【2007年10月】

10月20日(土)  『内藤への陳謝が条件』だったか?あの処分  (^o^) まあまあ
 亀田批判の急先鋒の一人、このタコ親父マエノがどのようなきったない言葉並べるのか、興味がさぞかしお有りだったろう。

 「語るに堕ちる」ならぬ「ほっときゃ堕ちる」と、見事なまでの凋落ぶり。
 今まであんな者どもに、お義理でヨイショして重ねてきたジャーナリズムが一転、集中砲火を連日浴びせるまでになった。まるで隔世の感である。

 同じようなナサケない「ジャーナリズム手のひら返し攻撃」(笑)をボクはかつて経験したことがある。

 思い起こせば、71年だったかにボクがハワイに住んでいる頃、日本のメディアから『ワイキキの天皇=小佐野賢二氏』にまつわる「なにか現地でのスキャンダル」とか「ニクソン田中角栄ハワイ会談での金権振りを語るエピソード」を、できるだけ集められるだけ集めろ、とポスト誌から電話連絡があった。
 
 当時は田中苦労人政権の誕生に沸きかえっていた。
 またどうせ、自民党政権のスキャンダルやら不正をつかんだところで、掲載(or OA)前の段階でことごとくつぶされてきたし、またそうなるのだろうとタカはくくっていたのである。

 聞いてみれば共同通信のホノルル駐在員氏もすでに動き回っている最中とのことだった。
 
 いついったい、そうした「ジャーナリズムらしさ」が日本に舞い降りたのかむしろ不思議でならなかった。

 それは米議会のSEC(証券取引委員会)が、田中首相・中曽根はじめ、日本人与党政治家黒幕として戦後立ち回ってきた右翼実業家らの名前を列挙し、米議会で共和党がらみの不正追求を始めたのがきっかけだった。

 何の事はない、米議会が独自に調べたネタではない。
 その米軍需産業と日本政界との長く黒きつながりを告発し始めた契機こそ、「月刊文藝春秋」に掲載された立花隆さんの『田中角栄研究』という、自民党の佐藤政権を金で買った今太閤の田中角栄首相のバックグラウンドを挙げて行った検証記事(にすぎない)のこと。

 最近で云えば、山口県のパチンコ業界韓国人系経営者団体から長年格別の不動産・選挙資金提供という物的支援を受けてきたあの「発狂ちゃん」安倍晋三の資金的バックグラウンドを取り上げた…ようなものなのだろう。

 というのも、その文春論文の内容といったら新味はなく、わが梶山李之先生はじめ、多くの作家ジャーナリストが挑み、長年退けられ、シカトされてきたもので何で今さらといったものを体系的にまとめたといった程度のものだった。

 だけど、さすがに「ここまで金権体質でいいのか」との空気は(あの亀田一家の傍若無人のように)たしかに国内のマスコミ人には有ったものの、またどうせ握りつぶされるだろ…であった。

 あいも変わらず同誌発売後も日本国内では何も問題意識などはなく論議も起こらず、ニヒルにそれら政権から滴り落ち続ける”利益”を、マスコミ業界全体「毎日の糧」として『清濁あわせ呑んで』正義感ぶっていたのであり、今とどこも変わらない権力ベッタリ体質だった。

 実際ボクの取材では、ニクソン田中会談の際、日本側がハワイを選んだのも、国際興行社主小佐野賢二氏がワイキキビーチのホテル並木のほとんどを次々に買収、一時期「全室の40%以上」を小佐野氏一人が独占していたほど。
 ハワイ州議会でもそうした寡占状態目の前にしながら、明らかな法律違反になんと、異論唱える声は稀で、それはそれでベトナム戦中にあった米現地では脅威としながらも、全体では日本からのありがたい経済的支援と歓迎していたほどだった。

 小佐野氏が生涯その頂点にあった際に、子飼い(?)の田中氏が首相に就任。
 その小佐野→田中の花道を象徴する意味もあって『観光促進、プロモーション的にハワイに首脳会談を持ってきた』いきさつがあった。
 会談期間中、田中首相はじめ日本マスコミの全社は情けなかった。

 小佐野氏の経営するホテルに便宜を求め数箇所に分かれ、すべての関係者がマクラを並べ投宿していたほど、『政財報』三者一体のハネムーンぶりを見せ付けていたのである。

 ボクの部屋からは、某ホテル最上階を占める小佐野氏のプライベートスゥイートが眺められ、一行の具体的な出入りが視認できた。

 そのホテルのすぐ”直下の階”のVIPスゥイートには田中氏が入ったのだろう。
 期間中には灯りが点り、KING気取りで祝杯をあげているのか、夕食時から就寝まで最上階の電気がハデに点り、深夜それが階下に戻り上下とも消える。

 このイルミネイションこそ、その時点における日本社会での小佐野&田中の上下関係が無言のまま雄弁に物語られていた。
 その際につかんだネタとは、どこが誰の財布を開いたのか不明だったが、同行した記者団に『一律1000ドル(当時=30万円)』の土産代が封筒に入れられて渡された事実をボクは日本に送った。

 それはどうやら載らなかったようだった。

 米議会の追及は進み、それと並行し『現地直輸入』のように野党が初めて知った事のごとく”産直情報”をネタに騒ぎ、そこに検察も相乗りし、後日警察が逮捕するといった、まるで『日本国民主体性ゼロ』の顛末に終始したのは、負の昭和史としてご記憶なさっていただきたい。

 お待たせしました、

 さて、亀田さんの場合である(笑)。
 あのバカな『12ラウンド』で大殻(だいから)が抱え投げで一本を取ったが(笑)、あれは内藤さんと共に国民にも投げを打った行為だったのを大殻は気付かなかったのだろう。

 あのワカりやすいアリエネ必殺技のおかげで国民は怒り、おかげでマスコミはワンワンと吠え始めても「取材拒否」とか喰わないでいられる、いわば「キュー出し」を頂戴する事になったのである。

 我が家はあの晩、内藤の手が挙がったことで「悪大名から救われた貧農」のような気分となって、とてもオラたづ一家は爽快となることができた。
 今まで判らず屋の世間を相手にしてきながらもマジメにシコシコ下町の太陽、親子で頑張って生きてきてよかったと思わず快哉を叫んだ(ウソだけど)。

 あのマッチを観ているボクは、あのランダエタ戦を思い出していた。

 タイトルマッチ自体が『八百長まがいのお膳立て』で進行していたのでなかったのか。

 前王者ポンサクレックでは、仮に興起が闘っても勝ち目はなかろうが、内藤という弱いチャンプならパンチ力も重くなく、トリッキーながらも大振りなので致命的なカウンターだけは貰わないだろう。
 幸い、内藤という相手なら「両目に薄い皮膚で繋がっているまま…」の、万年の切り傷(これも過去の「頭突きバッティングによるもの」だった)といった爆弾もちである。

 この特有の古傷もち選手というと、同時にバッティング恐怖症というトラウマをも持っているものだ。

 しめた!『これなら世界最年少チャンピオン誕生』のシナリオが組める。
 内藤さん側の
 『宮田ジム側のポンサクレック防衛戦以前の話題性あるうちのタイトルマッチ実現』という要請にもフィットする。
 むしろ相手から『亀田さんやってください』といってきた、オイシイおハナシなのである。

 渡りに船、19歳誕生日を迎える前に『最年少』に逃げ込める千載一遇のチャンスであった。
 ここに亀田陣営を筆頭とする、TBS/共栄ジム、そして宮田ジム共通の利害が一致した。

 ただひとつ営業的には、広告代理店レベルの思惑は、このマッチは「スポンサーに売りにくい」イベントだった。
 彼らの戦前予想(ヨミ)には、『もし大殻が勝ったら』という想定がつきまとい、それが最後まで営業の足を引っ張り、たしか中継全体の「4割」しか、番組提供クライアント衆からの承諾を得られなかったのが現実だ。

 特に、ああした格闘技や「水っぽい」イベント提供には理解があって、かっての大スポンサーとなっていた、たのみの「某パチスロ機械大手」やら、「ゲルマニウム屋」さんら”さえ”、いつの間にか今回のタニマチ筋にその名はなかった。

 たしかに営業マンが『あの大殻の世界チャンプ挑戦があるんですが…』とクライアントの宣伝部に持っていったところで「あんた、ウチの事ホントに考えてくれて云ってるの?」と真意を問われかねないだろう。

 あれだけ主役(の片っぽ)がダーティすぎては(スポンサー名)露出はマイナス。
 そこに金を積むバカはいない。ここまで嫌われては言葉の継ぎようもない。

 内藤さんの勝利…というシナリオがいかに「思いの外」だったか…。
 そもそも、氏の6月にあった「対ポンサクレック戦」が”後楽園ホール”という小さなウツワ。
 しかも放映は”深夜ワク”だった。
 このことを考えても判るだろうが、内藤さんウンヌンではなく、そこまでボクシング界という業界の景気が悪いのか、議論の押さえるべきバックグラウンドはここにもある。

 ところで大殻陣営がこの試合前、『たかがゴキブリ』相手に何を対策したのか…といったら、いざフタを開けてみると大言壮語とは裏腹に至上命令は『パンチを食わないこと』だったのだ。

 コワもてぶりはどこへやら、まるでチキンホーク(ブッシュの事…じゃなくて、威勢ばかり良くて実は小心者の事)そのもの。かっこ悪さもここにきわまった。

 あの史郎という名トレーナー(笑)の授けた戦法とは、ああして自分ら自身がゴキブリそのままに(笑)『頭蓋骨を主武器』に4ラウンドまで突進し、近付いたら下から上へ頭を上げたり、パンチを打つフリをして左右に大胆に(拳でなく)頭蓋骨を左右させ、「内藤さんへの有効打狙う」よりも、目の周辺の古傷へのチョーパン(古〜 笑)を狙う事でしかなかった。

 それにしてもあのレフェリーこそ、いかにも協栄ジムの回し者というインチキ野郎だった。
 あのバッティングとなるかもしれない、徹頭徹尾の頭下げ突進をなぜ黙認したままだったのか。
 当然、バッティングの注意を大殻に与え、それでも続ければ減点をする機会も事前にあったではないか。

 大殻は「両手で両耳を押さえるようにして、両ひじも脇につけたまま」。
 あれを全国のボクシングジムでは『ガードを固めた姿勢』と呼ぶ。

 相手が攻勢に出た時に、『ああしてダメージを避けろ』と指導を受ける、100%正解の体勢だ。

 だが反面、あのガード姿勢のままでは攻撃に回れない。
 パンチの正確性も薄れ、踏み込んでのパンチに重みも増さないからだ。

 そもそもあれで終始するなら「ボクシングの試合」として成立はしない。
 柔剣道やアマレスだって指導/減点の対象となるほどだ。

 だからポイントの採点でも加点などされるはずもない。
 彼らは本当に勝とうとしてきたのか?
 「ボクシングでは勝てない」と、最初から拳は棄てて、バッティングでのTKOだったのだろうか。
 思い出して欲しい、興起の最初の八百長試合でも興起は徹底してあの丸刈りアタマを、ランダエタへのバッティングを狙い、頭突きしこすりつけ、レフェリーが注意を再三与えていたのをもう日本のファンは忘れているようだ。

 それがため、ランダエタは(内藤さんのように)右側のまぶた上から出血をしているではないか。
 (防衛戦では自信をつけたのか、興起は胸を張った打ち合いを展開して文句のない成長を見せた)

 あれが仮にアマの試合だとしたら重い注意を受け、『ファイトッ!』とレフェリーが”本当に闘え”と罵声浴びせただろうし、4ラウンドの前に失格負けと断じられていたはずである。

 それがあの晩は「ホンモノの亀」となって、メンチもカツも亀田陣営はプロの試合にもかかわらず、あんなファイティング(?)スタイルを取らずを得ないほど、(まともに打ち合い、戦えば)最初から勝ち目はないと、あのバカ親も子も百も承知だったのを物語っている。

 当たり前のことだが、幼稚園の子供に「ボクシングの真似をしてみな」といえば、『両手を両頬の前に』することまでは同じでも、きちんと、おデコを上げ顔も目も見せて構えるだろう。

 それをああした『カメさん突進』をゴングから開始して体当たりまで食らわして揺さぶり、老年チャンプに果敢にパンチを出させ、毎ラウンド相手に加点されているというのに、みっともなく手も足も出さず、なんとか相手の撃ち疲れを待ち、そこにスキを期待するだけ…のクズ作戦にすぎなかった。

 何度も崩れ落ちそうになって、内藤さんの脚にすがりつき転ばすような姑息タックル繰り返したところでこのレフェリーも、立会いジャッジも助言をレフェリーに与えることはなかった。
 レフェリーは眠っていたのか?いや、目を醒ます時がやってきた9ラウンドのことである。

 例によって大殻に共倒れさせられた内藤さんは、自分の下になっていた大殻の頭に「いい加減にしろよ」
と、”グラブを開いた右手”でコツンとやった。
 これに眠れる”疑惑のレフェリー”が始めて目を醒まし、あろうことか『内藤さんに減点1』をコール。

 ここでボクはこのレフェリーが、今回の八百長スタイルの主役だったのかと、彼の役どころを察し、協栄の脚本を読み取った。

 警告なしのいきなりの「減点1」を取るケースとは、よほどでない限りありえない。

 それこそ「玉を打って」しまったり、そのバッティングやらヒジ打ちやら、それが相手に故意にヒットして実効性のあるダメージが出て、試合全体の流れを変えるおそれのある攻撃(反則)…とはボクも含め、視聴者の誰一人思った者はいなかっただろう。

 それをあの毛唐のレフェリーだけは『そう取った』のである。
 そのうえで、リング下のジャッジらに「それぞれ減点しておくよう」指示したのである。

 あの男、協栄さんから来日して以降どれだけの接待攻勢があったのか?

 以前のこの当『・・・日記』でも”協栄さんのこうした伝統的戦略”については述べてきた。
 まさに二重三重の深謀遠慮を配してまで、彼らはなんでもいいから大殻を勝たせようとしていた中で、アレだけはっきり負けて、国民的赤っ恥をかき、そしてカメダは消えた。

 勝ったから気付かない…で、この『反則騒ぎ』という新ラウンドに入ったから、国民全体も見失っているけれども、明らかに『第三者的な八百長的作為』は、着々と大殻勝利に向けこうしてお膳立ては進行していた事実もボクらは見据えていかないとならない。

 あんなアマでも成立しないような戦法を弄して、あろうことか『世界タイトルマッチ』まで背のびをさせてやったのである。

 なんというどデカい甘やかしなのだろうか。
 『1億人規模の過保護おゆうぎ会』という構図を12ラウンド、バカ殿のご乱心で自ら崩壊させてくれた純真さに今は感謝したい(笑)。

 もっとあの大殻が巧妙で狡猾だったら亀田家の栄耀栄華は(負けていたところで)そのまま続いたことだろう。

 もうひとつ、この騒動のなかで見逃せないのが「協栄ジム」の権力だ。

 今となってはボクが意地悪と呼ばれよう、
 騒動が、こうして拡がる前の段階、試合直後の取材コメントが掲載されている試合翌12日付のスポーツ各紙を眺めると、とても面白いのである。

 ここではスポーツ紙とて全紙「様子見」であって、はっきりと関係者の多くが、自説によって亀田家を非難する勇気を持っていない事が良く判る。

 今となって亀田家をめぐり、口角泡飛ばして批判始めている連中は全員あれだけの反則行為を目にしているのである。
 それがおしなべて判断停止状態で、世論が味方についてくれるかどうか「援軍待ち」状態でどうとでも転べるよう、あくまで第三者的な「傍観コウモリ野郎」に留まっているのである。

 中でも日本ボクシングコミッション(JBC)の安河内事務局長は会場内で
 「大殻への処分は今のところ考えていない」と短くコメント
 …つまり、あの反則など取るに足らない、のではないかといった姿勢の表明に他ならない。

 彼らはボクシング人気を呼び込んでくれた亀田現象にはちっとも頭が上がらない体質なのであって、ルール上あれだけの反則行為では、『JBCのプロライセンスを与えた』こと自体、審査したJBCがむしろ資格審査におかしな「ゲタ履かせ」があったから、そこにさかのぼって罪があるとボクは思う。

 プロにもなれないような失格者がその業界の頂点である、「世界チャンピオンに挑戦する」晴れのリングに上がれたこと自体、他のプロスポーツ団体でそんなことがありうるのかどうかというと、そのトンデモぶりは推し量れるだろう。
 
 「四輪免許」に落ちておいて、F1チームに所属し、負けそうとなったら道連れにクラッシュ狙ってぶつけに行ったようなものではないのか。

 JBCは『大殻を内藤に謝罪をさせる事を条件』に、亀田親子三人への処分を『あの量刑』で下したとしか思えない。
 だから、「ノーアポで、突然謝りにきた」との内藤さんのフォローも織り込み済みの儀式だったのだろう。

 彼のような今一番忙しいスケジュールの中で「日本一有名な被害者」だ。
 片やマスコミが血眼になってその姿を探す「日本一有名な加害者」との会合が、張り込んでいる彼らの目を盗み、やすやすと行われたと考えるほどボクは世間知らずではない。

 ”実際に会ったのか?”との疑念は残る。

 だが会ったとしたらそれほどまでに危険を冒して、今日この日にムリヤリ合わねばならぬなど、「何らかの急ぎの事情」があって、亀田家がこれを終了せねばならない「必要に迫られていた」とすれば、あの処分には『内藤への直接謝罪』が必須条件化されていたとの疑いを挟むのも、まんざらゲスだけのものではあるまい。

 謝るだけなら電話だけでも、また手紙でもバイク便さえあるのだから。

 そして協栄ボクシングジムという、不景気ボクシング界の中にあって唯一?『輝ける一人勝ちジム』の持つ「力関係」「影響力」を考慮せずして、この問題での語り部達については語れない。

