【2007年12月】
12月29日(土) 残念だなあ
(^o^) まあまあ
かなしいけど、ここに紹介した書家の方々のご要望=『テレくさい』に応え、削除しました。
いい書だったのになあ…
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12月28日(金) 入居者に隠され続けたある「告知義務」
(^o^) まあまあ
「ザ・センター東京」というコミックバンドみたいな名前の超高級マンションが完成した。
場所はJR市ケ谷駅から徒歩14分、四谷駅とも中間の距離であまり便利はよくない。
近所には「排気ガスが交差点の窪地にたまり、日本一空気が悪い」と名をはせた「牛込柳町十字路」があるし、どうしてこの地を選んだのか、大手デベロッパー3社が手を組み、皇居外濠を眼下にした400戸あまり(即座に完売!)の分譲マンション完成。来春から入居がはじまるという。
このgoogleMap (下)での位置関係をご覧頂ければ一目瞭然だけれども、この地をあえて大集合住宅にするにはいったいどれほどのメリットがあるか、ちょっとピンと来にくいけれど、隣に防衛省、海軍幕僚総監部、もう片側には陸軍の市ケ谷駐屯地と、防衛カンケイには物凄く恵まれている立地(笑)。
http://www.e-mansion.co.jp/cgi-local/mibbs.cgi?mode=point&fol=23ku&tn=0389&rs=631&re=640
だけどこんなんじゃ、しょっちゅう過激派のゲリラが金属弾飛ばしたり時限発火装置なんかもしかけられそうで、オチオチ暮らせそうもないんじゃないかというと、どっこい、この『ザ・センター 』の裏手にゃ、警視庁機動隊、それも「鬼の四機」と、「特科車輌隊」なんていう、同じ機動隊でも日本国でも精鋭中の精鋭らが同居し寝起きしているというのだから、これほど念の入った治安の良い場所などちょっとない(笑)。
ボクはここの所轄署と仲良しにさせてもらっているが、いくら親しくてもちょっとこの件については訊けない件がある。でもノドから耳が出るほど訊きたい。
それは冒頭の『センター君』だが、これはじつをいうと当初の設計では153メートルもの高さにしてしまう予定だった。
ところがそれを、高さ制限もないというのに”さる配慮”から『130メートル弱』へと身長を低く削ることとなった経緯がある。
それは何かというと、これだけ治安の良い場所だけに(笑)、さらに念には念を入れて北朝鮮がテポドンを撃ってきた際などにそれを射ち落とす、パトリオットミサイルをこのお隣に配備をする事になったためなのだ。
どういうわけか、このミサイルPAC3というもの。
その本体や周辺機器にマーキングするお仕事をボクの呑み仲間の一人が担当するなど、何かと縁がいちいち深い最新兵器なのである。
あれはちょうど「棺桶のでかい」形状の発射台に4本もミサイルが仕舞ってあり、イージス艦や、空中のAWACS(早期警戒機)などのレーダーが某国のミサイル発射を捕捉すると、いきなり指令が飛んできて自動操縦モードとなり、その(市ケ谷に置いた)棺桶も勝手にその飛行方向に向け、無表情にグルグル首を回し始めるらしい(笑)。
そして適当なところで狙いが定まったら、その棺桶の先を突き破って、ミサイルがシュボボオォオオ〜ッ(聞いた事ないけど)とそちら方面へ向かって行くシステムだ。
先日ハワイはカウアイ島のバーキングサンドビーチ射爆場(そのうちこの最高機密基地来訪者用のTシャツをヤフオクで売るからね)から発射した、テポドン相当のダミーミサイルを、『数百キロ(詳細の発表は避けた)離れた洋上から、それの艦載型のSM3ミサイル一発を我が日本海軍のイージス艦から発射し、見事”大気圏外”で撃墜したというからたいしたものだ。
別にからかっているわけでもなく、これだけの事をしていたというのにわが国民の間で「憲法がどうの集団的自衛権がどうの」と、論議にならなかった世相が今にち的現象としてボクには奇異に映り
『ふ〜〜んそういうものかなあ』と思わされた次第。
大雑把ながら、ちょっと専門的にいうと、
あの朝民からたとえ複数発であれ、地上から発射されたとする。
そんな飛行物体を、日本海海域だけでもイージス艦と名の付くハイテク艦が日米で合計7隻、東シナ海から小樽沖までの範囲に常時配備され、監視し続けているのが2007年的風景なのである。
そしてこの『浮かぶスーパーコンピューター』が、それぞれ『7000の目』を4基ずつ搭載し、中国の内陸から朝鮮半島全体に24時間体制の監視したまま目を光らせ、わずかでも、ミサイルのような物体が一つの目から別の二つ目へと移動したとたん、それら「三桁の数まで」ターゲットを追尾し、その「動き」と「飛行通過地点の予測」を開始・捕捉する…と説明する事が出来る。
しかもお立会い、それはあくまで『海の上だけ』でもそれだけの防備がなされている…という事で、それに匹敵する陸軍や空軍だって日本にはあるということも忘れてはならない。
海の上でこれだけの事が出来るのである。
それをあのミサイル迎撃実験終了後、日本軍はさっそくその”戦果”を誇りつつ、
『すべてこのシステムを完成させるまでにあと1兆円かかる』と国民に向けて説明してきた、まったくゲンキンなものである。
今のところ、朝民のミサイルが飛来して(東京の中枢などを照準として来ない限り、)『日本海のカベ』を通過できさえすれば落下となり、おそらくTNT換算で500キロ爆弾喰った程度の被害が出る(威力にすぎない)だろう。
今まで日米が共同で推進してきたこれらの「ミサイル防衛」なるものは、イメージとは裏腹に結局、「霞ヶ関と永田町だけ」守れればいいんかい!的防衛規模にとどまっているのをどんなものだろう。
つまり、一口に『1兆円あれば完成』というけれど、それが国土全体をミサイル攻撃からプロテクトする…となったらとてもじゃないが、そんな金額でとても間に合うわけがない。ひどい詭弁である。
だったら、その『1兆円』投資してどれだけの都市がカバーできるのか、という「費用対効果」について納税者に対し具体的に提示していないあたりにインチキ性を感じてしまうのはボクだけか。
大親分のアメリカは朝民への脅威よりも、いまや「台湾帰属問題」をめぐっての対中国戦争を想定した戦時体制固めが4軍の至上命令となっている。
だからこそ、在日米軍の主力を日本や沖縄からグァムへと移駐させる計画へとシフトしたわけである。
