ブレーブスを率い、2011&2012と続いて16勝を挙げたイチローキラーのティム・ハドソン。 現在も乞われて渡ったサンフランシスコGで、勝ちゲームの貴重な安定ホールド役として信頼されている。
その良きライバルであったし、投手ということもあり、去就を心配していたが39歳になった昨年も、プレイオフやワールドシリーズで闘う中においてティムは貴重な中継ぎとして、アトランタを辞してなお以降引き続き、今もSFGのブルペンでの重鎮として世界一に貢献している。 なんという野球ファン孝行というか、多くの心を温めてくれるい〜い話・・・となったものだ。(A's以来これで、世界一リングは計4個目のゲットとなったわけだ) 2014季終了時点で通算214勝は立派!!
リーグが違ったため、イチローのほうはここ数年というもの、そっと胸を撫で下ろしているかも知れない。 というのも、ここにデータがあるA'sに所属していた時代のデータだけでもこうだ、
【イチローのキャリア通算、打率投手別ワースト1】※対戦40打席以上 1位 ティム・ハドソン《.215(65打数14安打)》(それも最初の3年はわずか2安打であった。) 2位 スコット・シールズ《.222(36打数8安打)》 3位 ジェレッド・ウィーバー《.240(50打数12安打)》
ところが、この7月25日のメッツ戦で、ヤングの内野ゴロをめぐって一塁カバーに入ったティムの軸足にあたる右足首を、ヤングは狙ったとしか言いようがない踏みつけ方で、キャンバス上でその足首関節の上を踏み潰し、真っ二つに複雑骨折させてしまう。 それを押して、ポストシーズンの大切な場面で中継ぎで登板。少なくともティムの完全復活の最低条件=元気にプレートを蹴れるようになるのは早くても今季2015年か。
22歳大学を出て間もない1999年、アスレティクスAAで3連勝を記録し、AAAへと昇格してからも4連勝を記録。 球団はトム・キャンディオッティを解雇し、ハドソンをメジャーへ昇格させ、6月8日のパドレス戦でメジャーデビュー。 5回を投げ、『初登板のア・リーグタイ記録となる11個奪三振』を記録。 そのまま先発ローテーションに定着し、21試合の先発で11勝2敗を記録。オークランド移転後の新人選手(10勝以上)の中で最も高い勝率.846をマークし、防御率3.23は新人選手(100イニング以上)の中で4位となった。新人王の投票では6位に入った。 2000年はオールスター開催までに、球団史上8年ぶりに2桁勝利を7月2日にマークし、オールスターに選出された。 とにかくクレバーな間合い取り。投球術というものが生まれつき持っている男ではないか。 8月28日以降は2完封を含む7戦7勝で、9月のピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞している。自己最多の20勝を挙げ、デービッド・ウェルズと共に最多勝利のタイトルを獲得し、チームを8年ぶりの地区優勝に導いた。
また、サイ・ヤング賞の投票ではペドロ・マルティネスと争っての2位だった。 (2000年からバリー・ジト、マーク・マルダーと共にエーストリオ "ビッグ3" を形成し、以後4年で3人合わせて198勝(チーム勝利数の50.5%)を挙げ、チームは2003年まで4年連続ポストシーズン出場を果たす。) 2001年は4月2日の開幕投手に指名され、新人・イチローとの対決が話題を呼んだ。 だが、ティムの投じるシュートやシンカー。そして絶妙の内角へのコントロールでイチローに『スゥイングさせてもらえない』と嘆かせた唯一の投手で、しばらくは「対戦打率ゼロ」が続いた。
リーグ最多の35試合に先発登板し、18勝9敗を記録。 2002年は初めて防御率が2点台を記録 2003年、自己ベストの防御率2.70、自己最多の240イニングを投げ、16勝7敗を記録した。 2004年は6月23日に故障者リスト入りとなったため、4年ぶりにオールスターに選出されたが辞退。昨年に続きリーグ最多の2完封で12勝6敗を記録した。シーズン終了後の12月16日にフアン・クルーズら3選手とのトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍(高給提示に泣いたA'sのマネーボール流らしい選択)。
ブレーブス時代2005年シーズン終了後にFA権を取得するため球団は2005年3月1日に4年総額4,700万ドル、2010年は球団オプションでこれを含めると5800万ドルの契約を結んだ。
移籍1年目の2005年は6月から7月にかけて一時離脱したものの、後半戦の「15先発すべてで6イニング以上」投げ、 8月は2試合連続完投勝利を挙げるなど安定した投球術を披露。シーズントータルで14勝9敗、防御率3.52をマーク。また、8月6日のセントルイス・カージナルス戦では、202試合目の登板で通算100勝を達成。1970年以降では6番目に少ない登板での100勝であった。 その一方で、病気と戦うアトランタの子どもたちへのチャリティ活動が認められ、ロベルト・クレメンテ賞にノミネートされた。 2007年は制球が定まり、打者一人当たり3.42球は自己最小となった。 6月25日から8月20日日にかけてこの年のリーグ最長となる9連勝をマークし、2年連続で200投球回を上回り、4シーズンぶりに15勝以上をマークした。
2008年は7月までに11勝をマークするなど順調だったが、8月にトミー・ジョン手術を受け、残りのシーズンは全休となったが、2009年のレギュラーシーズンの終盤以後は先発ローテーション投手として復帰した。 2011・2012と2年連続16勝はコンセプトどおりと笑った。 2013年、4月30日の対ワシントン・ナショナルズ戦で、投げては7回3安打1失点、打っては5回に通算3本目の本塁打で、8対1で勝利し通算200勝を達成。200勝達成試合で本塁打を記録したのはメジャーリーグ史上2人目。 投球スタイルスカウティング大柄ではないがステップの広いダイナミックな投球フォームを持ち味とする。 140キロ台後半のノビのあるツーシーム系の高速シンカーおよびシュートで打者をゴロで打たせるタイプで、テンポは早く、若いカウントから勝負できるので球数が少ない。変化球は高速スライダー、スプリッターを決め球とし、カットボール、速度差の大きいチェンジアップ投げ。さらに牽制術が卓越している。
通算勝率が65.4%(2012年終了時)という勝率が高い投手である。 アスレチックス時代には同地区のイチローと何度となく対戦し、イチローは「ほとんど球が高めに来ない投手」と絶賛した。
商品番号 |
hudsonatb |
商品名 |
ichiro天敵アトランタエースのハドソン |
販売価格 |
9,680円 |
税別価格 |
8,800円 |
送料区分 |
送料別 |
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