【2007年3月】

3月29日(木)  『お前んちは ダムか』!?  (^o^) まあまあ
 城山三郎さんが亡くなった。
 経済・経営学の方面という作品が多いため、ボクにはあまり氏の書についての縁はなかったけれど、社会的な問題や評論などでは出色の正義感あふれる文章で終始一貫うったえかけてこられ、その気骨のあり方に「物書きとはかくあるべき」と、ずっと陰ながら尊敬申し上げてきた。

 あれだけ厳しく、表裏使い分けてズルく生きる輩どもを片っ端から叱り飛ばしてきた氏。
 あの「佐高信」さんがかねてより師と仰ぐほどの硬骨漢ということからも、無条件で「今のこの世から無くなっては困るお方」のひとりであった。

 それにひきかえ、本来経済雑誌の原稿料などスズメの涙…と、相場が決まっていながら、バカに羽振りの良さそうな「経済評論家」なる悪徳経営者ベッタリの提灯もちばかりが百鬼夜行するなか、城山さんは穏やかさを保ちつつ背筋をいつでもピンとさせて、これぞ紳士の威厳崩さず、事あるごとに財界の悪玉やら大立者を相手に、つねに先頭で指弾してきたこの老経済ジャーナリストはつねにそれらの対極としてあった。

 それだけに、世に響き渡る舌鋒の鋭さに、この世には稀な痛快きわまりない響きがあった。

 心からその死を悼みたい。

 あの小泉政権末期、《「個人情報保護法」法案》提出前夜、小泉さんにこの城山さんがペンクラブなどを代表する形で直談判に行った。

 「あなただから云うが、こうしたものは必ず国民の首を絞めることになる思想統制のための法律だ」と、じしんの味わった戦争中のファシズムの横行、治安維持法下の言論暗黒時代に例をひいて、小泉氏に見直しをせまった。

 すると
 『そんな法律になどするわけは無いじゃないですか。それはありえない』
 そう、小泉氏は一笑に付してからまだ3年あまり。

 果たしてそれは小泉さんの約束したとおりだっただろうか。
 つい最近「行った約束事」を守ったかどうかで、その相手が信用に足りるかどうか…をボクらは判断する。

 保育園のガキだって同じである。
 「だってユウキくん、昨日ウソついたからや〜〜だよ」子供の世界だってコレモンである。

 この法案には新聞・出版・放送と、マスコミがこぞって(形ばかり?)反対し、公明党も賛成に回り「与党多数」でむりやり可決したこの法案(讀賣と産経は賛成?だったような)。

 「住基ネット」にしても、漏えいするぜい弱なセキュリティなんだぞ。
 そういって実際に長野の当時田中康夫知事が先頭に立ち
 『官製コンピューター管理術』なるものの薄っぺら具合、また馬鹿馬鹿しさをそのファイアウォールを破って証明してみせることで実証してみせた、それもまた忘れられている抗議行動だった。

 城山さんや田中さんの警告につき、それを単なる杞憂とか、パフォーマンスでしょと切り捨てて進んできてしまったお利口さんたちのツケが、破綻して今日しっかり我々の前に突きつけられているのではないか。

 いや、それは「破綻」などではなく、おそらく政府官界の側としたら《まんまと》ここまで逃げ切ったわけなのだろう。はっきり国民の側はそうした秘匿の権利を奪われ、「力のある側からのウィルス」からは無防備となることを許してしまったということだ。

 「ついこないだ」の出来事をこうも簡単に忘れないようにしたい。

 さてわが毒者のまわりではいかがだろうか。
 ボクの最近の悪例をひいてみよう。

 息子の通う公立校の父兄後援会で、ボクは広報委員なる役目を背負っている。
 先日、息子と仲の良い同級生の母上が急逝なされた。

 この法律によって「生徒名簿」なるものは、とっくに全国の保育園から大学まで、すべての学級から取り上げられてしまっている事実などはすでにご案内だろう。

 その名簿が本校の場合も、一部の職員が把握するだけで、今回のような場合にも活用されないのである。

 そのお母さんは金曜の朝に亡くなり、その日のうちに高校3年のそのご子息は気丈にも学校事務局へ電話で報告を済ませた、週末になって誰も学内にいなくなるのを彼は恐れたからである。

 ところがその時点では葬儀の次第が不明だったため、受けた事務員は手のうちようが無く、亡くなった…ああそうですかと、式の日取りなどの「次報が入るのを待つだけだった」という。
 それはそれで、無理もない。

 そして土曜日曜と打つ手がなく、明けて月曜になっても(春休みに入っており)教師が動くことなく「連絡はなし」のまま。
 「遺族からの連絡がない(入れようがない?)」ため、学校関係者不在のまま
 その月曜晩、通夜が営まれてしまう。

 翌火曜朝、ボクがたまりかねて学校に電話をすると、職員はあせって「初めて能動的に」ジタバタし始めたのだろう。
 『すみません、通夜は昨晩終わり、これからの11時から告別式だそうです』事務員は折り返し息せき切って電話してきた。親切心を持っていなくてはならないという法律はないし、親切にしなかったとして処罰される条例もない。
 だから「自発的に悲しみの極にある遺族」をして、周囲に《電話をかけまくり式次第などを報じる義務》がどうやらあるようなのである(父親と息子二人の遺族であれば、葬儀屋が気を利かすべきだっただろう)。

 通夜を終え、これから告別式といった取り込み中の極にある家庭に電話を入れ、
 「お葬式はいつですか」と、電話で尋ねるなんてのもずい分とマヌケきわまる話ではないか。
 時計を見たら「10時過ぎ」である。

 自発的(?)に訊き出した職員は、こう云っていかにも役人の”らしさ”をみせ、ボクを余計に鼻白ませるのであった。
 『行けるようでしたら、マエノさん行ってくれますか。その際香典袋に「XXXX後援会理事長」と名前を入れたものを出しておいてくれますか。立て替えといてください、学校から弔慰金というカタチで出せますからお願いします。後日現金書留でお返ししますから』と、ワイシャツに袖を通しながらの当方の耳にこんなことだけはヌカリはない(苦笑)。

 偶然、その斎場とウチとは私鉄で直接つながっていた幸福のため、式には不義理をせずに済んだ。
 ところが、肝心の生徒たちが《仲間の一大事》を知らないままだから、ひとりも駆けつけてやれなかったわけなのだ(弟の同級生やPTAらは来ていたのに)。

 これは異常な事態ではないのだろうか。

 情報を形式だけ覆い隠すのも良いが、それの取り扱いにおける危機管理がなっていない、この体たらくである。
 帰途には尿房と、駆け付けたかったであろう息子の無念や、葬列での寂しげな同級生の表情を思い浮かべるたび、二人で深いため息をついていた。

 それにしても、いったい学校側の対応は何をしていたというのか。
 どうやらこのケースだと、担任教師に連絡をとっても、今の教師にも「生徒名簿」は渡っていないため、事務局は連絡をいれなかったのではないか。入れても「教師の参列」以外、無駄だからである。

 ボクの広報委員として、この「…保護法」の最大の弊害は、文化祭で催す「部活動へのカンパ」集めである。そのためのバザーへ協力してくれるよう、ボクら委員は電話で各家庭に直電を入れ要請する。

 その際に、学校側から「一クラス分」の生徒の連絡先一覧表が渡される。
 それも、レイレイしく「封筒に入った紙切れ一枚」ぽっち、事務局から下賜される(笑)のだけれども、驚いたことにそんなもの、たかがそんなモノを
 「(電話かけが)終わったら返却してください」なのである。

 これはナンなのだ?真珠湾攻撃の作戦地図か!それともエニグマか?バカバカしい。

 この学校にかぎったことではなく、いまや役所はもちろんのこと、会社だの組合だのを相手にしても、事ほどさように「個人情報」は厳重に管理されている。

 特徴的な事は、ボクら庶民サイドに対してはその法律は厳格に運用されていて、ガッチリとカギがかけられている。
 だけど反対におカミの側からはどうなのかというと、「まったくのザル状態」なのを叱らなくてよいのかということなのである。

 新聞報道待つまでもなく、警察のレイプ事件捜査資料から始まって各企業の顧客名簿から、ボクらが垂涎の「生徒名簿」はもちろんのこと、叙勲者名簿、社員一覧、高額納税者、融資先データ、刑務所の受刑者名簿、JAL職員の人別帳(ブスとかバカとか書いてある面白いモノらしい)、多重債務者データ縦覧…とキリがない。

 これは何も《WINNY》が悪役なのではなく、個人情報データというものの「電子的管理術」について、「…保護法」以前の問題で幼稚である、これにすぎない。

 だからしいて云えば、「…保護法」検討以前に終えておかねばならないのは、「個人情報」をPC内などに「電子的に収納」する、またインターネットが本格化して「ネットをまたいで管理・交換する」といった、PC特有の処理のノウハウを会得しておく事が必須だったのに、それをすっ飛ばして『まずは法制化』してしまった事にあるのだろう(う〜〜んスッキリした)。

 だから、こうした個人情報などは法制化以前に比べ、例えば相場が「1件あたり事前=50円」だったものが「事後=100円」になったりのプレミアがついて、かかる名簿屋などがヤミで購入しているのが現状だった。

 そうこう書いている間に電話、受話器をとれば
 『もしもし「ホームページの作成のご案内」なのですが…』
 「どこからこの電話番号をゲットしてきたんですか?」と訊くと正直にも
 『ジャプテクXXXX(とかなんとか 筆者)のデータから検索したんですが』という。

 両家令嬢の《聖心》だって《学習院》だって、「ない名簿はない」と、そうした電話番号生徒情報を持ち込んでくる裏切り者どももカネ欲しさにさっさと持ち込み、名簿屋のデータは常に最新…なのであるのが良い証拠である。彼ら【個人データ販売業者】は塾・家庭教師の勧誘、墓石屋、ブライダル関連業者、よくぞこんなf連中までがこちとらの情報を持っていやがるのか、連中の『いやに気が利く勧誘』に出会うたび腹が立ってならないのである。。

