【2007年6月】

6月27日(水)  民事の負け方  (^o^) まあまあ
 以前、月刊誌に連載をやっていて某スポーツ紙から訴訟沙汰となりそうになったことがある。

 この当『・・・日記』自体、「よくつぶされないな」とか、「よく刺されないな」と酒のサカナにされることがしばしばあるけれども、その”つぶされてしまう”というのは体質的に問題があるからなのである。

 つまり、どこかいくつもの動脈みたいな「アテにしている収入源」などに類が及ぶぞ…と脅すのが先方のやり方であって、仕方なく『関係ないほうまで迷惑はかけられない』と、自粛するから「つぶされる結果」となるのである。

 だから仮に、北海道の根釧原野に住む『一人住まいをしている天涯孤独野郎』みたいな、小林旭がしかも自足自給(の自家発電)して、収入も湧いてくる(笑)なんて奴がいたらこりゃあもう世界最強なのである。

 モーターマガジン社(笑)がそうした圧力を、わざわざそのままボクの仕事場まで手付かずに(というかパスして)運んで来た事があった(笑)。

 困ったのはその「大きな勢力」の製品に対して、公然と問題を投げかけた記述が『白黒を法廷でつける』といった正々堂々としたものではなかった事だった。
 おまけに(初対面だというのに)その編集長がこう「結論づけ」ちゃうのである…
 『コトは「正しいか正しくないかじゃない」んです。謝らないと、ウチ(の社)から出ている雑誌すべてが取り次いでもらえなくなるんですよ』と、

 「えっ、そこまでやるんですか?相手は」
 『すでにOO新聞社までが系列の出版物すべてに揺さぶりがかけられた事があるほどです』
 そこまで泣きが入った以上、ボクはそんなにまでして原稿料やボクごときの意地の在り処などには汲々としたくなかったから、即座に
 「『あの連載は直ちに打ち切りました』…そう云って相手方にボクの首を差し出してやってください」と云った
 「だけど、『事実無根でした』と謝罪する事だけは断固しませんし、御誌の次号でそれだけはやめて下さい」これがせめてもの「譲歩条件」だった。

 卑怯な事に圧力の頂点は言葉も発せず、すべて『流通経路の下請け』を実行部隊とさせた事で、かなり何度も前科があるのだろう。結局は一度もボクら側関係者の前に、頂点サイドだけは姿を現さず事は終結した。
 つまり、あの強力な『書籍取次ぎ大手』さえ脅し、手下とできる…といった権力のデモンストレイションができる、ある特殊な企業がボクの相手だったのである。

 でもあれから数年、ボクのお得意様はなんとこの超大企業の「個人筆頭株主」で、しかも創業当時から財産を突っ込んでいる方であり、トップ人事が変わるたびにわざわざ謁見に参勤交代をしているという方との出逢いがこちらにはあった。
 だから次回イザとなれば、逆に先方の担当者くらいとは刺し違えることさえ覚悟してもらわないとならないという力関係を獲得したようだ。そう、ボクはコウモリなのである(笑)。卑怯なやり口にはたっぷりと責任は取ってもらう。

 ボクの場合アキレス腱だったのが10数年お世話になったレギュラー(といっても3ヶ月に1度 笑)出演番組だったと思う。ここを辞めるまではずっとガマンして云いたい事も言わなかった(笑)。
(番組納会での金に汚い著名人を書いて嗤ったら、一度、制作Pに呼ばれ「下品なものを下品と云ってもアチコチ汚れるだけだから」と、載った当『・・・日記』を削除した事があった 笑)

 とまあ、閑古レギュラーとはいっても番組全体や先輩鑑定士諸氏を巻き込んではいけないし、相手もそうした角度から弱い部分を狙ってくるだろうから控えるのが得策というものだろう。

 そう考えるといざ「圧力」というものには
 @テレビ A雑誌 B新聞 の順で弱いのではないだろうか? AとBを逆、と指摘する者もいるだろうが、50歩100歩である、こんなもの。

 前置きがなにやら物騒になったが、
 そうした意味ではインターネットでの表現なんて、もっともっと幅広くなって当たり前だし、広告代理店やら書籍取次ぎ各社というブレーキ(?)役も及ばない媒体であるのだから、昨今人々の表現が(まるでマスコミ!のように)自粛から思考の出発点。
 そこから小さい範囲内でまとまり始めている日本ネット界の現状ってあるべき姿なのだろうか、こう思う。

 一見すればマスメディアと、「2ちゃんねる」、この両社の間にはあまりにも『中間層のハバ』が狭いようで、すなわちアイディアが貧弱なのではないか。
 「規制さえなければすべて良し」とは云っていない。

 どこかまだ(特に日本人は)ネット社会の人々は、ちょうど
『「歩行者天国」が始まったばかりの時間で、とり合えず人より早めに車道の真ん中に出てきたものの、広さのあまり徒手空拳となって、何をしたいのか戸惑ったまま(ワ〜ッとか叫んだりして)自分らしさを出せない』あんなカンジだとボクは思っている。

 70年代初め、全共闘運動の提起には「まともなもの」もあって、それに触発され日本の文化的にはちょっとしたルネッサンスが並行して起きていた…とボクは捉えている。
 あちこちでコミュニケイションの形が見直され、批判され、「批判した以上はお前やって見せろ」と云われ、言葉や表現法、楽曲作り等など、まるで地球がズルリと地滑りを起こしていたのだが、あいにく日本は少ない方だったし、自覚するほどでもないサヤに納まってしまったのかも知れない。

 だが、カウンターメディアだのサブカルチュアだの(特に関西中心に)、「おもろければ何だっていい」といった”空ばかり見ているような面白さ”を人々が競って突出しようとしていたというのに、いつの間にか次々と平定され完全舗装化されてゆくのはとても残念でならない。

 それを(そんなカンジを)、マスメディアと「2ちゃん」のスキ間に、多くの者が自分なりに打ち出せるものを充填して行ってみたらどうなのだろう(それってブログなのかなあ?違うと思うけど)。

 この当『・・・日記』の存在自体を紹介する言葉としてこんな表現に出くわした。

 『…ああ言っても得するわけでもないから、きっと(前野は 筆者注)ホントのことが書いているのだろう』と、ボクがかねてより才能にひれ伏しているような方までが「毒者」でいてくださったなんて事を最近知り、光栄を通り越してハゲになってしまった。

 とはいえここまで素直な奴、荒川区では右に出る者はいないというのに、こうしてまだ『欲や得で書いているのか?』と、哀しくも疑われてしまう我が筆力にただただ情けなく、一層の努力(いや、編集者が欲しい)しかないと、ただ涙するのみなのだ。

 話は取り止めもなくなってしまったが、今テレビを眺めていても、「つや消し顔」の宮崎哲弥あたりを筆頭に、『批判がまったく面白くない』のが大問題なのである(とは前野理論)。

 いつまでああした「お約束の、”コトちょっとだけ荒立て”」て、そして「スタジオ内予定調和」。
 馬鹿みたいである。
 申し訳ないが、彼らあたりが”有料=ギャラ”で喋るコメントなど、世の中の視聴者9割までが彼の話しそうな『次なる言葉』がすでにヨメてしまっているのではないかだと思っている。

 だけどその「タダ組の9割にネタバレしている」というのに、それでも金貰って云うほどの事じゃないコメントしているパネラーって、フツーの社会じゃあ商売やっていけないのが本当ではないのか。

 何はともあれ『我ら9割組』のやれる事は、まずは「より面白い批判」「なるべく面白い批判」をしていったらどうか、ネットの中で…。
 こう、まずは我が毒者諸兄からお勧めしたてゆきたいのである。
 スペースはある、夢あふれるアリスへはワンダーランドに部屋は常にリザーヴされているのである(ちょっと赤面)。

 だけどお立会い、冒頭の「最初の行」だけれども、ここが今度の試験に出るよ〜。
 その新聞は大新聞の部門の一部だと思ってきた。世の中の人もほとんどそうだろう。

 ボクはそこがあまりにもいちいち『XXのユニフォームにOOO万円の値が付きそう』とか、ボクからコメントを取っておきながら(それも空港ラウンジまで追いかけてきて)紙面にする際には『ひとケタ』プラスしたり、という行儀の悪さ(でも東スポじゃありません)にウンザリしていた。

 名門新聞社としてボクは恥ずべきだと考え、そうした”価格偽装工作”を突き、道徳的に礼儀を自分の連載コラム内で問うたワケである。

 すると、「駅売り開始」くらいのスピードでそのヤリ玉野郎記者から電話で、
 『編集局長名で抗議文を出します。謝罪のない場合は民事でヤるそうです』と脅してきた。

 そうかワカった恥知らずもここにキワマれりだなと、ボクも息巻いた。
 あれだけこちらのコメントを歪曲して掲載しているのは間違いないのだからギンギンだった。

 すると、先方からの弁護士いわく
 『「事実無根の字句」は特に見逃せない。』というから、そりゃ何だと尋ねたら

 『ウチはあのOO新聞の子会社じゃありません』というのである!?????ガ〜〜〜〜〜ン。
 そらウカツだった、しまったちゃん。

 とにかく、「本当に子会社じゃない」のであればそれだけで負けである『事実無根』なのだから。

 記事の大半が、彼らの不正・非行デッチあげについての記述であって、そんな「枝葉の先の間違い」などがあったとは知らなかった!

 「よくぞ見抜いたサスガだぞOO新聞!」(まだ云ってる)。

 仕方ない、だからボクは次の月の連載本文をご丁寧にも
 『(前省略)それだけはまさか「OO新聞の兄弟会社」とか知りませんでした。こうした誤解について猛烈に反省し二度と…(以下略)』と、公開の場で「編集局長宛への謝罪文」を出したというか掲載したというわけ。

 その不良記者は
 『文書をこちらに送ってくれるだけで良かったのに…』と後悔していたが

 それに対し
 『いや、錯誤はこちらの恥、オオヤケにこうして謝罪してわが読者の前で恥をかくべきなのです』とワザと大げさに詫びた次第(笑)

 だから皆さんも、こうしたイージーミスだけは避けましょうね。

 写真:間違えそうな代表的な事例(いずれも「モンテローザグループ」経営の店)が集まった看板。

「月の雫」かと思った。「和民」だと思ったのに…。でも裁判では実質上、これらの看板が勝つのである。
 だけどさ、デザイナーやらクリエイターは恥ずかしくないかぁ?リッチと引き換えに「社長一族」にだってなりたくないぞ〜

6月25日(月) / お笑いブームの終焉  (^o^) まあまあ
 昨晩、テレ朝系番組の『笑いの金メダル』が終わった。
 新番組から今日まで3年3ヶ月の寿命だったそうである。

 ボクはこの番組が、パイオニア的に若手お笑い芸人(コンビ&ピン)がもたらした「お笑いブーム」というものを先取り的に、「場を設け、発掘してやり、ゴールデンで名を売ってやり、ブームを支えていた」と評価している。そしてお笑いブームは光り輝いた。

 TV局としては「芸人を使ってやっている…」から始まって、ブームにいざ火がつくと「人気コンビのスケジュールの奪い合い」を各局間ではじめる。
 そのうち「売り手買い手」の関係がいつの間にか逆転し、芸人らは”手ぶら”でやって来てそしてまた収録から何も得ないまま、手ぶらでスタジオから帰ってゆくだけ…、となって堕ちに堕ちて行った。

 それが2007年6月25日あたりの現状である。
 よく「芸人はバカだ」と云われているが、やっぱりこのようにむざむざ手をこまねいて終焉を迎えるだけならば、これはまぁ立派なバカである。
 でなかったら、「ハメルーンのねずみ」サン達と同じとしかいいようがない。

 一人の児童の吹く笛の音に街中のネズミ達が誘い出され、おどり遊びながら断崖へと導かれて海へと墜死して果てる…というブラックな童話だった。
 だけどこの作者ってけっこう詰めがアマくて、「ネズミをおぼれさせた事」がないらしい(エラかねぇよ!)。

 ネズミというものじつは泳ぎが抜群に巧くて、海水淡水なんでもござれ、漁船だって沖に繋いで置いたのに、陸から泳いで行ったネズミが勝手に「一乗組員」に加わって、ちゃっかり水産しちゃってたりするのだ。

 これは当然海にネズミは棲んでいないが、船着き場の水底に刺した棒にたどり着くと直登、そして張ってあるロープづたいに乗船しちゃうほどヴァイタリティあるトンでもない奴らなのであって、トレジャーボート不法係留の皆さんも要注意だ。

 ネズミが主題じゃなかった、芸人の中で今後『こいつらだけはネズミだった』とサバイバルレース勝ち抜いた芸人がいたらいつか褒めてあげたい。

 ボクはイヤミで云っているのではない。前回の漫才ブーム(70年終末)が同じパターンで火が着いて行き、「墜落ぶり」もハナさえ引っ掛けない程にまでさびれてゆくのも、”前回とまったく同じ”テツ。
 着実にブーム全体(というか「お笑い文化」)が雲散霧消へと向かっているのが悔しくてたまらないのである。

 前回の場合、トップに残ったのはたけしさんと「紳助」さんだった。
 紳助さんは「たけしさん」のひと言で生き残り、救われた。
 たけしさんは大橋巨泉さんのひと言でそのサバイバル術を学んだ。

 『たけしが「番組で何かやる」んじゃいけないんだ。お前が「番組でやらせる」んだ。』
 この巨泉さんからのひと言は大きかった…と、お二人が述懐するのをボクはそれぞれ別の場で聞いている。そして彼らは”これだけは”忠実に守って我がものとして理を得ていると思う。

 なるほど、こうした「巨泉流の番組出演法」なら、”掛け持ち”だって”レギュラー多すぎ”だって、何といわれようがカラーは着けられ、その色も褪せにくい。他の出演者を”いじる”だけなら色だって長持ちするわけだ。

 だから「ポストお笑い」の10数年、視聴者が求めているものをたけしさんは「たけし軍団」に代行させ、紳助さんは構成作家らをして”自分がやったら面白そう…な企画”を次々と打ち出させ、あれからの長い時間を埋めていったのである。
 
 今やこの「巨泉流バラエティの作り方」は、日本TV界独特のスタイルとして確立されたものとなったと、戦後日本文化史の中にも書き加えて良いだろう(それが今では:さんま・みの・タモリ・所…と、誰もが思い浮かぶはずだ)。

 ともあれ、冒頭の「笑金」だけではない。
 現在では局の方も『一組を呼ぼうとすると、「もう一組いかがです?」と、セット販売される』と苦笑いしていたのが昨年夏。

 事務所サイドとしたら
 「お笑い芸人だけでは視聴率がとれない」→だからギャラ削減の危機→収入減でも顔を売って(ギャラの高い)営業活動のための好「場つなぎ」へと発想転換をはかる。
 実際にはヘタすると、『一組で二度楽しい』同じ事務所なら「ギャラ一組ぶんだけで二組」というディスカウント(というか、もはやダンピング)合戦が実は昨年来始まっていたのである。
 そのため、スタジオにざらざらとツラの数だけはズラリと豪華にした絵ヅラが最近のテレビ画面だったのである。
(好例が関東ローカルの日テレとCXの朝10時〜のバラエティだ)

 お笑い番組の率が落ちている…そりゃあそうだ。
 ボクらお笑いのファン一般は、彼らの「ネタ」が観たかったのである。

 別にスタジオゲスト全体で繰り広げる、「ドレミファ ドン」程度の幼稚なゲームに惑う芸人らなど観せられてもクソ面白くもないのは道理ではないか。

 先述のように、芸人が多忙となるブームともなると『ネタを考える時間』がなくなることだ。
 彼らという存在の生命線だというのに、これをしなくなる。いや『できなくなる』。

 「分刻み」とはいえせっかく勝ち取ったスケジュール。
 彼ら人気芸人に出て頂くにあたり、理想で云えば『ネタを作ってそこでかけてくれない?』と訊きたい。
 だけど、逆にそのブッキング自体断られるだろう、物理的に「時間ないんっすよね〜」。

 だから仕方なく、クソつまりもしない人工のコーナー、すなわち「考えなくとも笑ってもらえるための企画」…という受けザラを、『番組の側が用意』して出て頂くことになる。

 それが、「他人(構成作家)の書いた台本内で動く」だけの者なのだから、「本来のそいつららしい」ワケがないのである。顔も声も同じだが、彼らはまったくの別人でしかない。

 その番組のPが起用した数名の構成作家が、無理やり番組内の「コーナーづくり」を考えろ、と任される。
 すると視聴者層には意外とF1層なんかが多いとくればいきなり知能程度は下げられる。
 つまり、それならその程度の頭でも解りそうなクイズをやらせたらどうか…というのが視聴率維持のためにはもっとも危険のない角度だろう。

 だけど、それだけではシリすぼみになりそうだから、だったら罰ゲームを作ろう。
 あ、どうせなら「発泡スチロールくず」の中に、芸人が不正解なら落下させたらどうでしょう。あ・そりゃいいなヤマちゃん。みたいなもんで(笑)、やっつけ仕事で彼らは動かされてきた。

 実際にこんな程度のアイディアごときで、我々の”いたい笑い”を呼び拾い集めようとしたりするなど、実にナサケないでしょう?この「笑金」などは、典型的にこうした構成の能力がお粗末なスタッフばかりだった。

 だから考えてみればこの2年余りというもの、ひたすらこちらを唖然とさせることばかり…のトホホぶりだった(ボクも付き合いがいい、ネタ勝負をずっと待っていたもの)。

 こんな番組に裏切られた(?)話など、なんで書く気になったのかというと、昨晩の放映で『制作者が本当はやらせたかったはずの(?)ネタをやらせてみた』のだ。それがスゴすぎたのである。

 結果、各コンビが「(編集して)約3分」のネタというのに、ほぼ全滅、惨憺たるものだった。
 まるで、企業の忘年会で若手社員が「オイ何かやってみろ」と命じられた程度でしかないのは驚異的だった。どれだけこいつら馬鹿(で増長人間)なんだろう。

 その短いシャクがかろうじて持ったのは、わずかにペナルティと、FUJIWARA程度で、前者の場合コアなファンなら合格水域さえ許さなかったはずだ。

 彼ら(以外の者達)はすっかり自分らの持ち味、ファンに好まれている角度(=笑いのチャームポイント)一切を、ことごとく遠い昔のように忘れてしまっていた!なんて驚くしかなかった。

 さらに救いがたいのは「どうしてウケなかったんだろ?」と、演じた者は一様に首をひねってみせる。
 反面、それをスタジオで観ていた芸人らは「(こうした方が良かったのに)」と、やはり一様に気付いているらしき様子を隠しながらいかにも楽しそうに演じている…風景、カメラは冷静な視線を画面に向けている者への味方だった。

 せめてこの番組全体、半分のシャクだけでもいい、基盤である「芸人らのネタ」をさせていれば、後はピンポンパンだのドレミファドンでもぜんぜんオッケーだったのである。

 日テレには『エンタの神様』という類似番組があるが、これは『ネタを中心』にしてセンスのない人工着色をやらないだけ「スジが通っている」ものだが、いけないのはいつの間にかスタジオの観客が馬鹿ばかりになったのがいけない(笑)。
 いわゆる「芸人の追っかけ」という若い女性ばかりに収録のスタジオ内が占拠され、まるでスタジオアルタよりも『箸が転がっても笑う』ような連中の前で演じさせる。
 そのため、登場する芸人は安易に観客をいじってくすぐって笑わせる事で間(ま)が持つから、収録というライブが終わっても、「何も栄養にならない」まま、成長が停まったままご帰還となる。

 陣内ナントカが簡単に芸人のジャンルから良くも悪くも消えたのは、この「エンタメ」が八百長で彼を「エンタメMVP」へとデッチあげた事で、そうしたF1F2御用達番組へと足切りを行ってから堕落していった、番組も陣内も。

 ここがユニークだったのは、「エンタメ独占芸人」というまるで『少年ジャンプ』のように、「自分らの番組以外(のお笑い番組)には出ない」という約束をさせた芸人を持つことで、桜塚やっくんや小梅太夫のようにこのシバりが功を奏しているのかいないのか、お笑い界全体の地盤沈下にせめて一矢報いて欲しいのだが、やっくんなどはこうした『「観客いじりあってこそ」の芸人』でしかなく、これを恥じない限り、早晩、彼も海の中へと落ちて行くことだろう。

 そうした中で吉本もさすがに冷徹でしっかりしているなあと思うのは「南海キャンディーズ」のしずちゃん。
 いつの間にか『お笑い芸人らその他大勢』の一人からいつの間にか姿を消し、ドラマ出演がらみのCMなどへひた走って後ろを振り向かないことだ。

 だが、彼女からグロテスクを除いたら何が残るのだろうか?、それだけではすぐ飽きられるし、他にどうした良いかあの演技力では考えようもない。
 片桐はいりさんのように、『容貌をいじらないこと』といった出演条件を固持しながら、クスリとカゲで笑ってもらうといった”中途半端なキャラ”を甘受して、細くとも永らえる事を狙うのか(それはそれで偉いけど)。

 しずちゃんも頭の回転が速いけれど、相方のヤマちゃんの臨機応変ぶり”切り替えしぶりの鮮やかさ”は天才的だ。突っ込んでもいいしボケてもいい(ケンドー小林も!)回し方も巧い。
 その才能がこのまま埋没するなんてかえって大きな損失。バラエティの司会などいくらでも活躍の場あるはずだ。

 その他の局だって、現在のお笑い芸人らの「立ち位置」を冷静に見てみたらいい。
 彼らはどんなバラエティでも(当たり前だが)「面白いコメントを話す」か「痛い思いをする」、そのいずれかのためブッキングされているにすぎない。

 勝敗を争う企画であれば、彼らが勝ってバンザイをやっている姿を観たくてチャンネルをそのままにしておくバカはいない。
 罰ゲームではできるだけひどい目に遭って、他の同じ負け組タレントの代表として負けた者の悲惨さを見せて笑われる役目を背負うのである。

 これは「ひどい目に遭えば遭うほど『オイシイ』」と、仲間の出演者(制作者)らから”賞賛”してもらえるシニカルな風景が放送界では一般化しているほどだ。

 脱線するが、伊集院光さんがホリプロだからなのか、彼をお笑いのジャンルに入れてはいけないのか、どうもはっきりしない…ところへ、最近どうやら『雑学に詳しい』とお利口さん組に組み入れられた?というか、一足飛びにこのまま行くのなら同プロの別セクション=「文化人部」へ所属移籍されたらいいと思うほど、IQを問うタイプの番組での大健闘が目立つ。

 これは彼にとって損なのかトクなのか、どうなのだろう…と、未だに「正解など出したって…」と健闘ぶりにいちいち首をかしげるフクザツな視聴者=ボクもここにいるわけだ。

 ともあれ、そうした『お笑い芸人=犠牲者』といったステレオタイプな「いじめ構造(的ブッキング)」(笑)など、いずれ淘汰される日が来るだろう。

 いずれにせよ、知らずに崖まで行進しているだけのネズミ達の中から、いったいどれだけ『ネタを忘れた芸人』から脱却せねば…と危機感を持ち、初心に還ったうえサバイバル戦線に勝ち残ることだろうか、その中にはかつてのたけしさん紳助さんのような者が動き始めているのだろうか?気になってならない。

 ある『M1グランプリ』優勝候補のコンビの一人がこうつぶやいていた。
 『じつは開催自体がヤバいんですわ。「中止」になるかも知れんのです。』

 開催すれば確実に最終選考の年末番組まで出るであろう有力候補の彼ら。
 そんな二人に、「スポンサーの都合?中田カウスさんの問題?…」それとも

 「お笑いブームが去っちゃうから?…」声に出しそうになるのをボクは急いで引っ込めた。

6月24日(日) / コロッケのDNA検査  (^o^) まあまあ
 かつてあの長嶋さんが、キャンプ地で選手の故障に直面した時のこと。

 『肉ばなれのこと、英語でなんというんでしょうかね』と、チームスタッフの誰かが言葉にした。

 すると長嶋さんは一瞬あった後に、
 『それはね、「ミートグッバイ」というんでしょうね』とほざいたという話がある(笑)。

 ホントだったら素晴らしく水準の高い冗談である。
 あの偏差値の高い「M渓学園の先生」が言っていたのだからさすがである(笑)。

 そこで北海道『ミートホープ』社長の「牛肉コロッケ」の偽装表示の問題だ。
 なにがそんなにいけないのだろうとボクは考える。

 あのパケージには『牛肉コロッケ』と漠然としたメインタイトルに、
 「北海道のじゃがいもと牛肉を使用しました」とサブタイトルにある。

 だいたい、「牛肉だけ」しか入っていないものとか、「豚だけ」というのも一般的には『コロッケとしてはそうおいしくない部類』に入るだろう。

 だからボクはあのパケージをスーパーなどで手に取ったとしたら『牛肉…』と書いてあったとしても、合い挽き肉でも、牛の占める割合が通常より多めにしてあるのだろうと考えるに違いない。

 (ただ、パケージの裏などに印刷されているものに、「牛肉」としか書いていなかったのだろう?から、詐欺は詐欺だけど)

 コロッケとはそういうものなのである。このほどポークだけでなくチキンまで入っていたなんてなかなかあの田中社長一家も芸が細かい(笑)。美味しいものを送り出そうとなんと自由でクリエイティヴなのか、エラいものだ。

 それにしてもあれだけ大悪人扱いされているけれど、(喰った事はないが)考えてみればボクも「被害者」側なのであるけれど、まぁずい分と『被害者意識』がどこにあるか判らない事件ではないか。
 あんなものはサッサと謝ったらチャラにしてやって、許してやったらいい程度の小悪ではないか。

 丸山弁護士の電波不正利用の方がよっぽど迷惑ではないのか。

 ま、置いておいて…。
 ボクが小さい頃だから、その昔横浜の「崎陽軒のシウマイ」には『ウサギの肉が入っている』という悪いウワサがつきまとっていたものだ。
 だいたい、『味の素』自体、「あれは干したヘビから作るのだ」というまことしやかなウワサもあった。

 これらは世の中で定評を勝ち得始めた頃にどこからともなく、つきまとってきたものだから出処は「やっかみ」というものなのだろう。
 だいたい『ウサギの肉』を入れたりしたらかえって単価が上がってしまうなんてバカでも判る。
 ましてや『ヘビの肉』なんて話の外何をかいわんやだろう(笑)。

 考えてみたらここら辺、昭和30年代にあった「都市伝説」のハシリとして、将来プレミアがつくわけ、はないのである。

 ミンチ肉を使ったレサピ(お〜い「レシピ」って云うなよ)が出たついでに申し上げておくと、崎陽軒ではないが『焼売」がある。
 崎陽軒は「特選焼売」という、中味にオホーツクの干し貝柱を多く加えた高級種も出しているが、あれは手軽に手に入るものの中では大変においしい。
 適度にジューシィで、甘すぎず、「アンコ」の堅さというか「みっしり度」が実に心にくい。
 毎食できればボクは3個ばかりチマチマとご飯とともに喰いたい逸品だ(それ以上喰うとゼイタクになる 笑)。

 でそれが最近なぜか「12個入り税別2000円」が姿を消した。
 そして「6個入り税別1000円」を買わねばならぬようダウンサイジングを強制されているのだ。

 なんだか「3個だけ」で我慢しているクセして、「6個」ずつ税別で買わなきゃならないチマチマさの方にムカついてならない。これは小さな大問題なのだ、ボクにとって。

 売り子のオバさんに文句を云うのだが
 『すいませんねぇ、あら?なかったですか』と(最初から謝りから入ってるクセに!)トボケる(東京駅大丸地下ほっぺタウン売場)
 『すいませんねぇ、アレもうやめちゃったんですよ』(北千住パルシェ売場)

 などと、崎陽軒上層部からの見解は未だに浸透してきていない。
 考えるには同じように『売り残して廃棄処分する』となった場合、どうせなら『小さい方がいい』という自己保身優先なのだろう、フン情けない奴らめ。どうせ棄てるんならくれよ、このやろう(とほほ なさけない)。

 そんなわけで崎陽軒の意外なしみったれ体質が見抜けたわけだ(笑)。
 ともあれ、それでも崎陽軒は偉いとボクは昔から尊敬してきたわけだが、ホノルルに住んでいた頃には「コペルニクス的焼売」にボクは出会ってしまう。以来あまりのその旨さにその面影を追ったままなのだ。

 それは『ビーフシュウマイ』なのである。????
 そう、(海鮮系を除けば)ほぼすべての焼売はポークで作られている。

 それがポークの代打に、ビーフで勝負してきたケースをわが毒者諸兄はご存知か?

 それがサンフランはじめフェニックスもNYもあらゆる都市にあるチャイナフードの店にはないのである。
 どうやら発見後かれこれ今年で30周年になるが(笑)、現在アメリカで中華料理を営んでいる中国人は比較的「移民して日の浅い新中華人間」であって、当時とは味の付け方もかなり「中国本土的」に傾斜して薄味だし、ウマ味という点についてこだわって作っているような店には20年近くトンと出会わない。(その薄味の代表格としてあの藤田財閥の会社が東京のフォーシーズンズに招聘した「釣魚台飯店」シェフらの失敗がある)

 それはそれなりに評価すべきなのかも知れないが、ボクはきっと年齢的にも『彼らの親御さん』の世代が供してくれた味付けに慣れてしまっているのだろう。

 その『ビーフシュウマイ』にしても、たしかに中華料理一般、銀座福臨門飯店あたりの飲茶でもリストにはない。
 だから、ホノルルに数ヶ所あるチャイニーズレストランの飲茶メニューにある「ビーフ…」は、おそらく正道からいけば邪道なのだろう。
 それはきっと、アメリカで生を受けた二世などが長ずるにつれて、自分や仲間のために、アメリカで慣れ親しんだ「ビーフ」という食材を起用してみたら「なんだこれヤッバいじゃん」となったのだろう。

 今でもボクは『憧れのビーフシュウマイ一直線』で夢見ているのだけれども、考えてみたら『自分で作ればいいじゃん』という結論もある。
 肉だってホノルルみたいな土地でも充分うまいのだから、別にブランドビーフでないはずで、フツーのポークのようにミンチ肉がごくフツーのビーフに替わっていただけ…アレンジ(僅かにポークの合い挽きだと思う ?)で調理も済む事なので、なんだかすぐに幸せがボクや毒者諸兄の元に訪れそうな気がしてならない。
  
 それにしても今回のコロッケ混ぜごまかし…程度の不正に対し「DNA」でシロクロ付けたそうである。
 DNAにボクは思い出があって、かつて日テレの特番で『Jリーグ天皇杯決勝』で「ジーコ選手がツバを吐きかけたボール」を割り出すという企画をやった。
 その時は、Jリーグ事務局に保管してあった試合球数十個を借りてきて、『さぁ、どうしよう』と頭めぐらした時
 『そうだ、「DNA検査する」ってテがあるな』と思い付き、カメラクルーが回すのを背に専門研究機関を訪ねたことがある。(解決法は結局は別な方法に気が付いて、特定に成功したのだが)
 DNAだの気軽に云っていたけれども、いざ専門家に訊いてみてビックリした。

 なんと「検査料1件50万円」だというのである。
 それが今はだいぶ安くなったとは云うものの、きょうび『コロッケの中味』を生協の依頼でDNA検査したというのである(笑)。やっぱ「生協」はサスガは『左』なのだなあ(カト吉は右だけど)、責任を地の果てまでも追及しちゃう体質なんである。

 すると、案の定コロッケからは「牛肉」のほかに、無事(?)「豚」や「鶏」まで検出されたとの報道だった。
 不当表示…だの不正競争防止法…だのではなく、これを道警は「詐欺罪」でいくらしい。

 そんなに、被害をいい募る声はいったいどこにあるのだろうか、またそれがステーキならいざ知らず、コロッケの中に入っている「垢ていど」の大きさにすぎないものが「数十個ある粒」、こんなミクロサイズの中に数個のウソがあった不正だ世間に謝罪しろ…と、日夜日本人は騒いでいるのである。

 ボクはそうした製品をハグハグしていて、グニュッときたものに違和感を感じ、
『ぺっぺ、ぬぬっこれはまさしく豚肉、謀ったな』と吐き棄てて、味から割り出せたのであればいいが、むしろそれに気が付かなかったかも知れないだろう消費者の一人であった事が、むしろ恥ずかしいように思う。

 この商品名『牛肉コロッケ』のパケージに、あえて「おいしい道内のポークも加えました」として売っていたら売上げはそんなに落ちたのだろうか?

 ソムリエの田崎さんあたりにコロッケ差し出して、『うん、これはポークですね、江東区大島団地カドの肉屋で上がったばかりのチープなオイル臭が薫ります』とか指にとって練ったりするのだろうか(笑)。

 どこかこの問題は必要以上の音量で注目させるように誘導されている空気をボクは感じる。
 コミットしてどこにも国民に帰ってくるトクなどはないネタではないか。

 だったらついでに社保庁のしてきた事、してしまった事あらゆるパートを洗いざらい当たってもらって国民は「詐欺罪」で一人でも良いから立件して欲しいのである。

 ああ、もっとついでにいうと、かの「ミートホープ田中社長」もDNA検査してみたらいい。

 きっとあの男の体内からは
 「ヒト以外に『豚』のDNAも検出される」に違いないのである。
 ニュース映像を観るたびにボクはそうにらむ…のだけしかちっとも面白くもない時間である(笑)

6月20日(水)  「バントしたくない人」はこうしよう  (^o^) まあまあ
 今日の「巨人ロッテ戦」を眺めていて、ニヤッと笑ってしまった。

 それはベテラン二岡の意地(?)というものに、だ。
 展開はロッテが3−1と勝ち越していた、ロッテ先発はサブマリン渡辺。

 それを4回ウラ、李が右中間へ。
 バカに高めに伸び上がるタマにばかりバッテリーは固執していると思ったら、フルスゥイングの末に短いバットに変えていた観察力を里崎見失っていたのか。

 高めにいくら難があったとしても、「高目を攻めてくる」と予測され、「芯がすぐ近くにある」バットでは李にとってはラクショウな2ランホーマーだっただろう。
 どうして渡辺里崎バッテリーがここでポカを見せるのか。

 間違いなく2ストライクからは低めも使って”(う、汗…芯が届かないかもしれないスミダ)”との不安をかき立てられなかった、強いチームの穴ということか。
 ランナーも二塁に阿部だったのだから、低めで大事にいけたはずだった。

 それより、「3−3」同点にした後金刃を投入、じつにいい腹の座った投球で”巧打ロッテ打線”を封じて、原さんのギャンブル(シーズン後半、スタミナの要る強力中継ぎに金刃?)に好配当をもたらしたようである。 実にコントロールがルーキーとは思えないほど素晴らしい。

 その後巨人が1点勝ち越し、「4−3」に。

 問題は6回ウラ。
 金刃を下げて(おぉ〜)、原さんは一転、「追加点を獲りに行く」という布石から頼れる中継ぎを引っ込め、矢野を代打に送る。

 その期待に応え、センター前にヒット1塁矢野、ノーアウト。
 そこに追加点のためには二岡にバントを指示。

 二岡はどうみても原さんの野球感からは外れているようだ。
 ただあれだけミートの巧い男としての意地がある。

 だから初球見送りのあと、あの二岡がバントを空振り(笑)。

 これはファウルでもいい。
 「『バントなんかするのはイヤだ…』という時にベテランは早めにワザと”2ストライク”にしちゃうもんです」

 「だってそうすれば、”3バント失敗”だけは避けたいから、ベンチも仕方なく”ヒッティング”のサインが出ますもん(笑)」

 プロ生活を約20年続けた男がボクに教えてくれてから、名物「バント」という行事への観方が変わった。

 そう二岡の顔にも書いてあった(笑)。
 『右打ちのセンスではセリーグ1・2?』とボクは彼の才能を買う。

 おそらくバント指示は、原さんではなくシノさんが出したものではないかと推測する(そういうものなのだ)。
 これなら、原さんへの直接的な不信感を買わずに「専務が背負う」事で深刻化を避けるものだ。

 遅まきながら「(ヒッティング)」の指示、あえなく三振。
 「やる気ねぇよ…」、そのようにバッティングフォームに書いてあった。

 『ノーアウト1塁が無得点』といった最悪のムード。
 こんな雰囲気となるのを二岡承知のうえなのか?

 そして回は変わって、7回表、巨人は左腕の林を送り、「万全のリレー(局アナ表現)」。
 それをロッテ早川がいきなり左翼席へ突き刺し、「4−4」同点に。

 その7回ウラの現在「5−4」と巨人は勝ち越して、ボクは試合見物を終える。
 これでも『いや〜なムード』は払拭できていないようにボクは観察した。

 双方とも「勝ちへのシナリオ」はすべて打ちつくしている、残る展開は筋肉でも単に「不随意筋」に属する戦力が両軍の「今晩の上と下」を決めるだけで、狙って勝ったとは両監督ともいえなくなったはずだ。

 それにしても二岡の『バントサボタージュ』、一般視聴者も先のベテラン選手の言葉を良く噛み締めておいて欲しい。
 今晩巨人が負けたら、間違いなく彼のせいである。

6月11日(月) / 「奪い合う」男  (^o^) まあまあ
 先月招待状を貰って、試写会に出掛けて行った。
 観ている途中で居眠りをせずに済んだ。

 大概、好きな環境、興味深い対象…とくると眠ってしまうボクの体質にしてはとても珍しいことだった。
 『100万ドルのホームランボール』というこの映画のテーマ自体がボクの専門だし、コメントもした関係で他人のような気がしないだったからだろうか。

 おかしい、それなら興味があるほど正比例して深く睡魔が襲うのがフツーなのに(笑)。
 おかしくて笑ったが、それは非常にボクという特殊(?)な生業にとって、じつにボクの身の回りで毎日”右往左往している感情”が幾人も幾人も、画面に展開しているので寝ているヒマがなかったというのが一番近かろう。

 サブタイトルも表題に続いて『捕った! 盗られた!訴えた!』と連結する。

 そもそもドラマやら小説といった小さな世界が嫌いなボクにはドキュメントものしか向いていない。
 小説なんて「こんなものだろう」と想像がつくようなモノでは今どきの世界ではやっていけない。

 この物語は2001年にバリーボンズが記録した、シーズン最多本塁打記録「73」、あのホームランボールを奪い合った二人の観客がいた。
 若いカメラマンのケッペルが持ったイケガミ製VTRカメラは、たまたまあの瞬間あいつらの近所のライトスタンド上段に居合わせ、ボールが飛んできた→群衆に吸い込まれた…そこまでしか捉えていなかったつもりが、編集してみるとわずかに、ポポフ(第一接球者)のグラブに入るといった逆転のひとコマを見付け出す。

 そのポポフが群集の中心で押しつぶされ、倒れた人の波を一枚一枚剥がして行くと、圧死されそうな下部から白球を手にしたハヤシ(最終接球者)が現われた。
 パニックになるのを警備員らから制止され、ハヤシは消去法的に『ボールをキャッチした男』としてクローズアップされる事になるけれど、状況的にはキャッチではなく『ピックアップ(拾い上げた)した男』といった状況だった。

 たしかにポポフには気の毒だが、「キャッチした」とはいえ外野手用のグラブ(ガールフレンドのもの、だそう 笑)のウェブ上から1/3くらいの場所にぶつかってき(て、直後倒れこんでいっ)たもので、所有権の争いにたしかにこれだけでは決め手とはなりにくい程度の納まり具合だった。

 「現場」では約20名ほどのものが倒れ込み、どこにあるのか「100万ドルボール」とそりゃまあ醜い死闘を演じたもがき合いも、ポポフの言い分によれば
 『グラブの中に手が伸びてきて、そこからボールが何者かによって抜き出されていった。それがハヤシだった。』と主張する。

 ハヤシは群集のほぼ中心に立っていて、ボールの奪い合いが始まった途端人々が殺到して自分はフロアに押し付けられたが、いつの間にか手の中にボールがあったので、それを奪われないようじっと身体を丸くして確保していた。

 ハヤシは冷静さ取り戻した群集の中からボールを掲げ、警備員のガードを受けながら『ボールを獲った男』としての認知を受ける。

 ポポフも近くにいながら、その際に残念がる仕草をケッペルの向けたカメラに見せるなどしていた…のに、事件はここから始まった。

 そのボールが飛び込む瞬間の騒動を捉えたこのケッペルのスクープ(?)映像がテレビニュースで流されると、大きな声を上げたのがこのポポフといった、私生活でも派手好きな中年男だった。

 あの混乱の中では気付かなかったのだろうが、たしかにウェブの内側に一度は入り込んできた「100万ドルボール」
 「あれだけグラブ内側にボールは納まっている映像があるのだから何よりの証拠。ハヤシは私からボールを奪ったのだ。彼はあの集団の中でも暴力的に振舞っていた」と指摘する。

 たしかにこのケッペルテープを検証すると、何かを奪い合う仕草の中でハヤシは少年のモモを噛み付いている映像も残されており、本人は「知らない記憶にない」ととぼけて見せた。

 早い話、このケッペルがカメラをセンターとかレフトに持って行っていたらこの問題は起きなかったし、この映画自体も存在しなかっただろう。

 そして、このケッペルテープを、『面白い素材』と惚れ込み、ケッペル君自身を共同監督として抱き込んでこれを一本のドキュメンタリー作品にしようと着想ししたのが監督兼制作者のウラノヴィックス。

 彼自身を、スタンフォードでMBA所得して、地元のシリコンバレーでIT企業のマーケッティングなどを10年余りも手がけすべて失敗し続けた男。現代アメリカにありがちな「リロンばかりのお喋りなヤツ」が毎回の敗因だったのだろう。
 だが、ボクが「さすがMBAだな」と感心したのが、このポポフという人物が、この証拠(?)映像を頼りにして最大限の欲の皮突っ張りを最大限まで演じ最大限未練がましく(笑)振舞うであろうこと。

 これを「映画全体のシャク」を満たすだけの騒ぎ方をしてくれるキャストだろう…と、ボールでなく、アレックス・ポポフという人物的価値を鑑ぬいた事がこの映画の成功に結びついたと思う。

 ここからこのテープをベースに、一転強気でボールをまったく手放す気などない原所有権者ハヤシをポポフが責めまくる。
 生活を替え、次々と大成功収めつつあるビジネスモデルならぬ『ビジネスマンモデル』を、いかにもどこかで見た事あるような風…に、彼が実生活で演じまくり、またそこへ「誰が連れてきたんだ」風の弁護士も現われ、ポポフはそれらをいかにものアゴで使うようになるのである。

 そうしたアメリカ現代人の憐れなサマを、本当に気軽な気分でこの若い制作者のコンビがふらりと訪れ、普通はNGだろうという空気の場所さえ出しゃばり記録してゆく。そうした図々しさに加えて感心するのはあらゆる角度の異なった立場の者からこの二人の騒動(正しくは「ポポフの騒動」か)をコメントで固めて、【世間の目】というある意味、裁判官の下す判断よりも正しい見方を提示してくれる…ジャーナリズム的視点の確かさには頭が下がる。

 好例は公判開始後、そのボールと、ポポフの手にしたグラブとの関係で
 『アウトかセーフ(落球)か、』をめぐりジム・エヴァンス氏に【ジャッジ】を求めたことでも大笑いした。

 何のことはない、エヴァンスさんのとこにボクは20年以上前に書簡を送り、氏の運営する審判員養成学校に入れてもらおうかと画策していた頃があった。
 そう、誰あろう氏は「元MLBの審判員」であり、アメリカで最も権威ある『エヴァンス審判学校』の校長。
 あの「野球の殿堂」へも審判員部門での殿堂入りが準備されているほどの人に「ジャッジさせる」ところがとてつもなく自由な発想でいい。

 これはたまたま、「ボンズの記録ボール」をめぐっての民事的トラブルだが、いざ始まってしまうとこれがアメリカ全土で毎分毎秒繰り返されている訴訟王国の典型的一例にすぎないことに気付き、他人の不幸はウヒウヒ気分とばかり、『バッカだなぁ〜』と苦笑することの連発73号で、結局寝ているヒマもなかったというのが真相か。

 じつに「アメリカ人が、いかにも現代アメリカ的に、アメリカ人が大好きな幼児的我がままを、最大限もっともらしく法廷で演じた」らどうなるか、その『起承転結』までを記録した88分だった。

 現状に至る裁判の結末などについては『云わないでくれ』と、試写会をタダで見せてくれたことをネタにボクは主催者に脅されて自由な発言がいま出来ないでいる(笑)。

 あ〜〜云いたい。
 だけど、記録ボールというと必ずマスコミが先陣を切ってウチに電話をかけてくる
 『OOが今度XXやりますけど、もしやったらいくら位になるでしょうか』
 『高くなると思うんですがいかほどでしょう』

 最近のものでは
 『松坂が初勝利を挙げたとします。そうしたらそのウィニングボールはいかほど?』
 『松坂が来ていた最後の西武時代のユニフォームはどうでしょう』
 
 うるせえなバカヤロー。

 まだ活躍もしていねぇってのに騒ぎすぎなんだよ。
 ホームランボールが一個1000万なんて、マスコミが騒いでいたらバカな大人が奪い合いになり、その下敷きでちびっ子が犠牲になったなんて事件が起きた、とする。

 ここにいったい誰が責任を負うのだろうか?
 子供の親は誰を相手取って訴訟をすべきなのだろうか?

 ボクがその子供の父親だとしたら、間違いなく被告席の一つには「そうして大人の射幸心(?)を扇動したマスコミ各社」を特定し、座らせる。

 この『ボンズ73号』の時も、何社か価格を尋ねてきたが、ボクは「14ドル」とぶっきら棒にそう答えた。
 というのも、記録ボールというものには達成者がその使ったボールに自筆で記録とサインをしたためてこそ…、『そのボール』と認められる。

 98年のマクグァイアとソーサのホームラン競争の過熱で、ボールの奪い合いが『カネの争奪戦』の様相を呈することになった。
 じっさい、マックの70号ボールを外野にある「グループ個室で獲った」所有者は
 『仲のいい友達と観戦中にボールを拾った』とインタヴューで語っていたが、そのニコニコ顔の右目がパンチで(?)青タンになっているのをみてボクは
 『「仲のいい…」ねぇ』とおかしくてたまらなかった。

 ともあれそれ以降、スタンドでの奪い合い過熱を避けるために、MLB選手会は『記録のかかったボールには署名も日付けも書き込みもしない』との紳士協定を結んだ。
 紳士協定とは「?」だが、ヘタするとアメリカではホームランボールなら『打たれたピッチャー』はじめ、「打たれたキャッチャー」やら「ガッカリした相手監督」。はては「外野のブルペンで見送っていたリリーフ投手」さえ『証明とサインを書きかねないから』なのである。

 この映画で眺めたMLBボール。
 なんのヘンテツもなく、どこにも”素性を証明する”書き込みもない。
 こんなものは飾っておいても
 『2001年にボンズが打った「73号ボール」”なのだそうだ”』と称される個体でしかない。

 こうした物に高い値段を仮にボクらが付けたとしたら大変だ、「同じようにちょっと古そうなボール」というだけで、そのボールには立派に「高額を付けてもらう資格」が備わっているからだ。 
 その人が「オーナーだから」というだけの理由で高値をつけてはいけない。

 たまにはそうしたバカもいるが、そいつは『実家が日本銀行』かなんかの大金持ちなのだろう。

 正しい評価下されたボールは、なにも本来の持ち主がそこにいなくとも、
 『一人で勝手にボールの価値を語り始める個体』なのである。

 それにしてもこの映画、劇中にロジャーマリスの記録ボールを拾い、無償で届けた男や、某弁護士など幾人もの私欲を我慢できる人々の心にも出合う事ができたのは大きな救いだった。
 これもこの監督の「心象デザイン」の巧みさなのだろうか。
 

 今月末からライズX、新宿ガーデンシネマほかで封切り予定

6月10日(日) / 「売ってしまった」男  (^o^) まあまあ
 先週半ば、NYのサザビィズ主催で行われたスポーツモノのオークションが行われた。
 そこそこに盛況だったようだ。

 仮に同じ品を売りに出してもここの顧客は堅く、何割か高めで落ちるので【他で買って、サザビィズで売る】という商法がちゃっかり成立してしまうほどだ(云いたくはなかったが)。

 一般に若い人が主流の中にあって、高齢の富裕層向けの品々が多く取引されるのも、オークションにかける前の鑑定が厳しく、買う側へのセキュリティという安心感に向けてご祝儀を払っている、そのぶん高てもしょうがないっか…という納得の仕方もある。

 だが、鑑定士というものには得意不得意の分野がつきもので、バットはバット、ボールはボール、クラシックな野球に造詣が深いのに「近代野球」にはからっきし、というバラつきについて、総てが万全というわけではない。

 したがって公平に書き残しておくならばこの世界一のサ社にしても、ボク程度の者でも
 『コレはこうしたもの。こうではない』とツッコめる鑑定の甘さに関するエピソードは幾つもあった。

 だから仮にあなたがオークションでセールスを委託する場合、自分の蒐集歴と造詣に自身があるならば、忌憚なくセールスポイントや、「なぜレア物と呼べるのか」、「最も高値をつけそうな蒐集家をプロファイリング」までしてみせてやるべきだ。

 じっさい、そうでもしないと(?)嫁に出すわが子をせっかく買ってもらうというのに、オークションカタログに『活きた形容詞』が並ばないことを覚悟しなければならず。
 せっかく買ってくれそうな理解者にも気付かずに、値を付ける機会さえ失いかねない。
 そして品は安値で右から左へさばかれ、あなたは夢想していた一攫千金がホントに夢と消えてなくなるのである。

 今は多くの毒者諸兄もヤフオクで愛蔵品を売る機会があるだろうが、ボクが『ヤフオクを斬る(HPリンク参照)』で書いたように、テレずに歯の浮くような言葉でもいいから、
 『いかにこの品に惚れてこれが欲しくて手に入れたか、それを手放すのもいかに哀しい事なのか』を一生懸命文章で表現すべきなのである。

 わずかな金額の品とはいえ、ウチがストックしてある品をヤフオクにかける際には、それこそ細心の注意を払うものだ。

 ともあれ、そうしたサザビィズ今回のセールスの中でのハイライトは、我が国の『藤田財閥』に所有されていた『サイン物』の数々であった。

 藤田財閥といえば、藤田観光グループ傘下のホテル(や敷地)/南海電鉄/関西電力/毎日新聞社などを所有し、創立した関西の伝統的大財閥。
 カタログによればその末裔(ミツヒコ氏=孫)が、創業主の藤田伝三郎男爵とともに、戦前の野球見物を楽しみ、六大学野球、ベーブルースやゲーリッグなどの1934年に来日した追っかけをやった縁で大量のボールやら記念写真、これらにルースらのサインをまんまと戴いており、それがさすがは男爵家。

 これらが一族の間では、ちっとも珍しくなかったらしく、誰もハナも引っかけなかった(笑)ため、おかげでどれも状態が素晴らしく良いため、これをそうした「コンディションの違いが解るNYという市場」で突然公開され、このような形式で処分されるようになった。


 そのうち、
 @鑑定士評価サイン10点満点で『8』の筆跡状態のベーブルースサインボールが57000ドルで落ち、

 Aルース。ゲーリッグ。コニーマックなどオールUSAの寄書き14名、紛れ込んでいたスパイのバーグは日英両語二通りサインがしてあるものは、それより安く(そういうものなのだ)52800ドル

 B28枚の来日中各試合での来日メンバーのスナップショットに、それぞれシングルサインが入れられた貴重なもの。これだけしっかりと全員を網羅したサイン入り写真は今までになかった。
 ここでもいつになく、バーグが食い込んでおり、さすがに藤田男爵に取り入って諜報活動に利用しようとしたのだろう。これがセットで27000ドル

 Cそれに対して、ルース、ゲーリッグ、Jフォックス3名の打席でのスナップ(男爵の孫が写真巧いの、これが)に各人のシングルサイン、3枚で21700ドル。

 Bに比べたら、Cは『リセールしやすいから』なのだろうが、「Bのような歴史的発見物」と100万弱しか変わらないのは残念だ。、もっとも『Bは「考古学的」にすぎる』と言われたら一言もないが。

 ともあれ、ボクが注目したのは男爵の孫、ミツヒコ氏が幼い頃から野球見物に同行するうち、「病いこうもう」となり、球場やその立ち入り禁止エリアを顔パスで出入りするといった機動力を発揮。

 撮影した写真を昭和9年だというのに、徹夜で現像・紙焼きして、翌日彼らの元に持ち込み、サインをせしめてきたと、このFUJITAコレクションについての説明には舌を巻いた(よく居るんだこういう金持ちのイヤなガキが 笑)。

 このミツヒコさんの活躍というか、人並みはずれた出しゃばりによって(笑)、結果的に日米両国野球界にとってなくてはならない市民レベルでの交流記録がスナップ写真、また多くの筆跡(よくぞ集めたり)によって物語られる事となった。

 これら出展にあたっての文章の片隅から読み取れた事実(?)があった。
 これらミツヒコさんゲットしてきた品々は、「その息子」によって、これらの説明文が構成されたそうだから、きっと、彼はこれらを売り飛ばしてしまったわけだ。

 コラコラ、そんなことするかなあ〜。
 さらに、アメリカに売り飛ばされてしまったこれらアイテムの中には、
 1920〜1930当時の早稲田/慶応をはじめとする6大学野球の主力選手らのサイン入り写真、同ボールなどが多数あって、ボクもこのセールスが始まる前にカタログを眺めた時、

 『こりゃあ、戦前アマ大学のものは買い叩かれるな』と読んだがその通り。
 この歴史的資料は買い叩かれ、ここから先「散逸」を続けてしまうのである。

 この藤田財閥の末裔(ミツヒコの息子)を呪うのは簡単だ。
 ミツヒコさんとは人間的に、そうした「温性」に違いがあるのだろう。
 それに一概に責められないのは『野球なんかに興味はない』と逃げれば済む事だ。

 ルースやゲーリッグなどの品なら今後もまだ買える。
 だけど、あの昭和10年あたりに大学生なんて(澤村栄治は高校生だった)、その光った瞬間、数年間のメモリーを記録して、中国大陸や南方戦地に出征し、命を落としている若者もその中には少なからず含まれているはずではないのか。

 その大学生の写真つづり(360枚も納められていたりする!)の1冊など、20万円そこそこで落ちたらしい。
 ボールのセット(仲間とのかけがえのない寄せ書きなど多数)も、ほとんどそうした捨て値で”めでたく”落札して、このセレブな末裔サマはまんまと先祖からの「お宝の換金」に成功したようだ。

 仮にこれらが、野球体育博物館や、ひいては遺族の手にスナップ一葉・ボール一個、(しかも筆跡まで入っているのである!)戻ってき(て出現し)たらどれだけ意義があることだろう。

 『藤田さん、ありがとう』、『さすがはフジタグループ』と、そうした感謝の声や心が多くの人々から寄せられたにかたくない。
 
 これが椿山荘、フォーシーズンズホテル東京など、信じられないほどの「伝次郎男爵から譲り受けた美田という『不労所得』」を食むばかりの人生のお方がなさる所業なのか。

 このバカ息子がNYくんだりで、欲の皮突っ張ったあげく、『あのFUJITAがこうした文化財を売るなんてよほど困窮しているんだな』と、ハゲタカ外資投資家諸氏のウの目タカの目に引っかからないとでも思ったか。
 連中にかかったらすぐにこうした”恥ずかしいウワサ”はすぐ知れ渡ろうというもの。(こっちのハゲタカにはもうひっかかってたりして 笑)
 「藤田観光」株式の公開買い付けって」案外近いかもよ、いや冗談じゃなく。

 まさか、こうして『藤田財閥』の財産処理(あれ?これって「相続」ですか?「生前分与」なの?)、痛いでしょうなあこうした意地悪って(笑)。

 いまボクは暗い場所でキーを打っているけど、どんどん背中から自然とキーを叩くよう圧力を感じるのも、こりゃあきっと「英霊」が来ているのかなあ?。

 あまり腹が立ったので、落札成立してせしめたフジタ君のここで決算報告をして差し上げよう。
 なんと「40ロットを占める出展」、36ロットで商談成立(ボールなど100点あまり、写真など計1100枚)手数料抜きで「349000ドル」がハンマープライス。

 これが清算お願いすると、大山鳴動して恥までブッこいて、手取りとなれば何のことはない、なあんだ3000万円じゃないか。

 ボクは貧乏人だが、はっきり申し上げよう。

 『そこまでしてカネが欲しいのか?』

 下写真:同カタログの1ページ。今回処分されたFUJITAコレクションである。ミツヒコ氏に(合掌)

6月7日(木)  仏頂ヅラもニッコリエクボの浅ましさ  (^o^) まあまあ
 丸山珠代とかいうテレ朝のアナウンサーはバカだと思う。
 (名前の真偽など応援弁士がそう紹介していたのでそうなのだろう。)

 ああもテレ朝の画面内で「仏頂面している」ので名を売ってきたようなタマが、突然豹変、久しぶりに現われたと思ったら、見たこともないようなニッコニコ顔であったなら、余人をして疑ってかかられるだろう…といった、世間一般の常識というものが彼女にはないようだ。

 おそらく、「金を貸してくれ」、とか「あいさつなどは二の次だ、あなたの選挙区の公明党議員に票を入れろ」「手形が不渡りになった」「息子さんを死なしちゃった」…、たいがいこの4つのうちのひとつだろうから始末が悪い。

 針すなおさんとか山藤章二さん、わがやくみつるといった「現世での似顔芸術家」がこの勘違いオンナを似顔にしたら、当然、「目を鈍角に吊り上げ、唇の両端を下方に下げて」…と、この3大巨匠は、そろって描くことになるだろう。
 『誰にでもできて人気者になれる「似顔絵通信講座」』も同様であるはずだ。

 ところがどうだろう、テレ朝で退社届を出して”ケジメを付け(?)”タクシーでいきなり首相官邸に乗り付けたカノジョ。

 これを手回し良く、(自民党広報の仕切り?)なぜかご到着からズラリ待ち構えていた官邸記者会の面々、彼らが目にしたのは丸山ではなかった(公選法に違反するため、正式名は書きにくい)。

 タクシーから降りたのは、喜色満面。
 『目じりは下がり、口元はキュッと上げて』、この時ばかりは今までの奉職時代の本番前にはした事などなかったであろう、カガミの前でエクボを作る練習によって(?)、作られた顔のアナなどまで視聴者も見届けてしまうことになった(げぇ〜)。

 これは驚いた、こうなってしまうと上記3大巨匠はじめ、警視庁で人相書きナンバーワン…なんてお方まで困り抜くことだろう。『愛想のいい丸顔珠代』なのだから、そらあない掟破りなのである、通信講座でも朱塗りされて返送してくることだろう(笑)。

 ともあれ世の若き男たちよ、良く観察しておきたまえ、この人物の「使用前・使用後」を。

 あれだけ放送で、別にブッス〜としていなくても良さそうなものをわざわざつまらなさそうに司会をしていたタマ。
 一時期などある同局の番組で、アレを「笑わせたらナンボ」といった企画のコーナーまで成立させるほどのブッスウ〜面である。
 (アメリカではこうした表情を「SourFace」サワーフェイスという、一級の悪口で陰口を叩くものだ)

 それが諸君、女は目的のためには「1億人余りに既定の事実となった」酸っぱいツラを一転、ああして空疎な笑顔まで作って目的を遂げようとするものなのだ。

 あれほど露骨に『笑ったんだから、ナンか頂戴よ』とやってしまっては、世の女性群からも『ちょっとそこまで露骨にモノ欲しがらないで』と、女の武器についての使い方をバラされてしまったとなると、同性からも広く軽蔑と浅ましさを嗤われることになる事のを、この世間知らずはご存知ないのであろう。

 これを国語的には『物欲しそう』といい、『浅はか(はかり事への思慮が浅くミエミエ)』だと表現する。
 早い話、つまり、バカだといいたいのである(笑)。

 このサワーフェイス嬢。安倍さんが党内の反対意見まとめられず、折角辞表叩きつけ(笑)その足でのお出まし賜りながら、その日の『公認証書発行』お披露目までにはこぎつけられなかったのはいい気味だったが(夕刊やイブニングニュースで「出馬表明・公認」とやれなかった、バンザ〜イ)。

 記者会も、「ま、なんか訊いておくか」ていどで、差し出したマイクに向かいこうバカぶりを発揮してみせる。

 『ワタシは母子家庭でした。ですが、母は医師だったため、こうしてここまでやってまいる事ができて私は幸せでした(ほぼ原文)』とほざいた。

 あきれた事に、構成作家の台本をヌキに、東大卒が社会に出てしゃべった第一声というものが、いきなりこのテイタラクでは言葉もない。

 それじゃなにかい?
 『母子家庭はみんな憐れで、”こうして(=「東大入学・テレ朝入社・同”一身上都合退社”・自民公認」)”恵まれた身分になるのが困難だ』としか聞えない。

 主語は母子家庭、イコール幸せと遠いってワケか?

 母子家庭の子と、自分を既定して、
 「ですが」という接続詞を境に、『でも幸せです』と人前で話したりしたら、あなた失礼に当たる発言になるよ、と母校の「東大じゃ教えなかった」らしい?

 考えてみたらボクがどうやら、そこに該当する「母子家庭」だった事にいま気がついた(笑)。
 なあんだ、オレは不幸なんじゃん。

 それにしてもこの程度の配慮のない者がまた一人政治家に加わろうなんて、こいつら自爆テロ自動車爆弾一回分かなんか輸入してふっ飛ばしたいなあ。
 アレってすごいのね、軍艦の「副砲クラス」で艦砲射撃やる砲弾を、10個以上並列配線にしてやるのな。
 たまんないだろ、フツー(笑)。

 ともあれ、気遣いと言うか立場異なる他への尊重とか、それくらいの「皮膚の弱そうな部分へのケア」がまったくない神経ってなに?
 こんな、テメエの「現在形」ほうがよっぽど不幸だろうとボクは思う。

 あちこちで、応援弁士がワザとなのか、杉並だの渋谷だのの該当にでるたび、『さあ、丸腰タバ代さんです』『丸蚊タガメさん待ってました』とか、『自民党の丸川三蔵さんどうぞ〜』とかやってるらしい(そこまでは間違ってないようだが)。

 それにしても同じように面の皮が厚いといったら、あの東条英機の孫娘ババア、東冗幽子(これなら1票に認められまいて)なんかいい度胸である。

 あの嘘つきババアには驚いた。
 昔、(遺族なんだからこの家には知らせがあって当然、共犯なんだろうが)A級爺さんを秘かに潜り込ませた時分には
 『一緒に戦争に行って(行った?って何処へ)、闘って亡くなられた多くの兵隊さんとともに祀っていただくことができて、(ヒデキ感激だ)本望だと思います。』(後方カッコ内=ウソ)。

 それが一昨年あたりはこうマイクに応えている
 『だけど、あの東条までが合祀されている、それでワタシなんかが「東条の孫」だと靖国神社などで判ったら遺族のみなさんに殴られちゃうんじゃないでしょうか』
 こうシオらしい言葉も吐いていたものだった。

 これが、昨年・今年と、昭和天皇のナマのご感想(侍従の富田メモなど)が相次いで世に出ることとなって、『偏向靖国神主』さらに『強行合祀A戦犯』らの存在が、しっかりと国民前でウソがばれ、歴史的には『天皇陛下のご意思にそむく逆賊』とされたばかりなのではなかったのか?
 
 それを案じた自民党のハト派などからも「靖国からの分祀」を使者まで送られて懇願されながら拒否し、メディアからのコメント求められれば
 『分祀は絶対に許せない。戦争は東条が命令して勝手にやらせたものではないから。』と反論して最強硬派気取る。

 あのさ、バアさん。
 『天皇陛下のご命令』と云って、それを兵士らに命じてきたのはどなたなのか?
 『上の者からの強制=絶対服従、という図式があった以上、そうした下級兵士を祀っていた場所に「させた側」の上の者たちがあとから潜り込む』なんてそもそもひどい場違いなのではないか、こう異議をとなえているのである。
 そうした疑問を持つボクら国民には「右も左」の立場も必要ない。

 爺さんが死んだからと、その孫までがまるで既得権でも主張するかのように、天皇陛下のご意思をさえ軽んじた上で居直り(参議院選に出馬)増長する身のホド知らずがまさにこのババアである。

 あの神社はそもそも、「天皇家のための戦いで散った兵士」を祀る神社だったものが、このA級戦犯強行合祀によってきわめて政治的な『東条神社』へと色を塗り替えてしまったため、「政治色を嫌って」天皇家は昭和天皇以来、あそことは縁が絶たれてしまっているわけだ。
 
 あれだけいた天皇ファンはどこへ行ったのだろう、今こそこうした政治利用をなくして、ペイントを剥がし宗教的に白く戻すべきではないのか。

 この幽子の立候補は新たな『報国思想』でもデッチ上げる前ぶれだろう。
 こいつ、一体いつから反天皇の活動家になっていたのだろうか。
 
 『背後で霊が言ってるわよ』と、美輪明宏が人をビビらせたとして、何かマズいことになった際、
 『アタシじゃないわよ、この人の霊が云っているのよ、ああた、見えなくって?』と司会者に逆ギレしているようなものだけど(笑)。

 ついでだからこのバケモノ霊能者も嗤っておこう。 
 『ああた、背後で霊が云ってるわよ「左前方に右折バイクあり」って』

 なんかあの美輪高級車バイク踏み逃げ事件(笑)もおかしい。
 『未だ若い子だから、許してやったのよ。』

 そういうけど、並列して右折しながらの事故。
 バイクが受けたのはケツの部分を、美輪自動車前部左側にドンとやられた角度である。

 どうしても『後続車は、前方を走行する車輌』を引っ掛けたらいけないだろう。
 せめて並行して、(内・外側の)バイクを巻き込んだなら話は別だが。
 こんなの文句云ってんじゃねぇよ。
 
 だから、「事故不通知」をなじられ、あらためて警察沙汰になってみたら、やっぱり美輪さん側が重ねて示談金払った…「事実」と見据えれば、どちらに非があったかは一般世間にかかればお見通しだろう。
 なのに霊にかかったら判らないらしい(笑)。

 あのね、ああた見苦しいわよ。きちんと霊の話を聞いてなけりゃダメよ霊能者なんだから(笑)。

 ともあれ、単に東条爺さんの死をあくまでも利用して、靖国・合祀ネタで票を稼ごうというNPO(笑)な幽子候補。

 いつから心情的な問題から、政治的問題さらには対東南アジア問題にまで変質し発展し、それでまだ迷惑をかけご利益までせしめよう…と画策するほどに、図々しく問題をすり替えてきたカノジョの背景にどんな政党がいるのやら(民主党が熱心だったようだが)。 

 いずれにせよ、NPO幽子だの丸革だの、選挙が終わった途端に、いつものカオに早期転換するのだろうが、まったく浅はかな連中ではある。

 おい、いくら3大巨匠が似顔絵描いても、読者から『似てない』ってクレーム来て困ってるらしいぞ。 

6月4日(月)  『2001 CB』は要らんかえ?  (^o^) まあまあ
 『あ、マエノさん?XXXXのSですけど、ご無沙汰してます、元気ですか?』
 やり手の週刊誌記者からだった、妙齢?の女性である。

 「どうしたい?」
 
 『あのマエノさんとこって、「ニセの100ドル札」ってありますか?』

 あったら「朝民(ウチじゃあ北朝鮮のことを指す)の、マカオ銀行での経済封鎖のことやろうと思って」

 いくらボクの人相・風体が国家公務員のようだからと云って、そんなものがあるわけねぇだろって、この電話が昨年の「ベストあほ依頼ネタ大賞」に輝いた作品だった(笑)。
 オレは「金 マサオか!」(笑)

 ところが今年になってから、ラスヴェガスに渡ってみたら様相は一変している事に気が付いた。

 朝民はアメリカに対して、一種の(経済的)戦争を仕掛けているようなものだった。
 覚せい剤を売り、ミサイルをセールスし、さらにはこうして『ニセ100ドル札』を大量にバラ撒いているのである。
 今でも国によっては、『通貨偽造犯は死刑』とあっさり言い渡す国も少なくない。

 そりゃそうだ、通貨は国の根幹そのもの。それの価値に疑いを差し挟むような工作など、それは単に喰うに困った乞食どものやることではなく、明確に「その行為の先に国家転覆を夢見る」者のすることである。

 お手持ちの財布や引き出しの中にある「100ドル」札を出して頂こう。
 (欄外写真3葉参照)

 まず札の左側、小さく黒インクで「発行年」が入っている。
 『2001』と入っているだろう。
 多くの「2001」はセーフである。100ドルの価値がある。

 だが、札の右側の紙幣番号に大注目だ。
 『CB282349…』となっているのがご高覧いただけるだろうか。

 3つのファクター。
 「100ドル」の札、「2001」年製、「CB」で始まる紙幣番号。
 まさしくこの3つのキーワードだけで充分である。

 これが世界各国が注目し、ボクらもなんだかピンとは来ないけれど一緒に非難の輪に加わっていた
 『朝民製、ニセ100ドル札』なのである。

 すでに米国から金融庁に手配が回っているから、あなたのソレは日本国内、いや外国の銀行も『100ドルの価値とは認めてくれない』のである、ご愁傷様。

 かつて耳にしたのは日本赤軍の田中義三が関わっていたとされる、タイで彼の机から押収された「スーパーK」12万ドル分。
 ボクはこれだけの枚数の札束に、「たった一枚にしか指紋」が附着していなかったとの、タイに於ける米主導型の裁判があったのは10年も前。

 したがって、この当時の紙幣発行年も当然「1996」版などであったのだろうが、彼らグループの摘発の段階から、アメリカ財務省シークレットサーヴィスなどが何故か直接関与していたため、「謀略のタグイ」なのかなと気にも留めていなかった。

 しかし、これが今ではどうやら、アメリカでも流入阻止はできなくなって久しいのだと聞いた。
 だから、アメリカへの旅行者が『日常から流通しているこのスーパーK』に接して、釣り銭やギャンブル場でやり取りするうち、手にしてしまうのである。

 そしてそれが、あなたの手の中にまで入ってきているというわけだ。
 『驚くほどの数の枚数が日本にも流入しています。』
 『海外旅行で持ち帰るドルの中になぜか多く含まれています。』

 日本の銀行では未だ、換金ルートは多様でないため水際で阻止できているものの、いざ手にしてしまったらまるで損。紙くずを有り難そうに持っているだけだった自分に気付きがく然とする(でしょう)というワケ。

 かつてはアメリカの関係当局もこの「スーパーKたち」に細心の注意を払ってはいたものの、もう水際作戦から撤退し、あらたな経済浸蝕を警戒するまでポリースラインは下げられてしまったのだそうだ。

 たしかに、ボクがこの時にアメリカ国内に滞在したのはわずかに「30時間」程度にすぎない。
 そして真っ直ぐ帰国しているのだから、接する100ドルなんてタカが知れているではないか、ソレがそこに割り込んでくるのだから、いかに流通量に紛れ込む「スーパーK」の率が高いか、想像がつくだろう。

 「2001年製 CB」をお持ちの皆さん、お気の毒ですがそれを何枚かまとまって持ち込んだらかなり危ないかも。夏のバケイションも入国した途端に拘束なんて事もあり得ます。

 問題なのはこうした「すぐそこにある危機」を、銀行幹部だけでなく我々にも警鐘を鳴らして欲しい、情報を一般化することでないでしょうか。

 いつまでも拉致だ、被害者だと、訴えるのは「別の側からの一つのアプローチ」であって、このような身近な財産の簒奪(さんだつ)も起きているのです。

 現実的には、そっとアメリカに持ち込んで銀行で金を替えたりせず、フツーに使ってしまうことなのだ。
 もうアメリカの役所も『今さら市民社会に呼びかけても遅い』と、古札になって引き揚げてくるのを待って廃棄処分と、通常紙幣の「始末方法」に組み入れているらしい。

 そこまでの朝民が支配してきた経済侵略の方も、メディアにあっては取り上げるべきなのでは?

 下写真:恐ろしい事に、こうした偽ドルを持ち込まれても、このレベルを見分ける「鑑定機」は大きな支店や本店にしかないそうだ。だから、本物もあるというのに、『2001 CB』の100ドル札ならすべからく、お断りとの措置が、今日本全国の金融機関やホテルフロントで取られている。

 

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