グァムに拠点移せば、中国の主要都市北京・上海を南からにらみ上げる事が出来るという長期戦略である。将棋でいけば上手い布石である。
それをお先棒担いだ日本が、グァムへの米軍移転費用として『6600億円』もの引越し、ハウジングの補助負担を申し出て予算化しているはもっと怒っていいと思う。
というのも納得できないのは、その計画がまだ机上にあるうちから、現地では不動産屋の間で日本政府の組んだ金額があまりに常識はずれであるため、そこからこぼれ落ちるバブル景気を先取りし、アメリカ本土からも不動産屋が大挙乗り込んでくるほど、この地に転がり込むはずの利権をアテ込んでいる現象が起きているのである。
つまり、そのバカらしいほどの金額がどこから算出されたのかというとそこには重大な疑惑がある(現地不動産屋が高すぎる…というだけでも疑惑が指摘されているようなもんだ)。
当初1000億円以内とされたものが守屋事務次官らの手に触れたとたん、日本ミライズやら山田洋行(卓球愛ちゃんの「青森山田」ってここの経営なんだよ)らが介入を始めることとなり『ケタが一つ増えた』のである、現地の不動産屋らの査定でも
『相場なんて無視した、クレイジーとしか呼べぬ高額な取引』『高級住宅ばかりの一大リゾート観光地を作るようなもの』と、彼らの誰もが両手を広げ肩すくめさせるほどの予算膨張を続けた結果が、あの6600億円なのだ。
ボクのアメリカ生活でも、それだけ高級な住宅ばかりが建ち並ぶ軍のハウジングエリアなどお目にかかったことはない。
まだほんの数ヶ月前のことだけれども、結果的に見れば小池百合子前防衛相は
『なぜ「正しい選択を迫った」というのに、再登板やら再評価の声も出ぬのか』と毒者諸兄は考えて欲しい。
結局は『守屋的利権体質』を政府与党(民主党の前原など含め)は完全に払拭するつもりがないというところに帰するのではないか。
この今はまだ小さな疑獄事件も、間違いなく『平成のロッキード事件』にまで発展するに違いない。
金額の規模を考えればまだ田中角栄だの小佐野賢治だの可愛いものだ。まず『億の桁』が違う。
問題は『沖縄の人々の心をケアする』と称して基地移設費用から盗み、『グァム』やさらに『朝民による拉致被害』の問題からも危機だの脅威だの煽りたて、ごっそりと税金をパクって来たし同時進行形でもあるわけだ。
かつてのロッキード事件は全日空の機種選定をめぐり圧力をかけた、早期警戒機の導入めぐっての予算からのパクリ…と、まだ被害の規模は小さなものだった。
だが、それと比べればこれら米軍再編めぐる『防衛予算への疑惑』がとてつもない規模であり、これが間違いなく来年の最大の問題となって展開するだろうし、真剣に「節税」を考えるとこうした防衛関連の大盤振る舞いという悪い風習をぶっ潰すことは避けて通るわけには行かないのである。
ともあれ冒頭に戻るが、これは『国民的規模のお笑い話』である。
わが国と朝民との間でさらに緊張関係が増した場合を想定し、このミサイル迎撃システムの首都中枢防衛機能を高めようと、先週、埼玉県朝霞駐屯地や千葉県習志野などにあるPAC3などの機動車輌隊をこの市ケ谷や新宿御苑、お台場などに緊急展開させて有事に備えようとの訓練を開始した。
なのにニュースの扱いは小さい。
この思想は今まで以上に『政府機能さえ守れればよい』といった「結局国民の安全などは二の次」というネジ曲がった防衛思想に根ざした措置の典型例だろう。
で、本題に入るけど(今かよ〜 笑)、その『センター君』があまりにこの発射拠点に「隣接してそびえ建っているため、どうなるか」という問題が実は浮上しているのだ。
早い話、湾岸戦争の際にイラクがイスラエルに向けて放った地対地スカッドミサイルを、このパトリオット(PACの)初期型が迎撃につとめたのだが、相手ミサイルの飛行方向によっては、先出の『棺桶』がコンピュータに従い低く姿勢で構え、そこから近所迷惑などシカトで撃ち出すため、PAC3本体が「ザ・センター東京」の上層階の窓を突き破り飛び込むとか(笑)、エグゼクティブフロアにゴロンと転がり込むとかしてしまうかもしれない…なんてトンデモの防衛構想とのハザマで揉めているらしい(爆笑)。
それだから…?当初の設計予定153メートルという高さから現在の129メートルに(みすみす約6フロア分も損した計算に)なったのも、
『少しでも身をかがめてパトリオットが当たらないよう』にとの隠れた配慮のようなのだ(ガクガクブルブル)。
一国の防衛省の隣に建っている住宅が邪魔で、そこに地対空迎撃ミサイルが発射直後に当たってしまうかもしれないで揉めている…なんて、世界的いや地球的にみてもかなりカッコ悪い出来事である。
おそらく、有史以来人類「最大級の見当違い」事件ではないだろうか。
たしかに朝民の側にしても、どうせ敵国(わが国の)に有効な一打を浴びせるとしたら、この市ケ谷防衛省にテポドンを(「9・11」でのペンタゴン攻撃のように)ぶつけるてくるのはイロハのイ…だろうし、対日ミサイル攻撃の根幹クラスのターゲットには違いなく、当然想定される出方である。
世の中、不動産を取引する際には、売り手から買(借)い手に対し、
『宅建業法』にしたがい契約に先立って
@この物件が抵当に入っている。とか
@ここで(自殺・他殺)人が死んだことがある。
@近所に暴力団事務所などがある。
@地盤沈下や地盤の震動が激しい…等など
契約書を前にして事前にそう云っておかないと、後々、思わぬ被害をこうむったりするような(上記)惧れについてはトラブル防止のため事前に申告しておかないとならない義務がある。
だったとしたら、さしずめこの『ザ・センター東京』400余りの入居予定者諸氏には当然同様の事前申し渡し事項がなされていなければならないだろう。
たとえば
@パトリオットがお部屋に飛び込む惧れがあります…。とか
@テポドンなど第三国からの飛行物体によって、「___号室が」警告なしに破壊される事態も考慮に入れておいてください。
@近くに戦闘員らがひんぱんに出入りしている建造物があります。そのため思わぬ紛争に巻き込まれるような事態となりましても責任は負いません。等など
でも考えようによっては、パトリオット一本といった『虎の子の一発』をみすみす損するようなヘマだけは嫌うだろうから、まさかぶつけることはしないよう微調整するくらいの知恵はあるだろう。
