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どうして《団塊の世代》というククリには明るさもなにもないのでしょう。
「何もなかった、失ったって何も後悔しない、そういって片付けてしまうにはあまりにも惜しい、そういう時代だった」………
ボクはあのキャロル・キングが彼女の活きた《1968〜1975》にかけてそう振り返った言葉に全身がしびれましたものです。<br>
そうですよね、あの頃、世界にはヴェトナムでの殺戮があり、ジャングルを丸坊主にする枯れ葉作戦。僧侶らはそれに反対して自らに火を放ち焼身自殺で抗議。<br>日本でも首相官邸前で自死した僧侶が胸を打ちました。日本は参戦国だったのです。
そのヴェトナム全面爆撃に必要な資材食料を日本の経済界が担って「ベトナム特需」の好景気に沸きました。<br> では日本国民自身はトクをしたのかというと、そのわずかなおこぼれに無言であずかるのが大多数。
それに対して若者はなにかができるはず、と立ち上がった人々も現れました。<br> しかし常に圧倒的な与党や警察力に押しつぶされて、はかない抵抗はけし粒のように踏み潰される毎日の中からサブカルチャーは、「ルネッサンス」が一面で始まったとも言われたものです。<br>
この時代の警察官とて気の毒、被害者でもありました。ハメを外した強権政治が彼らを悪者に塗り替えてからです。<br>
それが70年代。
そして今、2007年。<br> 『団塊の世代』というベルトコンベアに載せられて、廃棄物のようにそれら巨大な数の人々の夢がボタ山の上に降りそそごうとしています。 あの頃の「立っていたモノ」、当時の表現を借りれば「突出していた」あらゆるものを、ボクはこのままでは惜しいと思い続けてきました。 <br>
権力者やそれに媚を売って生き永らえてきた者どもが30年以上にわたりひたすら隠し、どうにかつぶそうとしてきた物をこそ、ボクは心の中で拠りどころとし大事にしまってきました。<br> どうかそれらの一端をご高覧戴きたい。<br>
そして今でもあの頃のように「一人ひとりが"らしさ"を求め、突き出してくる必要性」を社会が欲していると、ボクは今でもそう信じて疑いません。<br> b0 (イメージカットは1969年4・28沖縄デー銀座4丁目交番・前野が16歳で撮影した作品)
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