商品詳細

阪急スペンサー発「オールスター参加賞」






日本の野球を変えたガイジン、ダリル・スペンサー。
 当時のつたない英語でその凄さをたたえ、こう呼んだ
『ダリル モンスター スペンサー』
彼は、それまでの打者の誰よりもホームベースから遠く構え、ストライクを大きく踏み込んで豪快にスタンドへと運んだ。
そのすべては『翔ばないボール』だったというのに。

1965年日本オールスター野球大会 出場選手参加賞
コミッショナー贈呈品 時計機構補修済み『30日間巻き』
7石 30日間巻き

写真をアップで見ていただいて、時計の本体を両脇からエレガントに支える格好のカーブ曲線金具の、向かって左側後方のビス&ナットの1ペアが欠け落ちております。(本来は左右で2X2の計4ペアなのですが)

 

したがいまして、これを125000円とすべきところを、機能には全く問題ない部分ですが、「ワケあり」として、この7万円としてご奉仕いたします。』そう但し書きをしてUPしていたのです。

 

もちろんその場所は正しい時間を掲示するには、構造上「全く問題ない別箇所」であり、必要なら似たサイズのビスとナットで代用すればコトは済みます。


 主にメジャーではNYジャイアンツに在籍、黄金時代をメイズなどと過ごした内野手。
タイカッブに心酔し、デヴューから走塁時にはスパイクの歯を上げて威嚇するスライディングでアメリカでもその攻撃的野球には定評があった。
58年にはワールドシリーズに出場時、あの世紀の背走キャッチ=「TheCatch」をチームメイトのメイズと経験。
その後ドジャースにレッズを経て、通算1098試合901安打105本塁打428打点。

そうした男が1964年から日本の阪急ブレーブスにやって来た。
彼は日本で、「何も考えずに野球をしているプロの存在」に驚いて、逆に深く野球と作戦について思考をめぐらしつつ相手を徹底的に研究して後略するためにメモ魔にまでなっていった。

おかげで初年度には波及の四番として爆発的なパワーを発揮、早くも36本塁打94打点をたたき出し、パリーグの空気をひっくり返してしまう。
このトロフィーを獲得した翌65年には38本を放ち、南海野村との三冠王争いは今も伝説的に語られることになった。
とくにガイジンにタイトルをやすやすと奪われまいと、相手投手らは姑息にも徹底的な敬遠作戦で臨む体たらくであった。
実際、7連続四球のプロ野球記録を含む79四球、そして出塁率.423によって、次第にダリルは悪球打ちからスゥイングを崩してしまい、シーズン終了直前の天王山で交通事故に遭い、骨折。せっかくのホームラン王争いから脱落してしまう。

なお、この65年にダリルは「ホームランから三塁打に二塁打、そしてシングルヒット」をこの1試合でマーク。
試合後、当然このサイクルヒットについての話題をぶつけられると思っていたが、記者団のどこからもそうした質問はなく不思議に思い、自らこの記録について説明して『あ〜アメリカではそうなんだ』と一同が納得したという笑えるエピソードがある。

さらにこの報道を目にしたコミッショナーから、じきじきにダリルへ謝罪のコメントが寄せられたのだという。

結局72年までのシーズンを阪急で過ごし、コーチも務めながらメジャー流の工夫など、現役時代のスペンサーメモなるものをブレーブス首脳陣に共有し、後の阪急無敵時代のID野球的基礎を作ったのである。
 『王貞治が打席に立ち、「見逃した球は王にかぎってボールとジャッジされる…」という僥倖に、彼は恵まれている。だが同じような僥倖を呼び込むのも、とてつもない天分あってこそなのだ。だからそれに恵まれている打者を挙げれば、それはルースでありカッブやテッド。それしか知らない。だから、もし王がメジャーで闘っていたとしたらおそらく3本の指に数えられる才能だったのではないかと思っている。』

『だから私が日本ではたった152本しか打っていないのに、モンスターと呼ばれ、王は868本も放っている。この差についてはそれほど格別な才能の打者であると、素直に大差を受け止めておいて欲しいのだ』(王の記録達成について日本野球の現実を分析してみせたコメント)

商品番号 spencecloc
商品名 阪急スペンサー発「オールスター参加賞」
販売価格 75,600円
税別価格 70,000円
送料区分 送料別
配送タイプ 佐川急便
在庫

数量:

あの頃、
ボクの心のヒーローだったスターのぬくもり、
それを「身近に置ける」ようになったいま、
「夢」を夢で終わらせない…。

真贋を見きわめたうえ、
ご提案しています。
 

商品カテゴリ
商品検索
キーワード
商品詳細

阪急スペンサー発「オールスター参加賞」






日本の野球を変えたガイジン、ダリル・スペンサー。
 当時のつたない英語でその凄さをたたえ、こう呼んだ
『ダリル モンスター スペンサー』
彼は、それまでの打者の誰よりもホームベースから遠く構え、ストライクを大きく踏み込んで豪快にスタンドへと運んだ。
そのすべては『翔ばないボール』だったというのに。

1965年日本オールスター野球大会 出場選手参加賞
コミッショナー贈呈品 時計機構補修済み『30日間巻き』
7石 30日間巻き

写真をアップで見ていただいて、時計の本体を両脇からエレガントに支える格好のカーブ曲線金具の、向かって左側後方のビス&ナットの1ペアが欠け落ちております。(本来は左右で2X2の計4ペアなのですが)

 

したがいまして、これを125000円とすべきところを、機能には全く問題ない部分ですが、「ワケあり」として、この7万円としてご奉仕いたします。』そう但し書きをしてUPしていたのです。

 

もちろんその場所は正しい時間を掲示するには、構造上「全く問題ない別箇所」であり、必要なら似たサイズのビスとナットで代用すればコトは済みます。


 主にメジャーではNYジャイアンツに在籍、黄金時代をメイズなどと過ごした内野手。
タイカッブに心酔し、デヴューから走塁時にはスパイクの歯を上げて威嚇するスライディングでアメリカでもその攻撃的野球には定評があった。
58年にはワールドシリーズに出場時、あの世紀の背走キャッチ=「TheCatch」をチームメイトのメイズと経験。
その後ドジャースにレッズを経て、通算1098試合901安打105本塁打428打点。

そうした男が1964年から日本の阪急ブレーブスにやって来た。
彼は日本で、「何も考えずに野球をしているプロの存在」に驚いて、逆に深く野球と作戦について思考をめぐらしつつ相手を徹底的に研究して後略するためにメモ魔にまでなっていった。

おかげで初年度には波及の四番として爆発的なパワーを発揮、早くも36本塁打94打点をたたき出し、パリーグの空気をひっくり返してしまう。
このトロフィーを獲得した翌65年には38本を放ち、南海野村との三冠王争いは今も伝説的に語られることになった。
とくにガイジンにタイトルをやすやすと奪われまいと、相手投手らは姑息にも徹底的な敬遠作戦で臨む体たらくであった。
実際、7連続四球のプロ野球記録を含む79四球、そして出塁率.423によって、次第にダリルは悪球打ちからスゥイングを崩してしまい、シーズン終了直前の天王山で交通事故に遭い、骨折。せっかくのホームラン王争いから脱落してしまう。

なお、この65年にダリルは「ホームランから三塁打に二塁打、そしてシングルヒット」をこの1試合でマーク。
試合後、当然このサイクルヒットについての話題をぶつけられると思っていたが、記者団のどこからもそうした質問はなく不思議に思い、自らこの記録について説明して『あ〜アメリカではそうなんだ』と一同が納得したという笑えるエピソードがある。

さらにこの報道を目にしたコミッショナーから、じきじきにダリルへ謝罪のコメントが寄せられたのだという。

結局72年までのシーズンを阪急で過ごし、コーチも務めながらメジャー流の工夫など、現役時代のスペンサーメモなるものをブレーブス首脳陣に共有し、後の阪急無敵時代のID野球的基礎を作ったのである。
 『王貞治が打席に立ち、「見逃した球は王にかぎってボールとジャッジされる…」という僥倖に、彼は恵まれている。だが同じような僥倖を呼び込むのも、とてつもない天分あってこそなのだ。だからそれに恵まれている打者を挙げれば、それはルースでありカッブやテッド。それしか知らない。だから、もし王がメジャーで闘っていたとしたらおそらく3本の指に数えられる才能だったのではないかと思っている。』

『だから私が日本ではたった152本しか打っていないのに、モンスターと呼ばれ、王は868本も放っている。この差についてはそれほど格別な才能の打者であると、素直に大差を受け止めておいて欲しいのだ』(王の記録達成について日本野球の現実を分析してみせたコメント)

商品番号 spencecloc
商品名 阪急スペンサー発「オールスター参加賞」
販売価格 75,600円
税別価格 70,000円
送料区分 送料別
配送タイプ 佐川急便
在庫

数量: