなかった。
 若い選手らへはせいぜい、からかったり、あってもカラリとした嫌味がせいぜいで間違いなく後を引くようなネガティヴな意見を語らなかった人物だった(イタズラは本当に大好きだった)。

 その嫌味さえも、その選手が抱えている『越えられない壁』を共に突破できないでもがいている現状を、二人でお互いが苦笑いするため…の自嘲として口をついたものだった。

 ところが、男の社会といったものは外から眺めるほどカラリとはしていないもので、逆にそこへ「湿度」を常に与えようとしてくる。
 だから氏のような「部下から慕われる中間管理職」はいつの世でも首脳からはケムたがられる宿命だ。

 「野村さんの右腕」だった氏。
 ヤクルトスワローズが昼間の練習で汗を流していた。
 シーズン始まって間もないある日、『ある野村監督の家族』がグラウンドに入るなり、ヘッドコーチ格だった氏を呼び付けてこう云った。

 『(ヤクルトのベンチ入り)全員を集めて整列させろ』
 タカさんはそれに従って、神宮の1塁側ベンチ前にナインを整列させ、自分もその中に加わった。

 すると、何を血迷ったかその「ご家族」は監督気取りで手を後ろに組み、「訓示(?)」を垂れ始めるたのである。
 唖然とするナイン。
 まるでその者が関係している『有料少年野球チーム』の一員にまで落とされたかのようである。

 ”訓示”を超えて今度は、「個人個人への叱咤」へとエスカレートしていった。
 『アンタッ、何をボヤボヤやってるんだよっ!』といった個人攻撃の開始である、一般にも知られた恥も外聞もないあの調子…だった。

 あの中には
 『ボクを最後の一人になっても守ってくれたのはタカさん一人だった』という長嶋一茂も直立不動にさせられていたこの中のひとりであった。
 
 タカさんは、もはや「シャレにならなくなった」とみて進み出てささやいた。
 『XXさん、もうそれくらいにしてやって下さい。ま、ま…』と、愛想笑いを送りつつ制止に入るのである。

 すると柳眉をさかだてたその者は、タカさんに向き直りこうメンバーの横隊が見守る中、決め付ける
 『おい高畠、お前誰に拾ってもらったと思っているんだい!ロッテでおマンマ喰いあげていたくせに!』

 たしかにこの新内閣の組閣直前まで、氏は落合、西村高沢と”首位打者を製作”しておきながら、
 「トカゲの頭はそのままにして、(トカゲの)尻尾だけを切る」といった不条理きわまる責任の取らされ方をしてユニフォームを脱ぎ、背広組であるスカウト部門へと切り替えさせられていた…のであった。

 それが、野村克也新監督就任と共に、ヤクルトは野村さんの希望に沿ってタカさんをトラバーユさせ獲得したのだった。

 それを指してその「身内のお方」は、タカさんのスカウトへの配属を「マンマの喰い上げ」と指し、そうした職務の人間を「拾って」やったという言葉で表現してみせたのである、それも氏の「部下である1軍選手」全員の目の前で。

 その不心得者の真意は、逆らったタカさんが選手らの人望を集めているのを見越して、わざとここで「捨て犬を拾ってやった」かのように蔑んで自分らの虚勢を張って見せることへと移行していった。

 それでもタカさんは反論もせず耐えた(番記者らを遠ざけてこの”事件”は進行したため、1行も報じられなかったのである)。
 タカさんはその場を辞すと野村監督に電話をかけ、事の顛末を説明をした。
 ここは部外者の立ち入る話題ではなく、またそうしたエリアでもない、もとより素人の出る幕ではないではないか、いくら身内とはいえ、監督なら節度を正してくれるだろうと、助けを求めたのであった。

 すると意外なことに野村監督はタカさんが期待していた「男としての決断」などではなく、現場責任者としてのタカさんに
 『お前ともう一緒に野球をやることはないな』と事実上、「電話口ごしの解雇通告」を伝えたのである。

 そして『メディアにもいっさい口をつぐんだまま、タカさんは退団していった…』ため、マスコミも野村さんは『何も語らない』ため、事件の真相は藪の中となっていたのだった。
 実はそれから10年も経ったある日、焼き肉屋で超大物現役投手らとボクがレバ刺しなどを食べていると、取り巻きの一人、H紙デスククラスの記者が世間話の中でこの事件に触れる

 『え〜〜っ、驚いた、私は野村克也氏から高畠さんの辞任について「それとは正反対」の事情を(オフレコで、と)聞かされてきた。それ前野サン本当の話ですか?』一座も、その超大物もボクの顔をうかがい見た。

 『ボクもこれ以上、ナンにも云いません。広沢や池山、皆さんに訊いてもらえばシロクロははっきりします。ウソがどちらか、はっきりしたら、どちらか一方にイメージが致命的になりますけどね』とボクは笑った。

 ウソなんて云うものではない、またそうまでして取り繕わねばならない生き方なんかを選んでまで、いったい「何を報酬としたい」のだろうか、この人たちは(でも、ボクはだらしない男とはいえ、「監督としての野村さん」は尊敬しているが)。

 その焼き肉屋論議から2〜3年後だった。
 千駄ヶ谷の千日谷会堂の祭壇でタカさんは、夢にまで見ていながら袖を通すこともままならなかったご自身デザインになる『私立筑紫台高等学校野球部』出来立てのユニフォームに包まれ、「棺の中」に横たわっていた。

 あの365日日焼けして真っ黒だった顔が、今日のタカさんは真っ白な顔色をして眠っていた。
 
 南海ホークス以来、あれだけ一家に尽くしていたタカさんのご葬儀に、野村さん一家からのお花は
 『団野村』さんからのものだけ…だった、あの墨文字は印象的だった。

 彼もプロ野球選手を目指していた一人だった。
 「野村克也氏の片腕」となったと同時に、タカさんはまだヨチヨチの幼児だった団さんの実質的な遊び相手となり、野球の専属コーチでもあった縁はまだ繋がったままだったのだ。
 
 野茂がMLBに渡ってからというもの、何かと「団」さんに批判が集中した際も、
 『団ちゃんは本当はいい子なんや、よっぽどのことがあったんやろ。』
 そう云って、批判者を防戦一方、慰めるように片付けてきた。
 『団さんの弁護』などという”損な役割”を、これほどまで(野茂以上に?)買って出ていた日本人をボクはタカさんの他に出逢ったことがない。

 団さんは今も有力なタカさんの理解者である。
 当時ヤクルト選手だった面々からのお花も、あの日の祭壇を埋め尽くしていた事で「あの日の真相」につき、無言の証言が得られたとボクは思った。
  
 長嶋家からは「一茂」に並び「茂雄」さんからもお花が届いていたのも一座の目を引いた。

 ドラマ「フルスイング」で、高校教師を目指したタカさんが単身で福岡に向かった際、東京の留守宅に『ある球団からコーチ就任の要請が入った』事になっている。
 実話はあれこそ、まさにその長嶋さんからの誘いだったのである。

 長嶋さんと野村さんの二人は、噂にたがわず「犬猿の仲」である。
 その『猿の右腕』と球界で色分けされていた者を、犬が『右腕として迎えたい』と手を差し伸べてきたエポックメイキングなというか、きわめてニュースヴァリューの重い出来事が実はあのストーリーの裏にはあった。

 ボクは思う。
 『そこまでして、高校生を』と、氏がプロ野球球団経営者らの堕落に失望していたのか…。
 そのように、心中を察するのと同時に、もしかしたらそこまで「あのタカさんならやりかねない」と建てた推論がもう一つある

 『野村さんへの義理立てを通した?』のだろうかという事。

 おそらく、「長嶋巨人」が石にでも躓いたとたん、ノムさんはあの辛口で何を云うか判らない。
 タカさん以上に、「獲得を図った長嶋さんへの批判材料」へと発展する危険性を惧れて自ら身を引いたのではないかということだ(この説はかなり可能性が高い)。
 結局、タカさんは球界での弟のように可愛がっていた現広島コーチの内田順三氏が、その直後に長嶋政権入りした事からもうなずくことが出来る。

 どうやら、この日本社会では球界に限らず
 「大人という人種が『純粋』では困ることが多い」らしい。
 「スジを通すのは、今や大人のすべきことではなくて、むしろ『ガキのやる事』」とハナであしらわれる末路と覚悟した方が早い。
 
 それだから「少年のような…」という、ホメ言葉ならぬ、イカにも重宝な『片付け言葉』が常用句としてあるのだろう。
 もう一回『それだから』…、タカさんは「プロを捨てた」のではなかろうか。

 タカさんをボクは80年代から、結果的に約20年間、氏の後ろから拝見させてもらってきた。
 企業やソシキが、こうした『熱血漢』と称されるような細胞をどう扱うか、シニカルだけど実体験を拝見させて戴き、とても勉強になった。

 基本的には「どこの球団でも同じ」だけれども、上手くいっている時や、景気の良いときばかり、チヤホヤしておきながら、いざひと風も吹くと一変、
 『責任を取れ』と熱血漢には強い風がぶつけられるものだ。

 考えてみれば、専務や常務など、テメエが詰め腹を斬れば本来は良いのである。
 ところが、それをタナ上げにしてしまい、その前の段階で処理を付けたがる。
 つまり、こうした「中隊長クラス」のクビを飛ばして(プロ球団経営の親会社である)その上の司令部や、下の兵隊らに『いかにもシメシ』をつけたようにみせる事が往々にしてある。

 そしてきまって『俺がシメシをつけた』とアッピールして業績悪化への見せしめとするものだ。

 タカさんはいつだって、そうした腰抜けどもの最先頭で首を斬られる担当者となってきた。
 ボクら記者たち「岡目八目」から言わせて貰えば

 @「スライダー勝負」と教えられても、そのスライダーが打てなかった。
 @監督が大向こうウケを狙って動きすぎて失敗。
 @投手陣が壊滅している。
 @選手らが監督に不信を抱き、コーチのほうを信頼している。
 @監督のおかしな人事登用で、ナインがやる気をなくしてしまった。
 @監督は生え抜きの大物選手で、不振の責任を取らせたいが、クビを切れぬ、だがそれではシメシがつかない。
 などなど、あたかも毒者諸兄の職場をお話しているようではないか(笑)

 とても、『一バッティングコーチの更迭をすべき』理由とは思えない「戦力的欠陥」、にもかかわらず、タカさんは責任を取らされてきた。  
 「選手の責任ではないか」とボクが云った際にはこう云ってのけた

 『前野サン、監督やコーチの代わりはいくらでもおるんです。ですが選手の替わりはいないんですよ。』
 今だから云うが、これはあの稲尾さんがロッテ監督として詰め腹を斬らされた際のやりとりだった。

 あの西武無敵の黄金時代に稲尾さんは就任なされて、「13ゲーム」、「15ゲーム」と離されていたとはいえ、
 ロッテをいきなり『2位、2位、4位』だったなら、大健闘の部類ではなかったかと、亡くなられたあの細い柔和な目を想うと今もやりきれない。

 そしてタカさんもロッテ、ダイエー、中日と、そうした裏の面に泣かされてきた。

 そうした「軽蔑するのも勿体ないような連中」へもタカさんは激昂することもなく、
 「お世話になりました」といったケジメの着け方をする人物だった。

 『フルスイング』では高橋克己さんの好演、近鉄の吹石さんのご長女一恵さんの「何か一皮むけた」ような演技が目をひく。
 なにより、いい原作を得てドラマ作りに関わってきたこの番組のスタッフらが
 『まるで発情したように』思えてならない。

 そのせいか、視聴率はあの「電車男」を抜き去って
 初回12,8%もの視聴率をたたき出した。
 地味〜な、番宣でこの数字、迷惑も遠慮もない朝からキャストが出ずっぱりで新番組を刷り込もうと必死な民放のドラマだったら…、これがどれほどの率を上乗せしたことだろう。

 そう思うと、あんな番宣の洪水に苦りきっていた諸兄も大いに溜飲が下がったことだろう。
(これが、かつてのこの「…日記」内で取り上げた、「既成放送作家らの堕落」と通底する)

 そして第二回が9,0%。
 こうした、人工的に引っ張りようのない地味な『ノンフィクション調ドラマといったハンデ』にもかかわらず、『10%いったらオンの字』という時間帯のドラマにしては信じられない支持率を勝ち得た。

 それが、さらに2月2日土曜の第三回では
 なんと『11%』をかせいでしまうのである。

 どうやら裏の日テレ「1ポンドの福音」が、コケているらしい。
 『漫画原作ドラマは率が取れる』という昨今のシェーマを、ついに難攻不落だったミリオンセラー作家=高橋留美子原作を勝ち得たものの、局挙げての番宣もむなしく、脚本や演技陣の陳腐さにはどうしても勝てずに「フルスイング」の前に『敵失』となって(笑)、こちらの硬派なストーリーへと流れてきたのだろうか。

 でもさすがはタカさんである。

 全六回の連続ドラマ、これで第三回…当たり前だけど、ボクら一家にとっては『あと3回』という計算法でしかない。
 あと『3回しか』よみがえったタカさんを見ている事が出来ない。
 あと『3回で』またタカさんと、お別れしなければならない…といった数字でもある。

 このドラマをご覧になったら不思議に思われる方がさぞかし多かろう。
 『こんな風に本当には生きられっこないよ』
 『お涙頂戴の、都合いいストーリーだな』

 大人は「泣きたくない」そのための理由を都合よく探す。

 今、日ハムの二軍監督となった(元ロッテ遊撃手)水上善雄さんと電話で涙声で話した。

 水上家も、「我が家と同様」だった。

 『「生徒の顔を憶える」のに、ドラマでは写真部生徒のアイディアで、「全員のスナップを撮り始めノートに貼る…」ってあったでしょ。「あれってさ、絶対、タカさん自身のアイディアだよ」って…女房と泣きながら話してんですよ』
 生前の氏を知る者たちにとっては
 『そんなコト、タカさんはあっちでやってたのか』と苦笑しているのだ。

 「突拍子もないことだ」と、「フィクションだ」と、視聴者各位はおっしゃってるだろうけど、ボクらは違う、
 ドラマの高橋克己さんが何かを演ずるたびに、ボクらはTV画面に向かってつぶやくように証言する。

 『いかにもタカさんらしいなあ、やっぱりやってたんだなあ…』と、相も変わらないタカさんの行状をうなずきながら、容赦のないドラマの流れを、なす術もなく最終回まで止められずにぼう然とするだけなのだ。

 また明日の朝もマブタが腫れちゃってしゃあないなあ(2・9土曜記)。

 写真下:中日時代のタカさんが特に可愛がったのは、井端、荒木、そして放出された高橋だった。