だったらいっそのことこの『センター…』の屋上にパトリオット発射台一式を載せてしまえば眺めは良いし、建物にぶつかる気遣いもなくバッカンバッカン撃ち放題ではないか…どうしてこういう発想が出なかったものか、役人とか「一部上場企業のエリート」の発想だけに、そうしたコペルニクスはあり得ないんだろうなあ。
しっかりしろよな、この『野村不動産』(笑)
だから「いざ有事の際」など来た日にゃ、そりゃあ壮観だろう。
窓の外を、地上から派手なロケット噴射を上げながらミサイルが空に向けてすっ飛んで行くのがガラス越しの大迫力画面で見物できるだろうし(いいなあ)、また闇夜の空からオレンジの炎噴きながら北の空からこちらに向けて飛来する物体もおがめるかもしれないし、こんなにカネのかかった豪華な花火大会も『ザ・センター東京』ならではのアトラクション。
六本木ヒルズレジデンスあたりじゃあ、ちょっとお目にはかかれないだろう(笑)。
うまくカウアイ沖のように命中したら、空の彼方で流れ星となった破片がいくつも炎の塊りとなって地上に降ってくるだろうから、まるで夜空に展開する彼岸花ショーみたいにキレイなことだろう(笑)。
ともあれ、そんなときは呼んで欲しいなあ。ビールとかおつまみ『滝沢食品の日本そば』とか持ってゆくから、ツユ付きで盛り上がろうぜ。
こんなときに限って、普段は疎遠で礼儀しらずの上司とか遠い親戚とかにお限って電話とかモーションかけてくるんだよなあ…。こちとら隅田川べりのマンション住人じゃないっての(笑)
しかしなんとまぁ、アクティヴなシティライフをエンジョイできることだろうかこの「センターなんとか」(笑)
それにしても牛込署に、そのビミョーな立ち位置について訊きたくても訊けないだろうなあ…(まだ云ってる)
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12月23日(日) 人気取り利用の道具?薬害肝炎訴訟団 増補
(^o^) まあまあ
パドックでのメイショウサムソンが出馬する馬の中でもっとも毛ヅヤが悪いという事実に、TV中継出演者一同何も触れなかった。
結果は案の定、鞍の上の武豊がクビかしげる行きっぷりの悪さで惨敗。
マツリダゴッホという代打騎乗?の蛯名で楽に勝ってしまった。
「とても勝つまでは」と、ウィニングジョッキーの蛯名自身さえもがびっくりした表情でTVカメラ前、「馬の世界の深さ」、とても人間の手に負えない自然という聖域の深さをあらためて教えて今年も終わった。
(有馬記念というレースは、かねてより田原不良騎手の心を番狂わせトウカイテイオーが勝つことで人生悔い改めさせたり、オグリキャップは人間全体の自分勝手さを後悔させてラストランをこれまた番狂わせ勝ちして見せて、どういうわけかボクらの煩悩にカツ入れる「人生訓レース」としても知られている。)
今回も笑ったのは、いつぞやの「ダイユウサク」の勝利以来、今年の馬主も競馬場に来ていなかったことだ。
馬主といえば、騎手どころかひいきの引き倒しの主役であるはず、彼らまでが『まさか勝つとは思わなかった』のに、今期最強、また世界最強のペリエやキネーン騎手らをしても、こうした伏兵にあっさりコケさせられてしまうのだ(笑)。
人間たるものすべからく、今後はもっともらしく、予測やら予想なり、あまりカッコつけて「したり顔でやる」のだけはヨソウ。
それにしても……である。
このところ年末公私の集まりで夜のタクシー利用が毎晩のようだが、乗るたびに腹が立ってならないのだ。
いったいいつからこの国は、税金をこうまで「ムダに浪費していい」と、どこの野郎が道路交通行政のタヅナを弛めたのだろうか。
タクシーが曲がるところ、また曲がって新しい道に入ったところ、いちいちブレーキランプが点き、深夜でもノロノロ運転をさせられる。それに乗った庶民らは、そのたび上昇する料金メーターに泣かされるのである。
道路の工事か、アレらはいったいどんな名目なのか。
ゼッタイにいえる事は、あれらの工事がボクら納税者の要請で、この道路はこうだからこう改善してくれといった、「住民からの突き上げ」に行政当局が応えたものでない事だけはたしかだということ。
ああしたアリバイ工事、いやこの際云い方を変えておこう。
『大人の道路工事ゴッコ Sponsed by税金』というのが正しいか。
思い出して欲しいのは、小泉さんが総理大臣だった頃は、こうした「工事ごっこ」がカゲをしばらくは潜めていたものだった。だから年が明けて3月に入っても道路が工事だらけとはならなかった、一瞬の時代がたしかにあった。
つまり、道路や公共工事が『税金盗み』のための道具となっていなかった時期…があったわけである。
それが辞職して『小泉亜流』とされた安部ぼっちゃん内閣誕生の番となってみたら、わずかな沈黙期間というズレがあったものの、昨年春頃から街には重機があふれ出してきたのを憶えている。
『上が変われば下も変わる』というのがこの国の慣わしといった、絶好の例だろう。
そうした現象から1年有余、福田オヤジが総理になったとたん、いまや重機で埋め尽くされてみえる。
いつの間にか、東海道新幹線と平行して緑の山をブチ抜いて作られていた『第二東名高速』が、工事の中断していたのをどこのどいつが声をかけたのか、いまやその山肌にも黄色い重機が元気に土をはぎ、山きり崩してうごめいているのはナンなんだろう。
深夜タクシーの窓からは、まるでここ数年の赤字分のアダ取り返すくらいの勢いで、まだ真新しい道路やら側溝のコンクリ、アスファルトが立派な化粧施した地肌をこちらに見せたまま、廃棄場行きトラックの荷台に満載され、捨てられる運命に泣いているのが見える。
そうした灰色の彼ら彼女ら(?)は、それまでの住み家であった「工事ごっこ現場」を恨みがましく
『どうしてワタシがもうお払い箱になるの?』とばかり、その美しいままに終わった平面の塊まりらは、ヘルメット姿の労務者を無表情ににらんでいるように思えてならない。
そうした中、公務員のボーナスが何事もなかったかのように「平均2,7ヶ月分」盛られて支給される。
800兆円の赤字財政の国の「公僕」といった負の自覚など、彼らのどこにもない。
民間は「イヤならハケン社員に代わってもらう」とばかり、『前年対比少しでも下回ればマイナス』というボーナスの目減りに泣いているのがウソのようである。
それでも無理やり差し出した民間からの税収『微増』にいったいどこの公務員サンが貢献してくれたおかげの「ボーナス(=Bonus=余禄)」の分配なのか?
このたびの渡辺行革大臣に期待した国民は少なくなかろう。
別に彼だから、すべてをどうにかしてくれるなどとは誰も思っちゃいなかっただろう。
せめて天下り王国、天下り非国民らの温床である『インチキ独立行政法人なるものの、せめて一部にはメス入れてくれるだろう』と、せめて一服だけでいいから、ボクら庶民は清涼剤を飲んでみたかった…それだけの小さな願いであったはずだ。
101のそうしたインチキ法人に対し、できたことはたったの4法人だけ。
しかも廃止はたったのひとつ(笑)。(報道も、各社によって「102ある」とか「110だ」とか、その独法人の総体数がバラバラなのをご存知か?つまり、それほどあっても大した事がない法人という何よりの証左であろう。)
残りにしたって別に「廃止」などになるわけでもなく、「する」とか「2・3年後の再検討」なんてだ〜れもしんようなんかしっこない。
それを「民営だの入札させるだの」を「そうした手段を検討することになった」とか(笑)、送りバント野球みたいな但し書きが付いただけ、2アウトになったらどうせやめるのだから、結局なあんも実態も何も変わっちゃいないままだったのでこの芝居も終わったのである。
この茶番でプラスの材料めいたものを、あえて、見出すとすれば公明党の堕落である。
なんだ、あの冬柴国土交通相。
しっかりと天下り特権階級の代弁者として、あの程度の渡辺大臣からの要求にも大手を横にして一切の『行革はこの省には要らず』と突っぱねて見せた。
自民党の族議員ら、族出身大臣でさえあれだけのパフォーマンスで渡辺大臣の脚を引っ張ったものはいないというのに、公明党さんいい度胸だね〜。
そう、そんなに、あの省の公務員には創価学会信者が多いのか。
あの団体はいったいいつから貧乏人の味方を代表する「国民の側」でなく、「『上流階級の側』の飼い犬」へと教義を改宗なさったのか。
あれだけのかなりバツが悪い、国民を敵にしそうな問題(行革・年金など)への態度決定に於いては、まずあの党の場合、間違いなく『池田サンの意向とは別の判断』は許されていないはずだ。
したがって、池田サンという人は公明党(裏)のリーダーとして、あくまで自民党のシモベとして、行革など早いトやめてもらい、役人天国の世の中となったほうがよほど都合がよいらしい。
そのためにこうして悪役公然と演じてまでパシリに徹するというわけなのか。
それとも『宗教団体への非課税継続』という”人質”が、またまた取引材料だったのか?
よ〜〜く皆さんも次回の選挙のために、脳に刻み込むべき「公式な公明党の『立ち位置』」がここに露呈したわけだ。
そして、薬害肝炎の問題である。
この話となると、どうして国=自民党の皆々サンがいきなり「節約家のフリ」はじめるのだろうか。
この2〜3年で道路特定財源だけで60兆とかの収入が見込まれるのを良い事に、ああして「工事ごっこ」の大盤振る舞いのオンパレード。
よほどの弱みでも握られていたのか、道路・建設・農政族どもの復権を税金で振りまいて後押しに臆面もない、その同じ口から
『一括で患者さんの救済をするには二の足を踏んでいる』などというのか、ワケ分らない。
親から貰ったカネでフェラーリだのポルシェ、パテックフィリップ買いまくる放蕩息子が、いきなり(肝炎被害者らの)頭数を見てこれをひとつふたつと、数え始める。
こうした面でのケチケチぶり、同じ税金を扱うというのに片や必要性も支払った相手先だって隠し通すこともあるクセにこのバカ息子がわずかばかりのチャリティへの寄付となったらがま口のファスナー開いて小銭勘定し始めるようなものだ。
…このジキルとハイドぶりについて、ボクも家族とニュースを見ながら、解説した。
「これは与党にとっては千載一遇のチャンス。なのだ」と、
テメエらの凋落した人気挽回のために
「(薬害肝炎一括救済のために)どうせ堂々と補償金を払うに決まっているよ」
どうしてこれだけ税金をカネとも思っていない連中が、この和解金を人気取りに使わないテなどないさ。
でもどうせなら、押し詰まって「衆院解散」に近いギリギリまで政治決断とやらを引き延ばし、軽く失望なんかさせたりして結局はバラ撒くに決まっているさ。
(皮肉にも、この日記を書きUPした夜半、臨時ニュースとしてその一括救済とやらが発表された 26日記)
こう予言していたが、やっぱりねえ…
ヒトの金は俺の金。俺の金は俺のもの。
肝炎の患者さんにも訊いてみたい、
『これなら本来の謝罪の表明』とお考えなのですか?
この『政治的取り引き劇』のおかげで、確実なことがひとつ云える。
それは
『おかげで福田内閣の支持率がUPしたこと』である。
『80歳まで長生きしてきたが、こんなに日本が汚くされるなんて思わなかった。』
なにか「個別の問題」に対しということではなく、朝のラジオ番組で、リスナーのおじいちゃんから寄せられたというこの短いメッセージが心に響いた。
どうやら、戦争前夜に比べても、「あの頃のほうがまだマシ」だったらしい。
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12月12日(水) / 『テメェ死んだらぶっ殺すからな』(未校正)
(^o^) まあまあ
良く行く湯河原の見晴らしの良い崖で、小型自動車に乗った若者、4人が練炭自殺して亡くなった。
また、新潟の朱鷺(トキ)保護センターから、二組のペアで計4羽が、多摩動物公園にやってくるのだそうだ。
なんでも、こうして他の60羽あまりから隔離して、『もしもセンターで鳥インフルエンザに感染した場合の全滅事故から朱鷺の種を守る』といった配慮からの措置だそうだ、まるで「ノアの箱舟」を思わせる。
そんなに朱鷺の個体数が増えているなどとも知らなかったけれど、そのセンターの鳥ケージをニュース画像が見せてくれたら、翼長1,5メートルほどの朱鷺がケージの中を羽ばたき飛んでも、思わず「あ、鉄格子にぶつかる」と身をすくめてしまった・・・それほどに狭い、劣悪な保護飼育環境で子孫を増やすのにムチ入れられている朱鷺って、可哀相ではないのだろうか。
『自殺サイト』がどうのこうの、「レンタンでレンタカー借りてレンチャンで自殺する」といったナウい事件が起きるたびに、やれネットが悪い、自殺まで勧めるサイトはつぶさないと、こういったバカなヒューマニズムまがいの『超法規的法規制』求める声があちこちから上がる。
いい加減こんなオピニオンをまともな角度から取り上げるのは止めておいたほうが良くないか?
つまり、彼らにだって生きるために自由があるし、与えられた人生という自由時間のすごし方を選択する自由があって良いはずなのだ。
なぜ、『死ぬ自由』を認めてくれないのか?
彼らだって立派に社会と向き合って、絶望の中八方手を尽くすもすべてがスカ・・・となってしまっていっそ死んだほうが楽、そう考えて考え抜いた上での結論で『自殺』を選んだのだとしたら、それでも『死ぬんじゃねえよ、てめぇ、ぶっ殺すぞ』と他人が止める事など出来ないのではないか。
もし仮にそうした資格があるとしたら「レンタカー屋のオヤジ」くらいなものである。
もっと言えば、どうしてこんな世界で無理やり生きて行かねばならないのか、誰か教えてほしい。
デリカシィというものは百人百色、つまらないと思ったことでも悲劇的に受け止める者がいれば、めっちゃくちゃラテン的に受け流せる者もいる。それで良いではないか。
親は可哀相、だけど親もまた当事者の一人であった重さも抜きがたい。一緒に泣いてやるしかボクには出来ないだろう。
もとより「自殺する」などという選択は一般的に人生論からいけば「間違い」の部類に入るだろうし、また悲しむ人関わってきた周囲の人々への冒涜でもある。
ただ、だからといって「テメェ死ぬんじゃねぇよ」と無理やり、死なないよう脅かすのであれば、対案として『生きているとこんな良い事がある』と希望を持たせる義務が、「止めようとする側」にはひるがえって同時に突き付けられる・・・もうひとつの側面をも保障してゆかなければ、その説得は片手落ちというものだ。
『交渉人』という立場の特殊捜査官らがいるけれども、アメリカの場合、彼ら一人ひとりに「宗教観(死生観?)」というものが問われ、そうした専門コースの授業の中で問われる事になるのである。
銃口をこめかみに当てたまま、身体に爆弾を巻いて「これで周囲は木っ端みじんだ」とかいう自殺道連れ願望の犯人を説得してゆく・・・
それへの対処には、時間を稼ぐのが先決で、その間に被疑者が生きてきた軌跡を、別の捜査官らによって素早く洗い、希望と具体的なトラブルからの脱出法を与え、投降するように説得するのである(これはコース初歩)。
ボクは冒頭の絶滅しそうな朱鷺、こんなものを目にして彼らの将来を考えやったらる決して楽観的に見る事はできないから正直に言うだろう
『キミらなあ、生きていたってこの先ロクなことないよ。天然の畑にドジョウはいなくなる一方だし、ウナギがそこらにいたって、そんなモノどうせ「天然モノ」なんてウソに決まってる。ありゃ船場吉兆の仕入れだからどうせ、中国産の薬漬け養殖モノってとこだろう、身体壊すだけだよ』と、
『だから子供産んだってこの10年も先には気の毒だろうしさ、まだ動けるうちに絶滅の途選んだほうがいいよ』
と、自然が朱鷺の生存を許さなくなるのを素直に待つよう放って置くだろう。
広い野原で自由に自然なものをついばんで、平和に暮らして行けた時代が終わったからこそ、彼らの個体は減り続け、絶滅へとまっしぐらなのだ。
朱鷺が羽ばたいたって腹のヘリはふくらまない、とばかり、農薬で虫やドジョウ・蛙を殺し、化学肥料を与えて水質をおかしくしておいて、米がコシヒカリだのササニシキだのと、病気に強く実った稲穂も重くて立派にする途を、昭和30年代後半から選択しひた走ってきたのがボクら日本人なのであって、ボクらは朱鷺やらニホンカワウソのようなものの種との共存は切り捨てて、ゼニカネをとったのである。
そして今は、失われたものを自分勝手にも振り返って
『お可哀相に』とやる事が、むりやり朱鷺の遺骸をすっぽりとかぶって、中に入った人間サマが踊って『ほれ、朱鷺が元気だよ』と見せて取り繕っているだけの、サル芝居ならぬ「鳥芝居」にほかならない。
よせばいいのに、日本人たちが無理やり”朱鷺を絶滅すべき環境”に落とし込みながら、とっくに対応できなくなったものをヘンに延命し、得意になっていったい何のためになるというのか。
将来の子供たちに・・・、とキレイ事はいうけれど、彼らにはきちんと
『朱鷺が生きてゆけないようなこんな環境を選択してきたボクらの世代を許してくれ』と素直に無力を伝える作業のほうが先ではなかろうか。
せめて生かしたのを最大限無駄にしたくないと衷心から願うとしたら、朱鷺が今後も汚染され温暖化される地球の中でもメッチャクチャ耐性が強く、ゴキブリが死んでも朱鷺は生きてる(笑)というほどに肉体強化した『バイオサイボーグ』となるよう、人間の科学の粋を活かして罪滅ぼしするのなら、朱鷺に初めて顔向けができるというものだ。
それを、あんな鳥かごみたいな場所に押し込み、ロクに羽根も伸ばせず、ただ『朱鷺は生きてますよ』といった現代人って「お可哀相が解る人々なのよ・・・」のアリバイ作りに利用されている方がよっぽど憐れでならない。
練炭自殺、自殺サイト、結構じゃないか・・・とまでは云わないけれど、『仕方ない』じゃないか、そう思う。
ひとつ同情するとすれば、この4人の中に一人でも女性が入っていたら、せめて「違う選択」となっただろうにと勝手ながら同情差し上げる。
「2対2」だったら、この練炭で車内バーベキュー大会に転じたかもしれない。
冗談ではなく、人間(例えば:ボク)などホンの少しの小さな明るいきっかけから、コロっと人生観がひっくり返ったりするものなのだ。そう思うと惜しいケースだなあと思う。
彼らをバカにしているようでいて、実は決定的に深く彼らを期待していないのはむしろ同情論(取締り論も)たれる側の世間ではなかろうか。
ああして、大の若者らが4人も集まって深刻に「生きる」とか「死とは」と、考え込んでいるのである。
今どきこんな建設的な論議に時間を費やすようなマジメな者などどれほどいることか。
それでいて、残念ながらこの4人のうちから誰一人『死ぬべきではない』といった意見は出なかったわけだ(だから事件発生となった)。
彼らにすればそれだけ深刻な悩みであり、避ける事は死ぬより他はないと4人の頭脳が考えた上でそう判断した事のほうをもっと尊重してやらなけならない。
そう思いやれない世間だからこそ、彼らにしたら『冷たい』と断ずるのではないか?
『たいした事ではない理由で死ぬ』タイプのキチガイもいる。
だが、4人も・・・という個体数はよくよくの事あっての自殺と同情してやらねばなるまい。
どこのどなたサマがいったい『死んではならない』なんて、ご立派なことを自殺願望の若者たちを目前にしてヌカせるのか、訊いてみたい。
ボクら大人が考えなければならないのは、
『それほど立派な環境なのか』
『死んだら勿体ないと思えるほどの世の中』を提供しているのだろうかという考察である。
総理大臣からナニから、『守ります公約を』と公言しておきながら、
『あれは選挙だから、(数字なども)縮めて云ったんでしょう』と、ヌケヌケと町村官房長官はほくそ笑んだ。
大人の社会での約束の中でも最も重いのが『選挙での公約』ではないのか?
大人とはああして
『他人との約束なんて、俺達だってこうして平気で破っちゃうんだからベ〜』っと赤い舌を公然と出してはばからない「国家元首の一味」までこの国では現れるまで腐り果てた。
『ブリッジ』という救いようのないドキュメント映画を観た(笑)。
救いようがない映画というと、今までの#1はインド作品の「(題名失念)」で、これはひどかった(笑)。
@ある親を盗賊に殺された少年がみなしごとなってしまう。
@あちこちで喰うために働くのだが、篤志の人からの金品をもらう
@だが片っ端から同僚の「物もらい」やら「コジキ親方」(差別と笑うものは内国的バカである、現地では立派に彼らは細分化された身分なのである)からピンハネされ、かっぱらわれて餓死寸前である。
@そして、一念発起して田舎に流れて行き暖かい人々とめぐり合う
@だが、わずかな物をめぐって濡れ衣かぶせられ、リンチの末に放り出されてしまう、絶望
@これでシコシコやって行くのかと安堵の矢先、強盗の手先にさせられてしまう。
@強盗らの一味として追っ手からの「正義の刃」にバッサリで、この子供はさみしく死んでゆく・・・
インド人というものはバカではないのだろうか(笑)。
なんと、この映画は待っても暮らしていても、ちっとも救われるものがなく、「いや、さすがにそんただ事はねぇだろ」と、イチルの望みをかけて次のシーンを待っても次々と不幸の連続のまま、エンドマーク。
え!!うっそだろ〜〜〜これで終わり?
あまりにも救われないので、道行く人にもこれは面白いからぜひ観てみろと、なるべく多くの人々に観覧を勧めて欲しい(笑)名作だ。
これがなんとインドではかなりヒットしたらしいので、きっと精力的に探せば見つかるはずだ。
あの「NHK連ドラ『おしん』」の小林綾子さんと最近お会いした際に、台本を朗読して貰ったら、カメラは回っていたけれど、思わずボクは涙をこぼしてしまった。
いいなあ、橋田寿賀子、この頃はセリフが少なくて(最長「一人話しっぱなしで4分半」というのがあったそうだ 笑)
それはさておき、この『おしん』は世界の後進国ですっげぇプロパガンダに役立っていて、ファシズムみたいな大統領なんていうトップはこの「おしんに学べ」と積極的に国民向け放映を命令するそうだ。
すると、貧しい国ほど感銘を受けて
『わがまま云うんでネ、おっがぁのいうごとさきいとりゃ、マツガイはね』と、苦労させられても不平不満を言わなくなるらしい(笑)。
特にウケの良かったバングラディシュ/中国/バトナム/イラン/イラク・・・とくると、なんか”カンジ”なのだけど、いまや累計70カ国だったかにそれは拡がっているのだと、(日本共産党の推薦ポスターにも載るのに)この小林さんは胸を張っていた(ナ〜ンカ複雑だけど)。
ともあれ、『ブリッジ』はあのサンフランシスコのゴールデンゲイトブリッジの事で、ここから飛び降りて死んだ人々の親や関係者らを丹念に集め、インタヴューをしたノンフィクション映画。
制作がイギリスなのに、2004年1年でここから(認知されているだけで)24名が飛び降り自殺を成功させている。といったアメリカのタイムリーな社会問題を真正面から「右四つに組んで」さらけ出している監督らの心意気はマジメで、ニセヒューマニストの匂いがしない硬派のジャーナリズムの作品に久々に出逢った。
こうした「他人の不幸」を真正面から観客に目撃させ、考えさせる手法はしばしば批判の材料を与えやすい、大変に損な役柄だと思う。それをあえて正面突破する勇気には愛情の質の深さを感じた。
全長2,7キロこの優美な橋も、その欄干から落下すると、真下の海面までは68メートルもある。
興味深いのは映画が始まって、最初の5分で一人が手すりを乗り越えて、ポンと飛び降りる事である。
その男から始まって幾人者落下者ら、そのいずれもが笑ってこそいないものの、誰もみな『力が抜けて』なんというか、大変ナチュラルな表情で「空中の人」となることだった。
ここにたどり着いたことで安堵から見せる息抜けた表情なのか、何かモノにとりつかれた類の無表情なのか、そこはよく解らない。
偶然というか、いまやこの『ブリッジ』が「世界一の自殺企図の名所」となって(「富士樹海」だっていいセンいくだろうに)からというもの、カメラを据えてこの橋渡る者の中から、そうした素振り見せる者をピックアップし、「乗り越え→落ち→着水→引き上げ」までをコマに収め、メディアにそうしたフテージを売るパパラッチみたいな人種が押さえて商売しているのである(仮に彼らが良心的でも、カメラが異常に気付いて止めようとしても超望遠レンズで遠距離から撮っているため、とても間に合わない)。
それにしても何か飛び降りる人々の表情を拝見していると、力が入っていない。
欄干から眺めおろせば、あんなに高く湾に出入りする太平洋の潮流は早く、低温でしかもサメまでいるというから『まるで死にに行くようなもの』。
一人、思春期に多く見られる自意識過剰から(?)、勝手な周囲の人間へのレッテル貼り、人間不信に心が病んで飛び降りた18歳の少年(こいつが長身で、ビックリするほどハンサムでセンスがいいの)の例だと、飛び降りる途中で『死ぬのをやめる』と方針転換をしたのである。
奇跡的に助かったからこんな述懐が出来るのだが、
『落ちている途中で、履いていた(安全靴のような)ワーキングブーツの分厚い底で着水せねばと思い、身体も丸めた。水中に落ちたとたんとてつもない衝撃が襲い気を失ったが、気が付けば助かっていた』
そのスポーツマン体躯の彼も、一瞬であえなく両脚・骨盤・肋骨を骨折(つまりバラバラ)これでも厚底のブーツがなかったら死んでいただろうという。
死ななければならないこと、死んだらどれだけの者がどういった反作用に悩まされるか、自殺者の多くに共通するのはこの点についての視野が決定的に狭く、また「見えていない」事に気付かされた。
この時期年末となると、ウチの近辺は東京の下町ど真ん中といった立地、それだけに現在のように『上で稼いだ余禄が下の者には回ってこなくなった』という経済構造では自殺事件が頻発する。
駅前に救急車と消防車がペアでやってきたら、『また電車への飛び込み』かとなる、そして救急車がカラで帰りパトカーが来ると、『未遂ではなくなった証拠』、消防車のポンプでそうした「人身事故」の残がいをすっ飛ばして洗い流す必要があるからだ。
2キロも先の橋では、草野球の試合一試合終了までに、右と左の橋から一人ずつ飛び込む・・・なんて、シルク・ド・ソレイユみたいなパフォーマンス実際に見たことがあるし(笑)。
文章の先のほうでああは云ったけれども、お願いがある。
まさかこの日記をご高覧の毒者で自殺を企画中のお方などおられないだろうが、
『どうか自殺者の皆さん、ボクの目の前ではしっかりと迷惑とならぬようしっかり死んでほしい』のだ。
レンタカー屋はじめ、電車の運転手、警察に消防、駅員、皆あんたら、『最期で最大の甘え』のためにどれほど悲しむか分からない。
諸君らも世間と同様、視野が狭く、見えない相手となればどうして「ヒジョーにご立派」冷たいじゃあないか、とつくづくそう思う。
『お願いだから、ボクの目の届かぬところで逝って欲しい。「迷惑のかからぬ自殺」こそ立派に生きた証拠』なのだから、生きている奴に負けるなと云いたい(ヘンなの)。
それともうひとつ
『見えない場所でやってくれないと、ボクはどうしても「助かりそうなうちは必死で助ける側」に回る』からおあいにくだが、よろしくね(ヘンなの)。
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12月10日(月) / 精神分裂症的大阪の夜
(^o^) まあまあ
この前、仕事で《週刊えみぃShow》尼崎のショッピングセンターでロケ。
新幹線で急いで東京に戻ってもかなり遅くなってしまうし、明日の昼前にまでたどり着けばオーライと発想転換。
だったら大阪に出て、定宿と(勝手に)決めている阪急インターナショナルへチェックイン。
気を遣ってくれて、シングルなのにツインの部屋を取ってくれるのだが、毎回なんとも勿体ない。
隣のベッドで夜暗闇の中、長い髪の女が身体横たえていて、目だけはランランとこちらを見ていたりして・・・たりしたら怖いから止めてほしいのはまんざら冗談ではない(笑)。
旅装を解いて急いで、近所のガード下のホルモン焼き、ドンブリご飯貰い、レモンハイあおりつつ、炭火七輪。
カンカンに焼けた炭火の上に、「並タン」。
「上タン」ではアブラが邪魔で味本来の味がそこなわれ損したような気になってしまう(笑)
浅くつかったここの白菜キムチを巻いてご飯の上に、ボクは「おいしくないご飯」でも平気でおいしいといえる日本人。だから「外米」だって十分にうまいと思うし、カリフォルニア米なんてむしろ口に出来るのが楽しみなくらいだ。
つくづくビンボー人で本当に良かったと思う。
時間があれば、環状線に乗って南に下り、「鶴橋」というコリアンタウンの中心にある『こんな店 吉田』まで、おばちゃんに逢いに行きつつ、こうした焼肉を喰いに行くのだが、この店は赤井さんやら近大のボクシング部つながりから発展し、味のとびっきりの良さが拡がりすぎて、いつでも繁盛の有名店になったしまい、ボクももう安心だから滅多に行かなくなった。
食後に、口臭がひどかろうから「お初天神」先のパチンコ屋でヒマつぶさねば、『必殺・仕事人』。
それにしてもどうして、こんなにカッコいいんだろう。この時代劇の中でも異色だった様式美。
京都撮影所でもこのシリーズを制作した『グランプリ』っていう「京都松竹出入り」の制作会社のセンスの良さは群を抜いている。カメラのアングルもいかにも西洋美術めいた耽美的なロングがいいし、夢がある。
また何よりもライティングがいい。ロマンがある。
とにかくキザなくらいカッコ良すぎる。
あの美しさ、フレーム作りにしゃれたスキ間をバンバン作り、登場人物が隅っこのほうでうごめいていたりする「無駄」(?)をわざと作るアングル。またそれを許す監督にプロデューサー。
カメラアングルに凝るということは、簡単なように聞こえるがそうではなく、パッパと撮っちまえば役者も何も「四角の世界での」動き方は心得ているからサッサと終わるので、彼ら全体メンバーの拘束時間も短くて済み、当然制作費も安くなる。
それをいちいち「三脚を据えたり」移動したり、ローアングルで撮ってみたら・・・となると時には穴まで掘る始末。
『やっぱり小ノアぐるじゃダメか』となったらまた三脚かついで別のアングルへと夢は移動してゆく・・・とキリがないものなのである。
撮って公開し、評判を取るうちにおそらく全体のリーダー格である、藤田まことさんあたりが酔ったのであろう。時代劇はそれこそ1963年くらいの「てなもんや三度笠」をナマで毎週30分やったのが初のチョンマゲへの入り口だったと記憶している。
そうした氏の経歴の中で「必殺・・・」は異色中の異色の時代劇としてあったと思う。
絵の中の自分らに酔って、撮る側のいいように「引き回される」演者の醍醐味を見付けたのだろう。
(「必殺・・・」後の「はぐれ刑事シリーズ」も同様の酔い方を踏襲しているドラマだった)
いいなあ、羨ましいの一言だ。
それにひきかえ、「水戸黄門」撮っている同じ太秦にある京都撮影所でも、『京都東映』はひどいし下手(というより美的じゃない)なクセして、かなり『ゲージツ的な方々』が撮っているのだそうである。
それは、さる大物役者から直接嘆き節を聞かせてもらった話。
ある時連中と仕事をする企画があって、氏が彼らをタバね、なんとかいい絵を撮ってもらうようにあれこれ慰撫に苦労をした事があった。
この『映像芸術とは』とか『フィルム表現において』とか口ばかり達者なサヨクみたいな「映画屋」ども。
東映撮影所にもっぱら巣くい、『撮ってやる』なんて態度の古だぬき連中を、はるばる遠く自宅に招待して酒食もてなしたり、そうとうな懐柔策までをとって彼らを取り込もうとしたそうだがはたせず、彼は苦渋の決断の中、そもそもの役を降りるに至ったのである。
それの『成功例』(笑)が、同じ裏方サマの方々やその後輩らの作る「絵」でしたら、今も里見浩太郎さん主役でご覧になれますよ。
その絵ときたら、35ミリスチルカメラの世界でいえば、まるで
『買った時の50ミリ標準レンズ着けっぱなし』の画界の中に、敵も見方もご老公も詰め込んで(笑)、下手するとパンもロクにせぬまま、その窮屈な中で斬り合い始めたりしてもそれで「ハイッ オッケー」なのである(笑)。
それからしたら、あの『必殺・・・』は何だったんだろう。
平尾昌章さんの曲なんて別になんとも思わなかったけど、あのフラメンコ調思わすBGM曲をああした時代劇のシーンに場違い気にせずバシバシ当ててくるセンス・・・ってスゴかったなあとつくづく思う。
もしかするとあの平尾さん、その当時好きな人でもいて芸術家としては「発情」していたのかもしれない、本気でそうボクは思う。
それにしても、パチンコである(笑)。
どうしてパチンコやる女って100%がタバコを喫うんだろう。
喫ってもいいんだが、エレガントさがない「女のタバコ」はよしておいたほうがいい。
そしてまた、せめておいしそうに喫わなければ損である。
今どきのパチ屋の音もうるさすぎる、1台に低重波のウーハ+高音のキレ良いスコーカーをプラスしたスピーカー4本が内蔵されており、そんなパチ台ばかりで、そんなのが一斉に稼動しているんだからまず、90ホン位はあるだろう。
じっさいに、腹にズンズンビリビリ低重波が身体に震動与えるもんだから、パチンコやっていてやたら腹が減るのはボクだけではない(笑)。
したがってボクはマスクをして、耳には「SHURE」のインナータイプヘッドフォンといった”武装”ととのえて、パチンコに臨む習慣だ、だから何にも雑音は聴こえない (エラかねぇけれども 笑)。
聞くところによれば最近のパチ台って、仕入れ価格でも「1台50万」はするのだそうだ。
そのうち、ボクの大好きな役者=山崎努の扮する「念仏の鉄」が大当たりのセッションのさ中にグチめいたことをおっしゃる、
『世の中の善と悪とを比較すると、どうしても悪が勝つ。神も仏もあるものか、だから尽きない恨みの数々を俺らが始末つけなきゃならないんだ。』
こうしたマルクス主義活動家みたいな主張を(笑)、この山崎さんがパチンコ中のボクらに投げかけるのである。
こんなパチンコに身をやつしている我々プロレタリアートに対し、今こうマジな決意表明されたって、お説ごもっとも、だけどちょっと困るんだけどな〜、う〜〜ん、
「すいません、(タマ入れる)箱ください」としか「店員同志」にしかアッピールできないこんなあっしを許してくんなせぇ。