 《個人情報保護法》のおかげ…はまだある。
 未だ、松岡利勝農水相などが飲んでいると自称する《なんとか還元水》といったものの正体さえ掴めないし、「経歴詐称」ミエミエの疑惑がありながらシレっと本を売りまくっている「元警視庁警視正 北芝健」名乗った者の素性を、警視庁じしんハラ据えかねて(いて庁内では公然となってはいて)も、いざ「正体」を表だってバラすこともできず地団駄踏んでいる(これも一種のサギ商法なのに)。

 だいたい前者松岡など巨悪である。
 こいつは熊本出身の「道路族」として、同時に「同和行政タカリ族」のクソ議員連盟の中で、リーダー鈴木宗男失脚(野中氏引退)の名跡カスメ獲り、その盟主として利権確保に暗躍してきた主役である。

 なかでも同和行政での役割の真骨頂は「ハンナン輸入牛肉補助金搾取事件」で、食肉商社の同和扶助事業者である国内最大手轄纉畜産(グループ総体売上高3000億円)に利益を誘導する目的で、同社が”抱えてもいない米牛肉の在庫”を「焼却処分したのだから、早く国庫から支出して補償してやれ」と、主犯の同和ボス【浅田阪南社長】の申告した《償却済み処分買い上げ牛肉代金》として、50億円余りの血税をまんまとせしめさせた主犯格の男である(全国規模で92億円だった)。

 それを、浅田社長こそ逮捕されたものの、『疑わしい肉は処分しろ』『行政指導にしたがった業者に、おい、ナニをしているんだ早く払ってやれ』、こう時の農林水産省大臣閣下であったこの松岡利勝は火を点ける係りであり、また省幹部を怒鳴りつけこのカネの支払いを急がせたのはこの野郎である。

 「詐欺」、および「補助金適正化法違反」で起訴され、昨年一審では懲役7年を言い渡された浅田社長(控訴中)だが、問題なのは2点、

@その50億4000万円が戻る気配がなさそうな事
@こんなクソ野郎が起訴される事もなく、安倍のバカによって再度「農水相」に返り咲いているという事実

 またまた、便利きわまる『個人情報保護法』の壁に守られ(渦中の石原慎太郎四男も顔も出せないし)多くの巨悪が、のうのうと悪事を積み重ねて文句を云えない構図なんてどのようにぶっ壊すべきなのだろうか。

 あさって『民間だったら土地取得も含めて500億円かかるのに、国有地利用だから安く済む(有田芳生氏に衆議院事務局の回答)』といって、《340億円で建てることが、たった3分の国会承認で決まった》新議員宿舎の入居が始まるけれども、これを無神経に使う事のできる与野党議員の名前だって、「…保護法」によって隠蔽したまま押し通せることだろう。

 でなかったら、《警備上の問題で》と警察の都合のように偽装して入居議員の公表を避けたがるであろう。

 時節柄、いっそここを「東京の新名所」として、はとバスやらグレイラインやらが停車してクソ議員どもの出入りを見物できるようにしたらいい。

 ワイドショウやら、写真誌の諸兄にあたっては、どうか、前入居者の顔写真入り名簿を参院選先がけて作成し、公表をしていただきたいと切に願う。

 それにしても、松岡の野郎の事務所、《5年で2880万円の光熱費》?
 タカ&トシりゅうよろしく、最後に云わせて貰いたい、野郎の後頭部をパカンと叩きながら……

 『お前んちは ダムか』!?

3月8日(木)  あるはずのないカード  (^o^) まあまあ
 実は下記に詳しい「あるカード」を昨年久々にヤフオクで売ってみた。

 ボクは幾人かの選手らと、彼らを「欲しがっている品物」によって励ましたり、「尊敬している選手の品」を持ってもらう事でモチベイションをそれによって上げたりして、彼らの持つ多くのファンのためにもなる事を行っている。

 大体そうした場合には、「ボクのもので済まないんですがこれでも…」と、結局はそれら選手とは「交換」になる事がほとんどだ。
 そうして手元にやって来たものはだいたい、大事にしまってあるのだけれど、縁が薄れたり、代理人などがハバ利かし『人間としての付き合いができなくなったムキ』の品などは手放す事がある。

 だけど、そこではヘタをすればひと様から
 『立場利用ではないか』と悪口を云われかねないので、自分で値段を付けて売るような事だけは避けるようにしている。
 そこで、ヤフオクの出番である。

 全く便利なものである。
 ここ(Topページ所蔵)での『前野重雄のヤフオクを斬る』ではないが、6年前に予言したとおり『ネットオークションが世界で一番大きな市場規模を持ったマーケットとなるはず』のソレとなった。
 いまやヤフオクJAPANだけでも、「個人から個人の財布」に、年間約1兆円のカネが移動するにまでなった。
 これを扱った番組がない、今の方がよっぽど将来笑い話になるだろう。
 長くなったが、ここでそうした品を出して、一般の方々が付けた値段というものに総て全体重ゆだねてお売りしている。
 実際に、サイフから出したお金の金額、それが一番正しいのである。

 ともあれ、そのヤフオクで譲った【イチロー個人手渡し用途カード】を東海地方の方へ送ったところ、早速メールが入った。
 いわく
 『じつは、別の方からこれと同じカードを買ったのだが、どうやら前野サンからの一枚が届いて照合してみると、もう一枚はニセモノだったようだ』というところから、ボク特有の「おいおい、ちょっと待て」が始まった。

 このカードは下記にも詳しいように、非常に流れた窓口は狭く、その《ニセモノ作り》に使われたオリジナルはおそらくボクのところから発したものと思われるため、他人事では済まされない。

 どうにかして、《ニセモノを作り、信じた人々から金をしぼり盗っている野郎》をつぶさねばならない。
 では対策は…、というのが以下に書いてあるのでご一読願いたい。

 で、現在もヤフオク上でお譲りしているのだが、問題なのは《一般による鑑定価格》が妥当なのかどうかである。こうしてしっかりと《カード的セキュリティ》を掛ける事を、これだけ多くの方々が高値を惜しまずに待望なさっていたのかと思うとフクザツな気がする。

 *そのカードセールスロットへの本文説明抜粋*

 米PSA社との連携作業で手持ちのこの中での主力を占めました「評価8=(ニアミントもしくはミントに相当という意味の)NM−MT8」をご提供して参ります。
 評価[7]は完売終了しましたので、今後このカードはすべて、「8」および「9」のご案内となります。
 ご理解の深いこのジャンルの愛好者の皆様に向け今回も放出させて頂きます。

【これは・・・、と思ったものが出るまで出品しないモットー】の、小社=(有)流体力学代表、前野 重雄個人コレクションの蔵出しです。

じつは、このかんお譲りしたビダー様から、このカードのニセが出回っているとの情報提供がありました。

実寸と違うサイズ、さらに高性能のプリンターでの偽造とみられ、表面のインクや紙厚など・・・幾つもの特徴があります。

そこで私は米国のPSA社にコンタクトを取り『これが本物、これが手持ち総て』と手持ち総てを提出しニセモノを確実に締め出すため、正しいデータ提供に協力。彼らも「UD」社と連携を取り理論武装を日米共同で固める機会となりました。

あれだけのカード鑑定機関でも「これが初めて」と歓迎してくれたものの(だからグレードが甘かった 笑?でも暗室保管箱入りにもかかわらず「やはり幻の『10』はゼロ」というのは権威なのか)。

そうした徹底的なチェックを終え、一枚一枚おなじみの開封不可能なケース内へ厳重に封入され、小社に戻って参りました。

これで今後はP社に(ロンダリングを狙って)グレイディングへと不正に提出されてきても、これからは「ニセモノ」とあっさり烙印が押されるだけです。

それは当方から手渡されたものを参考にして?偽者が作られた?との疑義がある以上、「ニセモノ締め出し」にも責任を追った形で、せめてこうした形で全うしようとした方策です。
どうか皆様におかれましても、ニセモノあぶり出しのため、今回のこうした「新情報」をマニア仲間の間に広めて頂けませんでしょうか。


このカード入手に至った経緯です……そもそも私がこれを頂戴したのは95年の春シーズン前のこと。
ブルーウェーヴ選手寮青濤館2Fにあったイチローさんの部屋にお邪魔した際。

たしか、私イチローアイテムとの「交換要員」として【ジョーダン《初期エアジョーダン1商品》ナイキTVCMで実使用された氏の衣装!!!】を持参し、イチロー君の品々と「複数トレード」をしたものでした。

このカードは販売用のものではなく、ほんの数ヶ月前の94年秋日本で初の「NBA公式戦」が開かれた際、「話題の人」イチローが観戦がてら始球式をつとめ、そのお礼に同シリーズ協賛のUD社が急遽簡易スタジオをしつらえて撮影。
後日【MEDIA EVENTcard】を作成し「個人用」として呈上したもの。

通例ではこうした場合、同社は200枚を呈上するものだそうです(byPSA社)。それだけでも少ない数です。
それをなんとイチロー君は「カッコ悪いでしょ」と笑いながら、「だからほとんど使わないで捨てちゃったんです」

そして余っている「箱入りの50枚」ほどを指差し「みんな捨てちゃおうと思って」というのを、《それはもったいないでしょう》と当方。

「じゃあ良かったら、みんな持ってってください」と云われてトレード要員のひとつとして持ち帰りました。
たしかにセオリーでは【野球のイチローが、私服で、バスケットボール・・・】では当方も、『(存在価値といったら、”余興”程度にとどまるだろうなぁ)』などとタカをくくっていたのがホンネでした。
やはり「野球は野球ボール」「HOOPプレイヤーならバスケット球」であってこそでした…から、その当時は(笑)

それくらいでしたから、95季にまた打ち始めても更なる価値を『このカードに限っては』認める要素もなく、あの頃、周囲やグリーンスタジアムの子供らにバラ撒いたものです(笑)。

で、「残り20枚くらい」と枚数が少なくなってから《やっぱ、大事にしておかなきゃいけないな》と思い直し(笑)、「メジャー移籍2年目」2003頃まで保管していましたが、想像以上に流通している数総体が少ないらしい事をあらためて痛感。
皆さん差し上げたものを大事にしてくれているようです(涙)。
ちなみに、今般Wグリツキーが持っていたとはいえ、あのホナス・ワグナーのカードが現存数「60枚で『2億7千万円』」でこのほど米で落札されました。
いくら彼ワグナーが「禁煙家」で「タバコへのおまけカードを拒否して稀有」となったカード…とはいえ、だったら彼の野球での成績などイチローと比すれば見るべきものではありません。
その点でイチローはどうでしょうか。「長打」を除き【すべての打撃記録について彼はほとんど塗り替えて】しまっているのをご存知ですか?

頭上に残るは「ピートローズだけ」なのです。こうした同胞の図抜けた天才ぶりには気付くべきです。
何が言いたいのか…、そうですこのカードがごくわずかであり、イチローを題材にしようにもこのデヴュー直後1995初頭製造といったアドヴァンテイジは覆せません。

その「19歳のイチロー」が小社に94年やってきてから今まで、彼の実力をずっと信じてきました。
彼に「アメリカでの帝王学」というものを実感してもらうため、万難を排し有名なエピソードとなった「マイケルジョーダンとの面会」までセットアップさせて貰った頃が今は懐かしい思い出です。

この当時の初心を彼は今も忘れないまま、《50歳の引退まで、毎年200本》という壮大な夢を”夢で終わらせず”、メジャーの歴史に【本当の#1】として刻み付けることと信じています。(いい事云うなあ〜 ジ〜〜ン)

このカードの「真の価値」はその時にこそはじめて発揮されるはずと私は思うのです。
(有)流体力学・旭堂 代表 前野 重雄*************なお、『保証書つき』と特定しましたが、これは(中写真の)「#59」下の数字「8」が、このPSA社による鑑定となる保証として捉えてください。
ちょっとこの評価「8」は厳しすぎるような…。どうにもマイナス要因が判りません。
「画面の小道具」ケース入りカード本体のセールスロットです。

追伸:
『今後も当「8」「9」グレードのカードの放出』は続けて参ります。

ですから「ご入札」の際には、どうか熱くなりすぎませんように、とディスクロージャーをしておきます。

フェアプレーだなあ(ククッ… 涙)


3月1日(木)  前野重雄の「すべった話」  (^o^) まあまあ
 ひゃ〜、あぶないところだった。
 『売れた』ということは本来喜ぶべきことなんだけど、これが『あ〜〜、売れなくて良かった』と冷や汗全身から吹き出てしまいました。
 もっとも「売れたら」損はしないだろうけど、もっと大きな金額を頂戴できるものをめっちゃ安すぎる鑑定価格を下したために危うく売れてしまうところだった…という顛末記。 

 それが、当サイト内ショップエリアの「前野逸品館」。
 この新設ジャンルは、だいたいが今までボクが個人的に蒐集してきた品物で、今までこの社会でもあまり販売例自体がないような品(いわゆる「一品もの」とか「One of a Kind」)ばかりをお願いしようというもの。

 じつはこれ、すべて自分のためにポケットマネーで買ってきたもので、「商品」として店の金を充てて仕入れたものとはまた違う(もっともこれ自体、ウチの場合はヨソ様と業態がだいぶ違うけど)。

 だからギャンブルやら不動産、株・呑む・買うなどもやらない代わり(もっとも、競馬・スロットマシン・花札などはお手のものだが 笑)に、「どうしても今のうちに残しておかないといけない」といった技や匠、特に誰もハナを(その当時は未だ)引っ掛けていないモノにはとくに嗅覚をきかせ、ボクの目とそいつ(品)の目が合ったら最後、買い集めるようにしている。

 それのひとつが大騒動を呼んだ。

 あれはたしか野茂がアメリカにわたった1995年、フロリダはベロビーチのド軍キャンプ地で過ごしていた際に、ひょんなことで同じキャンプで巡り会ったユダヤ人の老ビジネスマンと仲良くし、また親切にしてやった。

 知らなかったけれど、彼はユダヤ人社会の間での宝飾品における大成功者であり、またダイヤ取引での権威だったらしい。
 紹介された『時計買うのだったらこいつらがいいよ』という人々を幾人か紹介された。

 彼ら民族は、同民族の紹介者がいいと、非常に深くそのギルドの内側へと歓迎してくれる。
 そうした彼らの中古のストック時計を眺めているうち、やけに盤面のデカい時計が目に入った。
 それが今回の『パネライ社 マリーナミリターレ』という時計だった。

 状態は『フィレンツェの医者のワンオーナー』で、保証書やら総て「ペーパー類」も完備。
 聞きなれないメーカーだが、ここは確か「イタリー海軍」のフロッグマン(海中に小型潜航艇などで敵艦に海中から接近し、爆雷などを仕掛ける)という特殊破壊工作専門部隊のために、軍おかかえメーカーとして「水中時計」を供給してきた会社で、市販をしていなかったはずだった。

 さすがにその品じたいは、その往年(戦中)のものではなく、新しい製作物だったのを見きわめて、「限定生産?」と見られるナンバリング「0108」を眺め、『(なんだ、1000個も作ったのかよ)』と内心落胆しつつ、これを求めてしまった。

 にしても、実際に手首にはめて使うには、さすがに「44ミリ」「厚さ約1センチ」というサイズはデカい。
 知ってはいた、それが潜水服の上に装着し、薄暗い水中でも時刻が解るようにデカく、見やすいサイズであるという宿命くらいは。

 「(また厄介なものを買っちまったなぁ)」と思いつつ、ケースにしまいこんで十数年が経ち、その間いくつかの時計雑誌が取材にやって来たり、日本での時計の名士らとも交流し、これを幾度となく彼ら目利きにお目にかけたのだが、すぐに目は別の時計にいってしまう(別にそんないいものばかりあるわけではないが)。

 いくつかの「時計専門誌」に関わる編集者(かなり博識)もライターも、そしてコラムをそこに書いていたりいっぱしの有名店ディーラーのある権威ドノにせよ、今となってみれば『物凄く詳しい、と思っていた人が誰も全く知らなかった』ほどの珍品だったのである(…だからボクが知らないのも無理はない…という言い訳 笑)。

 これをある日、同社のラバーベルトに換えたくてならなくなった。
 これのベルトを備え付けの『革製二本』だけでは心もとないし、なによりリセールを将来予定すると考えるならば「純正の付属ベルトだけは傷めたくない」保身からでもあった。

 ちなみに、ボクはいくら気に入っている時計でも「サファイヤガラス」のドームでなくては絶対に買わない。
 なぜなら「ガラス表面に傷が付いている中古」は、自分でもその傷が「愛おしく映る事はなく」、「憐れでならない性分」の自分には向かない。
 このワガママは都合よく、偶然(ホントかよ)リセールを考える場合でもガラスの疵はポイントを大きく下げる要因となるため、強固な硬度のサ・グラスに限るのである。
 
 そこでこのパネライを日本で扱う売り場としては最も大きい大阪梅田は阪急デパートのパ社売り場へ、自分専用バンドを求めに寄ったところ、そこの女史がメガネをかけ直したのである
 『あの〜、これ』というから
 「え?ニセモノなんですか」と冗談交じりで云ったら、

 『あのコレ、物凄く珍しいものですからお客様もしよろしければ、私たち(総代理店)のプレスルームなどへお持ち下されるような事はないものでしょうか?』と、このかん物凄い速さでこの社の【総カタログ】みたいなもののページめくりをする手を休めず、そう云うから、
 「だって、めんどくさいじゃん」と笑って代金だけ払ってその場を辞した。

 ボクはそうしたレアー度(?)にニンマリするよりも先に、
 「(パネライって会社はずい分と資料を整えていない会社なんだな)」と帰り途ちょっとガッカリもした。

 そしてまたしばらくして、今年に入り箱を開け、取りあえず世界中でネットを利用して井戸端会議をしている人々を総ざらいにしながら、この時計に関する情報をジャカジャカ収集しまくった。

 そう、この時計を我がサイトで売りに出す日のために、必要な周辺情報(特に総生産数)を調べて差し上げなくては購買なさった方に失礼だし、またその数字が「売り値」をしぼり出す根拠ともなるわけだ。

 そうしたら、なんとパネライ社は97年に「あのカルティエ社によって買収されて」しまっていたと知った。
 ということは、あの阪急にいたお姉さんは「カルティエ資本」の人で、それだから「買収前の生産品については詳しくなかった」のか…と勝手に納得した(半分は当たり)。

 そうするうち、『総数500』という説がどうも有力にみえた。

 そこで「個数=500」をベースに、こいつを我がサイトに載せて初値という値段を付けてみた、『なんでも鑑定団』なら登場した依頼人の「本人希望額」みたいなものである(笑)。
 【120万円】。
 それはカルティエとの新体制となった『同社製の新型』を基本に、限定数、製造クラスを判例としてならい、『この価格ならちょっと安いかな?』といった、控えめな金額で売買のチャンスを窺おうと判断した暫定措置だった。

 当然付けた以上は、「この値段で買いにこられたら」、売った…となるわけだ(これが1月半ば)。

 引き続き調査を続けると、このパネライ時計が昨今世界中で人気が高くなってきている”ワケの根源”をたぐり寄せることができた。
 ビックリしたのは知らないうちに、カルティエは積極的な宣伝活動をハリウッドのセレブらをモデルにして推進してきていた結果だったのである。
 それも、シュワちゃんからニコラスケイジから、キアヌリーブスに「007各位」、さらにボクの好きなスティーヴンセガールらまでが、この会社の時計をスクリーンのシーン中に光らせて、映画出演しているのを目にするころができた、なあるほど〜。

 それら「公開年」とを考慮すれば、その作品群は「おしなべて1997以降」であり、間違いなく「カルティエ」がパ社を買収した上で「取り掛かった事業」こそこの宣伝活動だった。
 それらの映画制作には相当な『プロモーションフィー』を支払い、映画銀幕に載せて世界にその存在をアピール開始した形跡と受け止めた。
 たいした商売上手である(おととしくらいから我が日清食品は「カップヌードル」の映画シーンからの広報を展開中だ)。

 これまでカルティエ時計など(失礼!)、どこまでいっても(「機械的な優秀性」については正直ボクら専門家らの間ではまったく評価されていなかった)”カルティエ=宝飾時計”というイコールイメイジから脱却できずにいたものだ。
 それが「パ社の買収→抱え込んでの世界的プロモーション」によって、自らをパネライと同列に再登場させる事で、「カルティエ→デザイン」に「機械的信頼性」といったポジティヴイメージづくりを完成させ、さらなるハイグレイドな顧客の獲得を目指すための戦略として「パネライ買収」の意図もそこにあったとボクは分析する。

 第二次大戦、戦時中はこの渦中の時計(写真のモデル)の中味が「ROLEXのOEM製造」だったので、本『伊海軍提携記念復刻モデル』も、「ひょっとして中身まで忠実にやってたの?」との期待も膨らみ、一度パ社ジャパンに持ち込もうかと考えたものの、強力防水時計だけにいたずらにウラ蓋を開けるのは止しておいた。

 反面困り果てていた、ここまで検索しても写真はおろか「型番」まで論じられていない品などがあるものか、次第に不思議さは増幅していった。

 すると、似て非なる新デザインの『2006年型マリーナミリターレ』の”つまらない中古が130万円”で値付けされている例に出会い、しかもそれが『限定300個生産』でその値段。

 迷わず当方のサイトもたいへんたいへん…と、
 【160万円】変更。

 というのも、「世界的な(パネライあたりの)機械式時計メーカーによる限定たった300」という数字はただ事ではない重みを持つ。(ここが機会だって作れる時計「万ある”クォーツ”」とは差別すべき分水嶺なのだ)

 そうするうち、その真夜中になって難題は”ヒットした”。

 元(パネライの買収前)職人氏がメカ的な造詣を披瀝しているサイトに出会ったのである。

 今となっては、I・エクスプローラの設定言語に「イタリー語」も加えていたならば、おそらく地元(フィレンツェ)あたりの好事家がWEB上にもいて情報に出会えたことだろう。

 するとそこには燦然と、我が時計型番【5218/202A】がおとなしそうな顔(文字盤)をして、レイレイしく紹介されているではないか(この画像自体「マニアからの画像拝借に頼った」と作者の弁にある)。

 それによれば、本品の個体数はなんと【140個のみ】(笑)。
 そこにはただただ、「修飾語ばかりが有った」

 93年に90個、翌94年に50個のみ作られた…とされ、『我々パネライ愛好家がもっとも捜し求めているものの、いくら呼んでもこだまが還ってこないほどレアな逸品』と最大限の形容が添えられていたのである。
 職人さんや、持ち主にとっては涙が出るほどうれしい賛辞にちがいない。

 これが『バイヤーズプレミアム(買い手の余禄)』と呼ばれる、オークション用語での(持てる者のみに)「もたらされた余禄」という意味なのかと、ボクはもっぱらそうしたオークションの主催者側だけれども、『買う側』の醍醐味、至福感をつくづく味わう事ができた。

 そのサイト内にはパ社ファンらによる掲示板もあって、のぞいて見ると彼ら愛好者らのオフ会などでは、その元職人に現物写真の提供をした「5218/202Aの持ち主」が参加しただけでキャーキャー。それをはめさせて貰ったらそれだけでキャーキャー(笑)、「ボクなんかそうしたキミがハメている5218を横でずっと眺めていてキャーキャーだったさ…」みたいな書き込みが並び、この時計ってそんなにすごかったのか、これは大変なことになってきた。

 それでいてこいつらパネライマニアらに特徴的なのは、日本のこうした方々(笑)にありがちのような、「カタログ蒐集」のみとか「データだけ詳しい」みたいなノリなのではちっともなく、みんなそれぞれが「現行モデル」、さきの「130万円」なんかを”ゴロゴロ持って自慢し合う人々”がメインのサイトなのである(のでもっとビックリした)。

 「値付け」というもの、「将来的期待度」を観測するボクの指針というものがある…

 *『良い、と主張する識見者らの存在』
 *『それを「同感」と受け止めている、それもカナリ深めの知識にはまっている人種の存在』
 *『それも「情報が独り立ちできるだけの人数」である』
 *『その彼らは「事情さえ許せば購買者」足りうる支持者である』

 以上の【品物のプレミア度が沸騰する要因】がこれだけ満たされている……とあって、ボクは寝床からハネ起きて(枕元のデスクトップは点けっぱなしで)、真冬にもかかわらず羽織る物もそっちのけで、急ぎ「作業用PC」へとすっ飛んでいって取り付くやいなや、「我がHPへのオーダー諸兄の中から『(同)パネライ時計お申し込み』などがないのを確認」してホッとして、ようやく人心地というものがついた。

 スィッチを「ON」にしてから、ウィンドウズXP画面に切り替わるまでの道程の長かった事といったら…、ない!。 いや、ホッとしまくった〜(笑)。

 おいおい、世間の皆さん〜、この時計『トップページで』『1ヵ月半』もの間、『120万円(最後の2日間だけ160万)』だったんだぜ〜。

 や〜い、やあい(笑)。
 ありがとうごぜえますだ、みなさま〜〜『買ってくれなくて』ありがとさあぁん。(こんな言葉は二度といわないで死ぬ事だろう 笑)

 今だから云うがお客さんが付いていたら
 『フツーに売っていただろう』。
 間違いなく、感謝しながら買ってくださった事をありがたく受け止めた事だろう。

 そして売ってしまったとしたらボクという人間は、そこから先『一切、「パネライの5218/202A」』なんて、目の前の課題からは取り去ってしまう、突き付けられても見えてもこない。
 というのも、こうしたものに【レッキとした保証書】がある以上、すべてお任せできるからいいし、サッパリ別れたらサヨナラができる。

 明日から、手放したお宝には「検索」も「フォロー」もしないものなのである。それがボクのエラい事なのかどうかは判らないが。(「アフターケア」は商人のつとめで、別の事)

 「ありがとうございました」と感謝する事の方がもっとずっと大きなことだから。
 
 そして朝になってから、販売サイト内にこう上書きしておいた。

 『緊急販売中止 このお値段ではとてもお売りできない事が判りました。あまりに個体数が少なく現在、米と欧のディーラーで最低US$43000!!??ひゃ〜、危なく120万でお願いしてしまうところだった(大汗)…以下略』

 【$43000】扱うディーラーも、ブローカーなのだろう。彼のサイトでも「この写真は(この時計の)持ち主の撮影であり、借り物です」というほど情けない現状での写真付き販売での値付けなのである。

 さて、時計は手元に残ったものの、こうした優れた人間文化の遺物…、こうなってしまった今、これで最後、ボクは「保存をして置かなければならない」だろうと、勝手に責務を負ってしまう。

 おっかないからそんな時計、翌日ただちに銀行へ持って行った(笑)。
 意外にも腕時計マニアって、「あの時のテレビ出てたとき、前野サン『OO社のXXしてた』でしょ」などと、驚くほどTV画面内側の腕時計を識別しているものなのだ。
 だがしかし、コレをして「鑑定団」とか「うたばん」には幾度も出演していたのに、出演者諸氏=周囲(オレも視聴者諸氏も)全く判らなかった、一度として指摘されなかったのである。

 今後も積極的にこうした機会にはお披露目したい、だけど持ち主の頭脳が軽薄なのでいかにも無くしそうなので心配この上ない(ボクは自分を信用していないのだ)。

 さらに自分なりに調べてみたら、1993年まではイタリー海軍と同社との提携関係から、こうした特殊時計から始まって防水精密機器(つまり水中機雷の時限式装置とか)等など、機密に当たる軍事物資を供給させ軍のほうも「おかかえ」としてしまうには丁度規模も小さく、適当なサイズであるため、そんなワケでつい最近まで『軍オンリー』と、同社製品の販売を外部に向けては禁じていたという経緯があった。

 そして「民生用」にも販売を始めたパ社は、1993年からこの外にもごく僅かな数の生産のみ試験的に手がけこの「5218」もイ海軍関係者中心に求めに応じて作ったのだそう。
 そのために、たった140個の本限定モデルの生産ロットを、翌94年にも持ち越して「限定数の消化だけでもアップアップ」していた様子が生産数分布だけでも想像できる。

 それが証拠にこの時計の「ペーパー」に書かれていた、ユダヤ人時計商に売った「直前のオーナー」は地元フィレンツェの『Dr.』という称号つき…ということは「博士」が「医師」なので、軍にゆかりのある(「軍医」とか)人士なのだろう。

 そうした背後の事情をかかえ、「この時だけ」の製造で販売で終わったこの「5218…」は稀少度が絶大だったわけだ。

 そしてその後、営業など始めてみても所詮は「紺屋の白袴」?、日本でもありがちな「公社」が民営となって繁栄した会社が少ないように、直後の97年にカルティエに早くも吸収されてしまう(程度でしかなかった)ワケなのである。

 資料が少ないわけも「道理である」わけだ。
 カ社にとってみたら、そんな吸収した会社の前身から、チョロリと出された程度の廃盤モデルについてヨイショしたところで(今後の現世では)ナンにも利益に結びつかない。

 ここで「死んだ子の数を数える」というよりも、『死んだ子を掘り出して』年を数えるようなものである(笑)。
 かえって、それら『買収以前モノ』の現行モデル置き去りにしたプレミア価格の高騰は、カルティエ社にとって苦々しい以外の何ものでもなかろう。

 ならば今、新生パ社の現行モデルを眺めて見れば一目瞭然、あくまで「パ社の軍用モデル」をそのまま復元するといった”買収前当時の作風”ではない。
 デザインはあくまでカルティエ社流にエレガントに品良く、都会的スマートさを重んじ、時にはフェラーリと提携、またシューマッハモデルのように、目玉飛び出るような契約金を惜しまずに「今ふうパネライ」へと誘導してしまっているのである。

 全日空ホテルの向かい側、地下に贅を尽くしたアールデコ調家具インテリアの中、プライムリブ(ローストビーフ厚切り)を供する店があるが、そこのK支配人氏の腕に巻かれたいたのを見て、大いに納得したものである。

 やれやれ…タバコは吸わないけれど、今になってホッと胸撫で下ろし、深〜〜く一服したいアホ鑑定士なのであった。
 やれやれ…今後もこんなだろうし、先が思いやられるワイ。(自分で自分を嘆いている 笑)

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