 というのも、日本ボクシング界での『(ジム連合)協会』の東日本と西日本二つの団体の頂点である、それぞれの会長選挙に絶大な影響力を誇る…というか、
 『協栄の支持なければ会長選挙に勝てない』ほど協栄には多くの取り巻きがブラ下がり、いきおいキャスティングボードを握っているのである。

 「そうした選挙に勝って」東日本協会の新会長となった東京の大橋ジム会長大橋秀行氏はもとより協栄ジム寄りとされてきた人物の最右翼。

 ランダエタ戦の亀田興起判定勝ちの際でも、協栄出身”疑惑の初代世界チャンプ”渡嘉敷氏(笑)と共に、積極的にマスコミに登場し、『あれはランダエタの負け』と主張しぬく役目を演じた御仁。

 ボクなどには黒いはずとしか見えない「カラス」だというのに、この人は「きっと元ボクサーだったから、『おそらく白内障』で視力が失われている」だから「カラスは白い」と思えるのだろうと、ボクは勝手にこの人を許していた(笑)。

 今回も徹底的に大殻擁護の立場を堅持するオピニオンの最右翼である。
 なるほど、こうした権力欲には『目がない』わけだよこの人は(笑)。

 ちなみに同じような擁護派では輪島功一氏も、この東日本の会長選と、もう一つの日本プロボクシング協会(現:F・原田会長。これは使用人としての団体)選挙にも色気がある…といわれる有名な上昇志向の御仁だけに、商売上手な団子屋さんとして、彼の見識が発揮されるのかどうかは疑問だろう。
  
 それよりも、今回の大殻のように輪島さんも相手の懐にもぐり込んでアッパー系の必殺パンチで鳴らした現役時代。
 それだけに頭蓋骨をこの人はガンガン左右に打たれてきたのは誰もが知っている。
 だから脳がとっくに揺れまくってバンチドランカーじゃないのか?と、ナリフリ構わぬ協栄スリ寄りぶりには往年のファンもそう勝手に納得しつつ、白けてしまう。  

 ともあれ、この春先のダービーで彼ら一家と隣りテーブルでハチ合わせしてしまう運命を味わったボクの目からすれば、三兄弟の「興起や大殻に中三坊」は大変行儀の良い三人に映った。

 だが、オヤジだけはとにかく飲食のマナーにも落ち着きがなく、むしろ『精神年齢が中学生かよ?』あたりと考えるのが相当…としか見えなかった。

 もしかしたらあのオヤジは意外と思われるかもしれないが、興起と大殻、その下にできた年齢の『フケ顔をした弟』なのかもしれない(笑)。

10月19日(金) / 嗤えるぞ、亀田史郎ご幼少時代  (^o^) まあまあ
 内藤さんチャンプ防衛の翌朝、テレ朝の朝ワイドに宮田ジムからの中継画像でとても親しみを感じた。

 ボクだけではなく氏の苦労話やそれでも明るい人となりに打たれた人もいただろう。
 『処分を考えていない』などとほざいたJBCには、防衛戦直後から圧倒的な大殻(カラ)への「処分を迫る抗議」電話が殺到したのは仕方ないとして、その中でこうした感謝の声を涙声で語ったものがあったという。

 「内藤さんの戦いぶりとインタヴューを見て、中学生の不登校の息子が『オレ、明日から学校へ行くことにする』と言って来てくれました、内藤さんにどう感謝したら良いのか」と、その父親は声を詰まらせていたという小さな記事が、あの18歳いじめっ子の発狂を観た後だけに爽やかだった。

 氏のジムのリングはどうなっているのだろうか。
 テレ朝のライトがこうこうと点き、激しい頭突きに耐えたチャンプと奥さんがチョコンと並ぶ、そして背後のリング。

 そこを「画面左から右」へ、堂々たる三毛猫(当然雑種)が悠然とリング上を歩いてゆく姿を見切ってしまったのである、我が家は大笑い。 
  
 Dの指示なのか、瞬間ネコの映像を隠すためにチャンプのバストショットに切り替えて逃げたのである。
 もっと見せろよ〜。
 彼というチャンプの育ったリング、そしてその日常がこれほど雄弁に物語られたものはちょっとないだろう。

 女も載せない(?)リングなのだろうし、それをああした駄ネコが(普段から「聖域タブー化」していない自然体ぶり、日常叱られてない経験則から)気持ち良さそうに歩いてしまうのだろう悠然たる姿は、ああいうギスギスした成り上がり者、いや『背伸び過保護一家』との対比となってしまうと思わずあのネコさんの姿には拍手してしまうのだった。

 それにしても、いじめっ子、いじめられっ子といったキャラめぐるここ数日、あのバカに色黒で虚勢張り続ける亀田一家の親父をTV画面で観るたびに、ウチのお得意様からのメールが思い出され、吹きだしてしまう。


 ことし2月の当『・・・日記』で、亀田一家とお住まいが天下茶屋とご近所、しかも亀田オヤジら札付きの悪兄弟と(友好的でないが)幼な馴染みである…そういったウチのお得意様から昨年頂戴した個人的メールに、『年間最優秀面白メール大賞』を差し上げ、転載させて頂いた。

 小社はたいしたサービスができるとハナが高い。
 マスコミがタバになってもこれだけの亀田史郎の人間像を雄弁に語るドキュメントはない(笑)。

 今後も『パフォーマンスぅッ?』と、ギロリと白い目をむいて記者をにらんだあの過保護バカは露出するであろうが、これをご一読戴いておくと毎回溜飲を秘かに下げることができる。

 最大級の顧客サービスをご提供できるメールお寄せ下さったKさんに感謝の毎日である。


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 2007年1月22日当『・・・日記』より 再録

 そんなこんなで、毎日まいにち、メールの数は平均300通を超える。
 もっともそのうちの270くらいまでは、国内外からやってくる「メクラめっぽうDM」とか「怪しい出処のDM」で、ブルドーザーのように開かずに捨てるのが毎日の始業合図となっている。
 これに小一時間もかかるだろうか、丁寧な返信をマトモ(?)な相手に書いていたら計2時間は覚悟しなくてはならない。(やみ雲に「疑わしきは消す」をモットーにしていると、カタギのメールまで消してしまっているのでしばしばトラブルとなる)

