商品詳細

未だ引退拒否沈まぬアトランタの太陽スモルツ






面白いことに、09年に戦力外で宣告を受けながら現役への憧れを捨てないまま、引退宣言をしないうちに、2015年度「殿堂入り」が決まってしまうという生涯野球人を地で行った人物だった。

1985年のMLBドラフト
デトロイト・タイガースから指名を受け入団。

1987年8月12日にトレードで『約束の地』であるアトランタ・ブレーブスへ移籍、1988年7月23日にメジャーデビュー。1年目は2勝7敗、防御率5.48だった。<br>2年目の1989年にメジャーに定着、ハンク・アーロンエディ・マシューズらに次いで球団史上3番目の若さで、投手としては球団史上最年少でオールスターゲームに選出された。<br>「12勝を挙げ、防御率2.94」は球団史上フィル・ニークロが1978年に2.88を記録して以来の低さだった。

1991年6月6日まで2勝11敗、防御率5.16と不調だったが、その後は12勝2敗、防御率2.62と持ち直し、終わってみればシーズン通算で「14勝13敗、防御率3.80」を記録し、チームの9年ぶりの地区優勝に貢献。
パイレーツとのNLリーグチャンピオンシップシリーズでは3勝3敗で迎えた第7戦に先発、6安打完封勝利を挙げてアトランタ移転後初となるリーグ優勝を果たした。

ミネソタ・ツインズとの前年地区最下位チーム同士のワールドシリーズでは第4戦と第7戦に先発、2戦とも少年時代の憧れの投手だったジャック・モリスと投げ合い、計14.1回を投げ防御率1.26と好投したが、チームは3勝4敗で敗退。
 

1992年5月24日エクスポズ戦で「15三振」を奪いウォーレン・スパーン1960年にマークした1試合奪三振球団記録に並んだ。また7月5日から7月22日にかけてこの年のリーグ最長となる「29回連続無失点」をマークしている。

「15勝、リーグ1位の215奪三振」を記録し、チームも2年連続で地区優勝を果たす。再度パイレーツとの対戦となったNL
リーグチャンピオンシップシリーズでは2勝を挙げて2年連続のリーグ優勝に貢献し、『シリーズMVP』を受賞した。
トロント・ブルージェイズとのワールドシリーズ第5戦でシリーズ初勝利を記録したが、チームは2勝4敗で敗退。
 

1993年は『2年連続の15勝・200奪三振』を記録した。
この年
グレッグ・マダックスが加入し、トム・グラビン22勝、マダックス20勝、スティーブ・エイベリーが18勝を記録し、20世紀の球団史上初の15勝カルテットを形成し、球団史上最多の104勝で3年連続の地区優勝。フィリーズとのNLリーグチャンピオンシップシリーズでは第4戦に先発、6.1回で10奪三振を記録したが敗戦投手となり、チームも2勝4敗で敗退し3年連続のワールドシリーズ進出はならなかった。

1994年9月4日に右肘不安から不振。懸案だった手術を敢行。折からのMLBストライキを見越した投資だった。
明けた1995年に復活を果たし、「12勝7敗」、野茂英雄に次ぐリーグ2位の193奪三振を記録。奪三振率は『9.0台』を上回り球団史上初の快挙となった。
チームは2位に21ゲームの大差をつけて地区優勝し、同年から導入された
ディヴィジョンシリーズリーグチャンピオンシップシリーズも圧倒的な強さで勝ち進み、3年ぶりのワールドシリーズに駒を進めた。
レギュラーシーズンで「100勝、2位に30ゲームもの大差」を付けた
クリーヴランド・インディアンズとの対戦となったワールドシリーズでは第3戦に先発したが、2.1回を投げ4失点で降板。登板はこの1試合のみに終わり活躍はできなかったが、チームは4勝2敗でインディアンズを破り、38年ぶり、アトランタ移転後初のシリーズ制覇を果たした。

1996年は自己最高のシーズンとなった。初登板となった4月3日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦では敗戦投手となったが、その後は6月19日にかけて「球団新記録となる14連勝」を達成。
その間、4月・5月の2か月連続で
ピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞している。最終的にリーグ最多の『24勝・276奪三振』を記録し、サイ・ヤング賞を初受賞した。

1997年は15勝12敗、241奪三振。シルバースラッガー賞(=投手としての打撃能力一位)を初めて受賞した。

1998年は2回の故障者リスト入りを経験したが、7月と9月は4勝0敗をマークした。「17勝3敗」で勝率ではリーグ1位。これは1995年マダックスの記録した.905に次ぐ、球団史上2位の.850だった。

手術 - クローザーヘ(2000年 - 2004年)

肘を痛め、トミー・ジョン手術を受けたため2000年は全休。2001年5月17日にメジャー復帰を果たし、6月22日からリリーフに転向した。36試合に登板し10セーブを記録した。2002年にクローザーとして復活。6月3日から7月30日にかけて球団新記録となる「25連続セーブ成功」を記録し最終的に55セーブを挙げる。*これは、1993年ランディ・マイヤーズ1998年トレバー・ホフマンが記録したナショナルリーグシーズン最多セーブ53を更新。
さらに
デニス・エカーズリーに次ぐ、史上2人目となる『シーズン20勝、50セーブ』を達成した。
 

2003年はリーグ2位の45セーブを記録し、2002年8月8日から2003年5月2日にかけて27連続セーブ成功を記録し、自身の球団記録を更新。2004年はリーグ4位の44セーブを記録し、8月19日ロサンゼルス・ドジャース戦でジーン・ガーバーの持つ通算セーブ球団記録141を更新。

再び先発へ(2005年 - 2009年)

ブレーブス在籍時のスモルツ(写真右、2007年4月6日)

シカゴ・カブスとのディヴィジョンシリーズ終了後、「僕の夢は先発のマウンドに立って、マーク・プライアーと投げ合うことだ」と発言していたスモルツ。
38歳となった
2005年から、ジョンは先発に再転向。また、球団とは2006年までの2年総額2,000万ドルの契約(2007年は球団オプション)で合意する。

2006年には「リーグ最多の35試合」に先発登板し、シーズン最終日の登板で16勝目を挙げ1996年以来2回目の最多勝を獲得。不振に陥ったチームのエースとして存在感を発揮。
シーズン終盤には
ジョン・シャーホルツGMが「ジョンは投球だけではなくリーダーシップも発揮してくれる。オプションの行使に疑問を持ったことは一度もない」と2007年のオプションを行使した。

2007年4月26日に球団と、2008年は1400万ドル(2009年と2010年はオプションで契約延長した)。
同年
5月24日ニューヨーク・メッツ戦で通算200勝を達成。メジャー史上初の200勝・150セーブを挙げた投手となった。7月3日から故障者リスト入りとなったが、最短の15日間で復帰。8月19日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦ではシーズン最多の12奪三振を記録し、ニークロの2912三振の球団記録を更新。奪三振率8.62は2005年の先発転向後最高となった。

翌2008年4月22日ワシントン・ナショナルズ戦でに史上16人目となる3000奪三振を達成した。与四球数が1000を越える前に達成したのは史上5人目。しかし4月28日に右肩を故障し故障者リスト入り。

故障から復帰後は4年ぶりにリリーフへ再転向することとなった。
6月2日に復帰したスモルツは4年ぶりのセーブ機会で登板したもののセーブに失敗。その2日後に再び右肩痛の為故障者リストに入り、6月10日に手術。シーズンの残りを全休することとなり、この年は6試合の登板に終わった。

レッドソックス&カージナルス

スモルツの投球(2009年6月25日)

シーズン終了後にフリーエージェントとなったスモルツは、2009年1月13日ボストン・レッドソックスと年俸550万ドル、出来高500万ドルの1年契約を結び、メジャーデビューから一筋でプレーしてきたブレーブスを離れることとなった。前年の肩の手術のため故障者リストに入ったまま開幕を迎え、6月25日のナショナルズ戦でメジャー復帰。しかし2勝5敗、防御率8.53と結果を残せず、8月7日に戦力外となり、8月17日、チームから正式に契約解除が発表された。

8月19日に
セントルイス・カーディナルスと契約合意に達した。移籍後初登板となった8月23日サンディエゴ・パドレス戦で球団記録となる『7連続奪三振を記録し、5回を無失点・9奪三振』で勝利投手となった。最終的に1勝3敗・防御率4.26の成績でシーズンを終えた。

その後

解説者に就任したが引退宣言はしておらず、実質フリーエージェントの状態。

2012年4月、いっぽうブレーブスは、スモルツの背番号「29」を永久欠番とすることを発表。

選手としてのスカウティング

95〜99mph(約153〜159km/h)の速球と88〜92mph(約142〜148km/h)の大きな曲がり幅を持つ独特の縦のスライダースプリッターカーブを持ち球とし、速球は95〜97mph(約153〜156km/h)のツーシームを好んで投げた。特に縦のスライダーは長い間メジャー最高級と称された超一級品。

福祉活動

熱心に福祉活動に取り組んでいる事でも有名。1992年から地元アトランタのスラム地帯の食料事情改善団体や、難病に苦しむ子供たちへの支援団体などに関わっている。1997年には夫人とともに『ジョン&ダイアン・スモルツ基金』を設立。敬虔なキリスト教徒としても知られるが、2001年には「宗派にとらわれない私立学校の」共同設立者になるなど幅広い活動を行っている。これらの活動が評価され、2005年にはロベルト・クレメンテ賞を受賞した。

彼の一生はアトランタで生まれ、アトランタを元気づけ、そしてアトランタに励まされてきた。そして余生を送る?現在となって、もう彼がなんといおうとアトランタのほうが彼を放さない。ミスターナイスガイとはまさに彼のことである。

商品番号 smoltzatb
商品名 未だ引退拒否沈まぬアトランタの太陽スモルツ
販売価格 9,504円
税別価格 8,800円
送料区分 送料別
配送タイプ 佐川急便
在庫

数量:

あの頃、
ボクの心のヒーローだったスターのぬくもり、
それを「身近に置ける」ようになったいま、
「夢」を夢で終わらせない…。

真贋を見きわめたうえ、
ご提案しています。
 

商品カテゴリ
商品検索
キーワード
商品詳細

未だ引退拒否沈まぬアトランタの太陽スモルツ






面白いことに、09年に戦力外で宣告を受けながら現役への憧れを捨てないまま、引退宣言をしないうちに、2015年度「殿堂入り」が決まってしまうという生涯野球人を地で行った人物だった。

1985年のMLBドラフト
デトロイト・タイガースから指名を受け入団。

1987年8月12日にトレードで『約束の地』であるアトランタ・ブレーブスへ移籍、1988年7月23日にメジャーデビュー。1年目は2勝7敗、防御率5.48だった。<br>2年目の1989年にメジャーに定着、ハンク・アーロンエディ・マシューズらに次いで球団史上3番目の若さで、投手としては球団史上最年少でオールスターゲームに選出された。<br>「12勝を挙げ、防御率2.94」は球団史上フィル・ニークロが1978年に2.88を記録して以来の低さだった。

1991年6月6日まで2勝11敗、防御率5.16と不調だったが、その後は12勝2敗、防御率2.62と持ち直し、終わってみればシーズン通算で「14勝13敗、防御率3.80」を記録し、チームの9年ぶりの地区優勝に貢献。
パイレーツとのNLリーグチャンピオンシップシリーズでは3勝3敗で迎えた第7戦に先発、6安打完封勝利を挙げてアトランタ移転後初となるリーグ優勝を果たした。

ミネソタ・ツインズとの前年地区最下位チーム同士のワールドシリーズでは第4戦と第7戦に先発、2戦とも少年時代の憧れの投手だったジャック・モリスと投げ合い、計14.1回を投げ防御率1.26と好投したが、チームは3勝4敗で敗退。
 

1992年5月24日エクスポズ戦で「15三振」を奪いウォーレン・スパーン1960年にマークした1試合奪三振球団記録に並んだ。また7月5日から7月22日にかけてこの年のリーグ最長となる「29回連続無失点」をマークしている。