それにしても「大当たり中 カクヘン」なら『なんでも許しちゃうけど、コレは真理だなあ』、身にしみて異議ナシなのであって、まぁシビれるなあこの台は(笑) (「一回の大当たり」で約2500〜4000円の配当となるものだ)
山崎努といったら、世に出た役が黒澤明の『天国と地獄』という映画で誘拐犯を演じ、社会の底辺で犯罪に走らざるを得ない下積み生活の、青白く不気味な偏執狂的青年に扮し、狡猾に身代金まき上げ、金持ちの被害者相手に捜査陣ともども煙に巻いてはあざ笑う役を演じ、あれで「業界内的地歩」を固めたとボクは思っている。
小学1年生で封切りを観たように思うが、とても山崎さんという役者が恐ろしかったのを今も鮮明に覚えている。
また脱線してきたけど、黒澤さんの作品『生きる』をシンガポール航空のLAX往復で二度も観たけど、泣けるなあ、うまいなあカメラも役者も、涙ボロボロ、声まで出ちゃった。
主人公の葬式シーンで、通夜に参列する者の『この人はさあ・・・』といったセリフから回想を何度もさせて、どれどれ・・・と、眺めている観客を気付かせないよう引き込んで、まるで螺旋階段でも上らせるように同じ風景なのにいつの間にか、高く高く昇らせちまう。
すごいなあ、どうして「長男」があのていどで終わっちゃうんだろう、もったいない。
おねいさん、ワインもう一本。
それにしても、大阪梅田のあたりでのパチンコ、あの銀玉って、勝ったつもりでいても
『一個2円』とか『2,5円』なのには驚いた。
(円某さんも『東京のパチンコ屋はオイシイでんなあ』と上京するたびに「パチ屋直行」だ(笑) )
それでもいつだって店は繁盛している様子、また客の数も濃いのだからから、大阪や名古屋の人ってバツグンにパチンコうまいんだなあ。
ホテルの部屋にいったん戻って紫煙の臭いをシャワーで洗い、さっぱり着替えて阪急インタは建物中空にあるバーへ。
チーフのJさんに、グレンリベット12年ダブルのオンザロック、my定番。
今気がついた、右手で大きめの口が広がった形のグラスを指先でつかんで持ち上げたときのバランス・・・
『このグラスって、もしかしてバカラだったの?』
「どうしてお判りになりました?」
『ああ、やっぱりそうなの?!』
なんだろう、気持ちが張っているのかな、先ほどまでの出番は『鑑定の仕事』。
このジャンルの仕事をした翌朝はかなり深く眠れる、ここにはワケがあるのかな。
この会社のクリスタル製品にはどこか、「つかみ」心地に柔らかさがある。
そしてその感触は表面の硬度という問題ではどうやらなさそうで、つまむようにオンザロックグラスを持ち上げた際に、グラス下方の重心、そして呑み口周辺の重心、これら二つのウェイトバランスをいつの間にか指が覚えていたんだろう。
そのバランスによってクリスタルの硬質であるはずの表面を「柔らかく感じさせる」効果があるようだ。
おそらくここの職人が「合格」として出荷する、いかにもバカラ規格適合品というグラスには、いつの間にかどれもある一定の共通項が備わったものばかりが揃ってしまうのだろう(当然なのだろうが)。
Jさんはひとしきり感心の後、面白がって、ビアグラスを奥から出してきてくれた。
手に取ったらビックリ、『まるで泡のように軽い』グラスなのだ。
薄い薄い、0コンマ7ミリでできたグラスなのである。
『これでビールの冷たいのをキュ〜っと呑んで頂きたいからなんです。』
Jさんは細い目をもっと細くした。
しかし、そのロックグラス定価で「3,5〜4万」。おそらく卸で買っても「2万」。
これを通常バーで出すグラスに起用しているのだからえらいものだ。
こうしたバーともなると、グラスは「洗う」というより『磨く』ものである。
グラスを手にとってその透明な美しさを褒めるとすれば、一般家庭なら
『きれいに洗ってありますね』といい、バーならば
『良く磨いている』ことを評価して上げよう。
そうした毎日の水仕事の中、酔客への供応のなかでついウッカリといったアクシデントもあるだろう。
それを考えると、こうした本格的クリスタルを使うのには経営的にも勇気が要るものなのである。
それをボクはまず褒めて、たたえてやりたいのだ。
ところが一昨年だか、このホテル経営の本体に、気の利かない外資が経営の一部に入ってきたら、あるものが変わった。
それは365日このホテルのどこにいても、どこからともなく気づくと漂っている『カサブランカ(百合)の上品な薫』。
その薫りが消えていたのである。
たしかに、カサブランカとなれば花の3〜4個くっ付いた枝でも「1本1000円」はしよう。
それが、冬場特に師走ともなると市場での相場が上がり、よほどの決意(?)でもない限り、この花を大量に買い込んだところで、そうした「見えぬサーヴィス」に気付く客も少ないはずである。
それに冬場はこうした花のフレグランスも弱まるものだ。
・・・・なのに、この阪急インターナショナルは
『いつだって、ほのかに薫りを漂わせる気配り』を絶やさないのであった。
それがクンクンと鼻を利かせても漂ってこない。
不思議だったので、先のバーとは別のフロント脇のバーでアテンダーに尋ねてみたところ
「経営合理化案からカサブランカの盛花を『造花へと』変えたようです」。
その措置がとられた「一瞬の晩」に、たまたまボクのような者が宿泊し、そこで失われたものを嘆いた・・・。
というわけだった。
彼も「なんでも合理化したらいいというのはどうでしょうか」と控えめながら現実を悲しんでいた。
ボクは続けて、
『こうした無粋はこの先落とし穴になるかもしれない』とまで、嘆いた。
するとどうだろう、その次回翌月にチェックインした際、玄関をくぐるなり、その清楚で上品なあの薫りがこの男の来阪を歓迎してくれたのであった。
気付けば、フロントの目の前には隆々たるカサブランカが、天井に届くような勢いでそそり立ち、美しく香っていたのだった。
やはりさすが、阪急インターナショナルである。
あんな小さなクレームにもならない、チンケな客の愚痴が上層部へ吸い上げられ、またそれがまともに論議された結果が文字通り、開花したというわけだろう。
一流というのはこうした事だとつくづく勉強になった。
それにしても、キムチだの「必殺」だの、センマイだの(言ってねぇか)同じ野郎が何がバカラだカサブランカだなんて、臆面もなくヌカしやがる。
さぞかし皆さん
『バカラしい』と思われていることでしょう(笑)
写真はそのバー、問題のグラス、
次の文字列クリックで山崎氏の嘆き(笑)
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