 さて、《メール部門グランプリ》は・・・大阪市西成区天下茶屋XXXXXXの、HKさんからのメール。
 あのTBSに捨てられそうになっていた『使い捨てカメダ』の事について調べるうち、連中の拠点のご近所ということで、「家のものを盗まれた」とか、「洗濯物かっぱらわれて困る」といったドメスティックなネタが欲しかったところへ飛び込んできた、こころ温まるものだった(笑)。
(以下、原文のママ)

いつも本当にお世話になっております。
『気ムズカ日記』も毎回楽しみに読ませて頂いております。

そのお礼として少ないですが私の知っている限りの"バ亀田"情報をお知らせ致します。
まず今週号の(FLASH =当時)にも載っている通り、私の世代の亀田三兄弟とは史郎とその兄二人をさします。

三男史郎は私の2歳下、次男は1歳下、長男は面識がなくハッキリ分からないのですが3〜4歳上だったように思います。
史郎と次男は私が小学校5年時に転校してきたと思います。その時から目立つ存在ではあった様です。

当時の学校には文化クラブばかりでスポーツクラブはサッカーだけでした。
自然とサッカークラブには各学年のワルが集まり、私は6年生時に同級生に誘われ入部しました。(年に一度、他校と試合があり多々喧嘩に発展する為に助っ人として。)

当然、史郎と次男も在籍しており二人の口癖は「俺の兄貴は西成(区)でNo.1じゃ!」でした。

二人の印象は兄貴の偉功を盾にふんぞり返っている口先だけの"へタレ"と言う事と、弱い者には強いが、強い者には卑屈になるただの"バカ"でした。

ある時、クラブ中に私と次男とが接触し次男が倒れました。

当時の私は166cm・64kgで大きい方でしたからあまり逆らう者はいなかったのですが、クラブ中の出来事で多数の部員が注視していた為か次男が「何さらすんじゃ!!」と詰め寄ってきました。

史郎も駆け付け2対1の構図になりましたが、私が「やるんかい!」と返すと次男は顔を真っ赤にして黙り込み、駆け付けた次男の同級生たちに押さえられ運動場外へ連れていかれました。

史郎は次男がいなくなるとどうすればいいのか分からない様子でキョロキョロしていましたが、「兄貴呼ぶんやったら待っといたろか。」というと泣き出しそうになり、そこで私は可哀想になったので止めておきました。

私は史郎も次男も喧嘩したところは見た事もないですし、誰かと喧嘩したとも聞いた事が
ありません。
ただ赤井英和(私の4歳上・同中学)が大阪のローカルTVで現在の亀田三兄弟が有名になる前に、「昔、亀田三兄弟いうのがおってんけど悪かったなぁ。」と言っていました。

前野さんなら赤井と会う機会もあるでしょうから、それとなく聞いてみられては如何でしょうか。
それと、僕が知っている範囲では亀田家を応援している人に出会った事がありません。
皆さん曰く、「西成の恥さらし」「調子ノリ」「言うだけ番長」という事です。(笑)

それと英五郎という名前は聞いた事がありません。ひょっとして山口組の英五郎さんでしょうか。
そうだとしても知らないですねぇ。
同じ西成区でも地域が違うと全く雰囲気が変わりますし、正確な場所は知りませんが亀田家がある地域は東京で言う(下町)的な所(NHKの「ふたりっこ」の舞台近辺)で、私の生まれ育った地域は俗に言う愛隣(あいりん)地区で同じ大阪人でも忌み嫌う地域です。

一般的にこの愛隣地区(ホームレス・キリスト教関係者・暴力団事務所が多数で犯罪者が逃げ込む街、暴動の街、日本酒と覚醒剤消費量?が日本一)のイメージが西成区全体のイメージに繋がり(西成はガラが悪い)(西成は危険な所)と思われています。(亀田家はこのイメージを過剰に意識しすぎている様に思います。興毅の目の奥に宿る気の弱い小動物の様な本質を感じるのは私だけではないと思います。)

母校の中学はホームレス(いつからこんなシャレた名前に?)のテント村に囲まれた間違い無く、日本一劣悪な環境にある学校だと思います。

・・・・後略

『なるほど・・・、さもありなん』といった言葉が自然に出てこないだろうか。
文中終わりの方の「英五郎」さんという人は、山口組の直系「英(はなぶさ)組」の組長さんで本家でも重鎮に数えられる親分さん。
 亀田一家が、解体屋稼業をそっちのけでボクシングに没頭できたのも、この親分の物心両面にわたるサポートがあってこそと云われてきた。

 それが、あの「8・2(親分の誕生日!)インチキ王座決定戦」めぐり、一家への批判が高まった際に、親分もご自身の(主宰する別の団体HPで)「あの親子もいい加減に目を覚まさにゃいかん。世間への態度をどうにかせんと」と公然と批判はじめ、チャンピオンになった途端「黒社会との絶縁」を迫られていた親父にとっては渡りに船と、”公然とは”付き合いが途絶えた人物のこと。



10月6日(土)  ヤケ酒呑もうぜ伊東監督  (^o^) まあまあ
 いやあ驚いた。
 この水曜分をご高覧下さった毒者諸兄も一緒にビックリしてくださったのではないか。

 そう、『西武伊東監督辞任(受諾)』という昨晩の出来事である。

 しっかとお目に焼き付けてくださったか?!
 まさにこれが大人の世界の汚さというものである。

 火曜日、あのネットの下でこの耳にたしかに伊東さんは
 『絶対オレは辞める気なんてしませんもの』と、笑い飛ばす勢いだったのである。

 何紙かの報道によれば、この日の福岡での最終戦にまでその辞意表明は(伊東氏の抵抗で)延ばされたそうで、立会いの球団社長に試合前にようやく辞意は伝えられ、それを受けてホークス側も王さんから渡される手向けの花束を急きょ用意したようだった。

 この西武の球団社長というのも、よほどの小物なんだろう。
 「あんたの責任じゃないじゃないか」と、辞表を預かったまま仕舞ってしまえばそれですみそうな程度の問題ではないか。

 26年ぶりのBクラスフィニッシュとはいえ、あれだけ親会社、いや、『日本の皇室の一つ』にまで一時は数えられ、あのフォーブスの調査でも日本一の資産家と呼ばれた堤オーナー、まさかの失脚からすでに西武王国はひっくり返っているのである。

 そんなのは資本主義国が共産とまでは言わないまでも社会主義国に革命されてしまったようなほどの驚天動地ではないか。

 それを、たかがその末端のその枝の先みたいな収益しか期待していないプロ球団=ライオンズ、その”業績”がわずか1割程度「他社の後塵を拝した」くらいで、小会社伊東社長のクビを未だに欲しがる体制なんていったい西武のどの部分に要求されていたのであろうか。
 まさか労働組合が「責任とって見せろ」というワケはないし、さらにグループ全体の世間体というもののイメージ戦略を託している広告代理店の戦略でもあるまい。

 そして『伊東でなければ明るく将来性のあるチーム作りができる』とばかり、プレートを任されたのが元エースの渡辺久信氏というからヘソが茶を沸かす。

 いや、渡辺氏が不適任だというのではない。

 伊東氏が説明したように、
 『辞める気などサラサラない伊東氏を前にして、Bクラス転落した以上は監督に責任ありと押し付けを決定したフロントがいた。→伊東氏の後釜である人物からの内諾を得ておく→黙っていたら伊東氏は辞めないようだ。
 →ならば実力行使、番記者らに「辞めるような事を伊東が云っている」といったデマ(?)を流す→オフレコだったとはいえフロントのエラいさんの言葉→ならば「書いても良いとのお墨付き」と解釈し、一斉に報道が流れる。
 →本人の意思とは別でも、周辺は既定の事実として流れ始めてゆく→いつの間にか(ボクのような同情論者でさえ)辞めると思い込んでしまう者ばかりが周囲にあふれる結果に。』

 この時点になったらおそらくはフロントとしても
 『みてみい、辞めなくちゃならんようになったやろ』と自らが開始した情報工作の結果に、ほクソ笑んでいる頃なのだろう。

 そして昨日があったというわけだ。
 『敗軍は将が責任を取るのが当たり前』
 『自分は堤オーナーに恩義があったので頑張ってきたが、力が及ばずに辞めるのは残念だ、申しわけない。』

 これが子供たちに夢を与える日本プロ野球『西武ライオンズの2007年現在形』である。
 期せずして企業内リスクコントロールが、こんなにウソとボクらまで巻き込んだ情報操作によって進められていたことを暴露することができた。
 このコトは、皆さんの中での悪しきブックマークとして保存をいつまでもお願いしておきたい。

 伊東勤という、現代の企業組織というものの中で器用に立ち回わることを拒んだ、熊本の頑固もんの無念を少しでも共有して頂くために。

 こんな組織が球団を運営して行ってそれでいいのだろうか?

 伊東さん、酒呑めないからなあ、ヤケ酒付き合いたいのに…

 写真:伊東さんとは関係ないけど、ボクは健康のため1日1食は春雨ヌードルを喰っている。
 それが最近は世間で好評らしく、次々と新メニューが同じ商品ラインに加わるようになった。

 製造元は中国らしいのだがこれは最近作の『麻婆茄子麺』のお湯を注ぐ前の中味。
 軽くあぶった熱処理済のナスがご覧のようにフリーズドライされてスープと共に固まっているのだが、これがどうみても『ヤマトゴキブリ押し寿司』(笑)。

 さすがに中国製(笑)。とても、日本人の感覚では理解が困難。ここではまずいくら美味くても商品化をためらうに違いないと思う。
 もう一枚のファイルは写真下の小さい文字列をクリックしてご参照あれ。

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10月3日(水)  懐かしい顔に再会、マリーンスタジアム  (^^)v 最高
 きのう巨人が優勝を決めた。
 その日ボクはふと思いたって、幕張のマリーンスタジアムに行ってきた。

 打撃コーチの高沢さんと、メールのみでの交換では飽き足らなくなったし、なぜかこのマリーンズが土壇場に追い詰められているというのにどこかムードが全体にあっけらかんとしていて、逆転優勝でも遂げてしまいそうな雰囲気をしているからだった。

 でもまあボクの書き上げた長編処女作ドキュメントの「川崎ドリーム」をCD−ROMに焼いて、まずはこのチームの旧友たちに配っておいた。
 すると、「みんなが懐かしがっています」といった高沢さんの言葉につられ出て行ったわけだった。

 潮風も涼しい3時過ぎにボクのマスタング5リッターがここの駐車場に入る。
 すると、真っ白にブルーのストライプ(おぉ〜「シェルビー」風だ)といったハデな色彩に、数名の子供らが『きっと選手か元選手なのだろう』とでも誤解したのだろう、「関係者口」まで急ぎ足で向かう、こちらとの間合いをしっかりとシンクロしてきて進んでくる。

 サインを貰いなれているヤツだな…と、自分の最近の連載(月刊CURIO誌)で『サインの上手な貰い方』のレッスンそのままに行動しているボクと同じ人種の動き、その実例をそこに見付けたもんだから、ついついニヤけながら歩いている。

 受付でパスを貰い、中へ『ベンチでお待ち下さい』とお嬢さんが1塁側ベンチ内へ。
 いちいちそんな案内など要らないのに。
 ここも考えてみれば2年ぶり、優勝の前年以来だったことに気付く。
 この業界も人々の往来が激しい。

 知った人がいなくなり知らない人ばかり…となったかと思うと、トンでもない懐かしい顔が”復帰”なんてことに慣らされてしまう世界だったっけ。

 するといきなり『おぅおぅおぅ…』と、どデカい右手と、デカい(ちょっと離れた)両目の(笑)袴田バッテリーコーチが正面から差し出される。
 そして『ありがとうございました。』と意外なほど丁寧なお辞儀をされてしまった。
 「川崎…」のことかと納得。

 一瞬のうちでボクのかつての受賞作を、ロッテ若手だった袴田氏にとっても打撃の恩師だった当時のヘッドコーチ格、故高畠康真氏を追悼する意味でも在りし日を大量に綴っておいたため、それへの感謝の意味の最敬礼だったのだろう。

 「いや〜、照れますよハカマダさん。でも誰かが書いておかなくちゃいけない時代なんですよね。あの頃の川崎球場やパリーグの素敵な仲間達の事は」
 「でもすいませんでしたね、袴田さんはお笑い役ばかりで…(笑)」

 『いやいや、嬉しかったですよ、タカさんの事もしっかり書いてくださっていて」

 すると氏は手にしたミットをしまいにどこかへ去ったかと思ったら、今度は西村守備走塁コーチを引き連れて二人で来てくださった。
 このニシさんは、そのタカさんから「お前は脚を活かさんと」と、右打ちオンリーだったものを二人三脚でなんとシーズンオフの数ヶ月だけで左打ちの技術を地獄の想いで会得、なんと首位打者タイトルホルダーまで勝ち取った経歴を持つ。

 「すいませんね、ニシさんのコトはほとんど書いてなくて」
 『いやぁ、素晴らしかったですよ』
 そこには理由があった、ボクとてこの500枚の原稿の中で最大級の心残りは西村さんの記述がほとんどないことだった。

 氏という人物は
 『ボクの(首位打者獲得の)事は、すべて高畠さんのおかげ、タカさんにボクのことは訊いて下さい』と何年も一貫して最後まで口を自ら開くことをいさぎよしとしなかった”確信犯”。

 愛想が悪いそこら辺の勘違い野球選手と違い、人間性も柔和で穏やか…ときたら不思議でならなかったけれど、やはりこのあたりが薩摩隼人なのか『男が自分のした成果を自分で語る』など、彼の道にはなかったということか。

 この業界にありがちなのは、選手としてタイトルを獲ってしまえば、すべてボクが天才だから…と云いたいものらしい。(投手とて、伊東捕手あっての東尾だったが勝てば「すべてオレの力」としたようなもの)

 ところが現場では、『その冠』を獲らせるため、有利になるよう起用法などで采配をふるう監督はじめ、技術を支えるために教える者、毎日根っこを張らせるための練習相手をつとめる者、数字を維持させるために配慮を怠らない周囲、はてまた少しでも活字になって観客動員にプラスになってくれたらと、営業部員までが気を揉むものなのだ。

 ボクの知っていた80年代後半までのパリーグの現場というもの、人気がないため、少しでも何かを書いてもらうための材料作りを球団、いやリーグ全体が追及していたものだった。
 その中でも『タイトル』こそ、そのプロモーションとして最高の質と量が見込めるものだったわけだ。

 球団全体がそれだけの規模で団結し、協力し合ってこそタイトルというものは奪取できる。

 それは二度の三冠王をはじめ、両手に抱えきれないほどの打撃部門タイトルを欲しいままにした男もロッテにはいた。
 彼が二軍暮らしてくさっていたのを引き揚げてくれたばかりか、打撃法をマンツーマンで教え込んでくれたコーチの名さえ、ついぞ語ったことはなかった。
 いざ獲ったら最後、恩人についてひと言でも語ったら最後、まるで自分への実入りが減り、損でもしてしまうかのごとく「おかげ様で」のひと言が云えなかったような代表格、現在の中日落合監督のような現代っ子もハバ利かす中、何かあれば仏壇に報告を欠かさない袴田や、西村徳文のような道徳観は(自身その名の綴りように)貴重である。

 またタカさんからも、その恩知らずについてただの一言もグチを耳にした事はなかった。
 みんながサムライだったのだ。

 そのうち、最後までグラウンド内で(ホーム主催球団の練習時間終了の)4時ギリギリまで、自軍の教え子をひたすら教えまくった高沢秀昭コーチが「もっと教えたいのに…」様子でシブシブ引き揚げてきた。
 さすが教え魔だったタカさんの一番弟子だけのことはある。

 ボクにしろ、なんとも悪い人に今日のアポ取りで代表をお願いしたものだ。
 もうビジター(相手は西武)の練習が始まったら、高沢さんもすぐに首脳陣のミーティングを開始してしまうわけだから、全然時間的に余裕なんて入る余地がなかったんじゃん!

 懐かしい挨拶なんてそっちのけに、高沢さん『せっかく来たんだから…』と、ボクが持参したカバンの中身(=ロッテ選手のコレクション類)をチラ見されてしまったため、ヘンな気を遣わせる面会になってしまう。
 『そこにサインをしてもらってくればいいですか?』

 ちょっちょっちょ…いやいや、そんなんじゃないんだけど…。

 ホントは(以前ののんびりした時代のように)一人ひとり、懐かしい顔と挨拶を交わしながら、それじゃついでに…と、持参したユニフォームにサインなどをしてもらうといった段取りがすっかり勝手違いになってしまった。

 報道陣や来客は、グラウンドの一部、そして(試合前の)ベンチ内、通路だけにしか立ち入りは認められていない。
 試合前の練習の終わった選手らは各人がシャワー、一服、軽食、ダベリと、めいめい試合開始までの時間をリラックスタイムに入った中、隔離されてしまうわけなのだ。

 したがって「ボクの時代」のように、選手サロンで一緒にメシ喰ったりコーヒー飲んだりなんて”密着取材”などは夢のまた夢となってしまっている。

 そのため、「足がなくなったボク」を気遣って高沢さんは、当方ではできない事をせっせとして下さったわけなのだ。
 ボクの持参した何着もの宝物を抱えて、通路の奥をあっちへ行きまたこっちへ戻り、また…といった具合にユニフォームにサンダルばきの高沢さんが、バラバラに棲息する荒くれ者達の現在位置をそれこそ右往左往してサインを蒐集して下さる姿には、本当に申し訳のしようがなくて身の置き所がなかったのである。

 絶対にこれらは売りませんからね(ホントかよ、いやホントホント 笑)。
 困ったな〜これで売れなくなっちゃった(笑)。

 アグバヤニ、いやベニーは直接顔を見知っていたので(こいつはオアフ島中央部)『ハ〜イ、ワイパフ野郎どうしてる?』と声をかけてボクの品を見せてサインを貰った。

 「NYメッツ 2000年支給set1」どうだいブラダッ!
 お前の初来日=2000年MLB開幕戦カード、東京ドームでサヨナラホームランを彼が放った年のズバリそのもの(確率1/2)だいエッヘン。
 『How come you got it?』秘密だよ、アメリカで買ったの、えらいだろ。

 あ〜〜このヤロー、ふざけて、「BENY AGBAYANI」と差し出したイエローのペイントマーカーでのサインを、背中の右端から左端まで、どデカく横断するほどのサインをしやがんの。
 でもこんな大きなサインは初めてだ(笑)。 
 
 ともあれ、ムシが知らせたのか今日はここに『ジョニー(黒木)』のユニフォームを持ってこなかったが大正解だった。
 今日、千葉市内のホテルに4名のロッテ選手が呼ばれ「来季の戦力構想に入っていない旨」通告されたらしい。
 黒木はその中の一人だった、あの劇画のようなハンサムな顔でありながら、未だにズーズー弁を喋る真っ正直さの黒木が好きである。

 『世界一のファン、(故障ばかりだった自分を)温かく今日まで見守ってくれた球団のおかげでここまでやってくれたお礼の言葉もない。』そう別れの言葉を語ったそうである。

 そうした人に「KUROKI」と縫い付けられたユニフォームを差し出すような無神経をしでかさずに済んで、我が直感に感謝した。

 ロッテ側がミーティングに入り取材陣も消えると、バックネット一塁側下に静けさが帰ってきた。
 西武のナインが”鳥かご”でひたすら打ちまくっている。

 気になっていた人を目で探すとバックネット下中央部、鳥かご後ろで、元NHKの島村アナはじめ2・3人が伊東監督を囲み談話中のところ。

 数日前のスポーツ紙報道で『伊東辞意表明』と流れていただけに、気になっていたのである。
 そして10数年ぶりのBクラス確定、無理もないのだろう。

 しかし気の毒だなあ。不調といってもすべてグラウンド外での事件によるものではないか…。
 そう下を向いていると、ブルー系のユニフォームの者が目の前にやってきた。

 通常、試合前でも相手側ベンチ近辺にはめったな事以外、近付かないものだ。
 だから視界にその一部が飛び込んできて顔をふと上げると
 『いや〜〜お久しぶり、なんで来たんですか?』伊東監督その人だった。

 グラウンド内では、ボクは脱帽する習慣なのでキャップを取り坊主頭を露出していたため、伊東さんは遠くからでもこちらに気付いたらしい
 『お〜犬吠崎灯台か』と、(笑)

 「いやぁ、気になりまして。どうして伊東さんが外のことまで責任をとらにゃならんのか…と」
 『いや、そうなんですよ。あんな記事が出て僕はヒトっ言もいってないっすよ。”辞める”なんて』

 「えぇ〜〜、あんなにはっきりと書いてあるじゃないですか」
 『ぜんぜん、あれら(3塁側ベンチ前あたりにたむろする)番記者たちが勝手に書いた事なんですよ』

 「ああ、そうなんですか。だってそうですよねぇ、あんな(「株価操作」「ドラフト裏金」など)問題なんかで足を引っ張られっぱなしで現場は闘わなくちゃならなかったんですからね。」
 『とにかく、辞めろと云われなければこっちから辞めなきゃならん理由はどこにもないですからね』

 おぉ〜ハッキリ云うなあ伊東さん。

 「しかし一斉に各紙が『辞任表明』で足並み揃えたということは…」
 『球団(の誰かが、各紙にデマ報道を)やらせているんでしょうね』

 「そういう事ですかね、”球団公認”で伊東が辞めるよう叩いてよろしいという許可を、そこで彼らに与えたという事以外には考えられないわけだし。(苦笑)それにしてもやり方が露骨だなあ。」

 今のライオンズはショート中島や、銀次郎と細川の捕手陣がしっかりしてきたし、涌井に帆足それに彗星の岸がいい、それに赤田など、ここは若い力が台頭し、ベテランを追い落とすような時期、つまり今季は端境期(はざかいき)とか過渡期とも呼ぶべき、生まれ変わりの脱皮シーズンだったのではなかったか。

 そもそも、首位で優勝とは云ったって、ほんの10試合あまりの勝ち負けの成否次第の勝率で、首位も最下位さえもひっくり返ってしまうほどの勝敗成績でフィニッシュしたシーズン、特にセもパも、両リーグが面白かった「最高級の2007季」だったと云って良いのではないか。

 広告代理店が日本プロ野球を見切り始めた(いや見切りをつけた?)のを、マスコミがそのご機嫌うかがいなのか、過剰なほどのお先棒を担いだ結果、
 「優勝戦のテレビ中継」さえもがどこへ行ったのか、ワケわかんないこの秋の珍現象が放送界で横行している。「見識」なんてどこにもない。

 スポンサー様がいやな顔をしたらカードを中継しない、だからナイター中継がない。これだけの処世術なのである。

 それだったらいっそ、ボクら野球ファンが団結して
 『野球中継をしてくれる広告主の製品に恩を着て買っちゃうぞ同盟』といった”負け犬型”取り組み(笑)。

 もしくは”オレ様沢尻エリカ様型”に」打って出て、今までスポンサーやっていた会社ターゲットに
 『野球中継してくれなくなったから、不買運動しちゃうんだからね有志連合』とかの旗揚げを、12球団のファン全体で団結を急がねばなるまい(何がなるまいだ 笑)

 スカパーだのなんだのは、どうもビンボー臭くていけねぇや(だからウチは買わない 笑)。 

 写真下は、「一説によれば一部のロッテ選手」によると、『これ喰えば負けない』というジンクスがあるらしい、ここの球場(出入り屋台の)ガーリックステーキ弁当¥900の全貌。

 ニンニクスライスを「生でスライスしたもの」ではなく、「ドライ加工のものを水に戻して使った?」らしく、メチャクチャ香ばしすぎる(香)。

 異性同伴、もしくは公共交通機関でやってきたヒトには絶対にお奨めしない。
 でも、ボクは脂身が少ない輸入牛肉なのでとてもウレしかった(漬物くらい付けろよ)。