「15勝、リーグ1位の215奪三振」を記録し、チームも2年連続で地区優勝を果たす。再度パイレーツとの対戦となったNL
リーグチャンピオンシップシリーズでは2勝を挙げて2年連続のリーグ優勝に貢献し、『シリーズMVP』を受賞した。
トロント・ブルージェイズとのワールドシリーズ第5戦でシリーズ初勝利を記録したが、チームは2勝4敗で敗退。
 

1993年は『2年連続の15勝・200奪三振』を記録した。
この年
グレッグ・マダックスが加入し、トム・グラビン22勝、マダックス20勝、スティーブ・エイベリーが18勝を記録し、20世紀の球団史上初の15勝カルテットを形成し、球団史上最多の104勝で3年連続の地区優勝。フィリーズとのNLリーグチャンピオンシップシリーズでは第4戦に先発、6.1回で10奪三振を記録したが敗戦投手となり、チームも2勝4敗で敗退し3年連続のワールドシリーズ進出はならなかった。

1994年9月4日に右肘不安から不振。懸案だった手術を敢行。折からのMLBストライキを見越した投資だった。
明けた1995年に復活を果たし、「12勝7敗」、野茂英雄に次ぐリーグ2位の193奪三振を記録。奪三振率は『9.0台』を上回り球団史上初の快挙となった。
チームは2位に21ゲームの大差をつけて地区優勝し、同年から導入された
ディヴィジョンシリーズリーグチャンピオンシップシリーズも圧倒的な強さで勝ち進み、3年ぶりのワールドシリーズに駒を進めた。
レギュラーシーズンで「100勝、2位に30ゲームもの大差」を付けた
クリーヴランド・インディアンズとの対戦となったワールドシリーズでは第3戦に先発したが、2.1回を投げ4失点で降板。登板はこの1試合のみに終わり活躍はできなかったが、チームは4勝2敗でインディアンズを破り、38年ぶり、アトランタ移転後初のシリーズ制覇を果たした。

1996年は自己最高のシーズンとなった。初登板となった4月3日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦では敗戦投手となったが、その後は6月19日にかけて「球団新記録となる14連勝」を達成。
その間、4月・5月の2か月連続で
ピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞している。最終的にリーグ最多の『24勝・276奪三振』を記録し、サイ・ヤング賞を初受賞した。

1997年は15勝12敗、241奪三振。シルバースラッガー賞(=投手としての打撃能力一位)を初めて受賞した。

1998年は2回の故障者リスト入りを経験したが、7月と9月は4勝0敗をマークした。「17勝3敗」で勝率ではリーグ1位。これは1995年マダックスの記録した.905に次ぐ、球団史上2位の.850だった。

手術 - クローザーヘ(2000年 - 2004年)

肘を痛め、トミー・ジョン手術を受けたため2000年は全休。2001年5月17日にメジャー復帰を果たし、6月22日からリリーフに転向した。36試合に登板し10セーブを記録した。2002年にクローザーとして復活。6月3日から7月30日にかけて球団新記録となる「25連続セーブ成功」を記録し最終的に55セーブを挙げる。*これは、1993年ランディ・マイヤーズ1998年トレバー・ホフマンが記録したナショナルリーグシーズン最多セーブ53を更新。
さらに
デニス・エカーズリーに次ぐ、史上2人目となる『シーズン20勝、50セーブ』を達成した。
 

2003年はリーグ2位の45セーブを記録し、2002年8月8日から2003年5月2日にかけて27連続セーブ成功を記録し、自身の球団記録を更新。2004年はリーグ4位の44セーブを記録し、8月19日ロサンゼルス・ドジャース戦でジーン・ガーバーの持つ通算セーブ球団記録141を更新。

再び先発へ(2005年 - 2009年)

ブレーブス在籍時のスモルツ(写真右、2007年4月6日)

シカゴ・カブスとのディヴィジョンシリーズ終了後、「僕の夢は先発のマウンドに立って、マーク・プライアーと投げ合うことだ」と発言していたスモルツ。
38歳となった
2005年から、ジョンは先発に再転向。また、球団とは2006年までの2年総額2,000万ドルの契約(2007年は球団オプション)で合意する。

2006年には「リーグ最多の35試合」に先発登板し、シーズン最終日の登板で16勝目を挙げ1996年以来2回目の最多勝を獲得。不振に陥ったチームのエースとして存在感を発揮。
シーズン終盤には
ジョン・シャーホルツGMが「ジョンは投球だけではなくリーダーシップも発揮してくれる。オプションの行使に疑問を持ったことは一度もない」と2007年のオプションを行使した。

2007年4月26日に球団と、2008年は1400万ドル(2009年と2010年はオプションで契約延長した)。
同年
5月24日ニューヨーク・メッツ戦で通算200勝を達成。メジャー史上初の200勝・150セーブを挙げた投手となった。7月3日から故障者リスト入りとなったが、最短の15日間で復帰。8月19日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦ではシーズン最多の12奪三振を記録し、ニークロの2912三振の球団記録を更新。奪三振率8.62は2005年の先発転向後最高となった。

翌2008年4月22日ワシントン・ナショナルズ戦でに史上16人目となる3000奪三振を達成した。与四球数が1000を越える前に達成したのは史上5人目。しかし4月28日に右肩を故障し故障者リスト入り。

故障から復帰後は4年ぶりにリリーフへ再転向することとなった。
6月2日に復帰したスモルツは4年ぶりのセーブ機会で登板したもののセーブに失敗。その2日後に再び右肩痛の為故障者リストに入り、6月10日に手術。シーズンの残りを全休することとなり、この年は6試合の登板に終わった。

レッドソックス&カージナルス

スモルツの投球(2009年6月25日)

シーズン終了後にフリーエージェントとなったスモルツは、2009年1月13日ボストン・レッドソックスと年俸550万ドル、出来高500万ドルの1年契約を結び、メジャーデビューから一筋でプレーしてきたブレーブスを離れることとなった。前年の肩の手術のため故障者リストに入ったまま開幕を迎え、6月25日のナショナルズ戦でメジャー復帰。しかし2勝5敗、防御率8.53と結果を残せず、8月7日に戦力外となり、8月17日、チームから正式に契約解除が発表された。

8月19日に
セントルイス・カーディナルスと契約合意に達した。移籍後初登板となった8月23日サンディエゴ・パドレス戦で球団記録となる『7連続奪三振を記録し、5回を無失点・9奪三振』で勝利投手となった。最終的に1勝3敗・防御率4.26の成績でシーズンを終えた。

その後

解説者に就任したが引退宣言はしておらず、実質フリーエージェントの状態。

2012年4月、いっぽうブレーブスは、スモルツの背番号「29」を永久欠番とすることを発表。

選手としてのスカウティング

95〜99mph(約153〜159km/h)の速球と88〜92mph(約142〜148km/h)の大きな曲がり幅を持つ独特の縦のスライダースプリッターカーブを持ち球とし、速球は95〜97mph(約153〜156km/h)のツーシームを好んで投げた。特に縦のスライダーは長い間メジャー最高級と称された超一級品。

福祉活動

熱心に福祉活動に取り組んでいる事でも有名。1992年から地元アトランタのスラム地帯の食料事情改善団体や、難病に苦しむ子供たちへの支援団体などに関わっている。1997年には夫人とともに『ジョン&ダイアン・スモルツ基金』を設立。敬虔なキリスト教徒としても知られるが、2001年には「宗派にとらわれない私立学校の」共同設立者になるなど幅広い活動を行っている。これらの活動が評価され、2005年にはロベルト・クレメンテ賞を受賞した。

彼の一生はアトランタで生まれ、アトランタを元気づけ、そしてアトランタに励まされてきた。そして余生を送る?現在となって、もう彼がなんといおうとアトランタのほうが彼を放さない。ミスターナイスガイとはまさに彼のことである。

商品番号 smoltzatb
商品名 未だ引退拒否沈まぬアトランタの太陽スモルツ
販売価格 9,504円
税別価格 8,800円
送料区分 送料別
配送タイプ 佐川急便
在庫

数量: